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2014-05-14

[][]小田嶋隆氏「『女性差別広告』への抗議騒動史」の何が問題なのか?

コラムニストの小田嶋隆氏が、「「女性差別広告」への抗議騒動史」という記事をブログにアップした。そもそもの経緯は、小田嶋氏のツイッターでの「従軍いやん婦」発言にさかのぼる。その発言をめぐる一連の経緯はTogetter「小田嶋隆さんの”従軍いやん婦”発言をめぐるやりとり」参照。Twitterでの経緯から、小田嶋氏がこのブログ記事で言及している「フェミニズム運動にかかわっておられると思しき女性」というのは、私のことを指しているかと思われる。

ブログ記事としてアップし、追記まで加えておきながら、「以後、この問題については、議論しません」というのは、どうなのかとは思う。まあ一方で、私の側とすれば、絶版状態の本の文章をブログで批判するのもどうかと思っていたのだが、アップされたことで誰でも検証できる状態になったこともあり、批判をまとめるよい機会を与えていただいたということになる。小田嶋さん、ありがとうございました。

しかし、小田嶋氏は、コラムの文章全文をアップすれば、「ミソジニーバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いがおそらく晴れるであろうと思われた様子なのだが、なぜそんな認識になってしまっているのか不思議だ。アップされた記事も、「ミソジニーのバックラッシュの…(以下略)」にしか見えないからだ。

小田嶋氏の「『女性差別広告』への抗議騒動史」 は「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(1986年から「行動する女たちの会」に改称。96年解散。以下、「行動する会」と記述)による、メディア抗議行動の批判である。 私は博論で、この「行動する会」を扱った。それ以来、今に至るまで私がずっと追い続け、資料を集め、元会員への聴き取りを積み重ねてきたテーマだ。 *1 さらに、『まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』は、2000年代前半から中盤にかけて出版が相次いだ、フェミニズムの「バックラッシュ」本の一冊である。私は『社会運動の戸惑い』本のための調査でフェミニズムへのバックラッシュを扱ったが、この「バカ女」シリーズについて、宝島社や関係者に聴き取りを行っている。そんなわけで、小田嶋氏が今回再掲した記事は、私の取り組んできたテーマの、ど真ん中をついていることになる。それもあり、今回反論を書く事にした。


バックラッシュ本としての『まれに見るバカ女との闘い』

まれに見るバカ女との闘い (別冊宝島Real (050))』(2003)は、全3冊の別冊宝島「バカ女」シリーズの2冊目にあたる。一冊目の『まれに見るバカ女』が売れたために、続編ということでこの企画が出たという。この後に出たのが、2005年の『男女平等バカ』だった。売り上げは一冊目が最もよく、だんだん減っていったという。

フェミニズムへの「バックラッシュ」本の先鞭をつけたのは、1996年から約10年にわたり多数のフェミニズム批判本を出した林道義氏だった。だが「バックラッシュ」最盛期に突入したのは2002年、フェミニズム批判本が多数出版され始めたのが2003年である。その中でも最も売れたと思われる『まれに見るバカ女―社民系議員から人権侵害作家、芸なし芸能人まで! (別冊宝島Real (043))』(2003)が火をつけたといっていいだろう。そして、 『まれに見るバカ女との闘い』(2003)は、シリーズ前作よりもフェミニズム批判の色彩が濃くなっており、バックラッシュの運動で大きな役割を担った 長谷川三千子氏と岡本明子氏の対談も掲載されている。そして小田嶋氏は、この本の「Part 4 バカ女の事件簿」と題された章で、フェミニズム運動批判を展開している。

小田嶋氏はブログ記事で「私自身は自分のことを、かなりフェミニズム寄りの人間だと考えています。」と書いているが、少なくともこの本は2003年当時、フェミニズムへの「バックラッシュ」盛り上げに貢献したことは確かだし、それがトレンドで売れるとみた編集サイドが、もっと盛り上げようという意図をもって出版されたものでもある。こうしたフェミニズムへのバッシング狙いで作られた本に寄稿している小田嶋氏が「フェミニズム寄り」だという発言で念頭においている「フェミニズム」とは、いったい何なのだろうか。


女性史は「党派的なヒステリーの温床」なのか?

小田嶋氏は「女性史」を「党派的なヒステリーの温床」だと位置づけている。以下、該当部分を引用してみよう。

が、女性史のような一見社会的に見えるタームにこそ、個々人のパーソナルな視点と一個人の固有な記憶の裏づけが要求されるべきなのだ。なんとなれば、「公的な」「資料付きの」「定説化された」情報には、多くの場合、党派的なバイアス(「フェミ側の」あるいは「マッチョ寄りの」でなければ、プロ市民臭かったり、偽善っぽかったり、利口ぶっていたりするような様々な偏向した圧力)がかかっているものだからだ。逆に言えば、党派的な思惑や商売上の利害関係の持ち主でもなければ、誰もこんな厄介な問題(女性史のことだが)には、手を出さないはずなのであって、とすれば、誰かが女性問題について発言しているということは、すなわちその発言が偏向していることを意味している。……って、厄介だなあ。

 ともあれ、女性史が厄介な話題であり、党派的なヒステリーの温床であるという、このうんざりするような状況に水をかけるためにも、一個人のナマの記憶は第一次資料として、ぜひ、珍重されるべきではあるのだ。

女たちの歴史というのは、男の歴史 に比べて、圧倒的に記録に残ってこなかった。そうした記録に残っていない歴史を、地道な聴き取りを重ね、まとめていったのが、女性史における多くの仕事の成果だった。著名ではない、市井の女たちの歴史を記録し、残したという面で、とくに成果は大きい。まさに、「一個人のナマの記憶」および「経験」の積み重ねに関して、「公的な」「資料付きの」「定説化された」形では残ってこなかったものを、丁寧に掘り起こしたのが女性史の歴史だろう。そしてこうした成果は、大学に所属の研究者のみならず、多くが、在野の歴史家、研究者、市民らの仕事でもあった。

だが、長年の積み重ねのもとに収集されたたくさんの女性たちの声は、小田嶋氏にとっては単なる「党派的ヒステリー」であるらしい。さらには小田嶋氏一個人の「ナマの記憶」こそがそうした積み重ねに優先して、「第一次資料としてぜひ珍重されるべき」という位置づけになっている。

結局のところ、小田嶋氏は冒頭で「ボク個人がこんなことを思っていました」の歴史でしかないものを書きますよ、と言い訳をしているのだろう。しかしながら、その小田嶋氏「一個人のナマの記憶」は、「ヒステリー」として打ち捨てられる数多くの女たちの経験や記憶の記述よりも、なぜか優先されるべきものとして扱われる。さらに言えば、ボクの個人的な記憶こそが、一般の人たちの記憶や考えの反映であると考えるからこそ、これだけ自信をもって自分の記憶こそ聞くべき、と主張できるのだろう。これだけ無頓着に、自身の記憶=一般の反映、と思えることこそ、マジョリティ性の発露であり、女性史はすべからく「ヒステリー」であるという認識は、まさにミソジニーそのものだ。


批判対象の女性運動の歴史への関心の欠落

小田嶋氏は、今回アップした記事の追記として、「ただ、女性運動の歴史が、抗議活動の歴史とほぼイコールになっている展開が、女性運動にとって不幸なのではないかということを指摘したつもりでいる」のだと書いている。

