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2018-01-23 ハレーション

yaun2018-01-23

意識と身体というのはなかなか一緒に過ごすことができない。身体はここにありながら、手の届かないところに、意識が飛んでいる、無意識のうちに。また、身体をあっちに運びながら、意識は運ばれずじっと何かを考え続けていたり。身体は身体で一冬ごとに少しずつ調整が厄介になる。動かさないとどんどん動かなくなるし、動かし過ぎても即ダメージが。動けばいいのか動かないほうがいいのか、動きたいのか動きたくないのか、本当のところはわからない。寿命があるんだということだけわかる。真夏まであと2ヶ月の予定。

今は「モナカ」の最中。1月5日〜8日のスパイラルホール、1月21日福岡のなみきホールを終えて、最終地は1月26日京都のロームシアター。http://rohmtheatrekyoto.jp/program/5889/

2月16-17日にTPAMにて「七つの大罪」を上演するにあたり稽古中。スタジオパフォーマンスの環境下、今回は今回として新たにチャレンジして前回とは違う演出。https://www.tpam.or.jp/program/2018/?program=co-un-yamada-highlights-from-repertory

こんにゃく座ではオッフェンバックの「天国と地獄」の稽古中。運動会と文明堂で有名な音楽は160年前に誕生したオペラの中に可笑しな内容でカラリと存在。2月8日〜!チケット絶賛発売中。http://www.konnyakuza.com/syusai.html

まつもと市民芸術館では今年も「まつもと演劇工場」。今年はマヤコフスキーの「ミステリヤ・ブック」老若男女の市民キャストは奇妙で素敵な人ばかりで。http://theaterfactory.net

昨夜は街灯と雪景色のハレーションで家の中がとても明るかった。電気をつけなくても白い蛍光灯の間接照明の中にいるような、灰色で霞みがかった新鮮な光だった。外からは子供達の遊ぶ声が夜遅くまで聞こえてきた。きっと東京に住む多くの人がうっとりする雪の恩恵に出会っただろう。雪だるまを作ろうと思って玄関を開けたら、猫の石像がシュトーレンみたいな姿で凍えていた。それ以外の景色は雪見だいふくのように美味しそうで、だるまはいらなくなった。

今日は元気な太陽と雪景色のハレーションで、ただの晴れよりももっと強い晴れだった。うちには大きな窓しかなくて、その窓にもカーテンがないので、外の光の色がそのまま家の光の色になる。晴れの日はいつも絶対にテラスで日向ぼっこをする猫達は雪の積もったテラスをじっと見て一歩も出ようとしなかった。みづゑは目が見えないけれど、やっぱり出なかった。その後室内で日向ぼっこをしながらじゃれていて、気づいたら取っ組み合い。みづゑは目が見えないのに取っ組み合いするし、高いカウンターからジャンプするし、ねずみのおもちゃにはしゃいだりもする。

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2017-12-29 冬の太陽

yaun2017-12-29

みづゑの目が見えなくなってからみづゑの写真をあまり撮らなくなった。目が見えていた時のみづゑは私が写真を撮ろうとすると顔を背けたりしたもの。でも今は私が写真を撮ろうとしていることが見えないので、絶対に顔を背けない。そうすると写真を撮ることがただの一方通行の力になってしまってなんだか気が進まないのだ。

日本に帰ってきてから約二ヶ月の間、39度台の熱が3度出て、片方の腕も全く上がらないという日々、と同時進行に横浜、福岡、神戸とまわった楠田健造とのデュオツアー、香港のプラットフォーム「ワン◆ピース」再演、松本の市民オペラ「ちゃんちき」など、慌ただしい日々だった。にもかかわらず、その慌ただしさや忙しさを一ミリも感じることはなく、毎日穏やかさを感じていた。白いご飯や味噌汁や納豆を食べて風呂にも浸かれる。半年間の文化交流使の活動の忙しさに比べたら何もしてないのと同じくらい穏やかだ。

毎日カンパニーは全16人のダンサーで「モナカ」国内ツアー稽古。東京、福岡、京都の三都市での公演が予定されている。これらの都市でカンパニー公演ができることは当分ないだろうし、そもそも日本国内でこの大型のカンパニーが踊って生き残っていける環境などないので、たった一回の稽古でさえ貴重。その一回一回いい形を作ろうとするが。いい形とは何かと問いかけて踊る姿を見る。

私は皆と一緒に「モナカ」は踊れないので、毎日一人稽古場で踊る。肩も腕も指も痛いのだが、痛みは永遠じゃない。痛くないところも永遠じゃない。動くところも、動かしにくいところも、失ったものも、得たものも、何一つ永遠じゃない

。皆一度得たものを失いたくないという気持ちばかりが強くなり、何も失えなくなる。毎日あたり前なことが一つもないのに。同じ空間は二度とない。来る日も来る日も同じ稽古場で、踊りながら、物の配置を変えたわけではなくても、身一つあるだけで空間は更新されると分かる。それは救いのようなもので、絶対に埋めてはいけない穴のような存在。

1月5日〜8日の東京表参道のスパイラルホールでの公演は、1月5日と6日は木原浩太がいないので、彼のいないバージョンのプランA、1月7日と8日は彼がいるバージョンのプランBという二種類の場面がある。カンパニーでの群舞作品の場合、パズルのピースを一つなくしたら代わりのピースがなく、別のパズルを最初から作るような振り出しに戻す必要があったりする。一人減ったら一人足すだけでは増えすぎたり少なすぎたりする。1月21日は福岡のなみきホール、1月26日は京都のロームシアター。こちらは16人全員揃ったプランB。

