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2006-09-26

1歳と33日目 書類審査通過 1歳と33日目 書類審査通過を含むブックマーク

応募していた某職種への転職に関して、書類審査の結果、合格との通知が来た!

すげぇ俺(笑)

さっそく週末に面接だと。

面接も通ったら人生変わりそうだぞ。年収上がるしな。

でも、忙しくなってしまうんだろうなぁ。

職場には当然まだ伝えていない。

今のプロジェクト内のパワーバランスを徐々に変えていかなきゃ。

早ければ年内に「さようなら」かも知れない。

上司は怒るかなぁ。怒られればサラリーマン冥利に尽きるって奴だけど、「あ、

そう。がんばって。引継ぎちゃんとやってってね」なんて言われたらショックだ

ろうなぁ。

昨日は週末の面接用に慌てて鞄とスーツを探しに行った。

東京駅大丸有楽町西武阪急・・・イマイチ

今日日本橋三越高島屋あたりを当り、幕張アウトレットも一応チェック

だな。

天気悪いし平日だから掘り出し物あるかもしれないし。

鎌倉のみんなは順調らしい。

少しずつ事務処理をこなしていっているので、今週中くらいには殆ど完了できそ

うとの事。

やっぱり、年金生命保険が面倒くさそう。

かみさんとデビは快調そのもの。

買い物中にかみさんからテレビ電話かかってきてたのに気が付かずに、後で新橋

駅から慌ててかけたらデビはもう寝てしまっていた。悔しい・・

鎌倉が気になるんだけど、週末の面接に向けた準備しなくちゃいけないし、10月

情報処理系国家資格試験勉強もしなくちゃいけないしで、今週は一人でい

たほうが良さそうなので、独身状態を続ける事にする。

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2006-09-25

yasbay2006-09-25

1歳と28〜32日 遺族の仕事 1歳と28〜32日 遺族の仕事を含むブックマーク

写真は、由比ガ浜サーファーの良し悪しを厳しい目で見極めるデビ。

今日からようやく出社できた。

会社の規定で、配偶者の父母の忌引として3日間休めたのが助かった。

亡くなった後、かみさんとお義母さんも加わってお義父さんにお気に入りの服を

着せ、葬儀屋電話して遺体を迎えに来てもらった。

お義母さんがお義父さんと一緒に乗り、僕とかみさんとデビ、お義兄ちゃんがも

う一台で葬儀屋に移動した。

お義母さんの希望で、葬儀屋へ向かう途中、自宅の前で一度停車してもらえたら

しい。

昔と違い自宅での通夜は困難なため、せめて自宅の前に停めてもらえたのが何よ

りだったと思う。

葬儀屋との打ち合わせは本当に段取り良く終わった。

幸いにも僕は葬儀に関わった経験が無かったし、葬儀屋とのトラブルみたいな事

も良く耳にしていたので、斜に構えて打ち合わせに参加したんだけど、段取り良

く、遺族の気持ちもきちんと汲んでくれ、余計なものを勧めないその姿勢に本当

に安心して任せることができた。

この日は、通夜告別式の日時、ホールの大きさ、おときのお店を決めた。

おときの際に、繰上げ初七日を行うとの事。

何のことかと思い聞いたら、本来は亡くなった7日目に行う初七日の法事を、火葬

の後のおときの際に、お店の中で繰り上げて行うというものらしい。

いかにも日本らしいなぁと少しおかしみを感じた。

葬儀屋との打ち合わせが終わったのが21時過ぎで、僕はそこから礼服やデビの日

用品、かみさんパールネックレスや数珠等を取りに千葉に帰った。

千葉の自宅に着いたのが23時過ぎ。

礼服やら何やらをバッグに詰め、冷蔵庫の生もので消費期限の近いものや傷んだ

野菜を捨て、植木に水をやり、翌日が新聞回収日だったので溜まりに溜まった新

聞を紐でしばり、洗濯して部屋の中に干して、部屋を掃除して床についたのが3時

過ぎ。

翌6時に起床して準備し、9時からの鎌倉葬儀屋との打ち合わせのために7時過ぎ

電車に乗り、鎌倉へ。

正直しんどかった。

9時からの打ち合わせでは、霊柩車の種類、会葬お礼の印刷数から、写真の額縁、

祭壇の飾りに至るあらゆる事柄を決めていった。

11時頃に打ち合わせが終わり、かみさんとデビ、お義母さんは細かい用事のため

買い物に、僕はお義兄ちゃんに付き合って礼服を買いに出た。

平成寅さん状態のお義兄さんは礼服を持たず、お金もあまり無いと言うのでコ

ナカに行った。

礼服ですら本当にピンきりだったので、かなり安めのものをチョイス。

すそ上げしてもらっている間に、お義兄ちゃんお勧め家系ラーメン「一六家」

に昼ご飯食べに行った。

家系は本当に久しぶりだったので楽しみだったんだけど、正直美味しいとは思え

なかった。

多分僕が年取ったせいなんだろうけど、とにかくコッテリし過ぎと言うかしつこ

くて、胸焼けしてしまった。

礼服とって家に帰り、ちょっと仮眠していたら、デビの体調が悪化していた・・

