石川梨華の卒業について

ゴールデンウィーク前半は仕事で潰れて5月に入ってさあ休むぞ!遊ぶぞ!盛り上がるぞ!と思った途端に風邪を引いてしまい、家に引き篭もって気持ちの良い青空を恨めしく眺めて過ごしてたのですが、風邪は一向に治る気配もなく、休み明けの職場でガラガラ声で仕事していたら「何、その声?そーいえばモームスの誰かの卒業とかあったらしいけど叫んできたの?」などと同僚に言われてマジギレしたりしなかったりで、今も猛烈に喉が痛い。



それはともかく。



2001年2月。CD屋で「ベスト!モーニング娘。1」をたまたま試聴したことから、大袈裟でなく俺の人生は変わりました。


それ以前から、ラジオや有線で流れる幾つかのヒット曲(ハピサマとか恋レボとか)が妙に耳に残っていてモーニング娘。は何となく気になる存在だったのですが、「ベスト」を聴いた時「あ。俺、ハマルな」と直感しました。俺にとって抗うことのできない「特別な何か」があったのです。


元々俺は芸能人とか全く興味のない人間でした。だから"モーニング娘。"という名前こそ知っていたもののメンバーの名前や何人いるのかすら知らず、ましてや固体識別などつくはずもなく、まずはTV出演をチェックしたりファンサイトを覗いたりして情報を集める日々が続きました。初めて公式サイトで辻と加護のプロフィール写真を見た時「この二人の区別がつく日は一生来ないのではないか?」と頭抱えたのも、今となっては良い想い出です(w



当時お気に入りだったサイトは、ご多分に漏れず「梨華の時間」でした。もちろん、管理人のゴンタさんが書かれるテキストが最高に面白かったからなのですが、俺はこのサイトから「一人の少女の成長物語」とか「人間関係を読み解く面白さ」といったモーニング娘。の楽しみ方を教えてもらったように思います。



汗と涙、それらを乗り越えた時の最高の笑顔!
とびきりシュートだったり腰砕けだったりする発言の数々!
そして、モーニング娘。にしか表現できないど熱いパフォーマンス!



モーニング娘。を"観る"という行為は、アニメやドラマのような作り物ではないナマモノゆえの臨場感に満ちていて、他のどんな娯楽よりも新鮮で刺激的でした。



こんな感じでこの世界に入ってきたので、やはり当時は"先生"こと石川梨華が一番気になる存在でした。チャレモニでの中澤姐さんとチャーミー石川のやりとりとか、カントリー娘。へのレンタルとか、三人祭とか、ソロ写真集発売とか、「ザ☆ピ〜ス!」でまさかのセンター獲得とか、いちいち一喜一憂しながらTV観てました。もちろん、その脇で傍若無人に暴れまくっていた辻加護にも喝采を上げてましたが(w



メンバーが入ったり抜けたりを繰り返す中で石川は誰もが認める中心メンバーとなり、俺の関心は公平に見てイイ線いってる筈なのに何故か後列に甘んじていた辻に移っていったのですが、それでも石川のキラキラした表情やキレのよいダンスに心奪われることは多かったです。なんと言っても、石川はライブで輝く子でしたから。


中でも心に残っているのが二つあって、一つは02年9月1日のモーニング娘。コンサート(@豊田スタジアム)。この日はとにかく熱かったうえ会場には確か3万人近い客が入っていました。3万人が振る色とりどりのサイリュームの洪水の中で、石川は異様なまでに艶かしくてドキリとしました。俗な言い方をすると"イッちゃった"顔をしていました。


もう一つは04年11月14日のハロプロ・スポーツフェスティバル(@同じく豊田スタジアム)。「ALL FOR ONE&ONE FOR ALL!」で見せた所謂"梨華腰"がとにかく素晴らしかった。かなり遠目で、しかも46人のメンバーが目まぐるしいフォーメーションで動きまわる中でも腰使いで石川だけは分かりましたからね。あれには舌を巻きました。



いや、俺が助平て話しじゃなくって(w
石川って普段はエロとかあまり感じさせなくて、それも彼女の美徳の一つと思っていたからこそ時にドキリ!とさせられることがある、てこと。



最期に石川をライブで見たのが05年3月21日のモーニング娘。コンサート(@名古屋センチュリーホール)。風邪を押しての出演だったようでダンスにいつものキレこそありませんでしたが十二分に熱いパフォーマンスを見せてくれました。最期のMCでは涙のハプニングまで!いつでも本気。いつでも全力。だからこそ石川梨華は美しいのだと改めて感じました。




ともあれ。石川梨華さん5年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました。武道館には行けませんでしたが、一人のファンとしてあなたと走った年月を誇りに思います。