みづゑと一緒に耳をすましていると日々の家の中で一番聴こえて来る音は温度。光の予感は音の始まりに近く、一度始まった音は聴こえなくても急になくなったりしない。上がらない腕にも日光浴が一番気持ちが良いもので、私もみづゑもいつも太陽を待っている。冬至が過ぎて光の差し込む角度が少しずつまた夏に向かって折り返し移動を始めた。時間の先の先の方から、今まで聴こえていなかった音も鳴っていて、聴こえないふりもしている。

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2017-11-14 旅の恩恵

yaun2017-11-14

世界中旅をしたら体が強くなった。強くというのは鋼のようなということではなく、柔軟に丈夫になったということ。歳をとっただけかもしれないけど。なぜか体が大幅にアップグレードしたような感覚。帰国後に即主治医二人の診察を受けたが数値も状態もいたって良好。むしろ一生覚悟の薬が生まれて初めて減っていくという方針さえ。

半年で30都市ほど。先月4日間マレーシアでウィルス感染してウィルスを殺せないまま帰国して39度の熱がでたが、39度も熱が出せる体になったことは私にとっては喜ばしい。今までは体力がなくて38度以上の熱を出せなかった。世界各地のあちこちで熱が出たり皮膚が痒くなったり虫の大群に襲われたりしていろんな目にあっただけあって少しくらい体に異変が起こっても即受け入れられるようになった。今回の高熱も水飲んで寝て治せた。またこの半年、10日に一回はトランジットトランジットで飛行機に乗りまくり、地域や気候を急激に超えていた。あまりにも移動が激しい時には軽い脳震盪を起こしたりしていた。そのせいか、帰国してからちょっとやそっとの気圧や天気の変化、国内の長距離移動に対しても体が耐えられるようになった。それだけではなく、日本に帰って来てからかなり忙しい日々なのにもかかわらず、忙しさに心が荒むことも焦ることもなく、とても時間がたっぷりあるように感じるようになった。しかしそのせいかすごいたくさん忘れ物も失敗も多々。がそのことに対して動じなくなった。心配しても仕方ないということしかなかったので、どんなことにも心配しなくなった。心配がないと耳と鼻でキャッチできることが多い。

満員電車にのっていると人々はみんな耳も鼻も目も塞がっている。穴を閉ざして情報をいれないようにして出さないようにして体が固まっていっている。人々は小さな体の中にさらに殻を作って貝のよう中身を守る。無意識に。まるで一人も未来を待っていないみたいに見える。上手に固まっている。

先週はイスラエルから親友のニヴが来日して「ワン◆ピース」香港公演のリハーサルブラッシュアップに貢献してくれた。彼は動きを一度見ただけでストラクチャーやダンサーの弱点などすぐに見抜くことができる透察力と記憶力と非常に優れた聴覚と視力を持っているので、鬼に金棒のリハーサルだった。二人で常々話すことは80パーセントがバカ話だけど、それ以外は音楽のこと。ダンサーは体のことに一所懸命ばかりでパートナーの音楽についてなぜあんなに無頓着なのかということ。マレーシアのダンサーとの仕事の中でもダンサーの音楽性にもっと時間を割きたかったのだが、そこのあたりは次回再演でブラッシュアップできますように。(マレーシアは音楽教育自体があまりなされていない)

今週はSTスポットの30周年記念を祝してオランダ在住の楠田健造とデュオを踊る。11月17ー19日。彼の踊りを見て欲しいという思いが私が踊りたいという気持ち。作品主義になりすぎることで何を失い何を得るのだろう、と、気づかされる。そして11月20日は国連大学で文化交流使の報告会。入場無料で申し込みが必要だけどぜひ。そして今月からはまつもと市民オペラ「ちゃんちき」の稽古が始まっている。大勢の松本市民のコーラスの皆様の歌と踊りを同時にもつ体を見ていても、音楽を理解している人は踊りを覚え体現するスピードが早い。

11月30日は博多で久々に「ダンスライヴ」という完全即興の会。もちろん楠田健造と。そして翌日12月1日は神戸はダンスボックスにて、同じく楠田健造との「ダンスライヴ」。

目の見えない猫みづゑは相変わらずお日様と高い所が好きで、夜明け前から東の窓に乗って朝日を待っている。トイレの場所も水やご飯の場所もすべてわかって何も迷わないし困っていない。目が合わないのでみつめあうことができないけれど目は開いて旅をしている。ほぼ寝てるけどね。

pandapanda 2017/11/16 01:56 はじめまして
いつもTwitterとブログ、楽しく読んでいます。
大学の頃、実家にいた2ニャンコを思い出して、
懐かしい気持ちになります。

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2017-10-19 夏の体

yaun2017-10-19

先週マレーシアで知り合いのマッサージにいったら大風邪をひいた。某薬局の奥にある倉庫の中で強烈な指圧と水牛の角でガリガリする荒治療。ドラマツルグのジャネットにそのことを言ったら「そうよ、マレーシアでマッサージいくとかならず熱出たり体調悪くなったりするのよ。だから私は絶対にこの国でマッサージには行かないわ」とのこと。素晴らしいマッサージはなかなかないと知っているのについつい行ってしまうマッサージ。今年は世界中を旅しながら各国のマッサージを経験してみたけどナンバーワンはイスラエルで行った「タイ式マッサージ」だった。このタイ式は、本国のタイ式とも、外国によくあるタイ式とも違って、どこがタイ式と?という弱々しい力で全く気持ち良くないマッサージだった。「もう少し強くやってほしい」と言ったら棒でグリグリ押されてバンバン叩かれた。私は餅か?それとも虐待か?と思いながら、棒でバンバン叩くお姉さんの動きがあまりにも怠惰すぎて「こんな体験なかなかできないな〜」と思って楽しんでしまった。

