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2018-10-12 仙台にて

yaun2018-10-12

うちのドラム式洗濯機は異常に揺れるので、洗濯機を回すたびに地震かと思う。だから地震が来ても「洗濯機回してたっけ?」と勘違いする。このまま毎日家が揺れてたら、いつか家が壊れるんじゃないかとずっと思っていたら十年くらい経っていて、先日ようやく買い換えた。「洗濯機変えた方がいいかなー?」という会話をのんびり続けていたら十年経っていたのだ。

洗濯機の搬入出の導線は階段通路になるのだが、うちの家の中の階段は全部本棚になっていて、本棚は私がつっこんだ書類や手紙がまるで山法師の枝のようにピュンピュンと飛び出しているので、無事に搬入出ができるように、目立って飛び出しているものを引っこ抜いたところ、その古い紙のほとんどは私のたった一人の舞踊の師匠山崎先生からの手紙だった。もう亡くなって何年経つだろう。まだ現役だったころのメモ書き、引退してからの手紙、死を前にもう舞踊から離れたい思いと舞踊は人生そのもので切り離せないのだという二つの思いが複雑で自分が面倒だということを綴った手紙、代筆で見覚えのない字体となった手紙。

先日三十年前に書かれた本を読んだ。1988年。読んではじめてその頃のことを自分自身で思い出したことがない、とわかった。今と全然違う生活だった。本を読んでいたらいろいろなことを思い出した。その頃に見えていたつもりだった未来のことも。ちょうどその本を読む前日に、三十年ぶりにパーマをかけたのだが、パーマ液をかけた瞬間、パーマ液の匂いが本当に苦手で二度とパーマをかけたくない、と三十年前に思った、という事を思い出した。最近三十年前が目の前にやってくる。

久しぶりに仙台にきていて、久しぶりにソロダンスを踊っている。最近は振付をする方が多くて自分が踊るということがあまりない。日々は踊るけど人前で踊っても踊らなくてもまあどちらでもいい、と思う、執着がなく適当のご酸味、緻密に素直である努力に近いものはあるのかもしれない。

開演前ゆっくりウォームアップをしながら、自分の体がだんだん日常から切り離されていくのがわかる。筋肉や関節のバランスだけじゃなく、呼吸も内臓の機能もなにもかもが離れていく。プールに入って泳ぎ始めた時に似てて、どちらが居心地がいいのだろうか、と思うと日常から切り離されているほうが圧倒的に気持ちがいいと感じる。ご飯は食べたくないしトイレにも行きたくない。生理的なことに時間を奪われたくないと思うから水すら飲みたくない。ということを言うと今回の旅の相棒ヴァイオリニスト太田惠資さんも「そーそー」と頷く。去年一緒に踊った相棒の健造くんもそうだった。でも終演後、私の仙台の親戚が手作りの味噌と梅干しを持ってきてくれて一気にそこから解放される。故郷の味は細胞と仲良しなのだ。

最近は足の指がリウマチ変形を経て一本だけ脳の司令を受けてくれなくなってしまった。本番前に何度も歩いて何度も「そこに乗れ」と言い聞かせるが、私の足指はヘソを曲げてしまっている。(そういう指は見た目もヘソ曲がっている)体はグループ活動をしているので、一人だけヘソを曲げるとバランスが崩れて舵取りが難しくなりほかの奴らもヘソを曲げ出しかねない。ウォームアップは柔軟や筋トレやバーレッスンではなくて体のあちこちに言い聞かせていく心配りの数。

来週行うディナーショー、限定34席だからあっという間に売り切れてしまった。キャンセル待ちもたくさんいらっしゃるので早速次回の計画。そして春の祭典の仕上げ。アメリカ行きのVISAの手配。共演者とのやりとり。来年作る2本の新作。秋はやることが秋の味覚のようにたくさんやってくる。舞台にのる前に今日もいろいろやりたいことがあります。あの暑い夏が終わって本当によかった。仙台の落ち葉がもう色とりどり。

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2018-09-25 雨の日の鈍感

札幌で「春の祭典」の稽古がスタートした。ストラヴィンスキーは「春の祭典」や「結婚」のような舞踊曲以外にも楽しい音楽がたくさんあり振付を考える時それらは私の思考や周囲の環境にパズルのようにピタッと決まるものが多い。音符の順番、和音の相性、リズムチェンジ、次々とルールを変えているわけでなく、コンセプトに振り回されることもなく、理性的で主観的。短期的な正解と俯瞰がどちら側からみてもとても具体的で、聴覚的というよりも視覚的に開かれている。どの音楽を聴いてもその展開は簡潔で具体的だと感じる。

