劇場で言葉につまる

 先週の水曜日に、岸井大輔さんの講演を聴きに麻布ディープラッツに出かけた。終演後には大岡淳さんほかのゲストと共に岸井さんがトークに出ていた。
http://plaza.rakuten.co.jp/kishii/diary/200704240000/

 ポタライブはあらゆる芸術実践の中でここ2年ばかり自分がもっとも深く関わってきたもので、紹介に努めてきた。そのあたり、 http://d.hatena.ne.jp/POTALIVE/about
 ←を見てもらえばおわかりかと思う。

 普通劇場の旗揚げ公演をキャンセルにした大岡淳さんは、自分が20代後半の日々にもっとも深く関わってきた人だった。そのあたり http://www.medianetjapan.com/2/20/drama_art/yanoz/review/theater/ooka/20th.html
←を見ていただければお察しいただけるだろう。

 大岡さんと岸井さんはこの日が初対面だったということだけど、岸井さんからは「一度も会ったことないけど共通の知人も多く良く知っている」と聞いていた。そんなわけで、トークの途中に「ヤナギサワさんなにかコメントありますか?」と大岡さんから振られるというのも十分に理由のあることだったのだけど、だらしなく自己紹介をしたあと「うーん」とうなって黙っていたら「無理に振るつもりはなかったんで」と大岡さんに流されてしまったorz。

 帰宅しながら、「なぜ何もいえなかったのか、せめて質問のひとつくらい、そうでなければ潔く黙っていればよかったものを」、とかくよくよ考えていた。まあ、何か言っておくことがありそうな感じだけしていてでも言葉が出てこないという状態だったということを劇場に示したことに意味が無かったとは言えないだろうがほとんどの人にはどうでも良いことだろう。自分にとっては、人生のあれこれの中のひとつの忘れがたい一瞬がちょっとした悔恨に彩られる結果になったというところだ。

 上にリンクした商品劇場時代の大岡さんの作品について触れた文章では、最後に高校の教室で行われた上演を高く評価して終わっていた。なんとなくそのことを思い出した。

それが高校の教室で実現されたということもまた、作品の在り方にふさわしく、素晴らしいことだった。まぎれもなく、学校の一室は舞台として、人が集い、時と場所を共有する劇場として、再創造されたのであり、それこそ、演出という仕事の果たすべき事に他ならないのだから。

 演劇についての評論的文章のいわば自分にとっての処女作とも言える文章に、こういった内容を書いていたことを思い出すと、その後ポタライブに傾倒することももっともなことだったと思ったりする。

 大岡さんは「岸井さんに勇気付けられた」とおっしゃっている。
http://d.hatena.ne.jp/ooka/20070430#p1
 「普通劇場」の活動は岸井さんのやり方とはまた別の可能性を開いてくれるものになるのだろう。その全容が明らかになるにはもうしばらく待つ必要があるのかもしれない。

 この日ひろったCutInには、ディープラッツの真壁さんが、ビルが再開発で取り壊されることになって麻布ディープラッツは年内限りで閉鎖になるということをめぐって、「公共劇場は民間の劇場を圧迫しないでほしい」ということを書いていた。

 制度を作れば制度化による弊害が起きるのも当然なことなので、運動の場みたいなものをどんな風に回していくのか、そのための持ち運び可能で手渡しできる技法をどう開発し共有してゆくのか、そういうことが課題かな、ということを、抽象的には思うけれど、それを具体的に言う言葉が今の自分には無いということか。

 ポタライブのワークショップに出たりもしながら、最近は、次の生業に向かう準備をしている。

ヒュージが気に入った話

 朝までカラオケしてたりしておもいきり体調を崩した先週末。「写真集が欲しい」と急に思って、でも遠出する気力も無く、近所のコンビニで何か雑誌でも買うかと手に取った『HugEの6月号』がなにやらよさ気なので買ってみてごろごろと眺めていたらちょっと気に入ってしまった。HUgE (ヒュージ) 2007年 06月号 [雑誌]

 『Pen』とか特集によっては買ってみたりして、なにか分不相応な世界に足を踏み入れたような居心地の悪さを感じることがあったりもするのだけど、そういう居心地の悪さを感じることが何故かなかった。テクストのクオリティとかも配慮が行き届いている気がする。
 まあ、まがりなりにも定職について収入が安定したこともあり、自分が多少なりとも贅沢慣れしつつあるということも、高額な商品を紹介するパブリシティ記事の連続に違和感を感じない理由かもしれないけど(まあでも自分に買えそうなのはユニクロのTシャツと写真集くらいか)。


 紹介されていた若手写真家の作品もちょっと探してみようかと思ったりした。『ピクニック・アット・ハンギングロック』のロケ地を撮った作品とかあって、魅力を感じた。

 時折発作的にある種の写真に目をさらしていたいという視覚的欲求が嵩じることがあり、そういう欲求を満たしてくれるものは探し出す努力がないと手元に置けない。