今年の5月以降、真冬国に2週間行ったこと以外は、だいたいピーカンの夏の国にいる。かれこれ半年夏にいて、気づけばすっかり常夏のメンタリティになっている。まあ今日も暑いから明日でいいか、とか、ちょっと変だけどいいか、とか、ちょっとお釣り少ないけどいいか、とか、虫も一緒に食べちゃったけどいーか、とか。時間や景色がなんとなくざっくり回っているような何も回っていないような気がしてきて境目がゆるくなっていく。毎日暑いと細かいことを気にすることができなくなるもので、昔はマレーシア人と仕事をすると「なんてゆるいの!」と思ったけれど今は「ま、そうだよねえ、わかるわかる」と思ってしまったりする。

マレーシア人の中で特にゆるいのは舞台のテクニカルチーム。とてものんびりしていて平和な空気が流れている。時間がなくても、どんなに押していても焦ることはない。ニコニコしていてとっても感じがいい。「どの劇場もこうなのよ」とやはりジャネットに教えてもらった。

今ここは熱帯雨林の雨季の真っ最中。空調のない屋根の薄い稽古場では静寂は作れない。ファンの音。コーランの音。さらに稽古中スコールが降ると、声も音楽も一切聞こえない。世界はすべて「ザー!!」というノイズに包まれて言いたいこともかき消されていく。

劇場に入って静寂や闇を作ることができて、空気がキリッとしまることに飢えていた、ということさえ忘れていた、と気づいた。窓のない劇場は窓そのもの。

2011年宮城県からスタートした足掛け6年目の「季節のない街」は東京、北九州、金沢、伊丹、そしてとうとう季節のないクアラルンプールにて明日が初日。写真は出演者クアンナム君の作品ノート。

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2017-10-11 季節のない街

yaun2017-10-11

6ヶ月目の夏である。気づけば5月からずっと夏の地域にいる。途中2週間ほど真冬にいった以外はずっと夏にいる。夏の体はとても軽くて、血の回りがスムーズで窮屈さがない。体が温かいと気持ちを締めるのが大変。マレーシアの人は皆永遠にこない冬に憧れている。待っても待っても来ないものは来ないことを知っている。

「季節のない街」は2011年からカンパニーで取り組んできた作品で、前身は「街へ行く電車」。とても愛着があるレパートリーの一つ。戦後日本の生活を背景にした山本周五郎の小説は日本人にしかわからない感覚がたくさんあるのだと思っていた。縦書きの小説の物語の後ろに隠されている時代の音、風景や感情や体調や気分、そういうことは日本人の感覚だから共有できるものだと思っていた。が、そうではない。「季節のない街」はもはや日本人だけでは踊れない作品。同世代の人とは読み解けない作品。20代から60代の個性豊かなマレーシア人11名と5名の日本人ダンサーのバランスは圧倒的にパワフル。一緒に踊ってきたカンパニーメンバーにまず見て欲しい!と思うリハーサルが続いていて、みんな体も頭もパンパンで半死状態。稽古が終わると夜に毎日誰かが「携帯をなくした」とか「落し物」とかいう連絡が絶えません。

「季節のない街」は「People without seasons」として10月20日−22日マレーシアのクアラルンプールklpacにて。

http://www.klpac.org/whats-on/un-yamada-project-2017-people-without-seasons/

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2017-09-25 旅記26-NY

yaun2017-09-25

NYに来るのは4度目。マンハッタンは疲れるのでブルックリンに滞在。野良猫はいないけど尻尾がふさふさしたリスがいる。アパートの下の階には私より大きい犬がいる。今日階段で会ったら犬の目がハートになって私の目もハートにしてしまったとたん飛びつかれて顔をベロベロ髪の毛をぐちゃぐちゃされて食べられちゃうかと思った。

高橋幸世さんと来週のパフォーマンスにむけて短期クリエイション。来週のパフォーマンスは「過程」で、さらに過程から先を考える必要もなく、そうなるとひらすら楽しいことばかり。過程には無駄がなく、判断しなくてよく、もっといつも過程の良さを取り入れなければならないと思う。過程を前提としたイベントはもっとあってよい。と思ったら、来週幸世さんが参加するフェスは出来上がっている作品はNGで「過程」であることが参加条件らしい。

モノや装置と一緒に踊っているけれど本当に多くの発見がある。人間と踊るより、または音楽や照明などといった動く芸術と踊るより、10倍もしくは100倍は多くを発見する。しかも一人ではなく、誰かと一緒にクリエイションすることで発見することの多さといったら。

NY到着日からは数キロ先でUN総会。ここは文化交流使としての訪問国最終地。次に乗る飛行機が羽田行きとは信じがたい。半年間一ヶ所にいたのではなくバックパッカーで気ままに旅をしたのではなく、着実にアポを取りミッションを果たしながら世界をぐるりと周るのは本当に骨が折れることだった。グーグルマップのおかげで楽だったが、アートはどこかの跡地やリノベーションでの再利用などが多く、グーグルマップにアップデートされてない場所も多々あったし、地図にない、住所のない街にも行った。タクシーはウーバーとゲットタクシーとタクシファイを使い分けてかなり快適だった。そういえばイギリスではウーバーはもう使えない。世界はアプリでどんどん変わる。