いつもの自家中毒。大量に吐き、ぐったりし、熱がある。

「ここでなるか・・」と正直グッタリしてしまった。

うちの実家の両親に早めに来てもらい、デビを見てもらえることになったのは本

当にありがたかった。

このため、両親は通夜準備中の斎場に行ってもらい、お義父さんとの別れを御

願いした。

到着した両親は、バッグに私服を持ってきていた!鼻からデビを家で面倒見るつ

もりだったとの事。何と言う心配り。涙が出そうになった。

通夜にはたくさんの人が来てくれたけど、なかでも僕とかみさんの共通の友人の

何とたくさん来てくれた事か。

20人は下らなかった。本当にありがたい。10代の頃からの付き合いなので、みん

なお義父さんにも会った事があるし、中には酒を飲んだ奴もいる。気持ちのある

弔問に、かみさんも涙が止まらない様子だった。

大学体育会某部に所属していたお義父さんの友人も多数見えた。

現役の学生が二人、部の旗を掲げに来てくれていた。

祭壇横に飾ってもらった。

しめやかに通夜は執り行われ、滞りなく終了した。

少し早めにかみさんが帰宅し、デビの様子を見に行った。

両親は、僕やお義母さんの帰宅の前に豊洲に帰っていった。

顔を合わせるとお義母さんが色々気を使うだろうから、との心配りだったそうだ

。いよいよ頭が下がる。

デビは絶不調で、その晩かかみさんも僕も殆ど寝れない状態だった。

翌日は告別式

また両親がデビを見に来てくれた。

今度は最初から私服で。告別式に出席してもらえないのが残念だったけど、なん

にしてもありがたい。

告別式にも友人が多数来てくれ、粛々と執り行われた。

それまで僕は不思議なほど涙が出なかった。

亡くなった際も、その後の一連の式の中でも。

頭は常に次の事を考え、残された3人のフォローに徹した。

親族とのやり取りの中で、笑顔さえ見せていた僕を冷たいというか事務的な人間

と思った人がいたと思う。

僕も自分自身を「そういう人間なのかなぁ」と客観的に見ていた。

お棺に蓋をする際、一気に崩れるように嗚咽がこみ上げてきて、どうにも止まら

なくなってしまった。

悲しいとか、寂しいとか、思い出が蘇って来てとかではなく、ただ頭の中が真っ

白のまま、嗚咽が止まらない状態。初めての体験だったと思う。

思わず裏に行き、落ち着くまで一人になる必要があったほど、それは激しかった

冷静になって戻ると、いよいよ出棺。

泣き出す人が多い中、僕は火葬場までの配車割りに奔走し、親族を次々に車に詰

め込んで、お義父さんの大学の友人をワゴンに詰め込んだ。

お義父さんの大腿骨は見事の一言。

火葬場からおときをいただくお店に移動し、繰上げ初七日を執り行い、おとき。

一連の弔事が完了しつつある安堵感から、結構な量のお酒をいただき、親族と語

り合っていたら、大学の友人からお呼びがかかる。

完全に酔いが回った既におじいちゃんになった友人達は、僕を座らせるなり「君

が、あいつの自慢の婿さんか」と言ってきた。

何のことか、多少はにかみながら聞いていると、お義父さんはその友人達と飲む

たびに、僕と釣りにいった話、酒を飲みに行った話を嬉しそうにしていたとの事

「誰々はお前の事何々って言ってたよ」と人づてに聞くのは、良い話にしても悪

くても興味深いものだけど、これはかなり嬉しかった。

と同時に、色々約束していた事が実現できなかったことを思い出し、非常に寂し

い思いにも駆られた。

おじいちゃん達は、大いに僕との酒席を喜んでくれ、また飲もうとも言ってくれ

た。本当に心が温まった。

同じ年の従兄弟の一人から、昔と違って兄弟の少ない世の中になり、有事の時は

兄弟や子供だけを頼るのでは事が回らなくなる事があると思う。今後は従兄弟同

士、連絡を密に取って行こう、との申し出を受けた。まさに望むところ。

おときも終わり、みなさんが三々五々で帰って行き、僕たちを実家に帰った。

程なくして花屋さんが簡単な祭壇を作りにきてくれ、お義父さんの書斎に祭壇が

出来、6月の再入院以来6ヶ月ぶりにお義父さんが帰ってきた。

デビは相変わらず不調。うちの両親も疲れたことと思うけど、それを見せずに早

々に帰っていった。

本当にありがたい。

この夜もデビの不調のため、僕とかみさん睡眠は断片的。

翌日は完全休養日、と言いたいところだったけど、銀行のお義父さんの口座が一

時的に凍結される可能性があるため、諸手続きの道筋だけはつけたかったので、

各種公共料金の名義変更や、年金健康保険等の必要書類の取り寄せだけはやっ

ておいた。

その日の遅くにようやくデビが2日ぶりに笑顔を見せ始め、土日は完全復活。

19日にお義父さんが亡くなってから、体調を崩していた間もまともにデビの相手

をしてやってなかったので、物凄い勢いで甘えてきた。

ちょっと置くだけで泣きながらしがみついてくるし、抱っこしてても首にしがみ

ついてる状態。

そんなに寂しかったのか、とかわいそうになったので、とことんベタベタしてあ

げた。僕もベタベタしたかったし(笑)