ここで小田嶋氏が、女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史とイコールなのか、それともそういう印象を与えたのが不幸だったといいたいのか、わかりづらい。だが 小田嶋氏の「ナマの記憶」ではそういう印象であったとしても、この文章では女性運動の歴史が実際に抗議活動の歴史イコールだったということは論証されていない。たまたま小田嶋氏が触れていた情報や、当時のメディア報道が抗議運動ばかり扱っていた可能性などもありうるだろう。当時の週刊誌メディアを主な情報ソースとしたら、おそらくそういった印象になるだろうと思う。

この文章は2003年に書かれたものだ。その時には、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』(1999)も出版されていた。巻末年表をざっと見れば、会の幅広い運動の流れだってわかったのに……だが、おそらくこういった本も読まずにこの文章を書いたのだろう。あくまでもこの文章は小田嶋氏「一個人のナマの記憶」を綴ったものという位置づけのようなので、特に批判対象の運動についての資料を調べる必要すら感じなかったのかもしれない。

行動する会は、分科会方式をとっていた団体である。分科会には、労働分科会、教育分科会、主婦問題分科会、裁判・調停・離婚問題分科会、独身女性分科会など、様々なものがあり、それぞれが活発な活動をしていた。80年代前半は、会は82年の優生保護法改悪阻止運動、さらには雇用平等法をつくる運動などに追われた。こうした様々な運動を展開する中で、例えば84年の雑誌『モーニング』広告抗議なども同時進行で行っていた。そして、会は「告発と提案は車の両輪」という考え方のもとで運動を展開した。メディア抗議は会の重要な運動の柱の一つだったが、決してそれだけを行ってきた運動体ではない。*2 行動する会の歴史だけをみても「女性運動の歴史が抗議運動の歴史とイコール」というのは、事実ではない。女性運動全体に広げるなら、なおさらだろう。

あるいは、小田嶋氏がそういう印象を与えたメディア表象の問題を扱っているのだというつもりであるなら、メディア側の責任も大きいのは明らかだが、それへの言及は一切ない 。


メディア抗議の積み重ねは瑣末なのか?

1)70年代「つくる人、食べる人」抗議とその後

行動する会のマスコミ分科会は1975年に ハウス食品「ワタシ、つくる人、ボク、食べる人」CMへの抗議と、NHKへの要望書の提出を行い、注目を集めた。そして、それらの抗議の中で「性別役割分業」概念を理論的支柱にすえた。会はマスコミの「性別役割分業」の問題を問うために適切なターゲットとして、NHKとこのCMを選んだのだ。

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この行動する会のハウス食品およびNHK抗議は、当時は瑣末な問題として、マスコミ上で嘲笑の対象にもなった。だが、小田嶋氏はこの抗議は高く評価しているようだ。マスコミでおおいに議論がかわされたということ、さらに、「『性差』『男女役割論』『家庭における家事分担』といった、女性問題における最重要かつ本質的な論点が典型的な形で提示」されていたことから、抗議は大成功であり、小田嶋氏自身もこの抗議によってジェンダーについて考えるようになったという。

この抗議の重要性に関しては、私も小田嶋氏に同感する。この抗議は、この年の年鑑にも掲載されており、ウーマンリブ・フェミニズム団体によるメディア抗議は初めてではないものの、これだけ注目を集め、影響力をもったものは初めてだった。

だが、小田嶋氏は、主要な論点はここで出尽くしたとし、行動する会の運動は「最初のバカ当たり以後は、徐々に後退することになる」と書く。ハウスCM抗議は評価しているものの、まるで行動する会はハウス抗議の一発屋だった、的な評価だ。

ここで小田嶋氏が触れていない動きが、当然ながら多々ある。先ほど述べたように、このハウスCM抗議と同時期に、行動する会は、NHKに対して要望書を提出、面会を行っており、この行動もハウスCM抗議と同様、かなり大きくマスコミに扱われた。そして、 もちろん注目を集めなかった抗議行動もあるが、会はハウス食品CM抗議後にも、 マスコミへの抗議、話し合いや交渉などを多数積み重ねていった。

また、ハウスCM抗議とNHK抗議に関する報道の多くは酷かった。行動する会は、多々あるこうした週刊誌報道の中から、雑誌『ヤングレディ』に焦点をあて、編集部との話し合いをもった。『ヤングレディ』の記事が、行動する会の抗議は「女性差別の本質から外れている」という批判だったため、「では、女性差別の本質とは何か」という議論の場を持つ狙いもあったのだという。そして、法廷を議論の場にすべく、裁判にもちこんだ。 裁判は79年、和解という結果となり、行動する会は、会が作った記事を『ヤングレディ』に掲載するという成果を勝ち取った。これが、日本で初めての市民によるメディアへの「アクセス権」の獲得として、注目を浴びた事例である。

問題となった75年の『ヤングレディ』記事

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行動する会が作った『ヤングレディ』1980年1月22日号掲載記事

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ほかにも70年代後半から80年代にかけて、行動する会は様々なメディア抗議を積み重ね、一定の注目を浴び続けた。*3

2)80年代「より瑣末でチンケな話」

行動する会の活動がだんだん瑣末なものとなり、効果がなくなっていったという後退の歴史を語る小田嶋氏。そして、氏が「女性問題における最重要かつ本質的な論点性」だと考えるのは「性差」「男女役割論」「家庭における家事分担」といった課題であるとする。80年代の会によるメディア抗議と、「性の商品化」という問題意識は、まさに性差別告発の行動であり、女性のセクシュアリティに関する問題で、セクハラ告発の視点も含んでいる。だが、それは「広範な層の男女の問題意識に訴え」ることはなく、「所詮マニアックな議論に過ぎなかった」のだと小田嶋氏はいう。そして、ハウスCM抗議に比べて、「より瑣末でよりチンケな話」「重箱の隅」と形容されている。*4 だが、これらのポスタ―の問題は、そんなに「マニアック」といえるようなものだろうか?

「チンケ」な抗議の事例として小田嶋氏が挙げているのが、『モーニング』の車内釣り広告への抗議、また営団地下鉄英文ポスタ―抗議だった。ポスタ―は以下のものになる。

84年『モーニング』広告

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『モーニング』ポスタ―に関しては、会は講談社、および電鉄会社に申し入れた。講談社側は今後はモニター制度をつくり、注意していくと回答し、翌号の女性のお尻を扱ったポスタ―はすでに印刷されていたが、キャンセルされたという。*5

1989年営団地下鉄ポスタ―

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外国人に地下鉄の便利さを知ってもらおうと作られたポスタ―。「アピール度を強くしようと、考案された」(営団地下鉄広報課)とのことだったらしい。日本女性学会等、他団体も取り組んだが、行動する会の外国人の女性会員が送った手紙が大きな意味をもったという。 新聞で話題になり、ポスターは撤去された。*6

地下鉄ポスタ―については、『モーニング』にくらべたら、大きな問題とは感じない人もいるかもしれない。(それにしても、地下鉄の便利さを知ってもらうという目的と、女性の足が巨大にうつったイメージとの関連性は全くわからないが。)だが、これらの広告は、女性の身体の一部だけを切り取って「モノ」かのように扱っている点で共通している。そして、とくに『モーニング』広告についてはあまりに酷く、「瑣末」とか「重箱の隅」といえるような問題ではないと私は思う。

そして、「このような抗議自体はすぐ効く即効薬でもないし、大転換させる革命でもない。」と会員は言う。だが、「この小さなことの積み重ねが、社会通念という怪物を作ったりこわしたりしてゆくのではないか」*7という考えのもとに、一つ一つ、注目を集めない場合も多々あったメディアへの抗議行動を20年間にわたり積み重ねてきたことは、行動する会の歴史としても、そして日本の女性運動の歴史としても、非常に重要な意味をもったと私は考えている。