ブルックリンは閑静な街。これまで回ったどの国でもあまりすれ違わないようなラリったおじさんもいればおしゃれなお兄さんやお姉さんも多々。おしゃれさんはさりげなく着てるTシャツもう何年も着古したみたいだけどそれはデザインで新品で200ドルはするようなのを着ている。ボロボロの頭陀袋風だけどかなりおしゃれに外したトートバックや非常にいい匂いのルームスプレーなどが売っている。細かいこだわりの清潔な汚しが入ったナチュラルかっこいい方々が、やはりちょい汚しの入ったアンティーク調のテーブルと椅子のあるおしゃれな小さなカフェに、朝も昼も、窓際にずらり。人気店のカフェの店員さんは、いつも混んでいて大忙しにもかかわらず、全く殺気立ってなくて、涼しげにヘルシーなアジアンフュージョンサンドイッチやサラダを作っている。ヘルシー&ビューティー& エコ&ナチュラル系雑貨が、飾っているのか売っているのかわからない間隔で店内に置かれている。ブルックリンはお金持ちの若者が多いのか、ただ目につくだけなのか。年々物価も地価もあがっているとのこと。「毎日休日」に見える私の同業者も多い。私の近隣はポーランド人が多く、美味しいポーランド料理屋に心を奪われている。アパートはどこも古い。ガタガタ。私の借りているアパートも床はギシギシのべこべこ。いつ抜けるかドキドキする。全ての部屋の床は別々の斜めに傾いている。どこを歩いてもギシギシ鳴るので隣や上の階の人の歩く音も全部聞こえる。そのためNYのアパートでは床面積の何パーセントかにカーペットを敷かなければならないと決まっているそうなのだが、私の借りているアパートに敷かれているカーペットのセンスのよいこと。カーペットだけじゃなく、ランプも、家具も、本も、絵も、鍋も、アロマオイルも、一つ一つのもののディテールにはこだわりと、持ち主の美しさや余裕がある。いい匂いがして、高級セレクトショップにいる感じ。が、おしゃれなまま使用することができず、床一面に滑車とかモーターとかヨガマットとか謎のボールとかを散らかしている。

旅の間、荷物は約25キロ。最初のうちはそれをすぐ超えてしまって超過料金を払っていたが、ある日、そのようなものを払うなら何かを捨ててまた買えばいいと気づいた。半年前ダンボール一箱分あった薬も小さなポーチに収まる数に減った。革ジャン、冬服、水着、夏服、衣装。国によって好まれる色が違うので、赤系、青系、白系、黒系のセミフォーマル兼衣装。ジャケット、最低限の本と最低限のTシャツと稽古着。ヨガマット。スピーカー。消耗品も下着も私服も現地調達。洗濯代を考えたら新調した方が安上がりだったりするから。重い荷物は大嫌い。捨てなきゃよかったと思うものもある。ホテルだけにとまり続けていると、疲れるから時にアパート、都会だけにいても疲れるから時に田舎。バランス。

最近アパートの床に埃のような消しゴムのカスのようなゴミがいっぱい落ちている。よく見たら自分の皮だった。ハワイ焼けの皮が剥けていて、体も床もとても汚い。日焼けの皮がむけるなんて、もうそんなこと一生ないと思っていた。そんなことないと思ってた、ということばかりの旅生活。もうすぐゴールという気持ちはもうすぐ旅が始まるという半年前の気持ちとほぼ同じ。全く実感がない。いつも地続きで、何も変わらず。一皮むけても肌黒いように。あんなに「信じられない!」ことばかりだったのに。

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2017-09-18 旅記25-ハワイ

yaun2017-09-18

ハワイの人は会釈の角度とか態度と態度の距離とかまるで同じ日本人と同じ振る舞い方をします。はにかんだり遠慮したりして。日本人よりも上手に盆踊りを踊り、和太鼓だって叩く人も多いけれど、その人が日本文化を勉強して身につけたのか、三世代前くらいからハワイアンとして自然に身についたものなのか、は仕草や振る舞い方、態度ですぐにわかります。奥ゆかしいハワイアンの振る舞いはダンスを踊るときの態度にも現れます。

顔や姿はアメリカ人であっても、まるで日本人、のような方もいます。先日タクシーの運転手が「私の祖母は日本人。祖母が日本語を話しているのもきいたことがないし日本も行ったことがないけどね。と話していた。最初の移民は明治元年、約150年前で今は日系三世の方も随分年をとっています。ハワイの観光業はエスカレートするばかり。物価がどんどん上昇し、治安も悪くなるからもうハワイを出ていきたいというタクシー運転手もいた。毎日6000人の日本人が上陸しては帰っていく。

アメリカ合衆国の50州の中の50番目に州に加わったハワイの歴史は浅い。離島の島々には美しい植物がたくさんあるけれど、その「美しい」ものには外来種が多い。オーストラリア、フィリピン、インドなどから運んできた樹木やフルーツがたわわとなっている。もともとの先住民族は「土地を所有する」という概念がなく、アメリカ人にどんどん土地を売ってしまった。生き残るには順応することしかなく、気づいたら新しい農場とリゾートの島に。どの博物館にいってもアメリカ人が侵略してカメハメハが滅亡したことになっているけれど、その侵略の詳細は隠されている。武力行使があったとは残されていない。リゾート開発の途中、大量のハワイアンの遺体が掘り起こされその土地を尊重してほしいと嘆願しリゾート開発場所を移動させたハワイアンのエピソードに出会った。

マウイ島にはまもなく日本からの直行便ができる。工事中の巨大駐車場は吐き気がするほど大きい。

リゾートではなくて、もともとの自然には本当に力がある。ワイキキのような人工的なアイランドとは違う場所にいく。波打ち際にいるだけで海の力をもらえる。標高3000メートルの山は空気が薄かったけれど空気の質が濃かった。自然をそばにすると信じられないくらい一気に元気になる。天気は来る日も来る日も晴れ晴れ晴れの毎日。けれど空の色も海の色も山の色も風の形も音も毎日見事に全く違う。それをスマホの写真で撮ると「毎日同じ青」になってしまう。自分が撮った写真を見ると「思い出は何も撮れなかった」という思い出だけがうつっている。本当に綺麗だった。毎日。毎時間。毎分。変わる色。変わる音。サファイアのような青。みづゑの目のようなグリーン。色よりも先に光が飛び込んでくる青。キラキラと宝石のような粒。波の音。波のリズム。風の音。毎日違うテンポ。違う待ち時間。数え切れないほど「綺麗!」と叫んでいた。