日曜は本当に久しぶりにかみさん、デビと3人でのんびり鎌倉散歩した。

天気は最高にさわやかで、人手も凄かった。

裏駅や小町通りを散策し、デビの服を衝動買いし、秋の空を眺めながらメンチカ

ツを食べ。

お義母さん、かみさん、お義兄ちゃんは今週も、お寺さんへのお礼、年金の手続

き等引き続き忙しい1週間になると思うけど、できる事をバックアップしていきた

い。

湘南中央病院 緩和ケア病棟 湘南中央病院 緩和ケア病棟を含むブックマーク

本当に素晴らしい施設と、スタッフの方々だった。

設備そのものは、去年に新設された病院という事で清潔そのものだった。

何より素晴らしかったのはスタッフの方々の姿勢。

家族に対しても、ことさらに哀れむのではなく、かといって突き放すのでもなく

、常に受け皿を持って接してくれている感覚。

例えば、昨日と今日の点滴の種類が違った場合、ことさらに説明はしてこないん

だけど、こちらが質問すると、とても明確に答えが帰ってくる。「血圧が低めな

ので、○○を押さえるために××の投与はしばらくお休みします。ただ、××は

痛みを抑える効果があるので、痛みが出る可能性もある。様子を見て××の投与

を検討します」との事。

医師看護士情報共有が完全になされている安心感があった。

病棟には常にボランティアの方もいて、お義父さんとベランダに出たり、ロビー

で過ごす際にもお茶や御菓子を出してくださったり、お義父さんの足をマッサ

ジしてくれたり、床ずれをおこさないように2時間おきに体位を変えてくれたり。

不動産広告で終の棲家という売り文句があるけど、厳密に言えば最期は病院

向かえる人が殆どである今の世の中にあって、これだけ家族患者も救われた思

いのするところもそうそうないのではないかと思う。

放射線と抗ガン剤治療を行い、患者家族への対応もかなりずさんさを感じた病

院から、この病院に転院した瞬間に、お義母さんの心身の重い負担は軽減され、

僕たち家族の気持ちも良い意味で覚悟へ向かえたし、お義父さん自身の苦痛はほ

ぼ取り除かれた。

この日記固有名詞を載せる事は控えてきたけど、これを読んだ人の中に、同じ

ような苦境に立った人がいたとしたら、是非お勧めしたい思いから、載せた。

心が通い、真摯でプロフェッショナルな人々に最期のお世話をしてもらえるホス

ピスだと思う。

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2006-09-19

1歳と27日目 穏やかに 1歳と27日目 穏やかにを含むブックマーク

今日から3連休明けで会社に行く予定だった。

昨日はYシャツに自分でアイロンをかけたし、何かあったときの事をお義母さん、かみさんと話し合って決めていた。

晩御飯は腕によりをかけて作った、栄養満点の鶏鍋。

かみさんが気を遣って買ってきてくれた芋焼酎をちょっと飲みすぎ、真っ赤な顔をしてたけど、お義母さん、かみさんと、ここ数ヶ月を振り返り、選択を誤ってこなかったこと、結果として今入院しているホスピスが本当に素晴らしい事を話して、23時頃就寝。

お酒飲んでたのもあるし、今日から出勤予定だったのもあって、僕はお義父さんの部屋に寝ていた。

朝5時、電話の呼び出しが鳴ったと夢の中で思い、ガバっと目が覚めたように思い、布団を剥ぐと、やっぱり目が覚めていて、電話が鳴ってる。

暗い時間なので、「まさかなぁ」と夢の続きの頭で思い、「!!!」と半分起きた頭で思い、とにかく子機を掴んで電話に出た。

病院からだった。

遅れて部屋から出てきたお義母さんに代わる。

お義父さんの呼吸が荒くなって、危険な状態なのですぐに来いとのこと。

20分で全員用意を済ませ、まだ夢の中のデビにミルクをあげながら車に乗り、病院へ。

車中、お義父さんの兄弟を中心に、方々へ連絡しながら、朝焼け江ノ島の向こうに富士山が見える絶景をぼんやり眺めながら病院へ向かった。

病院へ付くと、お義父さんの状態は小康状態だった。

就寝状態から起床状態への交感神経の切り替え時というのが、危険なタイミングらしく、何の病気でも早朝に亡くなる事が多いのはそのせいらしい。

お義父さんも危険な状態に陥ったものの、まずはこの切り替えのタイミングは乗り切った様子だった。

7時頃から続々と親族が集まってきて、みんな神妙な面持ちでベッドを囲むものの、小康状態のために変化は無く、かといって既に意識の殆どないお義父さんと言葉を交わせるものでもなく、呆然と2時間ほど時間が経った。

そのうち、とにかくみんな近所にいるため、一度自宅に戻ってもらい、何かあったら連絡して駆けつけてもらうことになった。

これが決定した時点で8時過ぎ。

僕は出社に間に合わないため、急遽休みをもらうことにした。

このホスピスには家族室が備わっており、布団を敷いて休むこともできるため、独断で利用を申し込んで、かみさん&デビを休ませることにした。

その間にお義母さん&お義兄ちゃんは、お義父さんの死亡が確認されると遺産となってしまい、取り扱いが一気に面倒になる銀行口座からの当座の出金や雑用のため病院を離れた。