札幌の「春祭」を踊ってくれるダンサーたちは十代から二十代の新進ダンサー達。そういえばカンパニーで「春祭」を初演した時、カンパニーダンサー達ほとんど二十代だった。あれから月日が経ってその時のメンバーは皆三十代に。二十代の時とは全く見えている景色が違うダンサー達は皆脂が乗っていて頼もしい。

昨日子供達と、ロングヘアを振りながら「雨乞いダンス」というのをやったからなのか、今日は土砂降りで首が痛い。ただでさえ雨の日は熱があり、関節も動かしにくいので、ぼーっとしているのに。今朝はやかんでお湯を沸かし、紅茶のポットに湯を注ごうと思ったら、ポットを持ってる自分の手に熱湯をかけてしまった。しかし全く熱いと感じることがなく、熱い、痛いと思ったのは数分後だった。どれだけぼーっとしているのか。

先日ヴァイオリンニストの太田さんとリハーサルをしている時に「美香さんは芸術的なものと芸能的なものとどちらも別名で活動していたけれど本当のところどっちが好きだったんだろうね」という話になった。客に楽しんでもらうということについて、また自分が楽しむということについて、また、楽しいの種類にもいろいろあるということについて、格好よさを伴う快楽と、格好悪さを伴う格好よさ、その角度に折り合いをつける時、意識されることは何個くらいあったのだろう。

踊る時、舞踊を芸術的に考えすぎると身体が喜ばないことも多く、また、芸能的に考えると身体には伸びきったゴムのような過去を宿すことになり、どっちもほしいと面倒くさい。リスボンの歌小屋で「人生の経験があれば歌は歌える」と言われたけれど、「そうね」と相槌をうちながら「人生の経験など邪魔臭くて仕方がないよ」と思ったわけで、そういう時に何かを封じ込め、隠そうとした態度を最近思い出す。いくつかの細かいことだが、隠して後回しにしていたことは、必ず片付けなければならない。

みづゑは旬のサンマを食べて体重もが着々と戻っている。目が見えないから走り回らないけれど、今でも冒険心を捨てない。

中秋の名月、昨日歩道橋をのぼったら、街灯が丸くて月より綺麗だった。

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2018-09-03 とりあえず

yaun2018-09-03

今年の夏は何度心臓が止まりそうになったか。夏バテ対策として飲んでいた清暑益気湯や六味丸も飲むと動悸と吐き気で倒れそうになった。先日背中の筋をひどく痛めたので治打撲一方や通導散を飲んだら、怪我は速攻で治ったが、下痢と吐き気とともに全身と顔がむくんでとうとうまぶたが開かなくなったりもした。漢方の副作用。私は飲んではいけない漢方成分が実はとても多いということがわかり、痛みや苦しみから逃れるってハイリスクハイリターンなのだと学んだ。というか何度も学んでいるはずなのになぜ忘れてしまうのか。

先月から学園坂スタジオで港さんとの子供達のワークショップが始まった。通ってくる子供達は学校や家庭に行き場のない子供達、児童養護施設に入所している子供達。親に甘えたい年頃なのに、それができない子供達は歯を食いしばってしっかりしなきゃと自分に言い聞かせて強い顔をしている。その顔は、怒りや寂しさの気持ちを箱にしまったとてもたくましい表情だ。そんな子供達が自分の置かれた環境のことや親や学校のこと、過去や未来から1時間でも2時間でも解き放たれて、のびのびと歌を歌ったり踊ったりできる時間は無条件に幸せな時間であったらいいと思う。私にとっても。

岩手県の北上さくらホール「キッザート」では月に一度子供達とダンスをしてもう5、6年の月日が経つ。ここに通ってくる子供達も学校と家庭の中だけに収まらない子供達ばかり。学校の勉強ができるのか、生活態度がどうなのか、運動神経がいいか悪いか、などというところとは全く関係のないところ、つまり彼等の創造性が武器になるところでヘトヘトになるまで踊る。

いわきでは10年以上前からダンスワークショップをしていたが、震災後に「ヨガ」と「親子体操」という形に変えて不定期に活動を続けている。いわきの人は明るく朗らかで真面目な気質で、震災後は心に大きな諦めのような穴が空いている。くよくよしても仕方がないので、とりあえず笑顔で生活しているけれど、その「とりあえず」のしわ寄せも津波のように大きい。震災・原発事故直前後に生まれた子供達は、恐怖と不安に包まれて逃げ場のない大人達、親達に育てられた。その不安感は子供にも伝わるからなのか、その子達は自分のことだけなく親や大人のことをどこか何かを心配している。