綺麗以外はここにいるとまるで日本みたい。日本がハワイに次いで、アメリカ合衆国51番目の州になったら怖いな。マウイチップスは今まで食べたポテチの中で一番美味しいと思いました。太腿と尻の皮が剥けています。

くうくう 2017/09/18 21:33 たぶん…大丈夫じゃないですかねぇ?そろそろ、アメリカから見放されそうだし、アメリカ自体がそれどころではないような…

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2017-09-09 旅記24-ホノルル

yaun2017-09-09

9フィートの深いプールの中で魚のように過ごす。目的は持たず、ただ、足のつかない水の中に、浮き具のように、アメンボのように、宇宙遊泳をするみたいに。呼吸と胴体をちょっと使うだけで方向転換ができて回ったり揺れたり潜ったり一切の力も使わず、踊るように水と一緒に過ごす。大きな呼吸で胴体に空気をいれとくとただ水面に大の字に仰向けになって浮かんでいられる。ウォーターベッド。流れる雲やカモメを見ながら、鳥は自由だと思っていたけれど飛ぶのも大変だと思う。水の中ではどこかを意識してなければ沈んでしまう。鳥は無意識に飛んでいるのだろうか。水で過ごすのは最初の5分10分はしんどいけれど、そのあとは水に体が馴染んでくる。本当の裏の目的はサーフィン焼けのアイシングのためにプールに浸かっている。が、結局このプールでまた焼けてしまう。

どこへ行ったってコースのある競泳プールか浅いキッズ用の自由プールしかないからもっとこんな深い大人用自由プールがあったらいい。なぜなら四十肩が治ったのだ。メルボルンとシドニーで急に冬気候にいた時から実は四十肩?五十肩?全く腕が回らないし上がらなくなってしまった。首も背中もかちんこちんになってしまい吐き気がするほど。パドリングできないかも、、と思っていたのだがプールで適当泳ぎをしていたら腕があがるようになったし、腰や背中もすっきりして、さらに足のむくみもとれて、いいこと尽くし。プールでの自由時間ですっかり体が整体された。陸の上に上がって地面に立って重力があると、ドルフィンキックじゃどこにも行けず「ああ水に戻りたい」と思う。

泳ぐ以外は路線バスに乗ってでかける。先日、ガイドブックを持った日本人観光客的な二人組がバスに乗り込むのを見て「あれに乗ればきっとどこかにいくんだ!」と思い迷わずその二人組についていってバスに乗ってみたら1時間半以上が経過、途中高速道路に乗り、そのあとはずっとパイナップル畑が続き、海が見えた。ビッグウェーブ!なんとサーフィンの聖地ノースショアに着いた。海に近づいた段階でバスから降りて、サーフィン!やっぱりサーフィンやろう!と思い、ロングボードに挑戦。30年ぶりくらいにサーフィンをして、下手くそすぎるけれども波の上に立つ感覚は最高に楽しい。学生時代はさほどやる気のないサーフィン部副部長だった。

体の記憶はすごい。なんでこんな風に思い出すのだろう。覚えていても実際できないこともあるし、覚えてないのに思い出せることもある。

ハワイに来たら行こうと思っていた真珠湾へ行った。日本軍の攻撃で沈んだ戦艦アリゾナの上にちょうど十字となるように建てられた白い四角い建築物が博物館となっており、そこから海に横たわる戦艦アリゾナを見た。見るには大きなモーターボートに乗らねばならなくて人数制限がある。一回に100人くらい。その中に日本人は私をいれて5人くらいだっただろうか。ワイキキの大通りやショッピングエリアやホテルはほとんど日本人観光客なのに、ここにはそれほど多くの人が足を運んでいないのかしら。ボートに乗り込む前に20分くらいのドキュメンタリー映像上映がある。真珠湾攻撃の前日12月6日は大きなジャズコンサートが開かれていて歌にダンスに水兵たちも街もとても平和な夜だった。ハワイに滞在していた兵士たちはハワイの美しい気候や文化、自然と共ににのびのびと夢のような日々を過ごしていた。真珠湾攻撃レーダー探知機が導入されてまだ間もない時期で、攻撃の12月7日に味方のアメリカの飛行機がこちらに飛んでくるという情報もあったせいで、レーダー反応に対して「味方の飛行機だ」と楽観視したこと、前日も日々も平和だったこと、などなどからまさか奇襲攻撃があるなどと予想も準備もすることができなかったのだ。この戦いからレーダーは積極的に戦争に使用されるようになり、そして日本とアメリカの次なる展開が始まってしまったのだ。真珠湾攻撃で沈んだ戦艦も失った飛行機もおびただしい数で、兵士も民間人もアメリカ人もハワイ人も日本人も大勢が死んで、未だに海の底の戦艦に閉じ込められたままのアメリカ兵の遺体も約900人分ある。アリゾナメモリアルパークには様々な角度からのドキュメントと真珠湾攻撃を生き延びた兵士による体験談などがある。

広島の原爆が原因で亡くなった方が折った千羽鶴が、このメモリアルパークに寄贈されいた。先住民の暮らしを変えて新しい「国」になったハワイには美しさと同じくらい悲劇がありそれは戦争だけじゃなくて島を奪ったところから始まっています。

ホノルルの海水は薄塩味。太平洋の味だけど日本の太平洋沿岸の味の方が濃い。濃いのは地中海で、濃いというか味そのものが違い、太平洋が醤油なら地中海は味噌という感じかな。