お義父さんの病室には僕が一人で残った。

お義父さんの口には酸素マスクが着けてあるけど、想像してたよりかなり簡易なシステム

病室のソファーベッドに横になりながら、会社と取り急ぎのメールのやり取りをしながら付き添う。

時折看護婦さんが入ってきて、痰を取ってくれたり、点滴をチェックしたり、血圧や脈拍をとっていく。

それまで呼吸のたびに当然のように膨らんでいた胸が、膨らまなくなり、肺でというより、喉で呼吸するようになった。

それを確認した看護婦さんが、「呼吸が浅くなって、血圧も落ちてきたので、ご家族の方を呼んでください」と。

改めて親族電話して来てもらったのが13時過ぎ。

考えてみると、10時過ぎから13時近くまで僕が一人で付き添っていた。

お義父さんの容態は徐々に死に近づきつつも、急な変化は無く、みんな病室を出たり入ったり。

僕とかみさんもデビが騒ぐたびに出たり入ったり。

16時の医師の診察により、「離れないでください」との事。

一同、ベッドの周りに詰め、殆ど口を聞かずに見守った。

ふと僕は「お義父さんが幸せだ」と思った。

3人兄弟の末っ子のお義父さんは、順番で言えば兄弟を看取った最後のはずなので、自分の最後の時には本来見守ってくれるはずのないお兄ちゃん達に見守ってもらえてる。

それこそ別途の周りには10人がいて、最期を看取るために集まってくれたのは、ある意味幸せだと。

そして、数十分後。

少しずつ呼吸が浅くなっていき、最後はフッと、まるで蝋燭を吹くような息をしてお義父さんは亡くなった。

本当に穏やかに、全く苦しんでる様子もなく、顔も本当に穏やかな最期だった。

本当に蝋燭の火が消えるような最期だった。

その後、病院側との事務的な対応は全て僕が行った。

お義母さん、お義兄ちゃん、かみさんのフォローしかできない。それしかできない。

明日から、家族を亡くした家族に多大な負担のかかる一連の時間が来る。

今はとにかく裏から最大限に支えていくしかない。

うちの両親も心温まる本当に気配りを感じる申し出をしてくれた。ありがたい。

弟からも心のこもったメッセージをもらった。ありがたい。

お義兄ちゃんから腹を割った気持ちを聞けた。ありがたい。

会社上司も最大限の理解とフォローをしてくれた。ありがたい。

そして、かみさんから、辛いだろうに、心からの感謝の気持ちを伝えられた。ありがたい。

明日はこれらの思いへの恩返しのためにも、お義父さんの最期の最期を飾るお手伝いをしたい。

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2006-09-18

1歳と23〜26日目 通院の毎日 1歳と23〜26日目 通院の毎日を含むブックマーク

金曜は客先から直帰。上司も今の状態に理解を示してくれ、うるさい事言わなくなったので有難い。

そのまま鎌倉に。

昼間にかみさん&お義母さんがお見舞いに行ったところ、お義父さんが比較的高い発熱と、肺の片方が機能不全となったために、呼吸も苦しくなり、万が一といった状態に見えたため、僕も夕飯後にかみさん病院へ。

途中、ギネスビールを一缶買って深夜の病室に入った。

ギネスビールは、まだ学生で、20歳を過ぎた頃にかみさんの家で晩御飯をご馳走になったとき、お義父さんと初めて一緒に飲んだお酒だった。

男兄弟で生まれ育った僕にとっては、「彼女のお父さん」ってのは本当におっかないイメージしかなくて、晩御飯をご馳走になるっていっても、ある意味プレッシャーというか、負担でしかなかった(笑)

ところが、お義父さんはおもむろにギネスビールを出してきて、普通ビールと混ぜてハーフハーフにしながら「これが好きなんだよ」と僕にも注いでくれた。

これが妙に嬉しくて、今でもはっきり覚えている。

病室に入ると、お義父さんは酸素マスクを着け、呼吸の度に胸が上下するほど苦しそうだった。

酸素マスクの内部が吐く息のために、呼吸の度に白く曇る。

この前までは、デビの声に笑顔を見せたし、僕の呼びかけにも声に出して答えてくれたが、もう声はまったく聞けない。

かみさんにお願いして少しの間二人だけにしてもらい、ギネスビール飲みながら話し掛けた。

目がうっすら開いて、話し掛けているのが僕であること、話し掛けた内容はわかってくれたみたいだった。

「また長兵衛(鎌倉居酒屋)に飲みに行きましょう」と手を握って話しを終えた。

この3連休はずっと鎌倉にいる。

昨日は僕の弟夫婦が仙台からお見舞いに来てくれた。

弟の奥さんは妊娠6ヶ月のお腹を抱えて来てくれた。うちの両親も。ありがたい。

いよいよっていう具体的準備にも取り掛かり始めた。

病院から帰る時の洋服を準備して、斎場も具体的に調べて、必要な手続を確認して。

ホスピス医師の説明では、今月一杯持てば、との事。

とにかくお義母さん、かみさんを、しっかり支えねば。

デビはいたって元気で可愛くて、それが何より全員の癒しになっている。

毎日くしゃくしゃの笑顔で純真に反応する様は、ともすれば天使とも思えてしまう。

こんな時だから一層思うんだけど、本当に本当に生まれてきてくれてありがとう。

パパもママも、おばあちゃんも、そして病院のおじいちゃんも心からそう思います。

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2006-09-14

yasbay2006-09-14

1歳と22日 独身生活 1歳と22日 独身生活を含むブックマーク

写真強羅の月夜。

昨日は午後から上司と二人で、某アウトソーサーに対してビジネスアライアンスの提案に行ったんだけど、若いくせに全くもって頭の固い連中と不毛な議論を交わし、大きく落胆して新橋駅前の喫茶店に行き、「もうやる気しないし、差し迫った仕事もないので帰りしょう」と。

16時前に会社で気の効く若い奴に電話し、「18時過ぎになったら、僕ら帰るって言ってたって課長に伝えて」と伝え、帰ることにした。17時過ぎには地元の駅に着いたため、いそいそとビールやら枝豆やら生ハムやらサラダやらを買い込み、明るいうちに誰もいない家に帰宅。

