山本周五郎作品集

艶書 (新潮文庫)

艶書 (新潮文庫)

山本周五郎作品集」
「もし自分が死ぬ時には、これまで書いた小説のすべてを焼いて、あの世へ行きたい」、「発表するすべての小説は一作一作が遺書のつもりで執筆した」と語った周五郎は、自身に厳しい批評家であったといえる。その為、講談社版版と新潮社版の『全集』に収容された小説は、ほとんどが自身の選択であった。しかし死後、両全集に収められていない小説にも、周五郎は「趣向、盛り上げ、展開、素材などに対する驚嘆すべき多様な創造を心がけていた」という評価から注目が集まった。周五郎の死後50年に当たる今、その一部が収められた本書を紹介する。

山本周五郎作品集」全20回
朗読 : 田中 宏樹(俳優)
テキスト :「艶書」昭和58年(1983年)新潮文庫
【艶書】(えんしょ)
全9回・昭和29年(1954年)「小説倶楽部」5月号
うだつの上がらぬ武士・岸島出三郎は隣家の七重に恋しているが、七重は密かに出三郎の袂に艶書(恋文)を入れて嫁いでしまう。しかし思いも寄らず出世の道を歩むこととなった出三郎は、後に不遇にも離縁されて戻った七重と結ばれる。人生には迂遠なように見えても、その為に時間が必要な場合もある、という作者の思いが描かれる。

【金作行状記】(きんさくぎょうじょうき)
全6回・昭和14年(1939年)「キング」9月号
明石藩六万石の近習番頭・大信田金作の渾名は“鈍牛”であるが、それは表向きの姿で、その実は真の侍であった。藩内の出来事や、主君と家臣(金作)の関係を通して、誠の武士の道を貫く男・大信田金作の姿が描かれる。

【本所霙河岸】(ほんじょみぞれがし)
全5回・昭和14年(1939年)「婦人倶楽部」5月号
道場主を殺害し、その娘を妻にしようと画策する横井千之介は、あと一歩で目的を達成するところまで来ていた。その悪計を、道場主を慕う秋山省吾が見破り、動かぬ証拠をつきつけて見事に師匠の恨みを晴らす痛快劇。

山本周五郎
明治36年1903年)、山梨県生まれ。横浜の小学校を卒業後、東京木挽町山本周五郎商店に従弟として住み込む。大正15年(1926年)『須磨寺附近』が『文藝春秋』に掲載され、文壇出世作となった。昭和18年(1943年)『日本婦道記』が直木賞に推されたが、受賞を固辞。以後、『樅ノ木は残った』『赤ひげ診療譚』『青べか物語』など、次々と代表作が書かれた。昭和42年(1967年)63歳で死去。

樅ノ木は残った(上) (新潮文庫)

樅ノ木は残った(上) (新潮文庫)

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