いわきには高層マンションが立ち並び人口はものすごく増えているが、住民票を移して住んでいる人は少ない。避難区域から逃げてきていている人、原発での労働者を含めた「とりあえず住民」が多い。役所の固定資産税の支払い部署の担当者がその事務処理の複雑さのあまりの忙しさに命を絶たれたというニュース。「とりあえず」のしわ寄せはこのニュースのような死亡事故だけではない。「とりあえず」痛みや苦しみから逃れるために漢方薬を飲み副作用の下痢や吐き気でのたうちまわるのとは違って、ごまかしてやり過ごす負の力は根をはり未来の影となって私たちを待っている。後回しにしてきたことはいつか追いかけきて私たちを捕まえる。

芸事をしていると、自分の苦手なことやコンプレックス、直視できないことや、すぐに解決できないこと、後回しにしてきたことはいつかやらないとならない、という目に必ずあうので、なんとなくそう思う。

さくらももこさんが乳がんでお亡くなりになった。そういうニュースをきくと私の周りの乳がんと闘っている友人たちは沈む。私の友人の乳がん患者のほとんどは、近しい人以外には公表せず病と闘っている。闘病日記などをネットで見つけると、ある日で更新が途絶えるもので、暗い出口しかなく、癌というのは人それぞれ質が違うためネットの情報に得も希望もないと皆いう。乳がんだけでなく、不妊治療も流産も鬱も介護も。ぐっと心に閉まってなんとかやっている、ということは大人なら皆大概そうあけど、折り合いがついていない人は笑顔からわかる。それは本音を隠している子供のたくましい四角い表情とは違って硬く歪んでいる。

身体的にも精神的にも倒れるように歩いていた酷暑8月は、とりあえず、毎日ハワイの空を思い出しながらタイマネちゃんのウクレレをきいていた。11月にハワイで共演するタイマネちゃんは踊りもウクレレも容姿も何もかもが怖いほど美しい女性です。とりあえず、の選択は救いの形だったりします。

https://www.youtube.com/watch?v=AHC1LkbZD10

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2018-08-18 残暑

酷暑が終わりつつあり読書や音楽を聴いて作品のことを考えてあっという間に時間が過ぎる。暑すぎると気持ちの余裕がなくなり、何かをのんびり待ったり、穏やかになれなくなったりする。昨年、スペインの灼熱地方セビージャに行った時は「昼間は危険だから外に出ず昼寝してなさい」」と言われた。昼間の街はゴーストタウンのようで、深夜になると子供達が外で遊びはじめて、大人達はバルにでかけてた。常夏のマレーシアでは「暑さでイライラしてもいいことは一つもないので、のんびり寛容になることで摩擦を回避するんだよ」と聞いたことがある。のんびりした心持ちは生きて行く術なのだ。私たちの日本でも、暑さを乗り越える知恵はたくさんあるけれど、こうもコンクリートだらけになってしまうと、知恵も術も心持ちも失ってしまう。先日乗ったタクシーの運転手はロシア人で「僕は外の気温マイナス23度が一番絶好調!」と言っていた。ロシアでは幼稚園児も小学生も朝寒い日はウォッカを飲んでから出かけるという。酒で体を温めるのは生姜湯を飲むのと同じような感覚で年齢問わず必須なのだ。つまりアルコール中毒の人が多く、酔った勢いの暴力や事故が多いという。ロシアは世界でダントツにDVの多い国だが、昨年「平手打ち法」が成立した。グーで殴ったら立派な犯罪だが、パーで殴った場合は刑が軽いという法律だ。

みづゑ、調子が悪い日はまっすぐ歩けなくてぐるぐる旋回している。階段をまっすぐ下りてるつもりが斜めに横断してそのまま落下する。ベッドで寝てる途中に落ちる。テーブルの上のマグロの刺身を奪おうとしてやはり落ちる。それでも行動の威力は全く変わらない。自分ができなくなったこと、老いていくこと、蝕んでいる病について、ただ単純に受け入れて、臆病や躊躇がない。長老猫は人生の大先輩で見習うことばかり。