こんな時間に終わるんなら鎌倉に帰って来いと言われかねないので、かみさんには早く終わったとは言わずにいた。

一人の時間がむしょうに欲しかったので。

家に着き、シャワー浴びて、涼しかったから窓開けて、素っ裸でビール飲んで、枝豆茹でて、冷凍庫から味の素冷凍餃子を引っ張り出して焼いて、またビール飲んで。

テレビ付けたんだけど、どれもこれもくだらなくて面白くなかったので、PCに貯めに貯めた映画200本近くが入ったフォルダを画面一杯に開き、目をつむってワイヤレスマウスクリックしたタイトルを見る、という、所さんダーツの旅みたいな事やって映画見た。

バックトゥザフューチャーパート3を見て、ブリジット・ジョーンズの日記を見て、「さよなら銀河鉄道999」が選ばれた瞬間ひらめいた!

これ、携帯用に変換して明日の通勤時に見よう!と。

さっそく「携帯動画変換君」を使って「さよなら銀座鉄道999」を僕の携帯FOMA N900is用に変換し、miniSD転送し、携帯で見れる事を確認した。

やった!帰りの電車では城達也の名ナレーションが聞ける!

通勤の準備が完了したところでかみさん電話

今日ホスピスに親戚が何組か来てくれたらしい。

気にはかけてくれているのは分かるけど、肝心な時には来ないで口だけ出すって人も多いので、お義母さんも参っている様子。

僕がそんな場面に遭遇した場合は、僕は結構割り切って振舞うようにしている。

かみさんは、僕がもらい、今やかみさんの親戚から見たらかみさんは他家の人。

で、その他家の主が僕。

他家といいながら義理の親戚でもある人が言う事は中々無下にはできないので、かみさんやお義母さんの気持ちを代弁する形で、敢えて口を挟み、聞く耳を持たせる。

「まぁ、○○さん(僕の事)がそう言うなら」という空気を作ればしめたもん。

何もかみさんの親戚内でイニシアティブを取ろうとは露ほどにも思っていないし、取らせてくれるほどヤワな人たちでもない(笑)

長年の付き合いで言いたいことを言い出せずに、それがストレスになってしまっているような時に、口うるさい他家の人に振りして、代弁する。

これって結構正義の味方っぽくて気持ち良いし、まだまだ自分の親戚の中ではヒヨっ子扱いされるのに対して、「○○さんが言うなら」みたいに一端に扱ってくれるので気分が良い。

デビは絶好調みたい。

実家に行くと自家中毒になってばかりいたんだけど、今回は箱根旅行やら、連日の病院通いにも関わらず、健康そのもの。

少しずつだけど、体も丈夫になってきてるんだと思う。

残念ながらもう寝てしまっていたので、声は聞けなかった。

会いたいなぁ。

かみさんとの電話を切って、ヨーグルト食べて、パンツTシャツ着て寝た。

N900is動画映画)を見る。 N900isで動画(映画)を見る。を含むブックマーク

必要なもの:

・「携帯動画変換君」(窓の杜からフリーDL

miniSDカード256MB(N900isで使えるminiSDカードの容量は256MBまで。アキババルク品で1300円程度)

携帯用イヤフォン(100円ショップで売ってる)

映画ファイル(AVIファイル形式限定)

事前準備:

1、携帯動画変換君(以下変換君)のiniファイルをちょっとカスタマイズする。

default_settingフォルダ内のTranscoding_3GPP_AAC.iniを開き、テキスト内の「320x240」と書いてあるところを、全て「176x144」と書き換えてやり、上書き保存する。

N900isで再生できる動画サイズが176x144であるため。

2、変換君の設定

setup.exeを開き、設定ファイルセレクター画面の上から3つ目の「3GPPファイル,音声AAC形式一般設定」という設定を選択する。

N900isの場合はこの設定が合っている。

3、miniSDの準備

新しいSDカード差した場合は、適当にその辺の風景を1秒でいいから撮ってSDカードに保存した後、携帯から抜き、PCに差す。

実際の変換作業:

1、変換君を起動する→3GP_Converter.exe

2、変換するAVIファイルを空白欄にドラグする前に、プルダウンメニューで、「QVGA標準画質15fpsステレオ」を選択し、出力先ディレクトリを確認し、その上で、変換するAVIファイルを空白欄にドラグする。

3、変換されたファイル「***.3gpp」を、miniSD内の\SD_VIDEO\PAL001内にコピーし、ファイル名を「MOL001.3gp」(MOL001の001を適当な数字に変更する)に沿った命名方式で変更する。

以上で完了。

再生される画面が小さいので、日本語字幕は読めない。

よって邦画、もしくは日本語吹き替え限定なのがたまに傷だけど、十分楽しめる。

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2006-09-13

1歳と13〜21日 夏休み 1歳と13〜21日 夏休みを含むブックマーク

日記大分穴が空いてしまった・・・(苦笑)

先週水曜に久しぶりにジムに行った。

・・・吐くかと思った。ちょっと間開けるだけで体って鈍るもんだなぁと改めて思い知らされた。

、と同時に、ちょっと前までこのメニューをこなせていたんだ、と自分の事ながら驚き、かなり喜んでしまった。

引き続き定期的に通って行きたい。

何回かに1回は某アイドルの子にも会えるし(笑)