ハワイ大学でクラスを行った。とても可愛い学生たち。クラスの中には日本からの学生もいて、また両親が日本人という学生もいた。学内には日本から寄贈された庭木があり学校の見取り図も日本語版もあったりして本当に日本人が多いと実感する。

遠い過去、ダンスを始める前は、ほとんど泳いでばかりいて、陸ではほぼ寝ていて、あとは海にばかりいて、日焼けが当たり前で、サーフィンも身近だった。人前で踊るようになってから日焼けもせず、スポーツしすぎないようにしていたけれど、水の中の懐かしい記憶がよみがえる日々。私の体の操作と空間認識は水の中での動き方、と、水そのものの動きが基礎となっている。

それにしても皮膚大やけど。サーフィン焼けがひどすぎてアロエと馬油とアイシングをしていますがどうしたらいいのか、、、誰か教えてください。

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2017-08-29 旅記23-オーストラリア

yaun2017-08-29

めちゃ寒い。毎日10度以下で春が待ち遠しい。つい1週間前まで麦わら帽子をかぶって虫除けスプレーをふりかけていたのに今はウールの帽子と手袋。積極的に太陽にあたりにいくし、蚊がいる世界なんて全く想像できない。寒いとき暑いことを、暑いとき寒いことを想像するのは難しい。

メルボルンのダンス発信地「ダンスハウス」や「シドニーダンスカンパニー」などを通してを通してオーストラリアのダンス事情を垣間見る。この国には先住民(アボリジナル)から白豪社会になったところから文化生活の「伝統」というのものはなく、ダンスの伝統基本といえば絶対的にバレエ。日本と同じくアンナパブロワがバレエの普及に貢献した。バレエ以外ではシアターダンス、キャバレー、ミュージカルが主流でまだまだコンテンポラリーというものが少ない、というよりも、必要がないのかもしれない。身体技術は何かを無視したり麻痺させたりして平和な環境でのびのびと育つのだが、身体感覚と新しい美への挑戦は平和な秩序の中では鈍っていくことに積極的に傾く。麻痺してはいけないのだ。大学もスタジオも素晴らしい環境が整っており本当に羨ましい限りだ。

トラムや電車はほぼ時間どおりに来る。皆体が大きいからかスペースもゆったりしている。表示もクリアで英語圏だし道に迷うこともない。レストランもデパートも24時間コンビニもある。石畳がない。あちこちきれい。トイレがきれい。ちょっと街から外れた公園のトイレですらトイレットペーパーと石鹸が用意されている。

オーストラリア料理は「フュージョン」が主流。和食、中華、イタリアン、街のレストラン、カフェ、いたるところでフュージョン料理。普通の麻婆豆腐を食べるには中華街に行き、事前に調べないとちょっとアレンジされた麻婆豆腐がでてくる。お洒落なカフェのランチメニューには「アボガドとキノアサラダとエビのてんぷら」というのがあったりする。日本ではオージービーフが主流だけど、こっちでは「WAGYU」がトレンド。どの料理も見た目がとても美しく食欲をかきたてる彩り。味つけは過保護気味で、自分が何を食べているのかわからないことがある。スパイスの量と種類がちょっと多すぎて「無国籍」でも「多文化主義」でもない独特の混ざり具合。オーストラリアゴシックキュージンヌと呼びたい。時々スパイスと見た目の魔力に騙されて食べてみたところ、食材腐ってる、ということもあり時々お腹を壊すのでパブのおつまみは要注意。腐ったマリネを出されて文句をいっても私のような日本人女性一人ではなかなか勝てないし、後の祭りだったりするけれど、イスラエル人が一緒だと料理も酒もちゃらにしてコーヒーとデザートまでつけてもらえるからすごい。

メルボルンにもシドニーにもアボリジナルの先住民は一人もいない。最初にポルトガル人がやってきてイギリス人に入植されアボリジナル先住民大虐殺があって今は街のどこにも先住民はいない。その代わり博物館や美術館で、彼らの歴史や芸術品に触れることができる。

シドニーの現代美術館にLena Yarinkuraさんの作品があった。彼女はアーネムランド出身のアーティスト。使っている素材がどんな植物だったか、塗料はどんな草からどんな風に作ったか、アーネムランドの美しい自然を思い出した。アーネムランドに行かなければ私にはただの黄色や茶色だったでしょう。その土地の色だとわかることが感動の助けになる。彼女の美しい作品ひとつひとつには、造形と生き物への愛を感じる。

ダーウィンでは1930年代はナマコ漁業を中心に大勢の日本人が住んでいた。カレドン湾危機で日本人5人が先住民に殺害されたことを皮切りにオーストラリア警察と先住民の殺し合いと争いが起こった。それを機に時間をかけて先住民とオーストラリア人に社会的解決が実行されアボリジナルの村はインフラが整備され森林公園を含めて広く保護区となった。そしてそこから徐々にアボリジナルアートが「オーストラリアのアイデンティティ」として世界に紹介されるようになった。のちに第二次世界大戦で日本軍はダーウィンやシドニーを攻めている。日本軍から受けた傷跡は今でも深く、親日的ではない。気がする。

日本という国は長い長い歴史の中で他の国に完全に包囲され全て占領されたり歴史を全て奪われ分断されることなく過去から今まで一筆書きだ。もちろん沖縄他領土問題など様々な出来事はあったにしても。歴史や伝統があるのが当たり前ではなく、歴史のない国や、伝統を失った国もあり私たちは本当に恵まれた島国。