この夏は新しい作品の準備中。一つは10月21日に行うレストラン作品。ランチ前とディナー前のレストランを利用してクリエイションしている。厨房のあちら側では料理を作っていてホール側でダンスを作っている、というパラレルワールド。振る舞い、振付を考えることは日々の相槌や言動、佇まいの延長線だということをダンサーたちと共有することができるのはありがたい。稽古場難民でスタジオを時間利用するだけではダンサーに伝えられる雑音があまりにも少ないと実感する。「雅歌」でもそうだったけれど劇場を一歩離れれば離れるほど、学ぶ材料だらけで宝の山。そして学ぶことはほとんど以前とっくに学んだことだったりもする。「身につける」ためには、「思い出す」という行為と「忘れる」という現象、その両方が必要で、全部が全部を過去に積んでいっちゃいけないんだ、と思う。レストランを行き来する日々と同時に、来年、再来年に手がける大きな劇場作品の新作についても考え中。「劇場」か。「劇場」で何ができるだろうとまるで素人のように劇場のことを考える。いつまでも私は素人。人生を何周もした気がしてすっかりおばあちゃんの気持ちでもあるのに、まるで子供みたいに何も始まってない、という気持ちでもある。

札幌に新しい劇場がオープンする。札幌文化芸術劇場。その中のクリエイティブスタジオの杮落しで「結婚」と「春の祭典」を上演する。「春の祭典」は2013年、作曲100年を記念して茅ヶ崎市民文化会館で作った。茅ヶ崎市民文化会館での公演がなければ作らなかった作品。茅ヶ崎で生まれた春祭が時を経て新しい公共劇場誕生の祝祭になれて嬉しい。2013年当時は、小劇場や中劇場しかしらないダンサーが多いメンバー達にはじめて1400客席、という空間の体と作品の置き方を伝えつつ、ストラヴィンスキーの音楽性にあやかって音楽から引きずり出される踊りのことを細かく伝えることのできる時間だった。その「春の祭典」は国内や国外で再演され、愛知県の高校の体育館で上演したりもした。が、あまりにもダンサーにとって精神と肉体がきつい作品ということもあり、上演をすることをやめた。治療師をつける予算があれば続けていけたかもしれないが。このたびはオーディションで12名のダンサーを選んだ。オーディションに来てくださったダンサーは皆一人一人とても素晴らしいエネルギーだった。長期間の稽古があれば、全員採用していただろうけれど、短期間の稽古。一体どこまでやれるだろう。公演は10月27日、28日。チケット発売中。

https://sapporo-community-plaza.jp/creativestudio_yamadaun.html


まつもと市民芸術館では「まつもと演劇工場NEXT」の第1期生を募集中。前身の「まつもと演劇工場」は0期から講師で関わっている。老若男女の方々が演劇に身を置いて日常や非日常の中を行ったり来たりして、いろんな価値を発見していく日々には楽しいことしかない。街と劇場とそこに集まる人々が魅力的な、大好きな松本で、多くの出会をお待ちしています。

https://www.mpac.jp/news/26262.html


秋はソロダンスが二つ。どちらも素敵なミュージシャンとの共演。少しずつ体を動かせる日々が戻ってきた。年齢と共にRAも進むので長い時間稽古ができない。いつか1日に活動できるのはウルトラマン時間になるかもしれない。

10月には私の田舎、とも言える宮城県仙台市で行われる演劇フェスティバル「卸町アートマルシェ」で、ヴァイオリンの太田惠資さんと。

http://www.artmarche.site

11月にはホノルル美術館で、ウクレレのタイマネ・ガードナーさんと、ハワイ移民から150年を記念した「元年もの企画」として。

http://honolulumuseum.org/events/lectures_performances/16976-gannenmono_un_yamada_and_taimane


昨年の冬から親子について考えることが多く、今月はとくに。完璧な親もいなければ、完璧な子もいない。お盆には、親、義親に会いに行く。子供は大人に、おじいちゃんはひいおじいちゃんになる。家の中には素敵なこと、心配なこと、面倒なことも全部が相変わらず同じ量ある。親の苦労子知らずだし、子の本音親知らず。子はいつか大人になり、大人はずっと大人でいながら、完璧な大人なんてどこにもいない。

来週はいわきに行きます。運動不足の人、夏バテの人、季節の変わり目に体を動かしに来てください!当日参加もOKです。いわきアリオス中リハーサルにて。元気に残暑を味わいましょう。

8月26日(日)13h10−15h00 親子体操 16h00−1830 ヨガ

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2018-06-16

雅歌

テリスヘリング島に来て11日目。昨夜「雅歌」初日の幕があけました。

馬と牛と羊の牧場と鳥の群れ。波の音がしない海は干潮の時は遠くまで散歩に行けて満潮になるとキラキラたっぷりした海となる。近づくと潮が引いたり満ちたりする音なのかプチプチした音が聴こえる。初日の朝は潮が満ち満ちて家の前の原っぱが海の一部になった。