今週11,12日と夏休みが取れたので、それを利用して久しぶりに3人で鎌倉帰省することにした。

先週金曜にかみさんとデビが昼間に移動し、僕は仕事帰りに久しぶりに横浜に寄って旧友と飲んで帰った。

フライトアテンダントになりかった(けどなれなかった)、ポンジョ出身のお嬢様なその旧友は、外資証券会社ディーラーサポートとしてパリパリ毎日0時ごろ帰宅する、素敵な?独身女性

共通の先輩が板長を務める西口居酒屋に行って、久しぶりの再会に乾杯した後、お決まりの近況報告だったんだけど、彼女の話にポカンとなってしまった。

物凄く早口になっていたし、証券業界専門用語で、しかも英語の単語がふんだんに散りばめられたその内容は、全くもって理解できなかった。

ポカンとなってしまった理由は、僕が理解できないという事に気付かずに話を続ける彼女のあまりの変わり様のせい。

最初は「ガス溜まってるんだなぁ」と、ある程度しゃべらせてやろうと聞いていたけど、たまらず途中で話を切り「おいおいおい」と。

それからは、軽く説教交えながら僕がどんな風に感じたかを滔々と伝えた。

彼女は深〜くため息を付き、「弟にも同じ事言われた」と。

そりゃそうだ。

仕事スピードは早く、常に市場情勢に目を光らせ、同僚は皆ライバルで、英語漬けのストレス、毎日0時過ぎに帰宅・・・

今の彼女の状況を端的に並べるだけで、これで平常な神経でいられたらかえって気持ち悪いわ、と。

仕事面白いなら続けりゃいいし、辞めたいならやめればいいし、だけど旧友を会う時はそれを楽しむことを意識しなきゃ、と伝えた。

酒も入ったし、話の内容が結構沁みたみたいで、彼女がかなりウルウルし始めてしなだれかかって来たので、こりゃまずい、と高校時代からの親友がやってるバーに移動。

どんなに久しぶりに突然行っても、何の気兼ねもなく、あれ?先週も来たっけ?

みたいに迎えてくれる、最高のバーだと思う。安いし(笑)

酔っ払い始めたお嬢彼女は、実は高校時代にそのバーやってる友達を好きだったので、カウンター越しに彼と話しながら気持ち良い思い出に浸っていた。

終電が近づいたので横浜駅に向かいながら歩いている頃には、こころなしかスッキリしたいつもの柔和なお嬢彼女に戻っていた感じがして、「○っちゃん、その顔だよ」って言ったら、「ありがとう!」と長い髪をなびかせてヒールをカツカツ言わせながら颯爽と相鉄線の改札に消えていった。

いやはや素敵な女性になったなぁ。

、と眺めていたら、というのは冗談だけど、僕は終電逃してしまったので、根岸線大船行って、かみさんに迎えに来て貰ってしまった。

今日飲んだ旧友は、もちろんかみさんとも旧友で、旧友の忙しさに心配していた。

土曜日は、お義母さんも一緒に4人でホスピスへ。

初めてホスピスに行った。

施設自体は本当に綺麗で、清潔そのもの。

スタッフの方も、病院関係者に加え、ボランティアの方もたくさんいて、みなさんが患者とその家族サポートしてくれる、という体制がばっちり整えてある。

ここまでとは、正直驚いた。

完全個室の清潔な病室で、寝たきりのお義父さんが床ずれを起こさないように2時間ごとに体位を変えてくれたり、天気のいい日はベットごとベランダに出して外気に触れさせてくれたり。

とにかく「何でも気が付いた事は言ってください」という姿勢がありがたい。

お義父さんの意識は、時折はっきりしたり、遠のいたり。

前に入院していた病院にはデビを連れて行けなかったので、実に3ヶ月ぶりにデビを会わせる事ができた。

そこである種の奇跡が起きた。

お義父さんは、前の病院での放射線治療開始とほぼ同時に完全に寝たきり状態になってしまい、おむつ&カテーテルを着けた状態。

しかもホスピスに転院する間際には飲食物を飲み込むこともできなくなったので、24時間の点滴により水分と栄養を摂取している状態。体の動きも鈍くなってしまい、お見舞いに行って、僕を認識できても肘から下を上に上げて握手できるくらいだった。

それが、デビを連れて行って、デビがキャーと奇声を上げて、お義父さんがそれに刺激されたように意識がはっきして、デビの事を認識した途端!

まったく動かなかった上半身をガバっと半分起こし、両手でベットの柵を掴みながら起き上がろうとし、デビに向かって手を目一杯差し伸べ、表情の消えた顔に笑顔が現れた。

・・・これが本当の癒しなんだなぁ。

お義父さんの体が弱ってしまっている事と、デビが何となく異変を感じてベットに置かれる事を嫌がって暴れたので、お義父さんに抱っこしてもらう事はできなかったんだけど、お義父さんの顔が晴やかになったのを見ることができたのは、お義母さんにとってもかなり嬉しかったみたい。

もちろん状況が好転するわけではないんだけど、明るい事件であったのは間違いなかった。

病院の帰りにかみさん美容院へ、僕は市場に行ってあれこれ買い込んで、料理の腕を振るった。

プッタネスカにやりイカの詰め物を加えたもの、地のわかしのカルパッチョ

女性二人に大絶賛され、いい気分。

夜はたっぷりとデビを遊んだ。

日曜はお昼過ぎに病院に行った後、4人で1泊の箱根旅行に出発!

