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2017-05-24 旅記13-オーディション

yaun2017-05-24

マスルールのオーディション。昨年は第一次審査に参加したけど今年は最終審査に参加。最終審査の最終セクションでカンパニーレパートリーの「春の祭典」を踊ってもらった。雪を知らないイスラエルの若者たちに夏のテルアビブで日本人の私がストラヴィンスキーの「春の祭典」を教えるなんてことは想像力の馬鹿力。バレエのポイントが高い人はほとんどモダンのポイントはとれず、悔し涙で落ちる人たちを見送り、午後からのコンテンポラリーレパートリーではヤスミン・ゴダールの強烈なモチーフ、そして、ラストセクションは馬鹿力、、、。若い参加ダンサーたちは多くをやりぬかなればならない。バレエとモダンの部で落ちて「ありがとう」と笑いながら帰る人は一人で、あとはほぼ半べそ。何人かに「なぜ私が落とされたか教えて下さい」と言って泣きつかれた。

これまでカンパニーオーディションをしてきてもそうだけど、受かる理由も落ちる理由も一つじゃない。でも感覚でもなくて理由は一つ一つはっきりしている。ある若者からは日本では高校を卒業したらどのような生き方をができて、どのように仕事にありつけるのか、ということについて聞かれたりもした。日本には兵役がないことに驚かれたりもした。イスラエルは全国民男女に兵役があるということを日本の若者達が驚くのと同じような反応で。

合格レベルに達したダンサー達の多くはバレエ審査で高得点をとった人ではなかったし、回転やバットマンが最高に綺麗な人というわけでもなかった。イスラエルでダンサーに求めること、ダンサーの才能とは何か、ということの中に「踊りのうまさ」「技術の正しさ」みたいなものはあまりない。もちろん全く技術がなければ話にならないが、どんなにビギナーであっても「うまさ」以外の魅力を持っていれば受かる。現時点での技術、骨格、顔、個性、チャレンジ精神、などから可能性を想像してジャッジする。

最終審査まで残った人たちから優秀合格者と保留合格者にわける。そして、改めて受験生達に話をする。17−19歳ほどの若者たち、まず両親と学費の相談しなくてはならない。軍隊とも相談しなくてはならない。ここは高校の延長ではなく学校でもない。プロのダンス教育を受けるところで、プロのダンサーになる、アーティストの道を歩く人の特別な教育現場だ。軍隊よりきついのに、軍隊と両立しなければならない。肉体的に強くても精神が負けたら生きていけない。新しいステップを教えてもらうために通うところではなく、プロの教育機関だ。それはどうところなのか自分で、一人で考えなさい。そして自分自身で納得し、覚悟をきめて、歩き始めなければならない。人生は自分の力で切り開くもので、踊りだけ踊っていれば踊りの人生が開けるなんてことはない。ということを淡々と厳しくダイレクターから語られる。

マスルールのダンサーは卒業と同時にキブツコンテンポラリーダンスカンパニーやバットシャバ、インバルピントカンパニーなど大きなカンパニーと契約する人が多い。日本で紹介されていないカンパニーだけでなくこの国にはものすごく多くのカンパニーそして振付家がいる。オーディションを受けている若いダンサー達。才能があっても、将来的にビッグカンパニーに入れる可能性がなさそうなキャラクターや骨格の人は落とされることが多い。特に女性は。審査会では「彼女は面白い!」「でもカンパニーのニーズに合わない気がする」「彼うまい!」「いや、つまんないよ」「彼女はきっと変わるよ!」「いや変わらないと思う」など様々な違う意見が飛び交う。イスラエルのダンスカンパニーは様々だが、数あるカンパニーの中で、ヤスミン・ゴデールはイスラエルではとても重要なコレオグラファーだなということを感じる。

約一ヶ月後にバットシャバカンパニーのスタジオでマスルールの学年末公演。2年生が最後に踊る作品を振付している。ダンサーたちに音楽性を伝えることはとても大変。一回あきらめかけたけどもう一度チャレンジして仕上げ最中。私は自分がどんなダンスをしているのか振付にするのか、普段語ることもないせいかあまり理解していないけど、日本人に伝えられる道とイスラエル人に伝えられる道が違うことに気づいた去年から、どんなプロセスを通って伝えれば伝わるか、がわかった今年ではちょっとだけ壁を越えた感。

身体と土地と時間は切り離せない。結果同じポーズをしたにしてもその形を手にいれるためのプロセスは時差や気温差以上に全く違う。残された時間はわずか。今週はシャバットはお預け。なんでこんなに忙しいのかしら。忙しいだけならいいけど迷子とか間違えとかドジとか悔しいことや不安なこと面倒なこともいっぱい起こる。毎日いろんな挫折の連続。すぐ忘れちゃうけど。オフィールとエリちゃんとアリ君とみた地中海に沈む夕日は本当に美しくて忘れたくない。