「雅歌」ではカンパニーの女性ダンサー達が巫女のように存在。歩き走り踊るだけでなく太鼓と銅鑼とフルスを演奏し、巨大な海のような風を運ぶ儀式を行う。広大な平原の中で地平線に消えるほど遠くへも行く。そして湯浅永麻さんの清らかで乱らな美しい妖怪のようなゴージャスな踊りが圧巻。五島列島から参加の神崎君は無垢な太鼓と舞で言葉にならない。テクニカルチーフの遠藤さんは料理も映像編集も力仕事も火起こしも何もかも上手で雅歌一家のお父さん。衣装と美術のティンは一番寝てない。作曲家のマキシムの感性の光る計算、朋子さんはいつも潔い思考と姿と共に甘いケーキと美味しいご飯を作ってくれて衣食住について全てが儀式ともいえる。

水平線と地平線を取り入れ、一切の電気を使わない、毎日見たことない灰色や青の空の色、殺風景ともいえる素朴な自然の風景の中には、見るものと聴くものが抱えきれないほど溢れている。マジックアワーの美しい時間に行うパフォーマンスは自然がマジックを超える事を教えてくれる。しかし美しい世界であればあるほど過酷。一切守られず与える事でしか生まれない形があるとしたらそれは祈り。極寒、強風、雨風、皮膚が焼けるほどの日差しの痛い晴れ、多種多様な虫も動物も寄ってくる。平原舞台には日陰も雨よけも虫除けもなく、パフォーマンス中もプリセットも片付けもスタンバイも毎日繰り返す事も含めそこにある営み全てが毎日厳しい。

日本の気候や自然の形とパターンもリズムも違うこの土地でこれから残り24日の夜明け前公演までどんな境地に達するのでしょう。高知県立美術館の中庭では7月13-14日、神津島の海岸では7月21-22日、いずれも日没から。

今日はどんな公演になるでしょう。風が強くなってきました。

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2018-05-23

秋のメルボルン

エストニア、フィンランドのカンパニーツアーを終え大きなカバンを置いて小さなカバン一つに稽古着とスマホだけ入れてメルボルンへ。預け荷物もなし、航空券もなし、現金もなし、目的も任務も義理も何もなく身一つとスマホだけもって来た。これが私の仕事ですと胸を張れる仕事らしい仕事ともいえる。

フィンランドでもオーストラリアでも主食はサーモン。シャリが美味しくないのが残念だけど大好きなサーモンが本当に美味しい。

久しぶりに毎日踊って胴体全身が筋肉痛。腕や脚が痛いと不快だが、胴体全体が痛いのは道が拓けた気分。肋骨と肋骨の間や肩甲骨の奥や縮こまってた肉と骨がちゃんと剥がされた心地よさ。今まで冬眠していた体の部分部分が具体的に目を冷ます。冬眠していた分そこはとても若くて経験がなくてこれから成長して活躍してくれるように思える。日本人同士で稽古をしていると骨格や習慣が似ていて身体の癖が生理に隠れてしまうけど自分と倍くらい大きさの違う人と稽古をすると身をもってわかることが多いもの。今から撮影。

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2018-04-26 サバLED忘備録と予定

マレーシアのサバ州では舞台公演などはめったに行われない。サバ州では外国人アーティストがビザを取得してパフォーマンスを行うようにマレーシア人でもパフォーマンスビザがないと仕事として公演活動はできない。ビザ取得には金銭的負担と労力がかかるので、サバツアーを展開するアーティストはとても少ない。伝統芸能としてのダンスはとても盛んで、人々の生活に浸透している。けれどダンスはタダで観れるもの。芸能や芸術は生活と観光に所属していて入場料を払うという価値はまだない。大多数がそういう中少数派もしっかり存在していて「People without seasons」のサバ公演を待ち焦がれている人々もいた。2日間公演は連日満席。とはいえ中には受付で「安くしてくれ」と頼む人もいたし、「お金を払うなら観ない」と帰った人もいた。その都度受付スタッフが「通常はこんな安い料金じゃ見れない公演なんだ」と説明をして30RM(1000円弱)を集めた。

