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トナカイ語研究日誌

2009-10-21

現代歌人ファイルその55・辻井竜一

 辻井竜一は1978年生まれ。2007年「かばん」入会。2009年に第1歌集「ゆっくり、ゆっくり、歩いてきたはずだったのにね」を刊行している。なおこの歌集の定価は1000円と破格の安さである。

 辻井の短歌の特徴は「過度な定型感」にある。完全な口語短歌であるが、五七五七七の定型をかたくなに遵守し、基本的には詩的飛躍も排している。そのため読んでいてなんとなくパキパキした印象を受ける。作風としては枡野浩一の強い影響を受けていると思われるが、枡野の短歌はもっと柔軟である。辻井の短歌は、佐藤佐太郎の唱えた純粋短歌以上に強い定型感のある歌なのである。

  もしかして双子の兄弟いますかと聞かれることの多い人生

  たぶんもうすでにばれてるだろうけど迷子になったのはわざとです

  誰からも相手にされず終わるよりせめて馬鹿だと罵られたい

  失敗を一つもせずに終わる日は生きていたのか疑わしいな

  救われてみたいのならば救われる必要のある人になりなよ

  判られてたまるか僕は明日もまた誤解を招くことだけをする

 こういったアフォリズム的な短歌が目立った特徴である。こうした歌を読むと、短歌独特の詩性を形作っているのは定型ではないことに改めて気づかされる。辻井の短歌はどの歌も詩情のタイプが一定であり、奇妙なまでに均質な印象を抱かされる。それは実は奥村晃作に通じる点があるのではないか。辻井の歌は「ただごと歌」ではないが、つねに均質な詩情を放つ歌を作り出すことで、やがて一点突破する一首を紡ぎだせる可能性を模索し続けているようにも思えるのだ。

 その証左の一つとなりうるのが、辻井の歌に頻出する語彙「今」である。小池光は奥村晃作の歌を「ただ眼前の今にのみ全力で集中している」と評したのだが、辻井が「今」に拘泥するのも同じような意識が働いているからではないか。

  このままじゃ何も出来ないような気がするけど今はこのままがいい

  やっと今叶ったもはや原型をとどめていないいつか見た夢

  翌朝の後悔なんてまやかしだ今の僕だけ常に正しい

  今だけを必死に生きていますので「昨日言った」と言われてもねえ

  今日こそは何か成し遂げなければと明日も震えて起きるのかもね

  今僕がここにいるのはここにしか眠れる場所がないからですか

 自分はたった今しかない、刹那的な存在。それが歌の根本をなしている思想である。「今」だけに限らず時間的把握そのものをテーマにした歌が非常に多い。歌集におさめられた歌の大部分が時間をテーマにしていると言ってもいいほどである。未来も過去もない「今」だけの存在としてある自己。奥村晃作の眼前には他者がいるが、辻井の場合には自己のみがひたすら眼前に存在している。そしてその自己とは、ある意味では究極の他者なのである。「今」に拘泥する一方で未来の人々にも残るような「生の証拠」もまた渇望する心理には、自己をしっかりと視野に捉えきることの出来ない現代の生きづらさがよくあらわれているように思える。

  あてのない日々だったからあてのない旅の仕方がよくわからない

  経験上午前三時の絶望は基本的には気のせいである

  やらないでよかったなんて言える日が来たらその日は僕の命日

  お年寄り優先席で噛み砕くスカッチキャンディー二個の朝食

  新製品「お汁粉ゼリー」の考案者「水羊羹」の存在に泣く

  真っ白に塗りつぶされたウエディングケーキ試食会招待状

  月一で開催される盲目のふりした子供たちのパレード

 独特のパキパキした詩情はひとえにメタファーを使わないことが理由として大きいと思われるが、こうした意味の重層性をしっかりと持った歌もある。特に個人的に気に入っているのは7首目の「月一で〜」の歌である。単純な偽善告発などとは思えない、幻想と現実がオーバーラップした世界が垣間見えるように感じられる。童話も書く作者だけに、幻想的な発想も決して排しているわけではないのである。「今」を一点に見据え続けた末に見えてくる幻想のきらめきを描いた歌なども、これから先期待したい。  

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