3)90年代「さらに些末かつヒステリックな色彩」

小田嶋氏によれば、90年代に入ると、行動する会の抗議は「さらに些末かつヒステリックな色彩を帯びてくる」という。小田嶋氏がここで事例に挙げる、会が抗議した広告は以下のものである。

91年エイズ予防財団

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厚生省外郭団体「エイズ予防財団」によるこのポスタ―。海外での買春、女性差別、エイズ患者への偏見を助長するとして会は抗議した。初め厚生省は、「自信作です」と胸をはっていたというが、とうとう降参し、ポスター回収。同時に抗議した側は、「わたしたちのつくるエイズポスター」を公募、3ヶ月間で261点の応募が集まった。厚生省は、この翌年のポスターは公募で制作することにしたという。*8

92年オンワード「五大陸」

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抗議の結果、オンワードからはお詫びの回答文が届き、また 朝日新聞の投書欄でも批判が盛り上がり、オンワードの反省の回答文が朝日新聞に掲載された。また会は電通にも抗議を行っている。

これらのポスタ―への抗議は、女性差別、性暴力、セクシュアリティ、さらにはレイシズム等の様々な問題を提起するものだった。だが、 これらの抗議について、小田嶋氏は「さらに些末かつヒステリックな色彩」と評価する。さらに以下のように書く。

「これは、性の商品化です」

 と、女性団体が居丈高に指摘しても、

「ご指摘の通りですがそれが何か?」

 という反応が返ってきたりさえした(つまり、指摘された側が、どこを反省して良いのやらわからないでいるわけです。面白いことに)わけで、要するに、あんまり一般向けの説得力がないのだ。

現場にいってもいないのに、「威丈高に指摘」などと、まるで実際のやりとりを見てきたかのような描き方になっているのが興味深いが、それはさておき。ここで小田嶋氏は「一般向けの説得力」の欠落に非常にこだわっている。だが、小田嶋氏が挙げている事例は、エイズ予防財団についても、オンワードについても、新聞記事や投書欄などでも扱われ注目を浴びた事例であり、最終的にポスタ―が回収されたり、反省の回答文を引き出すなどの展開になった。これらの抗議が、新聞などの媒体で取り上げられ、注目を集めたという点では、「つくる人、食べる人」CM抗議と似た展開だ。

また、89年時の会の行動について扱った、『週刊ポスト』の記事は以下のようなものだった。

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いったいどちらが「ヒステリック」なんだ、というトーンである。75年当時の週刊誌報道とこの頃のものを比べると、70年代は茶化すトーンが多かったが、80年代はこうした、女性団体の抗議を脅威として煽るタイプの記事が多かった。小田嶋氏の「威丈高に指摘」などの描写とも重なってくる。

小田嶋氏は、これらの抗議はマスコミで注目を浴びても、それが逆効果だった、と言いたいのかもしれない。そして、「一般向けの説得力」としてここで氏が言いたいのは、まさに、「ボクが説得されたかどうか」ということなのだろう。そして、ボクは反発を感じたし、啓蒙的で、かつ瑣末だと思ったということなのだろう。*9

なぜ反発を感じたのか、反発を覚える自身の感覚に問題はないのか、抗議の顛末の詳細を自分が知らないだけではないか、マスコミが報道しなかった、あるいは偏って報道したのではないか、抗議された側の対応の問題もあったのではないかなど、様々な可能性はすっとばして、女性団体のやり方が悪いのだ、とする。

小田嶋氏の80年代以降の抗議運動に関しての文章からは、自己の感覚や視線を振り返り、 問い直すという感覚が絶対的に欠落しているように思う。「性役割」や「家事分担」までは理解できても、セクシュアリティが関わると途端に自省的なまなざしを失ったようにも見える。マジョリティの男性である自身には「瑣末」な事柄に見えても、女性にとっては違うのではないか、さらに自身も、男社会であるマスコミ業界のものの見方にはまっているだけではないか、といった問い直しは見えてこない。小田嶋氏によって問題視されるのは、あくまでも 女性団体の運動ということになる。

さらに小田嶋氏は以下のように述べる。

ともあれ、かくして、抗議はシステム化する。つまり、抗議それ自体を自己目的化するプロ抗議集団と、抗議を折り込み済みの天災として受忍するプロの腰抜け自主規制表現者が並立する不幸な体制が完成するということだ。

 そんな中で、女性団体のクレームは、結果として、エセ同和による職業的恫喝や、総会屋の出勤風景に似て来ざるを得ない。不幸なことだ。*10

 先述の『週刊ポスト』記事と同様の、「女性団体が恫喝」「プロ市民」的なイメージ*11、この小田嶋氏の「総会屋の出勤風景」等の記述にも色濃く見える。  行動する会の抗議が自己目的化していたというが、そんなことをしている余裕は当時の会員たちにはなかっただろう。*12さらに小田嶋氏の文章の最後では、「男性差別」とか「殴られ利権」などの言葉まで飛び出す。2003年前後の別冊宝島Realが、『同和利権の真相』『北朝鮮利権の真相』『中国利権の真相』などといった書籍を連続して出していた中、同様の論調を女性運動にあてはめたものであり、マジョリティ側こそが「差別」されていると言い立てる主張は、まさに「バックラッシュ」だろう。(その後、こうした論調が、2006年の別冊宝島『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』に行き着いたことは言うまでもない。)

もちろん、男性中心マスコミの壁は厚く、全ての会のメディア抗議が成功したわけではない。小田嶋氏が言う「それが何か?」という反応がなかったわけではない。 その問題は、私が聴き取りを行った会員たちも、十分に認識していたし、どうしたらいいのかと模索もしていた。だが、こうした状況は、すべて女性団体のやり方の問題だと結論づけていいのだろうか。そもそも問題なのは、いつまでも男性中心のあり方にどっぷりはまりこみ、疑問をもつことすらなかったメディアや企業、政府、そして社会ではないのか。だが、小田嶋氏の文章はそこは問わないままだった。


性差別をめぐる問題の根深さ

フェミニズムの思想や運動の歴史や背景を知ろうともせず、自分の視点こそがなぜか正しく「一般」の意見の反映だと思い込み、上から目線で「やり方が悪い」とアドバイスをしてくる人。フェミニズムについてコメントする男性に多いパターンであり、迷惑なことである。マサキチトセさんが説明する、いわゆる「マンスプレイニング系男子」といえるの かもしれない。ただ、小田嶋氏の場合、フェミニズムを茶化す目的の、「バカ女」と題されたバックラッシュ本でこれをするわけだから、そもそもフェミニスト当事者にその批判をまともに聞いてもらおうという気もなかったのだろう。

さらに、小田嶋氏の普段の言論がリベラルであるとか、性差別以外の差別問題には敏感であるなどの状況があるとしても、だから小田嶋氏のミソジニーやセクシズムも酷くないはずだということにはならない。そもそも、リベラルや左派系でありながら性差別には鈍感な人々(とくに男性)は多い。さらに、他の課題に比べてジェンダーやセクシュアリティをめぐる課題が瑣末であるはずも、重要性が低いということもないはずだ。性差別に関してだけはおおらかに見てあげるべき、ということにもならない。

