やさしいひとは胸がくるしい

トップリード単独ライブ「THREE DECKER」
SPACE107
7/7 19:00
7/8 18:30


初単独が2010年7月の「イッピキムスメ」、2回目が2011年11月の「二日坊主」、思っていたよりはやいペースで告知された3回目が「THREE DECKER」。一番最初に和賀さんが「1、2と続けていけるように1がつくタイトルにした」と言っていたとおり、続いてきた「3」のつく単独。初めて造語ではないその単語をすぐに調べたけれど、いろんな意味が出てきてはっきりとはわからなかった。
ただ、「3部作」という意味があると知り、これでいったん一区切りなのかなーと思った。月笑のご褒美ライブとしての単独がここまでで、これからはそういうの関係なく、単独ライブができるようになるのではないかと、希望も込みで。
以下ネタバレです。

  • プロローグ
    • OP
  • 邪魔
    • 三層式甲板船を探せ
  • デートの前に
    • 3階建てバスを作ろう
  • 気まずい時間
    • 3階建てマンションに一緒に住もう
  • お見合い
    • 三層式説教段を見た後スリを捕まえる
  • スリですか?
    • 3人のデッカーさんの3の呪縛
  • 腹痛
    • 路上バンド
  • 聞いて欲しいんだ
    • エンドロール
  • エピローグ

プロローグ

「フレンドブレッド」の店員である新妻さんが、和賀さんの家にパンを届けに来るところから始まる。黒い服とエプロンの新妻さんと、白いTシャツの和賀さん。もともと「サンドサンド」というサンドイッチ屋さんだった和賀さんの家は、店主であるお父さんが亡くなって店を畳む準備中。
お父さんが言い残した「スリーデッカーが見たかった」という言葉が気になっている和賀さんに、助けるから一緒にスリーデッカーを探そうというちょっとうざったいキャラクターの新妻さん。
スリーデッカーの意味をひとつずつ検証しながら、それにまつわる映像→そのなかの言葉が次のコントのタイトルという構成。タイトルが発表されたときに、「結局どういう意味なのかよくわからないなぁ」と思ったこちらと全く同じ心情で、ライブが進んでいく。

邪魔

白シャツ黒ズボンのふたりが、舞台を上下中央の三つにわけて次々に役割を変えながら邪魔をし邪魔をされ、ひとつひとつ笑わせながらストーリーが進み、思わぬ展開、逆転……と、ひとつずつオチのついた四コマ漫画を続けてストーリー漫画を作るようなコント。いきなりフルスロットル!

デートの前に

明日が初デートの和賀さんに、アドバイスをする新妻さん。部屋着のふたり。同居している理由が明かされても同じように気遣い合うふたりに大人になってからの友達、という印象を受けた。これおもしろかったなー! 大好き! 尺長かったけど他のライブでも見られるかな?

気まずい時間

バイト先の先輩と飲んで別れる間際の和賀さんが、その先輩の友達である新妻さん(つまりほとんど他人)と帰りの電車が一緒になってしまう。私服。千秋楽は「新宿と品川遠いぞー」の後に「吉川線でつないでー!」のアドリブ(笑)。吉川さんが計画してた架空の路線は西東京を縦につなぐやつじゃなかったっけ。
これ有りネタなんですね。No.100。番号からして2007年ぐらいかな? 私はまだ見てない頃。

未年生まれとしては平常心でいられないコントきたこれ。寝る前に羊を数えるパジャマの和賀さんと、和賀さんに酷使を訴える羊の新妻さん(たち)。白シャツ白ズボンに角付けてるんだけどこの角がすっごくよかった! やっぱり羊は角ありだよね! 中央に行くに従って外向きに角度がついてるところが実にらしくて羊ポイント*1高しですよ……!
夜寝られないときに数える羊のイメージって色々あると思うんだけど、新妻さんのそれは「数える度柵を跳び越える」で、私のイメージとぴったり同じだったのも嬉しかったな。前にちょっと調べたことがあるんだけど、本来は「だだっぴろい草原にごちゃーっと羊がいてそれを数えるなんて無駄な労働をする想像すると眠くなる」みたいな作業だった説があったので。
内容としては、女装ネタがなかった今回の中では唯一の女性キャラが出てきてベタに展開したり、和賀さんがキザな台詞を言わされたり、だじゃれがあったりと盛りだくさんながらオチが「ちゃんちゃん♪」と音をつけたくなっちゃうようなこぢんまり感が羊のかわいらしさや寝室感によくあってて大好きなネタになりました。

お見合い

新妻さんのお見合いに付き添ってきた同僚の和賀さん。ふたりともスーツで、カチコチの新妻さんが実は……。とにかく和賀さんが大変なネタ(笑)。千秋楽では大いに遊んでいて、和賀さんが新妻さんを笑わせようとしたり、新妻さんが和賀さんを困らせたり、子供同士のような悪ふざけが楽しい。
初回のエンドトークで「19歳の時に作った」と仰っていたので手帳を見たらNo.14! まさか見られる機会があろうとは……。オチが、なんか若い新妻さんらしい感じがした。いやお会いしたことないですけどね。

スリですか?

