異議申し立ての意義

今日もhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuoより。


※人のブログに文句ばかりつけているかのようになっているのは自覚しています。考えさせられる事が多かったため「ネタ」にさせてもらっていますが、ストーカー的に振舞って池田氏の言うことを全否定しようという気持ちはありません、念のため。むしろ自分の考えが明らかになった部分などもあり、感謝すべきかもしれません。

ある転進について


まず、http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d18221f1907d8c5e2b9e9094a6cb48a1より3/28の池田氏のコメント

(前略)
しかし慰安婦南京事件を同列に扱うのは、問題をかえってややこしくするおそれもありますね。南京事件の場合は、人数には論争があっても、少なくとも万単位の人間を殺したという事実は明らかにあります。兵士が勝手に殺したので、軍には責任がないということにはならない。慰安婦の場合は、強制の実態そのものがないのです
(後略)

続いて、3/31のコメント

(前略)
実態としていえば、広義の(軍による)強制もなかったと思います。だましたのは口入れ屋であり、タコ部屋から逃亡できないように監視していたのは用心棒です。軍は、あのボロ負けの戦場で、売春婦の監視に兵力をさく余裕なんかありません。だから証拠が出てこないんですよ。そうでなければ、あの広範囲で行なわれた戦争で、何も証拠が出てこないということはありえない。

慰安婦の証言についても、詳細に検討してみれば、軍の強制を裏づけるものは一つもない。当たり前です。実態がなかったのだから。
(後略)

この時点では「強制」ということを語るにあたって、「組織的」であるとか「命令」とかいう言葉は使われていない。
4/13頃から「組織的」「命令」ということが強調して語られ始め、次の4/16のコメントに至る。

小倉さんへ (池田信夫)

2007-04-16 18:44:56

<政府及び研究者は、網羅的ではないにせよ、聞き取り調査をやっており、その結果、一定の「強制」はあったという結論に至っています。「強制はなかった」派の方々は・・・>

「強制はなかった」派って、どこにいるんですか?少なくとも、このコメント欄には一人もいませんよ。業者の起こした誘拐事件や末端の兵卒の強姦事件があったことは、証拠上も明白です。そんなことを否定している人は、どこにもいません。問題は、それが「軍の組織的な強制」かどうかということです。

これは上のコメントで私が何度も確認したし、小倉さん以外の人の意見は一致しています。何の反論もなかったので、その論点整理を認めたのかと思ったら、また話を「強制はなかった」とすりかえる。これでは堂々めぐりです。これ以上、不毛な議論を繰り返したくないので、確認します:

「業者や兵士による強制はあったが、軍の命令による組織的な強制があったという証拠はない」

という命題を小倉さんが認めるかどうか、はっきりしてください。いっておきますが、これは吉見氏も永井氏も、もちろん政府も認めたことです。

 ※上記コメント中の強調はすべて引用者


Apemanさんが別の事例で「転進」という言葉を使っていたが、この事例を「転進」と表現するのは間違っているだろうか?
むろん池田氏としては、当初から問題意識は組織的だったかどうかだ、と言い切ることは可能だが、最初のうち「組織的」「命令」などという言葉を使わなかったのは単なる偶然であるとは思えないのだが。


ともあれ、強制があったというところまで共通の認識があるのであれば、話は早いのではないか。
強制された側としては、軍隊というのはどの国でもたいていは規律の厳しいものだから、強制については、具体的な命令書があろうとなかろうと、その最終責任は上官ひいては軍中央がとるべきものだ、と当然のごとく考えるだろう。
この判断はまず常識的で無理がない、と思われるが、どうか。


つまりは、命令書がなくても様々な事実などから、ほぼ命令があったのと同じような働きがあったはず、となれば罪は逃れられないのではないか。
また、あきらかな不作為については、これは言うまでも無いだろう。
実際にそういう判断で自らの罪を問われている側が何としても罪を逃れたいとするならば、命令など全く無かったひたすらそれは現場のごく一部の人間が勝手に行ったことだ、という推測がなりたつような様々な事実を拾い集めることしかないだろう。現場で慰安婦たちの実態をみて、その改善、廃止を嘆願していた将校も沢山いた。そのような日記も残っている・・・などなど。
不作為については、作為を行ったような事例が多く見られるかどうか、たとえば、騙された働き無くない、というような女性がいないかどうか調査し、そういう女性については積極的に帰し業者を処罰するといった事例が数多くあるのか。ただ皇軍を汚すような行為は慎めというような文書を出すだけでなく。


立証責任はこちらにはない、などと言い張ってみたところで、被害者感情が納得などするものだろうか。なんどもなんども謝罪を迫られるのがオチだろう。


そしてそのような、ほぼ命令があったのと同じような働きがあった、また不作為もなかったという事に対する反証ができないのならば、少なくとも最低限、道義的責任については負っておくべきだろう。