低予算で作られた新しい劇場には最低限の音響と照明の機材が勢ぞろい。照明は全てLEDライト。LEDでは鳥肌が立つようなフェイドインやフェイドアウトは作れない。森の中のような境目の曖昧な光の濃淡もない。照明機材そのものが一番ギラギラと光っていて常に眩しいにもかかわらず、照らされているこちら側は熱が来なくて色彩は冷えている。例えばブルーで暗めの明かりの中ではダンサー同士の距離感がとらえにくくなる。近くにいるのに近くに感じない。近づいても近づいている気がしない。よく見えないのか見えすぎているのか、経験したことのない虚しさがある。視力が迷う。人の肌なのに触るまで温度を感じにくい。とてつもなく明るい時にも全てがフラット。高速で動いている隣の人の気配は気配より先に見えすぎて冷めてしまう。まるでスマートフォンの中の何かを覗いているよう。味が足りない。「明るい」「暗い」の言葉の意味が変わってしうほど「明るい」も「暗い」も質の違うものだった。LEDしかない中で照明の藤田氏は綺麗な手作業をしてくれて救いだった。

サバからの帰国は10時間遅れて、帰国したらワークショップに出かける時間。ワークショップが始まった時は「ワン◆ピース」の稽古が始まる時間で「ワン◆ピース」の稽古が終わる前に「雅歌」の稽古が始まった。マレーシア人達との「アジア人同士」の時間から「日本人同士」の時間へ。オランダに足をつく朋子さんや永麻さんの持つ文化、五島列島からきたともきさんの文化、そして東京で暮らすカンパニーの女性達、「アジア人同士」とは違った文化の差が刺激的。5月2日には高知公演に先立ち高知限定オーディションが行われます。4月29日締め切りです。

https://moak.jp/event/performing_arts/mukaiyamatomoko_gaka.html

GWのスタートは4月29日14時〜いわきアリオスのリハーサル室でヨガ講座あります。随分前の病後にヨガと食生活、住環境などを変えてストイックに真剣に取り組み多くを学びましたが、今はヨガは緩やかに日々の中に楽にあるもの。一度学んだことは何度も忘れ何度でも学び直せるものです。

5月5日は山口は宇部の新川市のイベント「狐の嫁入り」へ。この盛大な嫁入りイベントにカンパニーメンバーの新婚夫婦城俊彦と三田瑶子が選ばれました。二人の門出を祝してCo.山田うんはパフォーマスで参加します。どなたも観覧できます。

5月8日−9日は今年連続2年目となるエストニア・タリンツアー。倉庫群をリノベした新しい文化発信地ババラバへ戻る。カンパニーのロングラン作品「ワン◆ピース」。ソロパートを踊ってた小山まさしに代わってソロを踊るのは木原浩太で、新たに河内優太郎も加わるフレッシュな再演。

http://vabalava.ee/en/

5月11日は初のヘルシンキ公演。130年前、ロシア人の娯楽劇場として建てられた歴史あるアレキサンダー劇場で1日限りの「モナカ」公演。

http://www.aleksanterinteatteri.fi/co-un-yamada-monaka


6月15日〜24日は向井山朋子さん新作の「雅歌」プレミア。オランダのテルシェリング島で行われるウロルフェスティバル。日没や日の出を借景に行われる儀式のような作品。7月は高知県立美術館、神津島へ。野外の自然の壮大さを想定して作りこみ当日のことは想像外。

https://oerol.nl

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2018-04-11 サバ公演

ボルネオ島はマレーシアとインドネシアとブルネイに国境が分かれていて、今はマレーシア領土のサバ州にいる。洗濯物と国旗と州の旗がひらひらと同列に並んだ生活感のある船が海にたくさん浮かんでは走る。臭い臭い漁港の匂いは子供の頃に焼津で嗅いだ匂いで懐かしい。釣りをする人々の背を見ながら劇場に通う。歩くにはちょっと遠い場所だしタクシーを使わないと言ったら驚かれたけれど、まだ冬の冬眠から覚めたばかりの日本人身体がここで元気に仕事するには真夏の日差しを浴びることと汗をたくさんかくことは必須で気持ちがいい。

昨年8月文化交流使としてここサバを訪れた時は美術家の藤浩史さんとファッションデザイナーの村上亮太さんと一緒で、この土地の文化や歴史、舞踊そして開発されていくサバを視察した。「季節のない街」マレーシア版のリサーチ。そうして出来上がった「季節のない街」は10月にクアラルンプールで初演を迎え、多くのサバ出身の観客に「サバの街を題材に取り入れてくれたことが嬉しい、サバで上演してほしい」などと言われ「それではサバ公演をやろうではないか」と即実行。昨年来た時に工事中だったパフォーマンススペースのブラックボックスで今週「季節のない街」の公演を行う。カンパニーからはドテチンとお米とじょこピ〜とロンが参加。2011年「街へいく電車」というタイトルだった頃の初演メンバーだ。7年目のロングランとなり「People without seasons」と題している。