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2017-05-20 旅記12-シャバット

yaun2017-05-20

シャバットはユダヤの安息日。金曜と土曜は静寂と家族の時間が訪れます。日頃の喧騒が嘘みたい。多くのお店はしまっていてエレベーターも動かなかったり、倍以上反応や速度が遅くなります。一人で旅をしていると休日の夜はとても寂しくなりますが、お呼ばれしないで遊びにいっちゃうと顰蹙をかいます。今週のシャバットは親友のロイ君宅にお呼ばれしました。一人でご飯なんか食べちゃダメよといってずっと前から「うちにきなさい」と言ってくれていたのでした。

テルアビブから北上した閑静な住宅地にある美しい一階建ての広々したリビングのある一軒家。朝からたくさんの料理を作って待っていてくれたロイ君のお母さんは出版関係のプロデューサー。リビングで家族たちがニュースを見ていた。ニュースの内容は戦争のこととトランプのことばかり。みんな真剣に戦争のニュースに食いついている。一人ずつ家族を紹介してくれた「こちらはおじいさん」「こちらはおじいさんのガールフレンド」「母」「母のボーイフレンド」「母のボーイフレンドの子供」といったところで母のボーイフレンドが「俺はボーイフレンドなのか?」と怒る。「え?違うの?じゃ、パートナー?」「もう10年以上も一緒にいるんだぞ。それで俺はボーイフレンドなのか?」と怒っている。ロイ君は25歳の誕生日で、ロイ君の彼氏はまだ22歳。彼らはとても若いけれど、頼り甲斐がある頭のよい行動力のある大人。イスラエルの若者は成長がとても早い。兵役を終えた21歳頃にはみんな立派な一人前で、対等に話ができる。どんな話も。

食卓を囲み、皆でご飯を食べながら、美味しいイスラエルワインをいただく。酔っ払ってきたところで再び「俺はボーイフレンドなのか?」という話題に。すかさずロイ君のお母さん「ハズバンドじゃないわよ。パートナーよ。ボーイフレンドって紹介したっていいじゃない」「同意できない」「ならボーイフレンドをやめたっていいいわよ。私はもっと若い血が欲しいから、あなたじゃなくたっていいわ」という展開が私の右隣と左隣で、口の中から食べ物が飛ぶほどの勢いで喋り続けた。どんな話題もオープンで、そこには裏も表もなく。この一家の一番の長老であるおじいさんが、時々私を見て微笑む。おじいさんのガールフレンドはカラフルなドレスをきて人形みたい。やはりガールフレンドがいるからなのかおじさんはとても若々しい。いろんな日常会話の中にどの国も同じ家族の匂いがする。

わけあって靴が履けないのだが、無理やり履いてさて明日からもがんばらねば。一人旅。がんばるしかない。それが問題だ。テルアビブにきてから2度引っ越しをしたが明日は3度目の引っ越しをしなければならない。

この国の病院もまた素晴らしい。私は保険を払ってないから公共の病院は受診できないし個人のクリニックもなかなかの高額だが、ドクターはとても親身。戦争をしている国でもあり医療は最高レベルと噂で聞いていたけれど私の持病にも日本では扱われていない新薬が使われているらしい。

どの場面でもどの人もとても力強く生きている。この国のダンスやアートが力強い理由は日常のいろいろな場面で感じる。揉め事については真っ向から勝負するし、戦うし。私の知っている強さとは種類が違う強さを持っている。弱さもまた。

先週は日本大使館での金曜講座にてイスラエルと日本の身体や文化の違いと発見などをダンスを通じてレクチャー。ナオミ、オフィール、私。日本語とヘブライ語での講座だったのだが、ナオミはすかさず英語に切り替える。「うんの英語は素晴らしいから、英語の方がいいのよ!みなさんそれでいいですか?」といって。もちろん私の英語のレベルは大変低い。イスラエルだから許されたであろうレベル。

今週はマスルール二年生に提供した作品をバットシャバダンスカンパニーのスタジオで発表。イスラエルは私にとって特別な国。嫌悪感と圧倒的な好意を同時に持って、その間で足踏みしている感情がある。

「これ日本語でしょ?!」って言ってサギ君がTシャツを着てきた。日本語に似てる模様。彼は優秀なランナーでありピアニストであり、やっぱりダンサーになりたい!のだ。今私の作品で踊っている一人。軍隊ではパイロット。生死と隣り合わせで体も思考も自由に踊ってる場合じゃない。タフにやるしかない二十歳の青年。兵役中ほとんどの男達は短髪または坊主頭。彼の踊りを見ているとなぜか彼を救いたくなるのだ。