お義母さんが毎日のお見舞いに明け暮れていたし、それをフォローするかみさん鎌倉千葉の往復で、かなり心身とも疲れていたけど、ホスピスに入れてひと段落できたので、近場だけど温泉でも、と思い立って計画した。

箱根に向かう西湘バイパスは、天気も良くて、相模湾の向こうに大島も見えるし、双子山の向こうに富士山も見えるしで、最高のドライブだった。

途中、箱根湯本で軽く蕎麦を食べた。高くてまずかった(笑)

宿は強羅

周りは企業の保養所だらけだったので、日曜に泊まる人も少なく、とても静かで山深く、落ち着いた宿だった。

デビは初温泉

お湯の温度が結構高めだったので、湯船にはあんまり浸かれなかったとの事なので残念だけど、湯上りにテラスに出たら涼しい風が吹いてきて、秋の虫の声と、夏の最後のセミの声が静かに聞こえてきて、デビもとても気持ち良さそうにしていた。

お義母さんもかなりリラックスしてて、もうべったりとデビと遊んでくれた。

デビも大喜び。

晩御飯はしゃぶしゃぶ!あまり期待してなかったんだけど、思っていた以上に香りのある美味しい肉で、3人とも大満足だった。

デビ用にかみさんレトルトタイプ離乳食を買っておいたので、宿の人に頼んで温めてもらい、食べさせようとしたんだけど、一口口に入れて「ブベェ〜」と吐き出してしまった。

念の為、他の種類のものも温めていたので食べさせたけど受け付けず。

仕方がないので、大人用の食事の中から、お吸い物の出汁や、煮物のガンモしゃぶしゃぶの野菜なんかをあげると喜んで食べる。

そんなにまずいのかと離乳食を食べてみたら・・・まずい!!

こりゃまずい。子供だと思ってバカにするなと言いたい(笑)

しかし、この先を考えると、美味しいものが分かるようになって嬉しいものの、何でも文句無く食べる子にするには多少厳しい躾が必要かも、と感じた。

部屋が居間と洋室、和室とスウィートタイプだったので、ベットでお義母さんに寝てもらい、和室で我が家3人で寝ることにした。

で、デビも寝付いて、温泉に入ってお腹も一杯でよい気分で寝る直前、ちょっとしたサプライズプレゼントを計画していた。

22時に、マッサージを同時に2名予約しておいた。

マッサージの人が入ってきた時には驚いていた二人も、いそいそと布団に横になり、マッサージが始まると無言になってしまった(笑)延長までしてもらい、二人ともフニャフニャになったところでお休みなさい。

翌朝気持ちよく目覚め、朝から目一杯ご飯を食べ、出発。

二人ともすっきりした顔していたので、僕としても満足。

芦ノ湖箱根神社にお参りして、箱根ホテルで昼食を取った。

宮ノ下富士屋ホテル系列の箱根ホテルには初めて入ったけど、とても綺麗だし、昼食はビュッフェスタイルだっだんだけど、2500円と良心的だし、内容もかなり充実して美味しかった。

デビにも色々配慮してもらえたし、落ち着いて食事ができたのが何より。

14時前に箱根を出発し、病院へ。

18時頃に家に着いたんだけど、かみさんとお義母さんは結構疲れたみたいだったし、デビはぐっすり寝ていた。

一念発起して、晩御飯は僕が作ることにした。

旅行中、カロリー高い物食べていたので控えめに、と思い野菜中心のメニューを、と考えていたら、何故か夏野菜カレー(笑)

でも、まったく肉類を使わなかったし、野菜たっぷりだったし、即席でガラムマサラも作ったし、友達のイエメンのお土産のカレースパイスもふんだんに使った、さっぱりしつつ本格的なカレーにできた。

たっぷり食べてお休みなさい。

火曜日は、午前一杯ゆっくり休んで、午後から病院へ。

帰りに車から西松屋が見えたので行って見ようと寄ってみてびっくり。こんなに安いとわ!!!

夏物の処分セールと相まって、びっくりする位買い込んでしまい、びっくりする位安かった。

お出かけ用にはちょっとだけど、部屋着としては十二分に満足できるデザインと品質だった。

家の近所にも有ればよいのに。

デビはこの鎌倉帰省中に色々な事を覚えた。

まず「いい子いい子」。最初はぬいぐるみにやってたんだけど、昨日から僕にもやってくれるようになった。

今朝なんか、いきなり頭にぺたぺたやってきて、それで起こされて目を開けるとデビがニコ〜と笑いながら僕にいい子いい子してくれていた。

父性本能をMAXまでくすぐられてしまい、早朝から「おはようちゃ〜ん」と大声上げて抱きしめてしまった(笑)

次にかくれんぼ

僕が床にあぐらかいて座っていると、まず僕の腕から肩に捕まりながら立つ。

で、僕の背中側に伝え歩きしていって、僕が「あれ?どこいった?」と振り向くと「キャッキャ」笑いながら振り向いた方と逆に逃げ、逃げた方に振り向くともっと大きな声で笑いながら逆に逃げる。

これもかなり可愛すぎ。

次にいないいないばぁ。

車でベビーシートに座らせて、隣に座りながら「いないいない」といいながらデビと逆の方を見て「バー」といいながらデビに顔を向けて笑わせて遊んでいたら、僕が「いないいない」と言ったら、デビも向こうを向くようになり、「バー」と言うとき「あー」と言いながらこっちを見るようになった。愛い奴め。