小田嶋氏がこの記事をアップすることで、「ミソジニーのバックラッシュのアンチフェミのセクシストのマッチョ」という疑いが晴れると考えたとすれば、その認識のほうが心配だ。 こういう認識になるのは、ミソジニーやセクシズムがいったい何なのかも、どれだけこの社会に蔓延し、自らも簡単に逃れられるような問題ではないことも、本気でわかっておられないのだろうと思うからだ。問題の根は深い。

*1:1996年、解散直前の時期に私は会に初めて行った。会員としての活動はほとんどできなかったが、会のニュースレター「行動する女」の最終号には会員からの解散に際してのメッセージの中に私の文章も載っている。そしてその頃、元会員の数名が始めていた、行動する会の記録集をつくるプロジェクトに参加した。その記録集は、1999年、『行動する女たちが拓いた道』として出版。私は、「第1章 マス・メディア性差別を告発」の執筆グループの一員となり、年表作成にも参加。そのプロセスの参与観察と会員のインタビュ―に基づき博士論文を執筆。その後もずっとフォローは続け、昨年から、行動する会の過去のニュース等の復刻版をつくるプロジェクトに関わり、再び行動する会の元会員らの聴き取りを始めたところである。

*2:75年時点からの会への批判のテンプレとして、会が何かの行動を起こせば「そんな瑣末なことではなく、もっと本質的な女性差別撤廃のための運動をすべき」というものがあった。だが、そうしたときに「本質的」とされる行動は、分科会活動のいづれかで、すでに会が行っている運動であることも多かったと元会員たちは言う。

*3:この時期のメディア抗議の詳細については、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』をご参照ください。

*4:86年以降の「行動する会」は、教育分科会とメディアグループが活動の中心の会になっていた。メディアに抗議を行うのみならず、集会を行い、企業との交渉を行い、メンバーはテレビを含むマスメディアで意見を伝えるなども行っていた。さらに、こうしたメディア抗議行動と同時進行で、男女混合名簿推進運動に火をつける役割を果たしていた。決して中心になって動いていたメンバーの数が多かったわけではない。そうした中で、私が元会員たちに行ってきた聴き取りによれば、仕事ももっていた中心メンバーらはとてつもなく忙しい日々を送りながら、運動に関わっていたという。

*5:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986

*6:行動する女たちの会ニュース『行動する女』1989年12月号で引用された、『日刊スポーツ』1989年12月7日号記事「退脚地下鉄ポスタ―」、行動する女たちの会・メディアグループ『ポルノ・ウォッチング―メディアの中の女の性

*7:三井マリ子・中嶋里美・坂本ななえ『女たちは地球人』学陽書房1986: 27-28

*8:三井マリ子『桃色の権力』三省堂1992:264-265

*9:フェミニズム運動の流れの中で、とくに95年以降の「男女共同参画」が出てきて以降は確かに「啓蒙」要素が前面にでたことはあったと思うので、フェミニズムすべてにおいて、小田嶋氏の啓蒙性に関する議論がまったく的外れとは思わない。だが、啓蒙的かどうかとう面では、「性別役割分業」の問題を問い、周知させるためにターゲットとして取り上げたハウスCM「つくる人、食べる人」抗議のほうがむしろそうなのではないかと思う。しかし小田嶋氏はむしろ啓蒙性を、問題があまりに大きいポスタ―への怒りが表れたという面も大きい、90年代前半のエイズ予防財団やオンワードの広告抗議のほうに見いだしているようなのも興味深い。

*10:『社会運動の戸惑い』第7章でも書いたように、「行動する会」の当時の主力メンバーらは、行政による表現規制は主張していなかった。1991年「異議あり!「有害」コミック規制」集会に参加した会員の坂本ななえは、「私たちは性差別に反対するからこそ批判の自由を守るためこの集会に参加した」と述べている。山口・斉藤・荻上『社会運動の戸惑い』288

*11:追記:小田嶋氏は「プロ市民」という単語はここでは使っていないが、「プロ抗議集団」「職業的恫喝」「総会屋の出勤風景」などの表現は使われており、「プロ市民」と同様の意味あいをもつのだろうと思われる。5.15.2014さらに追記:この部分では出てこないが、上記の「女性史」についての引用部分では、小田嶋氏は「プロ市民」という単語を使っていた。

*12:元会員たちは、私の聴き取りに対して、日々働き、それぞれの生活を抱えながら、時間を縫うようにして運動を続け、体力的にも時間的にも、交通費など経済的にも厳しかったと語っている。

2012-09-04

[][][]『社会運動の戸惑い』本発売のお知らせ&斉藤正美さんのヌエックに関するエントリ

Twitterにても第一弾のご案内(別名ステマw)を流しましたが、10月末発売予定で『社会運動の戸惑い――フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』という書籍を、斉藤正美さん、荻上チキさんと共著で出すことになりました。

ここ5年ほど筆者陣は、2002〜5年頃にピークを迎え、その後もしばらく続いたフェミニズムと草の根保守運動の係争、すなわちフェミニストに「バックラッシュ」と呼ばれた動きに関して、係争の起きた地のいくつかを訪れ、フィールド調査を行ってきました。タイトルにも表れているように、フェミニズム側、そして反フェミニズムの保守運動側(バックラッシュ側)双方に聞き取りを積み重ねてきました。要するに、フェミニストである筆者が、フェミニストのみならず、論争、批判の相手だった保守側の「バックラッシャー/バックラッシュ派」の調査を行い、それに基づいて書いた本です。

この本のプロジェクトはバックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?本、そしてキャンペーンブログでの議論の積み重ね等を通じて始まったようなものです。そんなわけで、「バックラッシュ」といわれた動きへの絡みとしても、そしてこの本ができるまでの経緯からしてもネットは大変重要。しばらく放置してしまっていた「フェミニズムの歴史と理論」ブログも更新していかねばと思っております。その第一弾ということで、早速斉藤正美さんが、ヌエックについて、新たに出た「国立女性教育会館の在り方検討会」の報告書から、ヌエックをめぐる問題について考える内容のエントリをアップしています。ぜひご覧ください。『社会運動の戸惑い』中でも、ヌエックの歴史と現在について詳細に検討した章を斉藤さんが執筆しています。

ヌエックが「戦略的推進機関として創設」される?!

この本をまとめながら(まだ作業は終わっていないw)、扱う時期的にも、ある意味内容的にも、以下の2冊の間をつなぐような本なのかもしれない、と思ったりしているところ。そのへんはまあ追々に。

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

2007-07-08

[][]何が忘れられているのか

前回のエントリと、トラバをいただいた、id:tummygirlさんのエントリ「忘れていたという事実を思い出すために」に関連して。(所用につき時間がなく、まとまっていませんが、とりあえず思いついたことを書き留めておきます)


この部分で、yamtomさんの批判の焦点がどこにあるのか、わたくしは完全には理解し損ねているのだけれども、つまり、「<バックラッシュ>って大騒ぎしているけれども歴史を振り返ればそんなに騒ぐ必用はないだろう」というところなのか、あるいは「<バックラッシュ>が、いわば制度的フェミニズムをどこかで支えている(<バックラッシュ>に対抗するという大義名分のもと、特定の制度的フェミニズム以外のフェミニズムの歴史が積極的に忘却されている)」というところなのだろうか。

tummygirlさんのブログのコメント欄にも書いたのだが、私が言いたかったのは後者の「<バックラッシュ>が、いわば制度的フェミニズムをどこかで支えている(<バックラッシュ>に対抗するという大義名分のもと、特定の制度的フェミニズム以外のフェミニズムの歴史が積極的に忘却されている)」のほう。(確かにわかりづらい書き方でした。すみません。)今のバックラッシュがたいしたことないといっているわけではない。このバックラッシュの背景にある、日本会議がらみの全国的に組織だった動き、そしてネットを通じての動きは、今までと性質が違う面があるのは確かだと思う。