選択式マルチエンディングっぽいネタ。白シャツ白ズボンの新妻さんと、黒シャツ黒ズボンのスリの和賀さん。繰り返す展開に飽きてきた頃に入れる緩急のうまさときたら。昔タモリの「if」にこういう分岐分岐の話があったなぁ。

腹痛

サラリーマン姿の和賀さんと、黒Tシャツ黒ズボンの「腹痛」の新妻さん。前回の「ため息」に続く現象擬人化コント。こういうシリーズが存在するとは(笑)。腹痛の波がひじょーにリアルだったんだけど、新妻さんもはらよわなのかな? 私もです。

聞いて欲しいんだ

GReeeeNの「キセキ」に乗せて演じられる最後の大ネタ。黒シャツ白ズボンの新妻さんと、白シャツ黒ズボンの和賀さんがとあるデパートを上から下まで、下から上まで演じ分けながら優しいオチをつけていく。折り返して回収にかかったとき、あ、これが最後のネタだとわかった。

エピローグ

結局よくわからない「THREE DECKER」の意味。もう良いよという和賀さんに、実は最初に訪ねてきていた日にフレンドブレッドをクビになっていたと明かす新妻さん。
人が嫌いで、ひとりで生きてきて、ついでに子供の頃から見ていたせいでサンドイッチもきらいな和賀さんと、性格の難故に(笑)友達のいなかった新妻さんがお互いに照れながら歩み寄って「友達」を獲得する。感動しかけたときに新妻さんが遺品のアダルトDVDの中から未開封の「シリーデッカー」を見つけてしまい、これだけは気づかれてはならないと必死になる姿がもう愛おしくて愛おしくて。
新妻さんが買ってきた辞書の中から「THREE DECKER」に「重要な人物」の意味を見つけた和賀さんは、友達である新妻さんがそれだと納得する。ふたりでサンドイッチ屋「THREE DECKER」を開こうと決めて大団円。新妻さんは必死にDVDを隠しながら。
……ではあるのだけれど、ふたりが捌けた後の舞台上には遺品として残された古いラジカセが鎮座している。これまでの単独を見ている者ならばきっとこれはまだなんかあるぞと思うのが当然のこと。
雑音の向こうに、子供の頃の和賀さんと、5歳の誕生日を祝う和賀さんのお父さんの声が聞こえてくる。そこで初めて、観客だけが、過去と未来がまるごとすくい上げられていたことを知るのだった。


トップリードの個々のネタのクオリティは言うまでもない。どれもおもしろく、緻密で、高い演技力に裏打ちされた優しく迷いのないコントの数々は、単独で演じられた後尺を短くして再びどこかのライブで見る機会もあろう。
それでも、トップリードの単独が終わったときに会場と観客の胸を満たす感覚は、単独でなければ決して表れない。個々のネタの幸福感や可愛さをプロローグとエピローグが包み込んで、まったく別の次元の輝きが生まれる。
今回は、ピンスポのあたるラジカセの音が途切れた瞬間、大きなてのひらが見えた気がした。真実は知らない和賀さんの決意が、和賀さんのお父さんの未練や、おそらくは親としての後悔を、掬い上げて救っていたことがそこでわかる。その大きくて分厚い手のひらは、おそらくサンドイッチ屋「THREE DECKER」の未来ももろともに掬い上げているのだろう。
その思いをさらに強くしたのは実は本編ではなく初日のエンドトーク、グッズの説明をしていた新妻さんがコインケースに刷られたロゴマークに触れて、


新妻:おそらくサンドイッチ屋「THREE DECKER」のロゴになるであろうマークがついていますから
和賀:あなたが作ってるんだから、そりゃ自由自在ですよね


このやりとりで、また視界がふわっと緩んでしまった。新妻さんには、開店した「THREE DECKER」も、そのロゴも、そこで忙しく立ち働くふたりの姿も見えている。楽なことばかりではないだろうけれど、絶対に不幸が訪れない未来が和賀さんと新妻さんの姿を借りて。


トップリードのコントの登場人物は、みんな誰かを思い遣っている。そんなに優しいと大変だよと思うけど、なんとなく、彼らはどんなに大変でも「生きづらい」という言葉を使わないんじゃないかなと思う。楽なことばかりではなくても、それを外の世界のせいにするのではなく、ただ誰かを思い遣ることによって知らないうちに道が開けているような。そんな強さを持った人たちばかりだ。
全編を通して出てくる人たちがみんな優しくて可愛くて、幸福感を通り越して胸が苦しくなることがしばしばあった。なんでだろう。彼らの未来に不幸が起こらないようにと、願いすぎてしまうからかもしれない。ならば最後、救われた、とわかった瞬間のあの胸を掴まれたような苦しさはなんなのだろう?
最後に現れたあのてのひらに掴まれた、と言ってしまえばきれいにまとまるのだけど、あのてのひらには過去と未来がこんもりと乗っていてこちらに伸ばされはしなかった。
個々のネタももちろん面白い。だけど、あのてのひらのような魔法は単独ライブでないと現れない。しかし、それは瑕疵ではなく単独ライブの度に過たず魔法を出現させるトップリードが驚異なのだ。単独という装置を借りて現れる百発百中の魔法をなんと言えば良いんだろう。「技術」や「芸」を超えて、彼ら一代の「文化」や「伝統」と呼んでしまった方がしっくり来るような気がする。


年がら年中、彼らの単独ライブを見ていたいと思う。他では決して味わえないあの泣きたいような幸福感を、おいしいものを食べるように日々の糧として摂取したい。世界は捨てたもんじゃないと、思いながら生きていけるように。


*1:世に数多ある羊グッズに付与される「どのくらい羊の魅力を伝えているか」を現す指数