アーネムランドの岩で思い切りぶつけてできたたんこぶがまだ痛い。そこを触ると「アーネムランドにいったのは夢じゃなかった」と思えるけれど、実際は一週間前のことでさえ「幻だったのではないか」と思う。文化も気候も何もかも違う場所に移動していると思い出があっという間に化石のようになっていく。

街に大きな書店がある。スリランカもマレーシアも本屋はほとんどなかった。先住民族についての本を買って読んでいる。彼らの生活も発想もシンプルで清潔。例えば。彼らにとって動物や魚や植物は食べ物兼家族である。一緒に生きているので相手を食べるし愛でる。アボリジナルだけじゃなくインディアンもアマゾンの奥地にいる種族もそうだけど大きな自然のサイクルの中に入って生きていけていける先住民族の知恵、自然から与えられている法律は本当に見事。法律を理解できていれば規則などいらないし、法律の中で生きていくことは、最先端=伝統となる。最先端を続けていくことが伝統を継承していくことになる。医療も科学も芸術も全て観察から始まり学び理解して悟ってそれを若者に教えていく。文字もなく教えていく。大人が若者に教えることが天寿となる。

公園や街中で演奏される音楽もだいたフュージョンである。シンプルはない。

シドニーのオペラハウスの景色を昔見たことがあるはず。すごく前だけど新婚旅行で来たはずだ。なのに全然覚えていない。ビジュアルを目に焼きつけることができない。見たものはすぐに忘れてしまう。きっとこの私の長旅で起こった波乱万丈な日々についても、見たことない驚くような景色についても、きれいさっぱり全部忘れてしまうだろう。

藤村龍一藤村龍一 2017/08/30 08:41 はじめまして。いつもうんさんのブログを楽しく拝読しております。シドニーで踊っている日本人です。今日のブログで「シドニーにもメルボルンにもアボリジニの先住民は一人もいない」とありますが、そんなことはないですよ。たくさんいます。シドニーの郊外にはアボリジニのダンス学校もありますし。もちろん都会でアーネムランドのような生活様式を送る人はいないので、うんさんの目にはそう映ったのかも。ちょっと気になったので投稿させていただきました。それではお体に気をつけて、旅を続けてください。

yaunyaun 2017/08/30 19:40 そうですね。一人もいないわけではないですね。少数ですが街にもいらっしゃいますしダンス学校もありますね。でもすべて一度分断されてから与えられた環境ですね。それにしてもオーストラリアは素晴らしい環境!のびのび踊り続けてください!

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2017-08-20 旅記22-ダーウィン

yaun2017-08-20

チャールズ・ダーウィンにちなんで名付けれらたオーストラリアのダーウィン。さすが自然がいっぱい。街の真ん中でさえ夕方になるとみたこともない色の羽を持つ足の長いい大きな痩せた鳥たちが公園に集まっている。朝焼けも夕焼けも雲一つない広い空。時折たった一羽だけ視界に入る鳥。360度見渡しても大きな空に小さなその鳥が一匹だけ。真っ青な羽をしていた。夜になるとバットマンかと思うほど大きなコウモリが舞う。サバナ気候でこの乾季の時期だけフェスティバルや観光などアクティブな街になる。

ダーウィンフェスティバルに足を運ぶ。音楽、演劇、ダンス、展示、など。カナダからきたアーティストもロンドンからきたアーティストも「暑い!」と嘆いていたけれど夜は涼しくて散歩が気持ちいい。夜の散歩などあまりしないほうがいいけれど街に3日いると安全な道がわかるようになる。フェスティバル会場は街の真ん中の様々な空き地や公園やショッピングセンターなどを使う。「劇場」というのはあまりなく、すべて仮設。なのでライティングはほぼLEDということもあり一つ演目をみると目が痛くて感動してないけど涙が出る。

旅の疲れが溜まったのか、疲れを感じないように「疲れた時にはさらに疲れよう!」としてきたことに限界がきたのか、なかなかあちこち痛い。あまりにも指が痛いのでネイルサロンに行きかわいいピンクの爪にしてもらった。あとはオーストラリア産牛肉で回復するといいのだが。

ダーウィンにはアボリジナルがたくさん住んでいる。人口の4分の1くらい。街にもいっぱいいる。みんな裸足で体臭も強い。物乞いをしたり路上で生活していたりする人もいる。今は差別を無くそうとしている社会になっているけれど、街中ではずっと虐げられているように見える。ダーウィンフェスティバルの会場は野外ライヴや無料イベントや屋台があり、アボリジナルもたくさん足を運んでいる。路上生活者が普段生活している公園が会場になったりしているので、足を運んでいるというよりも、すでにいるというか。

ダーウィンから車で3時間半、ひたすら東の朝日に向かってISUZUのワゴンでとばしてアボリジナルの故郷で世界遺産のカカドゥ国立公園に行った。カカドゥ国立公園の面積は本当に本当に広い。イスラエルとほぼ同じ。ひたすら直線道路が3時間続いた。しかしどこまでいってもジャングルはない。全く変わらないアスファルトロードと整備された額縁のパノラマ公園だ。巨大な蟻塚が何百とあり、見たこともない鳥が悠々と空を舞い、赤い土、黒い土、白い土、灰色の土、土の色も岩の色も様々に変わり、すごーいすごーいと、思うと瞬時に湿原があわられ、いきなり緑しかなくなったりする。緑色は視力が回復したかと思うほどのみずみずしさ。森のの幹の下の方はほとんど完全に水に浸かっていたりする土地もある。広大な河にはクロコダイル。10m級のクロコダイルが、まるで鯉のぼりのようにゆらゆらと泳いでいた。魚をあげると垂直ジャンプするので、観光客むけに魚を投げる係の人がいる。観光客はカメラを持ってジャンプの瞬間を待つ。これを1日やってたらクロコダイルは1日中垂直ジャンプしてなきゃいけない。行きは河の色は真っ青で、水の量もたっぷりありクロコダイルも元気だったけれど、夕方帰る時には水は細かい粒子の土の混ざった茶色となり、水量は半分に減り、陸が浮かび上がっていて、クロコダイルは全くジャンプはせずぷかぷかしていた。