だが、バックラッシュに対抗するという大義名分のもと、特定の制度的フェミニズム以外の歴史の「積極的な忘却」というtummygirlさんの指摘された点と、その忘却に基づく「歴史の塗り替え」がなされているのではないか、という点に関して、かなりの危機感をもっている。典型的なのが混合名簿運動だろう。もともと「教育における性差別撤廃」や「男女平等教育」という名のもとに、地道に草の根的になされてきて、組合などにも広がって行ったという歴史をもつ運動が、いつの間にか「ジェンダーフリー教育」運動の一環という位置づけになっていて、結果、「ジェンダーフリー」概念が導入される1995年以前の混合名簿運動の流れなどが真剣に振り返られていないという事態になっているように思うのだ。(『バックラッシュ!』掲載の長谷川美子さんの論文は、この欠落を埋める貴重な文章だと思う。)混合名簿運動が盛んになりはじめたのは80年代(問題提起は70年代後半からあったようだ)。その「80年代の女性運動の歴史」、もっといえば、初期リブ以降の歴史が、バックラッシュに関連する言説で見事に落ちているのが気になるのだ。

この典型例が、『バックラッシュ!』掲載の、上野千鶴子氏のインタビューだ。上野氏はリブ叩きと現在のバックラッシュを比較し、両方とも同様に性的自己決定権をターゲットにしているが、リブ叩きのときには男たちが余裕があったが、今回は余裕がなく、危機感があらわれていると分析している。だが、なぜリブと現在という二つが取り上げられ、その間30年の歴史が抜けているのだろう?その間にフェミニズムが叩かれなかったわけではまったくないのに。そして、私が見る限り、80年代中盤から後半のフェミニズム叩きは、けして余裕がある、といえる性質のものではなかったと思う。

私は「行動する女たちの会」との関わりが深いこともあり、今回のバックラッシュが注目を集める前から、いかに80年代の(具体的には70年代後半からーちなみに日本初の女性学会 *1が、運動を排除する形で成立したのは77年)女性運動史が欠落しているかという点について考えてきた。そして、いちおう女性学を専門のひとつとして勉強していたはずの自分が、この時代の運動について「何も知らなかったこと/知ろうともしていなかったこと」に衝撃を受けた。運動史そのものが、多くのジェンダー論の授業とか、教科書の類いから欠落している場合も多いのだが、たとえ教科書や学術書などで語られても、リブのそれもほんの初期の数年の話だけで、その後は制度化がすすみ、女性学が発展しました、、という典型的江原史観のパターンに流れる場合も多い。そういう女性学勝利の歴史観の中で、忘れられてきたもの、語られてこなかったものが、80年代の女性運動だった。

だが、80年代の女性運動ーたまたま私が関わり、研究した行動する女たちの会だけにしぼってみても、優生保護法改悪阻止運動、雇用平等法をつくる運動、「性の商品化」やミスコンに関する運動(ミスコン運動についてはまた時間があるときにでも書きたい)など、「バッシングを受けた」運動の連続だった。行動する会関連だけでもこれだけあるのだから、日本全国、地方まで含めた女性運動状況をみたら、ものすごい蓄積があるはずだ。(地方の状況については、id:discourさんあたりの報告を期待したい。)

80年代後半から90年代初頭にかけての「性の商品化」問題に日本女性学会が関わったケースをのぞいて、「主流女性学」が成立してその後10年ほどの間は、女性学関係の学会は驚くほどに運動がらみの動きをみせていない。学者の中でも、個人として動いたひとたちはもちろんいたのだろうが、学会としての動き、団体としての動きが見えてこない。あるいは、実はあったのだがこの歴史も消えているのだろうか。だとしたらなぜなのか。

もともと行動する会というのは、女性運動の主流と草の根の間を行ったりきたり的なところがある団体だったと思う。見る人によっては、行動する会は東京の団体でもあったし、名前も知られており、初期にはとくに有名人もはいっていたし、主流女性運動そのものに見えただろうし、リブ系のひとたちからみれば、ラディカルさに欠けるリブとは異質の団体という評価もあった。だが、行動する会を国際婦人年連絡会的なところからみたら、傍流にみえていただろう。行動する会は、連絡会と組もうとしたときもあれば、リブ系のひとたちと組んだときもあった。そして、80年代、上野さんや江原さんらが「有名人フェミニスト」として著名になった頃、彼女たちを「行動する会を批判してください」と集会によび、その後もニュースレターを通じて議論を続け、批判もした団体でもあった。

だが、バックラッシュ騒ぎ以降、もともと落とされがちではあった、行動する会ーとくに教育分科会の混合名簿や学校/教科書の中の性差別撤廃などの、教育関連運動の歴史が、「男女特性論」に基づいた遅れたもの的に描かれたり、完全に落とされたりしているのはやはりおかしい。「ジェンダー」概念を過剰に美化し、それこそが女性運動のマイルストーンである的に扱うためには、それ以前の女性運動の地道な成果を故意に「なかったこと」、あるいは「たいしたことがない、限界があった」ものと扱う必要があったのだろうか、と思ってしまうのだ。

行動する会以外にも、いつかきちんと見なければいけないと思っているのが、70年代初期〜中期にかけて活動を盛んに行った中ピ連だ。「リブとは違う」という扱いをされがちな団体だが、この団体への注目度の高さは、大宅壮一文庫にいって当時の週刊誌をみてみれば一目瞭然。フェミニズムへの注目という点でも、バッシングでも、この会を落として語るのは大きな欠落なのではないかと思う。そして、便宜上リブ以降、という表現を使ってしまったが、もちろんリブ以前の運動の流れも重要だと思う。リブが革新的運動であったことは確かだが、流れはリブ以前からー安保やそれ以前からー続いているわけだし、運動をしている人々には、リブから唐突に運動をはじめたわけではないひとたちもたくさんいる。

「バックラッシュ」を表にたてることで、過剰な防御態勢にはいってしまい、内部の異論がある意味封じ込めやすくなり、特定の歴史以外は積極的になかったものになり、忘れられていく、、そういう問題を現在の動きには感じてしまうのだ。そして、行政を批判はすれど、そのプロジェクト(「ジェンダーフリー」、ジェンダーチェックなど)に積極的に乗ってしまった女性学そのものを反省的に見ることができていない、という状態も続いている。「(特定のバージョン以外の)女性学の歴史」の忘却だ。行政プロジェクトに乗っかってしまった歴史、80年代の運動を語らずにきてしまった歴史、、そして「ジェンダーフリー」をめぐる混乱に関しても、女性学側で混乱の元凶をつくったり、広げたりした当事者たちは相変わらず消えたままだし、、

*1:国際女性学会、今の国際ジェンダー学会

2007-07-04

[][]マスコミ学会での討論

6月10日に熊本で行われた日本マスコミュニケーション学会にて、斉藤正美さん荻上チキさん今井紀明さん北田暁大さんと一緒に、フェミニズムへのバックラッシュに関してのワークショップを行いました。

荻上チキさんのご報告の詳細はすでにご本人がブログにアップしておられます。その基調報告に関連して、討論者の私が話したことを若干手直ししたものを以下にまとめてみました。

ワークショップ全体についての短いレポートは、「ふぇみにすとの雑感」の「マスコミ学会ワークショップのレポートと感想」エントリにまとめてあります。

また、荻上さん今井さん斉藤さんのブログにもワークショップ全体や学会についてのレポートがアップされています。

テープ起こしをしてくださった、チキさん、ありがとうございました!

