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トナカイ語研究日誌

2012-09-03

現代歌人ファイルその200・荻原裕幸(3)

 第4歌集『世紀末くん!』は1994年の刊行である。歌集巻頭の「みづいろ前線」に寄せた文章には、「典型的なモラトリアムの青年だつたぼくの二十代。就職とか結婚とか、生活にかかはる大半を先送りにして、何かはあるだらうと自己表現の可能性を素朴に信じてゐた。」とある。この歌集はモラトリアム終焉宣言であり、社会化への覚悟の言挙げである。「現在の混沌きはまるあれこれ、この翻訳不可能な状況を、どうにか他者に届かせようともがくうちに、ぼくの日本語は歪みはじめてゐた。」。他者が現れ、他者に届くことを希求する言葉。それゆえに歪み始める言葉。荻原裕幸の新たなステージが始まることが予感されている。

  宥されてけふも翡翠に生きてゐる気がする何が宥してゐるのか


  ここにゐてかつ悠かなるものであるぼくをどうにかしてくれ虹よ


  永遠のみづいろとしてひとりくらゐ犀を生きてもいいではないか


  太宰治をもう十年もひもといてゐないがそれがサボテンだらう


  罌粟な作家とは言へないが死なれたら困るんだよな中上健次


  この八月の街をみづいろ前線がとほる痛みのかけらがぼくだ


  永遠よりも少しみじかい旅だから猫よりも少しおもいかばんを

 こうした極上の抒情性を湛えた歌が「みづいろ前線」の一連に入っている。この頃から、「みづいろ」「翡翠」「永遠」「犀」「虹」といった繰り返し用いられる独特の単語があらわれるようになる。そしてこれらの言葉は、何らかのメタファーであることを拒絶したかのようなシュールな象徴として用いられる。

 手癖のように頻出する語彙があるというのは、ワンパターンを生むおそれからあまり歓迎されない傾向だろう。しかし荻原はあえて同じ言葉を使い続ける。何の象徴にもなりようがない「犀」や「翡翠」を。これもまた、「日本語の歪み」の一例である。

  父は父して軍人将棋をひろげてはカナリア色にほほゑんでゐた


  白地図ではつねに空爆する街をみづいろにして叱られてたなあ


  十二歳ぢやあ父が陸軍軍曹であつたと知るには無花果だつた


  スベテノ国ニ平和ヲ?それは0戦が落とす水晶みたいなものか


  けふぼくはたぶん谷川俊太郎なぜだかことばがげんきなんだよ


  恋人にレンゴー赤軍レンゴーの意味を問はれて孔雀になつた


  宮中の岡井隆はたちつてととてもキュートな髪型らしい


  ほらあれさ何て言ふのか晴朗なあれだよパイナップルの彼方の

 「天体葡萄説」「パイナップルの彼方」といった一連では、「日本」「国家」という視座が登場し始める。『あるまじろん』の「日本空爆 1991」にも戦争というモチーフが現れたが、『世紀末くん!』では父が陸軍軍曹であったことが表明される。それにしても1962年生まれで父が軍人というのは、かなり高齢になってからの子供だったのだろうか。この環境のおかげで荻原は同世代の人々と比べて「奇妙に戦後めいた」少年時代を過ごし、「国家」へ断絶感覚をあまり持たないまま育った。「晴朗」は「天気晴朗ナレドモ波高シ」(日露戦争で用いられた打電文)からの引用だろう。父が戦争体験を語らなかったからか、荻原自身が豊かな時代に育ったからかはわからないが、「帝国」的な意味での「国家」はすぐそばにあると感じていながら、言葉にしようとするとうまくいかない。言葉にならないものを言葉にするとき、「日本語の歪み」はあらわれる。意味不明ともいえるくらいの象徴的な語彙が用いられる。

 「翡翠」や「犀」という語があらわれるとき、どんなにテンションの高い文体が構築されていようがその向こう側には「国家」に対する内なる恐怖心が見え隠れしているように思える。荻原は軍国的な教育を受けたわけでも、反動平和主義を叩き込まれてきたわけでもない。しかし「父が語りたがらなかった」ということ自体がひとつのスティグマとなって、「国家」に対し「言葉にしてはいけない何かがある」と本能的に感じ取ってきたのではないか。その結果が日本語の解体という方法をもって現れてきていたことが、『世紀末くん!』にて示唆され始めている。

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