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ふぇみにすとの論考 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2009-06-01

[][]WANオープニングイベントに出て

5月31日、京都で行われたウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)のオープニングイベントに行ってきた。サイト自体は今日オープンしており、サイトオープンとNPO法人化の2つを記念したイベントだった。上野千鶴子さんの基調講演と、プロジェクトの中心になった人たちのお話と、会場発言があり、集会の内容は主に、いかにWANが歴史的に重要なことかという説明と、サイト自体の内容説明だった。

WANサイトを作った理由として、フェミニズムに関する情報がウェブに少ない状況があり、ウェブ上にはいわゆるフェミニズムへのバックラッシュ派が発信する情報のほうが多く、フェミニズムのプレゼンスが弱いという背景があるという。基調講演者の上野千鶴子さん曰く、「バックラッシュに対抗するため、守勢から攻勢へ、情報発信へ」ということだった。

たしかにフェミニズムのウェブ上でのプレゼンスは弱い。フェミニズム情報が増えるのは歓迎である。細々とフェミニズム系ブログを書いてきた者のひとりとしても、フェミニズム系サイトが増えること自体はうれしい。だが、そのやり方には、試行錯誤も当然あるとはいえ、ある程度の今までの歴史(失敗の歴史も含め)もあることだし、ウェブ界の状況も刻々と変化しているのだから、かなりしっかりしたストラテジーの検討が必要だと思う。その点で、かなり不安を感じた今回の集会およびサイトオープニングでもあった。集会にでて思ったことを数点、書き留めておきたい。


「IT弱者」という言葉

このサイトのプロジェクトは、ウェブ上でのフェミニズムのプレゼンスや情報発信をふやすという目的のようだが、今まで具体的に情報発信をネット上でやってこなかった人たちが中心となって立ち上がった、ということのように思われた。それ自体は別に悪いことでもないのだろうが、昨日の集会でスピーカーとなった人たち(大部分が女性学者)は、 ネットであまり積極的に活動してこなかった人たちが多いと思われ、自分たちについて言及する際、「IT弱者」という言葉を連呼していた。そして、この会やサイトの設立プランをたてていたことで、「IT弱者」だった自分がだいぶよくわかって、ITを使いこなせるようになってきた、という話は出てこず、「相変わらずのIT弱者」である自分たちが表にたって説明しているが、他の人たちが裏で働いてくれたためにこのサイトのプロジェクトができたのだ、というストーリーだった。「IT弱者」という言葉は、会場に来ていた多くの、やはり同じ「IT弱者」と想定されているらしい多くの「女たち」と結びつく手段として使われているかのようにも思われたのだった。(いわば、「こんな女性学の研究者先生でも、あなたたちと同じ「IT弱者」なのよ、身近に感じるでしょう」といった感じか。)

いつまでたっても「IT弱者」であると自分を呼び続ける人たちがいる一方(そしてその人たちが前面に出ている中で)、「ITができる」という役割を担う人たちが裏で大変な苦労をし、仕事をこなさなければならなくなる。本来、だんだんと最初は「IT弱者」だった人たちもその「弱者」状態から脱してくる予定だったのだが、その人たちはいつまでも「弱者」の地位にとどまり続け、結局同じ「できる」役割の人たちが実質上の作業を担い続け、「自称弱者」たちにやり方などを教えようとしてもしてもダメで、責任をもとらされる立場になってしまい、結局疲れ果てたり、とてつもない問題を感じてやめざるをえない状態になっていく、というのは、今までフェミニズムがネットを使ってきた中で、繰り返し起きてきたことだ。例えばそのようなことは、fem-netにも、そしてファイトバックの会にも起きたと思う。このWANも、 「限定されたネットができる個人と、それを囲む『自称弱者』たち」といういびつな構造をまた繰り返してはいないのか、という危惧を昨日の集会をみる限りでは持ってしまった。フェミニズム運動の世界では、ここで「できる人」扱いを受けて疲れ果てるのは、たいてい「若い人」扱いをされる層(実際の年齢は別として、運動体の中で「若い」と呼ばれる人たち)である。この層が、疲れ果てた結果、運動をやめていくというケースはあまりによく見聞きしてきた。このWANでも、今までの作業などはほぼ完全ボランティアによって担われているということだった。

なぜ最初に、中心になった主に研究者層である「自称IT弱者」の人たちが、まず個人としてネットで発信してみないのか、なぜそういった小さな試みから積み重ねず、いきなり大々的にぶちあげるのかという素朴な疑問ももってしまった。いままでネットでフェミニスト以外とつながろうとしてこなかった人たちが、突如として大規模なことをやろうとするリスクを感じ、それに加え、そこはかとない時代からずれてる感があるなあ、というのが集会に出ての率直な感想だ。

集会の中では、「すごい、新しいことを始めた!」といいたいがばかりに、間違っていたりズレていたりする発言がちらほらあったのも気になった。たとえば上野さんの基調講演の中で、WANのサイトはすごいことだ、たとえばアメリカの、NOWのような大きな団体でも内部むけのサイトになっている、とかいうご発言があった。私は別にNOWのファンでも会員でもないけれど、NOWはもちろん、誰でも見られるかなり立派なサイトをもっており、地方支部でもそれぞれサイトをもっていたりする。そもそも、全国的巨大規模のフェミ団体があえてウェブ上にオープンじゃないサイトをつくるって、かなり考えづらいし、ありえないんだけどなあ。