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私はウェブ上でブログをやったり、発信しているフェミニストなので、当事者的な立場からお話をさせていただきます。また、フェミニズムの運動体にも関わりをもってきたので、フェミニズムの運動において、いかにフェミニストがインターネットに関われていないのかというような問題の話もしたいと思います。

歴史が共有されないこと

今回「バックラッシュ」という現象が起きた際、フェミニズムの間では「うわうわ大変だ、今フェミニズムの最大の課題はバックラッシュだ」というようなことになり、それは今でも続いている。確かに地方議会などで大変な事になっている場合もあるのですが、それはこれまでに例を見ないような最大の事態なのか、という疑問があります。

そもそも、フェミニズムというのはこれまでずっとバッシングを受けてきたものなので、そのあたりの歴史観が欠けてきたというか、共有されなくなっているという感があります。

フェミニズムの動きも、保守派の動きについても、もっと歴史的に位置づけるべきなのではないでしょうか。

70年代の初期リブから、中ピ連、行動する会など、フェミニズムはずっとバッシングをうけてきました。マスコミ上での、国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会による、「つくる人、食べる人」コマーシャル抗議の際や、中ピ連の一連の動き、国際花博やミス東京コンテストの際の、ミスコン抗議行動に対するバッシングのみならず、82年の優生保護法改悪騒ぎのときの生長の家からの攻撃や、雇用機会均等法のときの経済界からの攻撃など、ずっとバッシングはあったわけです。もちろん混合名簿運動についても同様で、こちらはバッシング以前に、組合女性部からすら賛成されない、といった時期があったという状況もありました。

2002年、斉藤さんがフェミニズム系新聞「ふぇみん」に、バックラッシュとフェミニストが言っているが、今までと違ってそんなに大変なのかという問題提起を行った(「足下でしっかりと対策を練ること」『ふぇみん』2002年9月25日)のですが、議論がここから発展することはなく、終わってしまった。東大ジェンダーコロキアム『ジェンダーフリー概念からみえてくる女性学・行政・女性運動」という集会で私が斉藤さんと一緒に、ジェンダーフリー概念と今のバックラッシュなどについて、フェミニズムがバックラッシュの被害者だとばかり言っていていいのか、今までの行政密着型の女性運動の歴史を振り返る必要はないのか、ということを指摘しているのですが、これに対してなかなか「主流」の反応は難しかったですね。『バックラッシュ!』本にしても同様で、「主流」フェミニズムからは完全無視とまではいわないが、「バックラッシュ対抗本のうちの、フェミニズムの当事者以外がまとめた(=重要性が薄い?)一冊」という位置づけにされてしまっている気もします。(寄稿者の中には、上野さん、渋谷さん、小山さん、私、そして長くフェミニズム運動畑で活躍した長谷川さんなど、フェミニストの人は実はかなりいるのですが。)


フェミニズムとネット

90年代の頭までフェミニズムはミニコミというものをそれぞれが持ち、マスコミ対応をしたり、マスコミを活用しているところもありました。とくに新聞媒体に関しては、女性記者とのつながりを深め、当の女性記者たち自身もフェミニズム運動体で活動するなどという例もありますし、マスコミ対応のノウハウはかなり蓄積されていたと思います。それに加え、ミニコミをメインの媒体として活動していたところに、90年代からインターネットというものが登場しました。

本来であればミニコミは印刷代、郵送料などとお金もかかるし、届く範囲も限られているので、すんなりネットに移行すればよかったのかもしれませんが、ネットはなかなか敷居が高く、導入が遅れてそのまま今に至っています。また、フェミニズムの中心の人たちが高齢化していくにつれ、デジタルデバイドの問題、つまりネットを使える人が少なかったり、そもそもパソコンを買えなかったり、家庭にあっても自分専用に使えなかったりといった問題がある。パソコンが家にたとえあっても、メール程度の利用に偏ることも多々あります。

そして、ウェブサイトを作る際にも、外注に頼って自分たちで更新しない状態になっている団体や個人サイトも多くなっています。例えば日本女性学会は外注でサイトをつくっているのですが、外注でつくったようなウェブサイトには見えない代物です。それに結構な予算を使っている。女性学会のみならず、多くのフェミニズム団体で、基本的にサイトは業者に頼んでつくってもらう物で、自分達でつくるものだというような意識はない場合が多いのではないかと思います。私が関わった団体でも、外注説を覆すのはものすごく苦労しました。外注にすると、迅速に更新することが難しくなります。また作業量が減るかというと、かえって業者に連絡をとる手間がかかったりして、仕事が増えてしまう場合もあります。

HTMLのスタイルを使っていて、更新がしにくく、ストップしているサイトもあります。自分達でやろうとしても、特定の人にばかり仕事が集中的にまわり、更新されなくなって終わると。インタラクティブなweb2.0というものとはほど遠い世界です。

フェミニズムの人たちがいつも盛り上がって使っているのはメーリングリストなんですが、メーリングリストではやたらはりきっているのにネットでは発信しない、表には発信しない。そういう傾向があります。メーリングリストばかりが広がっていった結果、メーリングリストでメールを多く流す人が、あたかも「運動の世界で活躍している人」というような妙な権力図式のような物も出てくる。あるいはメーリングリストで有名人がたまに発言をしたりすると「すごいすごい」というような感じになったりもする。メーリングリスト頼りのコミュニケーションというものが―これはフェミニズムだけではないと思いますが――起きていて、それ以上に広がらない。バックラッシュのイメージというものも、メーリングリストから流れてくる「うちの地域では大変で」「ああ、うちの県も大変で」というような情報に偏り、それがミニコミやマスコミに取り上げられるときの情報源になったりもする。

実際にインターネットを見て、どういう事が起こっているからどう大変だ、というようなことを知っている人はわずかで、インターネットというのは怖いんだ、若い人が2ちゃんねるで叩いていて恐ろしいんだというようなことを、ネットは見ないままMLで言いあっていると。さきほどチキさんや北田さんが疑問を呈していた、2ちゃんねらーが弱者層の若者で右翼的だ、恐ろしい、というイメージが、実際にネットをみないままに広がっているという状況があると思います。

しかしながら、もともとミニコミをやっていて、発信するのは好きなはずのフェミニストたちが、どうしてネットには進出しないのか?という疑問もあります。実際、『30年のシスターフッド』というリブについての映画の上映ツアーをアメリカで行ったときに、ツアーに同行した日本のリブ世代の方々も、やり方さえわかれば、けっこう楽しくブログを書き、コメントを読んだりされていました。何かきっかけがあり、使ってみれば、面白い、、となり、けっこう広がるのではないかとその時思いました。

私が関わったある会はブログをつくって、関連書類や日々のニュースを発信するように利用しようと考えていたのですが、私と数人で最初に企画していた物と現在の物はすごくずれていて、メーリングリストの内容をそのままブログに載せてしまえというような状態になっており、ML用の情報とブログ用情報の使い分けもうまくできていない状態で、危惧しております。対応が大変だとか、バックラッシュ系のコメントがきたら面倒だという思いがあったのでコメント欄をつけず、トラックバック欄だけをつけたのですが、結局コメントがないので何を書いてもレスポンスが分からず、誰も2ちゃんねるをみていないから2ちゃんねるでどう叩かれていても知らないままで終わってしまう。例えばローカルなニュースが2ちゃんねるで取り上げられて祭り状態になったこともあったんですけど、それも誰も知らないまま。「ニュースになってよかったね」で終わって、ニュースで流れた後どうなっているのかというのは知らないまま突っ走っていくというような状況になります。