そんな成長を遂げ益々可愛くなって目が離せなくなったデビとかみさん鎌倉に残し、今週一杯は独身状態。

ジム行きまくろうっと。

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2006-09-04

1歳と10〜12日  1歳と10〜12日 を含むブックマーク

金曜はジムるはずだったのに・・・

学生時代のゼミの同期と急遽飲んでしまった。

やっぱ楽しかったなぁ。

独身って羨ましいなぁ。

結婚してて良かったなぁ(笑)

土曜は二日酔い歯医者

「昨日は大分お酒を召したんですね」と若いかわいい歯科助手女の子に「召した」なんて言われても、「ハァ、すいません、臭いですよね」としか返せない体調。

治療の合間にウトウトしてしまう始末。

最後に歯石を取ってもらったんだけど、かなりツルツル&白くなったので気分が良い。

歯医者出るタイミングかみさん&デビを待ち合わせて、近所のスーパー公園散歩

土曜は超気持ちの良い天気&とても綺麗な夕焼けたっぷり楽しみながらノンビリ散歩した。

デビは肩車が超お気に入り。

まだ足だけつかんでってのは無理だから、デビの腰を両手で持ちながらなのでこっちは結構辛いんだけど、キャッキャ言って楽しんでるので、お店のガラスとかに僕らを写して、デビがどんな様子なのか確かめては、親が満足したり(笑)

日曜はお義父さんのお見舞いに僕が向かった。

お義母さんのためにかみさんが作った大量の食べ物を抱えて。

お義父さんの状態は大分悪かった。

殆ど口はきけない状態。

でも、放射線治療中よりは良い。

治療中はとにかく辛そうで、植物人間に近い状態に見えたんだけど、昨日は僕の話しかけた内容を理解してくれていたし、時折笑いもした。

仕事の事、かみさんとデビも事、弟の転勤が決まったこと、僕らの住処が変わるかもしれない事等々。

ちゃんと話を聞いてくれた。

医者からは、お義父さんが悲観的な事(もう駄目だ、とか今までお世話になって・・等)ばかりを言っていたと聞いていて、昨日も顔をしかめながら「もう・・・」と言いかけていたけど、「今は我慢の期間。気持ちを強く持ってとにかく我慢して」と伝えた。

お義父さんも僕の手を握りながら「ウン、ウン」と頷いていた。

帰りの道でお義母さんと話しながら、とにかく早くホスピスに入ってもらって、痛みから解放されて欲しい、と。

既に病院での治療は全て完了しているので、状態が好転することは今のままでは有り得ない。

ホスピスでは痛みをコントロールしてくれるので、脳腫瘍の状態は変わらないものの、痛みのストレスから解放され、それに伴って脳の活動自体が改善する事もあるとか。

少しでも楽に、正常に過ごして欲しい。

帰りの電車ではさすがに疲れてドップリと寝てしまった。

ホスピス入院決定 ホスピス入院決定を含むブックマーク

今日昼にかみさんから連絡が入り、お義父さんのホスピス受け入れが決まったとの連絡が朝一にお義母さんに入ったとの事。

良かった!!

明日の朝一に転院すべく、お義母さんは今の病院退院手続き、移送の手配等に追われたとの事。

かみさんも転院に付き添うため、今日は僕ら一家はうちの実家に泊まることになった。

明日はお義兄ちゃんも来てくれるようなので一安心。

後は、介護保険の認定結果を待つばかり。

お義父さんの病状は改善の余地は無いものの、家族にとっては深刻な悩みだった現状から少しずつ開放され、好転しつつあるので、本当にホスピスの受け入れ決定は有りがたいかぎり。

明日入院する病院は今の病院よりも近いし、お義父さんの痛みが和らぐであろう事から、お義母さんの心身の負担がかなり軽減されるであろう事が何より。

明日か明後日には僕も帰りにお見舞いに行こうと思う。

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2006-09-01

1歳と9日 復活 1歳と9日 復活を含むブックマーク

昨日は21時頃帰宅。

デビは・・・復活してた(笑)

社宅の階段登ってる時にデビの泣き声が聞こえてきたんだけど、病気中の搾り出すような泣き声じゃなくて、明らかにかみさんに不満をぶつけている声だったので、安心して家に帰ったところ、さっきまで泣いていた涙だらけの顔がこっち見て、ニヤ〜っと。

風邪ではなかったし、病気風呂に入れてなかったから、いい加減デビから芳しい薫りがしていたので一緒にシャワーを浴びる。

シャワー後は、より元気になって久しぶりに離乳食バクバクと平らげた。

確かに、風邪とかの病み上がりのちょっとカロリー高めのご飯ってうまいよね〜。

かみさんにも余裕が戻り、晩御飯は僕が晩酌するのを見越したようなメニュー。

タコに辛味噌付けて串にしてねぎまの様に焼いたのとか、茄子こんにゃくを煮物、枝豆等々。

初めて「蕎麦焼酎 雲海」を買って飲んでみた。まぁまぁかなぁ。

「紅乙女」という福岡のごま焼酎を飲んだ時の感動ほどではなかった。

やれやれ、なんて話しながら22時にデビを寝かしつけに寝室に行ったら、一番最初に僕が寝てしまったらしい。

しかも、それを今朝聞いて知った。

22時から7時まで9時間近く寝れた。平日なのに。超ラッキー。

おかげで今日は妙に眠い。

土日は歯医者やら、掃除やら、久しぶりに身近な用事を済ます事にした。

まだ取ってない夏休みは9月半ばに取って、1泊か2泊の旅行に行く予定。

千葉に住むのも残り少ないかも知れないので、南房総か、久しぶりに伊豆でもいいかも。

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