思いつきのメモ帳

2015-02-22

『帝国の慰安婦』(朴裕河)でひっかかった点2

先行研究の扱い方における不備


 本書でも、能川元一氏が熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:先行研究の扱い方における不備について 指摘している点がそのまま当てはまると思われる。野戦酒保規定改正等の日本軍慰安所の制度的裏付けに触れていない。そのため例えば杉田敦氏の書評のように「戦地への移動手段等を提供した日本政府に構造的な責任があることは決して否定できないが…・・・」というように、日本軍慰安所制度が業者主体的な商行為に便宜を与えたものに過ぎないかのような誤解を招いている。しかし日本陸軍1937年9月29日の「陸軍省 陸達第48号「野戦酒保規程改正」」で慰安所を軍の正式の施設として設置できるように制度を改正している。これにより軍は自ら主導権を持って慰安所の設置を実行し、業者が軍の依頼又は命令を実行できるように移動手段等を提供したのであり、例えば、軍は漢口に慰安所を設置する際には福原や松島遊郭業者に軍命を出して出店させているという。*1

証言や史料の検討が不十分

 本書には上記のような先行研究の扱い方に不備があるほかに、証言や史料の検討が不十分と感じられる点があるので、一例を紹介する。
 筆者は、韓国の人々の怒りを誘うのは朝鮮半島で動員された「慰安婦」はソウルの日本大使館前等の少女像に象徴されるような幼い少女というイメージがあると指摘している。その際、証言集や日本人捕虜尋問報告等から朝鮮半島出身の「慰安婦」は実際には平均25歳くらいの成人女性が多かったと推定している。ここで問題となる年齢は連行時点での年齢が問題になると思われる。しかし、筆者は証言や史料を取り上げる際に連行時の年齢と就業中の年齢を区別せずに取り上げている。

実際には、「わたしが一番幼かったよ。行った人のなかでは。ほかの人たちはみんな二〇歳過ぎていた。(『強制』5、三五頁)、「私たちのところには二〇人ほど残った。彼女たちはすこし年を取っていて、みんな二〇歳過ぎていた。全羅道からも来ていたし、慶尚道からも来てたよ」(同、八七頁)と語っている。本人以外は「二〇歳以上」だったと強調し、元慰安婦たちは、「少女慰安婦」の存在が必ずしも一般的ケースではなかったと話しているのである。

(中略)

まだ戦争中の一九四四年八月、当時のビルマミッチーナー(Myitkyina)で捕虜になって米国戦争情報局の尋問を受けた朝鮮人慰安婦たちの「平均年齢は二五歳」だった(「Japanese Prisoner of War Interrogation Report No.49」、舟橋洋一 二〇〇四から再引用)。そしてある元朝鮮人日本兵慰安婦たちが「二〇、二一歳」だった自分たちより年上で「お姉さん」と呼んでいたと語る(『海南島へ連行された朝鮮人性奴隷に対する真相調査』)

『帝国の慰安婦』p.64


 筆者は連行時の年齢と就業中の年齢を区別せずに平均年齢25歳と推定している。確かに上記引用中前半の証言は連行時の年齢を指すと思うが、後半のビルマ海南島の事例は連行時点での年齢ではなく就業中の年齢を指しているのではないだろうか。筆者は特に「日本人捕虜尋問報告第49号」を参照し朝鮮人元「慰安婦」の平均年齢を25歳と推定している。これは報告書中の「The interrogations show the average Korean "comfort girl" to be about twenty-five years old, uneducated, childish, and selfish. 」という一節を参照しており、確かに一九四四年の尋問時の平均年齢は25歳くらいと言えるのかもしれない。しかし、彼女達がビルマに来たのはその2年前の一九四二年である。しかも、報告書の付録Aに記録されている「慰安婦」たちの年齢からは平均25歳などと結論付けられない。

付録A

 以下はこの報告に用いられた情報を得るために尋問を受けた二○人の朝鮮人慰安婦」と日本人民間人二人の名前である。朝鮮人名は音読みで表記している。

    名  年齢   住 所

 1 「S」 二一歳 慶尚南道晋州

 2 「K」 二八歳 慶尚南道三千浦〔以下略〕

 3 「P」 二六歳 慶尚南道晋州

 4 「C」 二一歳 慶尚北道大邱

 5 「C」 二七歳 慶尚南道晋州

 6 「K」 二五歳 慶尚北道大邱

 7 「K」 一九歳 慶尚北道大邱

 8 「K」 二五歳 慶尚南道釜山

 9 「K」 二一歳 慶尚南道クンボク

 10 「K」 二二歳 慶尚南道大邱

 11 「K」 二六歳 慶尚南道晋州

 12 「P」 二七歳 慶尚南道晋州              

 13 「C」 二一歳 慶尚南道(ママ)慶山郡〔以下略〕

 14 「K」 二一歳 慶尚南道咸陽〔以下略〕

 15 「Y」 三一歳 平安南道平壌

 16 「O」 二○歳 平安南道平壌

 17 「K」 二○歳 京畿道京城

 18 「H」 二一歳 京畿道京城

 19 「O」 二○歳 慶尚北道大邱

 20 「K」 二一歳 全羅南道光州

日本人民間人

 1 キタムラトミコ 三八歳 京畿道京城

 2 キタムラエイブン 四一歳 京畿道京城
http://d.hatena.ne.jp/MARC73/20121001/1363709318


付録Aに記載されている1944年当時の年齢の総和を人数で割っても25以下である。この報告書は、むしろ募集段階において未成年者が多かった証拠になる史料だ。
参考までに『従軍慰安婦』(吉見義明)でこの点について言及している箇所を引用しておく。