トラックバック欄は残しているので、そこをみてくれれば多少は分かるんでしょうが、トラックバックの使い方をわかっている人が少ないので、エロサイトからのトラックバックが放置されたままであるとか(会場、笑い)、そういう状態です。また、トラバを使っていないことで、読者も増えません。ですから、2.0どころか0.5、どころか0.1程度なのではないかなと。コメント欄も残すべきだったのではないかと、今でも時々考えるときがあります。

女性学者などがブログで発信するなどすれば、もう少しネットにおけるフェミニズムの存在感が出るかもしれませんが、バックラッシュが怖いと恐れているばかりでなかなか表に出て行かない。論争は極力避け、ネットは印刷物よりランクが下であると思っている面がある。

チキさんの「ジェンダーフリーとは」というサイトには相当数のアクセスがあり、注目を集めてきたのですが、学者によって存在についての言及はされても、具体的な中身についての言及はなく、批判があったわけでもなく、なんとなくスルーして終わるという感じになっている。

ネットにおけるバックラッシュというのを、実体験を通じて実感している層がフェミニストの間で案外少ないのかもしれません。体験がないのに、話だけきいて「ああ怖い」となっているのかもしれません。あるいは、ちょっとでも体験したとたんに、「怖い」となってひいてしまうとか。

なんのための「運動」か?

チキさんのコメントに「なんのために“運動”をしているのか」という質問が出てきたんですが、この間、75年の、「私つくる人、僕食べる人」のコマーシャルへの抗議をした人がシカゴにいらしたので話を聞く機会があったのですが、あのとき彼女は本当に叩かれたけれども、そんなことは気にならなかった。言えばインパクトがあり、世の中が本当に具体的に変わっていったから、叩かれようがなんだろうが全然気にならなかった、楽しかった、と言っていた。70年代頭のリブもそういう面があって、叩かれようがなんだろうが楽しかったではないか、こんなに私たちが変えたんだから、という想いはあったのではないかと思います。

でも、今現在のフェミニズムの目的といったら「バックラッシュへの対抗」が最大課題みたいになって、「ジェンダー」概念、「ジェンダーフリー」概念の死守というようなものになっているように思えます。「ジェンダーフリー」がちょっとやばくなってきたかな、という感じがあるからそれほどは表に出さなくなったけれども、今度は「ジェンダー」という概念がこれほどすばらしいと、そしてそれが日本に広く導入されたといわれる95年、あるいは基本法が通った99年こそがフェミニズム運動最高の達成で、今はその反動の時期、という歴史観が出てきたように思います。バックラッシュというものが課題になり、それに対抗するために、「バックラッシュの人による、男女同室着替えとかその手の批判から、ジェンダー概念を守らねば」ということで、ジェンダー概念を過度に美化するところがある。民族や階級に比べても革新的な概念で、「ジェンダー概念さえあれば全てが語れるのだ」というところまで、最近のフェミニズム系の人が書いている本を読むと言っているような気がしないでもない。でもそれはやはり無理で、ジェンダーで全てを語れるわけがない。

ジェンダー論の授業などでも、例えばネットに掲載されている、日本の多くのシラバスを見ると「ジェンダーとは何か」という抽象的なところから始まったりしている。それでは、普段の生活の問題にアピールはできないだろうなと思います。フェミニズムは自分の日々の生活、想いからでてくるはずのものだったのに、上から教えられるものになった。大教室授業など、今の大学の枠内でやらないといけないという限界もあるとは思いますが。また、ジェンダー論シラバスや、教科書からの運動史の欠落も目につきます。

議論ででてきたように、ジェンダー論のひとつのモデルみたいなものができてきてしまい、それが多様性の欠落にもつながっているかもしれません。教科書的な書物ばかりが出版される現状も、その傾向のひとつかも。そして、「男女共同参画」と言い始めてから特につまらなく、啓蒙的になってしまった。チキさんが言われるように、「お勉強」しないとわからないものになってしまい、一般からどんどん離れてしまっている側面もあるように思います。

2003年には日本女性学会が、元々ニュースレターとしてあったコンテンツ(「Q&A-男女共同参画をめぐる現在の論点」)をネットで公開するんですが、これのせいでチキさんなどがネットで流言を論破していくのになかなか苦労したんじゃないかなと予想されるような、そういう内容のものでした。こういったQ&Aの使い方がまさに上から教え、異論をはさむ余地を難しくするといったもので、それ以外の回答を女性学会のような権威が言いがたくしている。

チキさんのQ&Aサイトの場合、私はそれを完璧なサイトだとは思わないけれども、それでも意見があったらそれを受け入れたり、コメントを書いたりしてチキさんは作っていたけれども、フェミニストの出すもの、全員ではないけれども偉い先生が出すようなものは、ウェブサイトにポーンと載って、それに対する意見はどこに出せばいいのかわからない。日本女性学会サイトなど、メールアドレスも載っていない。このQ&Aをはじめとするサイトに掲載された情報は、完成したものとしてそこにあるだけで、インタラクティブではない。

ただ、マーケティング的に考えろといわれると、それもわかるんですが、正直ちょっとどうかな、と反発を感じる面もあります。フェミニズムは確かに私もつまらなくなっていると思っているし、「格好よい」方がいいとも思うけれど、私はダサイものも好きなんですよね(笑)。フェミニズムは基本的に社会に異議申し立てるところがあるから、それほど流行に乗れないのは確かで、それをどう捉えるかは難しいところだとは思います。

でも、私自身は、フェミニズムは、楽しくなきゃやれません。叩かれますしね。それでも、フェミニズムは自分にとっても必要だと思っていますし。でも、「正しい」のがつまらないというのは分かります。私から見てもつまらないなあと思うフェミニズムもたくさんあるし。また、世代間ギャップもひしひしと感じるときもあります。

フェミニズムが強者の論理として語られていること。確かにそういう面も、とくに「男女共同参画」時代にはいってからはあると思うし、フェミニズム自体も、女性学、行政がリードするフェミニズムという面はあって、フェミニズム自体の問題として「ジェンダー」ばかり意識し、他の問題は不足しているという問題はある。でも、それと同時に、女の強者の論理だ、怖い怖い、という反発は75年の時もあったし、85年の時もあった。歴史的にはいつもあることでもあるので、今だけ特殊な論理でもないとも思います。

ずっとバックラッシュをする主体になっている人達が「弱者男性」である、というような考え方に基づいてフェミニズムが議論をしている事に疑問を挟んでいたのですが、今日はチキさん、北田さんのお話を伺って、こういう検証作業が進みつつあるのはフェミニズムも考えていかなくてはならない事だとますます思いました。今まで、思い込みに従ってやってきたところはすごくあると思います。

また、今井さんがおっしゃっていたように、インタラクティブという形でやっていくことも重要だと思いました。一方的に発信するばかりではなく、何らかのコミュニケーションをする事で進んでいく面が重要だと思いました。それがブログというメディアの可能性でもあると思いますし、今のフェミニズムの弱いところだと思います。