それよりも更にロングラン演目である「ワン◆ピース」は5月エストニアツアー。既にリハーサルを開始している。同時に「モナカ」もヘルシンキツアー。こちらも既にリハーサルを開始。大型自転車操業のカンパニーでダンサーもスタッフも予定を合わせ体調を合わせることはロングランで毎回毎回ミラクル。

サバで唯一のコンテンポラリーダンスカンパニー「Synergy dance theatre」はリハスタジオとレンタルスタジオ、工房をかまえている。そこのアーティスティックダイレクターでボスであるクリストファーが今回のサバ公演のサポートをしてくれている。彼はとても優秀なスタッフであり大道具であり美術家であり陶芸家でありダンサーであり振付家。どんなことを頼んでも「それはわからない」「それは無理、それをするならこれが必要」という答えは返ってこない。言い訳なく顔色も変えず手足頭を駆使する。力仕事も細かい仕事も交渉も即行動をして結果を出してくれるし頼む前に何が必要か先回りさえして考えてくれてその方向がお節介でも勘違いでもない。今回の公演は舞台美術を飾ってくれる美術家もいなければ舞台監督もいない、仕切る人がいないけれどスムーズなのは彼のおかげ。しかも劇場スタッフも機転がきいてタフでとても気持ちよく働く人だ。マレーシアにはダメ男しかいないと思っていたがそんな事ない。

目の前で新しい大劇場が建設中。次にサバに来る時はそこでやろうとメンバーが言う。私はブラックボックスで皆で作った150席の方が好きだしまだ見ぬ大劇場も好き。

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2018-03-20 春の予定

桜が咲き始め雨ふり寒い東京。体感は2月の春雨です。昨年秋から松本と東京を行き来する日が続いていたけどひと段落。「まつもと市民オペラ」「まつもと演劇工場」「白い病気」など。日本語の歌や台本を持ち歩く日々の中で、日本語と日本人と日本文化にできるだけ新鮮でいることが日課で、台本他最低限を除いて日本語の本や文をなるべく読まない日々。意味を突き抜ける態度に貪欲です。

カンパニーは3つの再演と1つの新作のリハーサルを並行中。稽古する時間も場所もお金もないない尽くしのカンパニーだがチャンスは容赦なくやってくる。そのチャンスをないない尽くしのためにすべて実行できないのが歯がゆいが、ダンサーたちはそれぞれに他のプロジェクトや活動と仕事と忙しい日々を過ごしながら稽古場では集中して稽古をしてくれて、本当に逞しい存在だ。

Co.山田うんの次の舞台は4月13日(金)−14日(土)マレーシア・コタキナバルのサバで「People without seasons」(季節のない街)。昨年「季節のない街」マレーシア版を作る上でサバをリサーチした時に、駅前のショッピングセンター内でまだ工事中だった新しい文化施設だ。ちょうど1年前に上演した伊丹アイホールのような大きさで「季節のない街」ができる!と確信していた。とはいえ確信を実現させるには様々な立場の方が立場を超えながら力を尽くしてくれる行動力あってのことで実現は奇跡に近い。国内でも国外でも当たり前のように展開する出来事ほどありがたいものはない。爆発的なエネルギーを持つマレーシアキャストで上演するこの作品こそ多くの日本の観客に見てもらいたい。カンパニーからは飯森、伊藤、川合、城、という2011年初演メンバー4人が出演するほか、クアラルンプールのダンサー、サバ出身のダンサー、そしてサバで活動するダンサーなども参加。夏はすぐそこ。

https://www.jfkl.org.my/events/un-yamada-2018-people-without-seasons-sabah/

5月は昨年に引き続き北欧ツアー「ワン◆ピース」と「モナカ」でエストニアとフィンランド。今年は季節外れの寒波がこないといいのだけれど。昨年は70年ぶりの寒波の中、疲労した体に待っていたのはお湯の出ないシャワーと22時以降買えない酒だった。ダンサーにもスタッフにもいろいろと苦労しかかけていない。今年はどうかな。

