特攻

yaoyorozu20112011-06-24

『指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る、千尋ちひろ)の海に散るぞ楽しき』

昭和20年3月26日、沖縄戦陸軍特攻の最初の特攻は石垣島出身の伊舎堂用久(いしゃどう ようきゅう)中佐(特攻により二階級特進)率いる誠第17飛行隊により遂行された。午前四時、石垣島の白保飛行場から飛び立った同飛行隊は約2時間後、慶良間洋上に散華した。
上記はその伊舎堂中佐(当時24歳)の辞世の句である。

革新市政が長く続いた石垣島では、これら歴史的な事実と縁ある人達の心情が長く封印されていた。多くの関係者が高齢化し、語り継ぐ人も少なくなっている中、思いある人達が繋がり、流れを作り始めている。同飛行場で勤務していたある老人は60年以上慰霊碑を建てたいとの思いを持ち続け、個人で大きな石材を準備していた。また伊舎堂中佐の親族、隊長宿舎を営んでいた方達の親族、伊藤玲子先生や石垣市議、防衛協会が協力し、この事実を後世に語り継ぎ、島の誇りとなるよう、まずは慰霊碑建立へと動き始めた。
前日23日が「慰霊の日」と言う事もあり、今日は白保飛行場跡で慰霊を行った。天気は台風接近に伴う風雨に見舞われるが、参加者の思いはそれ以上に強く激しい。

今は畑が広がる飛行場跡

靖国神社遊就館に展示されている多くの特攻隊員の直筆の句、多くが20代前半、中には10代の物もある。それを見て思うのは「果たして私は死ぬまでにあの様な句が書けるのか?あの様な文字すら書けないのではないか?」という事です、、、まあ自虐もほどほどに頑張るとします。