カカドゥ国立公園から四輪駆動に乗り換えてオフロードでさらに東を目指す。細かい赤い土が舞う。ちょっと外に出るとくしゃみが止まらなかった。シートベルトをしないと車から飛びだしそうなダウンヒルなどドライブが続き、許可書がないと入れないアボリジナルが暮らすアーネムランドへ。オランダ船アーネムが発見したからアーネムランド。観光と手を結び、インフラも整備されている。住居やアボリジナルセンター、アートセンターなどが立ち並ぶ。カンボジアとのコラボで作っている工芸品なども多々。岩山へのぼり、20000−30000万年前の岩画を見る。人間やカンガルーや魚や蛇が、人間やカンガルーの血液で描かれている。カンガルーの絵が圧倒的に多い。それはカンガルーが一番身近だったから。そばにいて、一番食べていた動物だから。(今でもカンガルーを食べているといっていた)「クロコダイルは描かないの?」と尋ねると、クロコダイルはしょっぱくて食べれない。人間を食うしね。と。文字を持たなかった彼らの文字は、枝や茎、石の粉や血で描かれ「精神」を残したかったのだと話す。「人が死んだら肉体はなくなるけどその肉体から血を出して精霊となる。精神は永遠に生きることができる。その時にはこの硬い石を使うんだ。一気に一箇所どついて血を出す。木の枝を二本中に向かって立てて、そこに蔓を渡して、遺体を吊るす、吊るした遺体の周りで踊って歌う。そしてそのまま6ヶ月放置し家族はそこを離れる。6ヶ月後に戻り、骨を拾い再び葬儀を行う。そういえばここに古い家族の骨がある、といって20歳前に亡くなった少女の骸骨に案内してくれた。岩陰にひっそり100年いた。今は土葬。渇いた岩山を下ってきたら一箇所濡れているところがあった「そういえば今朝遺体をここに埋めた」といっていた。

アーネムランドでは一行のツアー客と合流した。とてもかわいいおじいちゃんが小さなものを発見することに喜んでいた。小さな洞穴を見つけては「小動物の家かな?」とか木の実を拾っては「これカンガルーが食べるのかな?」とニコニコ私に話しかけてきた。「これは何の実かな?さっきからいっぱい落ちてる!」と掌にいっぱい集めた茶色い実をアボリジナルガイドに見せて尋ねると「カンガルーのうんこ」と返答され、それからおじいちゃんは木の実を拾わなくなった。

この1日だけで蟻塚を1000個は見たと思う。しかも私と同じくらいの背やそれ以上の。まるで墓石のように広大な土地に蟻塚がぼこぼこ突き出ている。足元の地面をふと見ると見たこともない茶色い蟻、赤い蟻、黒い蟻、とても小さい蟻、かなりでかい蟻、など蟻だけでもすごい種類をみた。「蟻」と言われて思い浮かぶのは黒いアリンコしかなかった私の頭はなんて乏しい。「土」と言われて茶色い土をすぐイメージする私はなんて乏しい。

空の色も岩も緑も土も動物も虫も鳥も全部見たことない。私の知ってるものは一つもない。大人になってもずっと新しいものを見ていたいと思う。全てに感動しなくても。たくさん目に焼き付けたいと思ったけど私はきっとすぐ忘れてしまう。

自然といっても砂漠じゃないし、熱帯雨林のアジアのジャングルじゃなくてまるで天国のよう。とても美しい。旅の疲れはピークで精神的にも肉体的にもかなり限界で、天国のような景色を見ながら「天国に行く前はきっとこんな風に精神的にも肉体的にも疲れてて限界なのかもしれない」と思ったけれど、そう思うとまだまだ天国まではほど遠い、千里の道の一歩という気がする。350以上の言語を持ち何万年も前から住んでいた原住民の子孫の人と先進国からきたツアー客に会ってもちろん私もツアー客なのだが、なんともいえない気持ちになる。イスラエルのバスセンターに行く時と近い気持ちになる。貧富の差がはっきりしているが貧富とは何か考えさせられて食欲がなくなるのだ。旅をすればするほど、私はまだどこにも旅をしたことがないと思えてくる。

アーネムランドからダーウィンに乗せて行ってほしいという一人のアボリジナルと一緒にワゴンに乗った。手ぶらで裸足。アボリジナルはほぼ裸足で生活している。アーネムランドでもダーウィンの街中でも。帰路、ドライブインでドライバーが彼にスプライトを買った。1、2口飲んで中身を全部こぼした。水道の蛇口へいき、ペットボトルを洗って水を汲んで「これがいい」と。彼は水を飲む以外はただ座っていた。ドライブインのカフェにも入らず、入り口付近のデッキチェアーにも座らなかった。正面からも、道路からも、店の中の人からも、誰の目にも入らない隅っこの一番暗い席に座った。オープンテラスもレストランもキャンプをしているオーストラリア人が座っている。席はたくさん空いている。そこには座らないしそこから見えないところへ行った。私はアボリジナルの彼とオーストライア人達がわいわいしているテラスの間の通路に立って鳥を見てた。車の中では私とすごく離れて座った。私が話しかけると答えるけれど少し困った顔もしていた。街へ着いて私が車から降りると、アボリジナルはドライバーの横に座って笑って手を振ったけど私とは握手をしてくれなかった。夜は牛ほほ肉のワイン煮込みを食べた。

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