6月は向井山朋子さん演出の新作「GAKA」にてオランダのテルスヘリング島のウロルフェスティバルに。既に先月からクリエイションがスタートし、カンパニーからは8名の女性ダンサーが踊りと演奏で出演する。6月のテルスヘリング島は10日間島全体がアートフェスティバル会場となる。オランダという平地の中に日本や北欧で聴こえてくるような山や海に宿っている神様の遊びのような、そんな自然の形はあるかな。テルスヘリング島から出発し、7月は高知、神津島と「GAKA」は巡る。その頃は夏だなんて今日は全然実感できない。

日常は言葉にしたくないことが多い。素敵なことも残念なことも。そういう時、風が目の奥の隙間にすっと入り込んで、行動を減らさないまま瞑想に近い場所で耳を澄ます振り。

目の見えないみづゑは何にも臆することなく高い所や隙間をスタコラのぼるし降りてくる。知らない人にもビクともせず、外の光も大好きで行動は全く衰えない。凛として可愛い。元気なかゑでは高いところが嫌い。他人も嫌い。外も嫌い。空から降ってくる雪とご飯以外には興味を持たず、臆病で冒険に行きたいなどと訴えたことがない。甘えん坊で可愛い。寒い日はどっちも可愛い。

3月31日、年度末の最終日は「ダンサロン」ひいきの「本能中枢劇団」が出演します。振付担当もしています。「ダンサロン」はダンス作品のショーケースではないし、ダンサーのためのイベントでもなくて、もっと広い「ダンス」ということでスパイラルホールと実行委員会のものと開催しています。私は仕掛け人の一人ではあるけれどここのところはずっと行けていません。今回は久々に会場にいることができます。多くの人とお会いしたい、また心踊れば踊り出したい。スパイラルホールで会いましょう。

http://www.spiral.co.jp/e_schedule/detail_2552.html

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2018-01-23 ハレーション

yaun2018-01-23

意識と身体というのはなかなか一緒に過ごすことができない。身体はここにありながら、手の届かないところに、意識が飛んでいる、無意識のうちに。また、身体をあっちに運びながら、意識は運ばれずじっと何かを考え続けていたり。身体は身体で一冬ごとに少しずつ調整が厄介になる。動かさないとどんどん動かなくなるし、動かし過ぎても即ダメージが。動けばいいのか動かないほうがいいのか、動きたいのか動きたくないのか、本当のところはわからない。寿命があるんだということだけわかる。真夏まであと2ヶ月の予定。

今は「モナカ」の最中。1月5日〜8日のスパイラルホール、1月21日福岡のなみきホールを終えて、最終地は1月26日京都のロームシアター。http://rohmtheatrekyoto.jp/program/5889/

2月16-17日にTPAMにて「七つの大罪」を上演するにあたり稽古中。スタジオパフォーマンスの環境下、今回は今回として新たにチャレンジして前回とは違う演出。https://www.tpam.or.jp/program/2018/?program=co-un-yamada-highlights-from-repertory

こんにゃく座ではオッフェンバックの「天国と地獄」の稽古中。運動会と文明堂で有名な音楽は160年前に誕生したオペラの中に可笑しな内容でカラリと存在。2月8日〜!チケット絶賛発売中。http://www.konnyakuza.com/syusai.html

まつもと市民芸術館では今年も「まつもと演劇工場」。今年はマヤコフスキーの「ミステリヤ・ブッフ」老若男女の市民キャストは奇妙で素敵な人ばかりで。http://theaterfactory.net

昨夜は街灯と雪景色のハレーションで家の中がとても明るかった。電気をつけなくても白い蛍光灯の間接照明の中にいるような、灰色で霞みがかった新鮮な光だった。外からは子供達の遊ぶ声が夜遅くまで聞こえてきた。きっと東京に住む多くの人がうっとりする雪の恩恵に出会っただろう。雪だるまを作ろうと思って玄関を開けたら、猫の石像がシュトーレンみたいな姿で凍えていた。それ以外の景色は雪見だいふくのように美味しそうで、だるまはいらなくなった。

今日は元気な太陽と雪景色のハレーションで、ただの晴れよりももっと強い晴れだった。うちには大きな窓しかなくて、その窓にもカーテンがないので、外の光の色がそのまま家の光の色になる。晴れの日はいつも絶対にテラスで日向ぼっこをする猫達は雪の積もったテラスをじっと見て一歩も出ようとしなかった。みづゑは目が見えないけれど、やっぱり出なかった。その後室内で日向ぼっこをしながらじゃれていて、気づいたら取っ組み合い。みづゑは目が見えないのに取っ組み合いするし、高いカウンターからジャンプするし、ねずみのおもちゃにはしゃいだりもする。

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