2006-09-16

[][]ブッシュ政権下におけるアメリカの教育(マーティン&ヒューストンインタビュー、『バックラッシュ!』本未収録部分)

バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか? (キャンペーンブログはhttp://d.hatena.ne.jp/Backlash/)において、ジェーン・マーティンさんとバーバラ・ヒューストンさんという二人の教育学者のインタビューをさせていただいた。

その際、スペースの限界と、インタビューの他の部分と若干テーマ的にずれるところから、収録されなかった部分がある。

短いセクションではあるが、お二人は、ブッシュの政策に基づいたアメリカの教育の現状の問題点、とくに現場の状況に言及されていて、興味深かった。

そこで、ここにその部分を掲載しておこうと思う。


ブッシュ政権下におけるアメリカの教育


H: バーバラ・ヒューストンさん

M: ジェーン・マーティンさん

Y: 山口智美


Y: もうひとつの大きな質問なのですが、ブッシュ政権の政策によって、アメリカの教育はどうなっているのかに関してです。これらの政策は日本の状況にも関係が深いのです。保守派は、アメリカで起きていることを「国際的」な流れとして使いたがります。


H: 特に、今現在、日本は保守的な政権だからですよね?


Y: そうです。とくに性教育とか、予算が配分される方法とか、ネオリベラリズムの考え方に基づいて、学校(大学)同士が競争するようになったりとか。競争は激しく、ナショナリズムは高まり、性教育は抑圧されたりと、似たようなことが起きています。現在の、アメリカでのとくにジェンダーと教育に関しての状況について、ご意見伺えますでしょうか。なんだか大きな質問ですが、、


H: 最悪だと思います。どこから始めればいいのかという感じですよね。


Y: 何が最大の問題だと思われますか?


H: そうですね、ある意味では、私は最悪の問題はトップダウン型の行政だと思います。実際の教育現場からはるか遠くに離れた人たちが教育政策を作っていることが、子どもや教師の生活を荒廃させていると思います。教師になる若いひとたちの中で、最初の5年以内に、50%の人たちが教員をやめてしまっているのです。


Y: 50%も?すごい割合ですね。


H: ものすごい割合です。この50%もの人たちが、ちょうど教師として慣れて、いろいろ上達してきた頃にやめてしまうという状況で、どうやってこの国や社会の若い人たちの教育に関心をもつ人にとって、安定した職業とすることができるのというのでしょうか。


Y: やめてしまう理由は何ですか。


H: 様々な理由があります。給料は一般的に安いですし、労働条件も最悪です。自分で物事を決める自由もありません。(ブッシュが導入した)統一テスト政策 *1のせいで、やることがどんどん増えるばかりです。そして障害者のこと。これについては様々な意見があるのですが、ポイントは教師がありとあらゆることをやらなくてはいけなくなっているということなのです。そして、教師は自分の仕事内容も決めることがでいないのです。カリキュラムも作らなくなって、カリキュラムパッケージというものを送られて、自分が教えている生徒たちにうまくいくかいかないかに関係なく、そのカリキュラムに沿って授業をしなければならないと言われます。生徒たちがテストでどんな点数をとったかで、教師の給料にも関係してきたりと、テストの影響が本当に大きいのです。最悪の状況だといえます。


Y: そうしたら、よりトップダウンになっているということですか?


H: そう思います、(マーティンさんは)どう思われますか?こういう様々なことをしろという国の指令のために、、。


M: 以前は全くトップダウンではなかったのです。そう昔ではない時代、教育においては、地域の学校で行われていたことについて、州でさえもほとんど手出しできなかったくらいでした。その数字はどこからのものですか?


H: ニューハンプシャー大学で私たちが行っている教員養成プログラムでは、全国平均よりかなり高い割合で、教員が職をやめないで残っているのです。確か、80%か85%くらいのプログラム卒業生が、教職を続けます。全国平均は50%なのです。私の大学の教員養成プログラムの長をやっている人が調査をしたので、私は数字を知っていました。


Y: だとすると、かなり危うい状況なわけですね。教員の大部分は女性ですか?


H: そうです。この国では、教員の大部分が女性で、しかも白人です。生徒の層を見てみれば、これはとんでもないことだとわかります。この事実を受け入れるのが難しいくらいです。

 私のいるニューハンプシャー大学では、マイノリティの教員のためのプログラムがあります。ニューハンプシャー州というのは、白人が大部分の州なのです。住民たちを見てみた場合。マンチェスターなど、都市部にはマイノリティの人たちの数は多めではありますが、私の大学に来たいというマイノリティの教員たちを支えるほどの数ではないのです。(大学のプログラムに)数人はいるし、それはいいのですが、でも、、


Y: ということは、この政権の下で、女性の状況は悪くなっているといことですね。


H: そうですね、タイトル9 についていえば、悪くなっています。タイトル9*2を引っ込めたいわけです。

 今起きていることというのは、テストの重点化のために、教師たちが他の事ができなくなってしまっているのです。例えば私の授業をとる学生たちは、何もする時間がないと言います。学生たちは、この状況を当たり前のことだと思ってしまっていて、どうしたらくつがえせるのか、崩せるのかとか、変えられるのかなどと考えないのです。テストをしなくてはいけないので、他のこともしなくては、といったような感じになっています。まだインターンシップもしてないし、学校にも(教育実習などのために)行ってない学生たちが、すでにテストについて、そしてそのために子どもの教育において重要な様々な他の事柄に力を注ぐことができなくなるかについて、心配しているのです。すでにこの影響が出ているのがわかりますよね?

*1:“No Child Left Behind” (落ちこぼれを作らない)と呼ばれる政策で、2002年にジョージ・W・ブッシュ大統領が”No Child Left Behind Act”「落ちこぼれを作らない初等中等教育法」を法制化し導入。 実際の条文については以下のサイトを参照。http://www.ed.gov/policy/elsec/leg/esea02/index.html この法律のもと、数学と英語の読解について3年生から8年生(中学2年生)までは毎年、統一テストを行うことになった。そして、多くの(とくに貧しい)地域において、このテスト結果に基づいて学校が閉鎖にさせられたり、管理職が交代させられたりという事態が起きている。また、教員の生徒や学校全体のテストの結果が、その教員の給与にも影響する。貧しく、テストどころではない状況にある貧困地域の学校の問題を放置して、テスト点数上昇だけを優先することで、教育自体も破綻させ、教員の負担も非常に高くなっている。詳細については、Alfie Kohn, The Case Against Standardized Testing: Raising the Scores, Ruining the Schools (Heinemann, 2000)やDeborah Meier, Will Standards Save Public Education? (Beacon Press, 2000)を参照のこと。また、障害者を普通学級にて健常者とともに教育するという方針もとられている。これにより、障害をもつ子どもたちのいろいろな問題や必要について学校がより注意を払うようになったという利点もあるが、必要な教育予算がつけられていないため、学校は普通学級に障害をもつ子供たちを含める要求を満たそうとするが、それが普通学級の教員の負担を著しく増やしているという問題もある。結果として、一クラスあたりの人数が増えたり、また教員の仕事も管理化され、重労働になり、教育予算が不十分なこともあり、必要なサポートも得られない状況である。重要な背景として、アメリカの教育予算は、イラク戦争などの影響もあり、大幅に削られている現状がある

*2:Title IXは1972年に成立した、国の財政援助を受けているすべての教育機関において男女平等を義務づける法律。とくにスポーツ分野において、女性のスポーツへの参加の機会を大幅に増やすことになった。