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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-10-02

RCRC 2018/10/04 11:07 記事、読ませていただきました。
「縁」ということを 改めて 考えています。
今、親鸞会の中にいる人と、親鸞会から離れた人と、何が違うのかというと、出遇った「縁」が 違っただけだと、思います。
親鸞会から離れて 正しく南無阿弥陀仏の教えを聞くご縁があった人が、偉いわけでもなく、たまたま ご縁に恵まれたから、南無阿弥陀仏を聞けたのだと思います。

今、親鸞会で講師を続けておられる皆さんは、
大部分の方は、一流大学出身で、しかも 「親鸞聖人のみ教えを我も信じ、人にも お伝えすることに、人生を賭ける」という 一大決心をされ、その決心を翻すことなく、歯を食いしばって、今も頑張っておられるのだと思います。
「光に向かえば、衣食住は ついてくる」などと言われて、お金が無くて 愚痴も言わずに、何年も、何十年も・・・。
決心しても、最後まで進むことほ、なかなかできることでは、ありません。
講師を続けていらっしゃる方々は、精神力も 強い方々なのでしょう。

が、しかし。
どんなに強い決心をして決めた道でも、間違いということもあります。
間違っている道であれば、一刻も早く変更する決心をすることが、被害を少なくすることです。
また、間違っている可能性を 少しでも感じているなら、間違っているのか、いないのか 立ち止まって、確認する作業をしなければ、なりません。

人生も、今日というと日も、 たった一回です。そして 過ぎ去ってから 取り戻すことは、できません。

インターネットの普及で、親鸞会の講師の人達は 、体良くリストラされたと、山も山さんが書いておられました。
途方に暮れている講師の方もおられるかもしれません。
でも、ピンチはチャンスです。
高森会長が見捨てても、阿弥陀さまが 見捨てることは、絶対 ありません。

親鸞会の教えは、間違っていても、親鸞聖人の教えを広めることに人生を掛けると決心した講師の方のお気持ちには、頭が下がります。
親鸞会の講師として生きて行くという勇気ある決心をした時のことを 思い出して、今度は、間違いを受け入れる勇気を出してください。

「仏願の生起本末」、「南無阿弥陀仏のおいわれ」を お説きくださる方から、「南無阿弥陀仏が、我らが往生の証拠であること」を聞いてください。

浄土真宗は、「頓の中の頓」のお救いです。
全く、間に合います。

rr 2018/10/04 15:01 >阿弥陀さまが 見捨てることは、絶対 ありません。
 
南無阿弥陀仏

aa 2018/10/05 04:32 「一度自分が信じた道だから例え騙されても悔いはない」

一見格好はよいようだけど、自分の「信」を他力の「信」の上に置いている時点でアウト。
ただの愚鈍な頑固者にすぎません。人界を去ってから儚くもくずれ去る自分の「信」を思い知る運命です。
「もしかしてこの道は違ったのか?」と、少しでも心に浮かんだら、正しい道を阿弥陀仏に直に問うしかありません。そうすれば必ず道は示されます。
何に対して真摯であるべきか。よくよく自己を律して問うときです。

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