和栗由紀夫+上杉貢代

「ダンスがみたい!7」の公演、和栗由紀夫+上杉貢代「神経の秤」を見た(8月5日(金)19:30の回)。

この公演は、ラストーシーン、上杉と和栗の二人がステージの両端からゆっくりと歩み寄っていく場面が全てだった。

すくなくとも私にとっては、上杉の、まったき感受的な場となったかのごときまなざしを差し向けながらの、一歩一歩がふるえる息吹であるような歩みと、和栗の、眼を馬のようにして、硬く引き締まった筋肉をじりじりと駆動させていく歩みとが、互いの気配を緊迫させながら空間を占めてゆく、この音楽抜きのひとときに立ち会えただけで、十分だった。この時間だけを一時間たっぷり味わう事ができたらどれだけ素晴らしかった事だろう。

この最後のシーンが帯びていた時間的質の豊かさに比べたら、二人が互いにソロを舞台に提示し、時にはすれ違ったりもした公演のそれまでの展開は、舞踏バラエティーショーとでもいったおもむきで、確かに鍛え上げられたダンサーにして初めて提示できる質がそこに見出せたとはいっても、緊張はついにある一線を越える事は無かったと思う。

和栗は彫像のような身体を誇示していてそれは見事な造形ではあったけれど、それ以上のものはなく、上杉はその感受力が十分に熟す前に気負った動きが上滑りしているような時間が長かったように思われたのだ。

公演にあわせて思ったこと思い出したことを二つ。

土方巽の生成変化と舞踏の伝統

私には舞踏についてはそれほど深い知識も経験も無いのだけれど、私が知りえた断片的な情報や経験に即して言うと、和栗由紀夫という人は、土方巽の教えに忠実でありすぎるためにかえって忠実ではないことになってしまっている人ではないかなあという風な認識が私にはある。確かに土方巽が通り過ぎたあるひとつの領域に、いつまでも留まっている人なのではないだろうか。たとえていえば、芦川洋子と土方巽の間に起きたことは、和栗由紀夫の舞台にはほとんどなんの残響も残していないにちがいない(といっても私は芦川洋子は映像でしかみたことがないけれど)。土方巽の舞台はどんどん変貌していっただろうし、土方巽がもっと長く生きていたら、舞踏が今のような様式に固定されることもなかったのではないかと考えたりもする。しかし、土方から受けた教えを身体に繰り返し刻み直して保存してきたような人ではあるのだろうから、舞踏の無形文化財的な人ではあると言えるのかもしれない。

舞踏家の眼差しについて

上杉貢代さんの眼差しということについては、以前「ダンスがみたい5」だったかで私が上杉さんの公演のアフタートークを担当したときに、質問してみたことがある。そのとき上杉さんの舞台の上で踊るときに見せる目の表情になにか特別なものを感じて、踊っている時には何を見ているのか、と聞いてみたのだ。身体感覚を研ぎ澄ませるためには目から入ってくる情報はかえって妨げとなるのではないかといった事を聞いた気もする。上杉さんは、自分の存在を受け入れるように、目に映る場所の存在もまた受け入れるようにして踊るのだと語っていたような気がするが、そのときのやり取りを個人的に記録しておいたわけでもなく、漠然とそんなことを聞いた記憶が残っているだけである。

この視線のあり方ということでいうと同じ年のフェスティバルに山田せつ子さんも出ていてその公演のアフタートークを担当した。そこで、山田さんについて「鳥のような目だ」と私は言った。どういうことかというと、どこを注視するというわけでもなく、感情に曇ることがないどこまでも澄み切った中性な目の印象が、まるで上空を高速で飛翔する鳥が常に自分が横切る事ができる空間の多様な線を刻々と移り変わる視野の中に捉えているかのように、無数の動きの可能性が明滅する(いわば内的で理念的な)空間を眺めている目であるように思えたからだった(むしろ、内的で理念的な世界を舞台空間に投影する眼というべきか)。そういう趣旨の話をすると、山田さんはこのたとえ話を首肯してくれたと記憶している。ダンサーの目のあり方ということを考えるとき、私にとっては、上杉さんの目と山田さんの目は二つの典型をなしているように思われる。

(8/6記す)