(……)捕虜となった二〇名の連行された時の年齢は、一七歳から二九歳までだが、二一歳未満が一二名もいた。(……)
p.95-96


 ちなみに、本書では日本人捕虜尋問報告第49号に言及する際、舟橋洋一の『歴史和解の旅』(朝日選書、2004)からの再引用という体裁を取っており、筆者は原文を確認したのかどうかも疑問である。

 また、280人ほどの慰安婦がいたという漢口の慰安所では朝鮮半島出身の「慰安婦」は十八、十九の若い慰安婦が多かったという証言もある。

 慰安係では、一応慰安婦の実態調査のため、出生府県別(半島は道別)、年齢、前歴、学歴、病歴、家族構成、前借金等の統計をとっておいた。また慰安所の楼主や従業員の簡単な履歴書も整え、管理の上で役立つよう必要資料の整備につとめた。
 内地から来た妓はだいたい娼婦、芸妓、女給などの経歴のある二十から二十七、八の妓が多かったのにくらべて、半島から来たものは前歴もなく、年齢も十八、九の若い妓が多かった。「辛い仕事だが辛抱できるか」とたずねると、あらかじめ楼主から言われているのか、彼女たちはいちように仕事のことは納得しているとうなずいていた。
武漢兵站』山田清吉1978年p.86


現時点の証言や史料では、朝鮮人元「慰安婦」の動員時の平均年齢を推定するのは困難だろう。上述のように、筆者の推定も実証不十分だと思う。

本書全体の論旨、結論部分に賛同の声は確かに良く見られるし、それはまあ読者個々の意見として別に構わないのだが、細部を注意して見てみればこの程度の書籍であるということを指摘しておいても良いと思う。

従軍慰安婦 (岩波新書)

従軍慰安婦 (岩波新書)

武漢兵站 (1978年)

武漢兵站 (1978年)

*1:『武漢兵站』山田清吉1978年p.79

とんちゃんとんちゃん 2015/02/23 08:11 > 「平均年齢は二五歳」だった

1944年8月における平均年齢は23.1才です。そして、この人たちが朝鮮をでたのは、1942年の6月です。

参考資料:http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p061_088.pdf 64ページ

河野守河野守 2015/02/25 17:49 業者のキタムラトミコ (三八歳) と キタムラエイブン (四一歳)を混入させると25歳になるかも知れませんね。
(笑)

yasugoro_2012yasugoro_2012 2015/02/26 02:08 まとめレスで失礼します。
私としては、まあ実際の平均年齢が何歳であったかということよりも、証言や史料を前にして「就業時の年齢」を指すのか、又は「就業中の年齢」を指すのかを区別せずに読んだり、恐らく原文を読んでないのではということがうかがえたり、20年前の新書(吉見さんの本)が到達していた水準に達していない実証面の雑さ加減を問題にしたいところではあるんですが……

wakaba154wakaba154 2015/02/28 03:35 著者が言いたいのは「少女像のイメージ」に唯一化されていることの問題であって、細部の研究が不要と言うのではないでしょう。浅野豊美氏の調査報告にもあるように、当時「親日化」した朝鮮人も多くいたと想像されるが、そういうことも含めて、むしろもっと研究されるべきと提起しているように思います。その立場にある人はどうぞもっと研究し発表して下さい。それが「全体の論旨は・・別に構わない」としながらの「細部を捉えての批判」とは違う方向に進むことを強く期待します。

yasugoro_2012yasugoro_2012 2015/02/28 07:21  先行研究にまともに当たれてない人の「むしろもっと研究されるべき」って主張はおかしいと思いますけどね。吉見氏の20年前の新書一冊でもちゃんと読んでいれば、このエントリで指摘したような記述にはならないでしょ。
 それと、字数制限のないコメント欄なので、人の文章を引用する時は正確にしてほしいですね。「本書全体の論旨、結論部分に賛同の声は確かに良く見られるし、それはまあ読者個々の意見として別に構わないのだが、細部を注意して見てみればこの程度の書籍であるということを指摘しておいても良いと思う。」です。「読者の受け止め方は個々の自由だけど、本のクオリティとしてはこの程度と指摘しておいても良いだろう」という意味です。

河野守河野守 2015/02/28 18:24
吉見氏の著作も一次資料集も参考にしてないどころか、読んでいないだろうとここで考察されています。

http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64910832.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64911556.html

読んでも無いのに、著作の末尾に「参考文献」として吉見さんの論文を提示しており、極めて悪質であると言えるでしょう。

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