大和川の水が飲めた頃


久しぶりの学情出勤。
シクラメンの様子を見ると干からびていた。大丈夫かな…。


時間が空いている時に、起用論文に載せる画像処理をしておく。
今度は戦前期の住吉区杉本に焦点をあてて書いたもので、
これまで表に出なかった画像を出すということも論文の特色の1つ。
大阪市大の杉本キャンパスは、旧大阪商科大杉本学舎からその歴史を始める。
その頃の杉本学舎の写真があった。
2ページ分割のパノラマになっていたので、何とかして繋げた。
今の理工系学舎のある位置は畑が広がっていた。
杉本町駅(当時は阪和電鉄)の改札は、東側しかなかった。
駅を出て見た杉本学舎の風景が、このような感じだった訳である。

(Architecture and Society 1936)


ついでに当時の大和川はというと、清流であったようだ。
江戸期の大和川の付け替え以降は利水に不便し、
沢山の溜池を作って凌いでいた。
飲用水は井戸で賄うようにしたのだが、マンガン質の金気(カナケ)がして、
十分には使えなかったらしい。
そこで、大和川の河川水を耕作や飲用の途に使っていたそうだ。
当時はそれほど綺麗な水質であったんやね…。
写真は大正末期の大和川、右に見えるのは今は無き浅香山の松林の群落。


(写真でみる住吉区のあゆみ 1995)


高度経済成長期はヘドロ河、現在は飲用等の利水には不向きだ。
(以前よりは随分と改善し、カモやサカナも居るけど…)

大和川付け替え三〇〇年―その歴史と意義を考える

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記紀万葉歌の大和川 (奈良の古代文化)

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大和川ダンボール国

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