WANサイトへの疑問点

果たして、このサイトは今、必要とされているものなのだろうか。そしてなぜ、今、ポータルサイトを立ち上げる必要があるのだろう。

集会で感じたのは、フェミニズムとネット界の状況を分析した結果、こういうサイトになった、というわけではなく、一方的に「正しいフェミニズム」の情報発信をするためのツールとしてのウェブ、と捉えているのではないかということだ。すなわち、ウェブは双方向コミュニケーションの場というより、むしろ一方的な発信の場という位置づけなのかと。だからこそ、いきなりのポータルサイトという発想になるのかと。

ファイトバックの会のウェブをめぐる一連の問題で、ひとついえることは、あの会はHPやブログを一方的な発信の手段としてばかり考えてしまったということである。だから、読者(とくに非会員読者)の反応というものに対し、あまりに無頓着だった。「自分たちは正しい情報を発信しているのだ」という思いばかりが先にたって、ウェブというものが様々な人々の声や視線の中でできている世界である、ということを忘れ、一方的に自分たちの思いばかりを伝えるメディアとなってしまっていた。

WANの場合も、昨日の集会を聞く限りでは、いったいどの情報を外部発信すべきなのか、どの情報は内部にむけてのものなのか、誰をターゲットに発信しているのか、それぞれの情報にどのようなメディアを使うのが適切なのかなどの検討がしっかりされないまま、「フェミニズムの『正しい』情報を発信する」という大義名分のもとに突っ走ってしまっているのでは、というリスクを感じた。そして、ネットというものは、世界中に発信しているという理解がどこまで共有されているのかちょっと謎だった。例えば、サイトの中の政治についてのページの説明の中で、バックラッシュ対抗マニュアルを共有するといった発言があった。だが、これはどう考えても、ネットでやるべきものではないだろう。マニュアルが掲載されたら、おそらくいち早く、まずは「バックラッシュ派」のほうがそのマニュアルとやらを手に入れるだろうに。その瞬間、その「マニュアル」とやらはおそらく無意味なものになるだろう。むしろ、格好のネタとして消費されてしまい、逆効果かもしれない。

反面、サイト中に設置されるという掲示板についての説明では、「安心できる情報交換の場の確保」をめざすということだった。だが、ネット上の掲示板でどうやって「安心できる情報交換の場」をつくるというのか。この場合、内輪からの投稿しか想定していないということなのか。投稿は必ず掲載されるわけではなく、取捨選択されたりするという説明だったが、その膨大な作業を誰が担うのか、非掲載の場合苦情がきたら、誰がどう対応するのか、など、疑問がたくさんある。

そして、こういう内向きのノリが強い「安心できる」スペースをめざすなら、ウェブではなく、SNSなどを使うという方法もあるだろうが、なぜウェブ掲示板なのか。誰に何を伝えたいから、ウェブ掲示板という選択肢になるのか、わかりづらかった。そして、この掲示板と、例えば発言小町のようなサイトの違いもいまいちはっきりしない。

また、掲示板投稿を「100字以上の投稿」に限り、まったりした場を目指すというようなことだったが、これはおそらく2ちゃん的なコミュニケーションスタイルを意識して、それに反するようなトーンの掲示板にしたいのだろう。だが、本当に機能するんだろうか。そして、逆に最大文字数は制限しないのだろうか。超長文の投稿がきたら全部掲載するのか、誰かが削除するのか、編集箇所などについて勝手に処理するのか、それとも投稿者の確認をとるのか、など、難しい問題がたくさんあると思う。

質疑応答時間に、私が質問したのは、団体登録についてだった。団体、イベント登録、団体レポートなどを投稿できるシステムだというが、誰かが内容についてチェックして、不適切なものは掲載しないなどするのか、という疑問があったからだ。それに対する答えは、チェックする予定ということだが、基準などが現段階ではっきり決まっているようではなかった。これも、誰が団体をどのような基準でチェックし、苦情が来たら誰がどう対応するのか、など、これもいろいろ大変な問題がある。

まだまだ試行錯誤状態のサイトだというのはよくわかるが、リスクマネージメントがどこまでできるのか、不安も感じた。しっかりとリスクマネージメントができなくては「攻勢」どころの話ではなくなってしまう。

「つながる」ということ? 

最後にもう一点。この集会で何度も聞いた言葉のひとつに「つながる」というものがあった。「女たちのつながり」のためのサイトである、という説明もなされていた。そして、「女たちがはじめて結束したのがバックラッシュのとき」みたいな言い方もあった。そんな中「女たちがつながった」例の一つに挙げられていたのが、双風舎編集部編の『バックラッシュ!』本である。これじゃ、メインの編集役割を担っていた荻上チキさんの立場がないな。そして、あの本の主流フェミニズムの方向性への異論申し立ての側面は無視され、なかったことにされている、ともいえる。

「バックラッシュがあるから連帯せよ」と強調することの権力性の問題にも無頓着だと思う。「つながる」という言葉が過度にでてくることには、すごく違和感をおぼえたのだった。そんな中、こんなエントリ書くこと自体、顰蹙なのだろうかな。。