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2017-05-15 旅記11-マスルール

yaun2017-05-15

イスラエルのダンス教育機関マスルールは「オープンスクール」と題した有料のパフォーマンスを月に一度開催している。今はマスルールは市の公民館に所属しているので、オープンハウスを行う時には外の劇場を借りる。今回はダンスカンパニー「フレスコ」のスタジオを借りて、マスルール生徒12人とザルツブルグのダンスアカデミーSEADの学生1人と卒業生4人と外国人講師、ロシアから来ているオルガと私、合計19演目のソロパフォーマンスを行った。

「フレスコ」はテルアビブの貧民街、アフリカ人やフィリピン人など多くの外国人が多くバスターミナルの中にある。道路も建物も異臭がしてあまり足を運びたい場所ではない。足を運んでも広いバスターターミナルの中のどこにスタジオがあるのかわかりにくい。私は自分の出番までドア係をしていたが、多くの客が「どこにあるかわからなかった!」と怒りながら開演に遅刻してきた。遅れ客は、生徒の家族や、知り合いの子供達、卒業生などの関係者が主だけど大勢の人で賑わう。

生徒達のソロワークはとてもリッチ。まず、イスラエルの第一線の振付家のソロワークショップをいくつかうける。その後、それぞれのソロワークに入る時、ワークショップでやったソロをとことん踊り込んでもよし、それとは別の振付家のレパートリーを踊ってもよし、まずどの振付家のどの作品を踊るか学生は自ら決めて、そして振付家にコンタクトをとってソロワークを始める。今回のために新作を依頼することもできる。それは学生たち次第だ。振付家はイスラエル第一線の人ばかりで忙しい。そして学生たちは兵役中。時間のない中でどのように振付家と時間を過ごすか決めて限られた時間でクリエイションをする。学生たちは振付家にギャラも払う。もちろんとても少ないギャラ。公演のチケット代金くらい。けれども貪欲に真剣にソロダンスを作る。自作自演は1人だけであとは皆、振付家と組んで仕事をした。決して優秀とはいえない学生も、自分だけの癖に逃げず振付家とコラボレーションをしようとする。感性と身体能力、若者たちには感動した。今回一番私が感動したのはヤスミンゴデールのとても古いソロパートを踊った生徒のソロダンス。卒業生ソロはバットシェバやインバルピントなどのカンパニーダンサー。振付もダンスも学生とは全く違う、やる気や捨て身ではなくて責任感みたいなものがある。さすが第一線で踊ってキャリアもあるダンサー達だが、このマスルールのオープンハウスに怯えていた。マスルールのディレクターのナオミは本当に厳しく、彼女の前で踊る緊張感は凄まじく、卒業してもう何年も経つのにまだ怖くて足が震えるとのこと。

グループワークや普段のクラスでは全く才能が足りないと思われているような生徒でもソロワークで振付家とのマッチングにより奇跡を起こす人がいる。ソロダンサーとして生きて行く道や、その振付家との特別な契約をしてもいいと思うが若いダンサーにはそのようなフレキシブルな道はない。この国ではコンクールやコンペ以外は若いダンサーのソロダンスなど皆無だ。まずはダンスカンパニーに所属してプロのダンサーとして活躍することが入口であり次への出口になる。日本はどんな活動のスタイルも許される。とても自由な国だなと思う。

それにしても人口800万ほどの小さな国で第一線に並ぶ振付家の数は70−80人くらいいる。ダンサーも振付家も多すぎて、バットシェバやインバルピントなど人気カンパニー以外のお客さんはほとんどダンサー、ダンス関係者のみ、という状況がいつまで続くだろう。

マスルールには先週ロシアからのダンサー,振付家もきていた。コンペで賞をとった副賞がイスラエルでの滞在とクリエイションだ。ロシアではダンス講師には女性が多いが、振付家で女性は少ないとのこと。日本ではどうか?ときかれたが、日本には女性振付家はたくさんいる。振付が男性の仕事、というイメージもない。短い作品を一つ作った経験があれば「振付家」という肩書きを使ったりする。肩書きを使うきまりはないし、アマチュアとプロの境もない。というような話をすると大変驚かれた。積み木の家を作っても建築家って言えるわけですね、と。建築は免許が必要だけど振付家にはそういうのはないし、そもそも「コレオグラファー」という仕事が根付いていない、という話などをする。彼女はロシアとイスラエルのギャップに刺激的で楽しいけれどとても疲れるという。一人で異国へ行き、パワフルに仕事をすることは一人ではとても大変。あなたは旅慣れてて大丈夫なのね、と言われた。疲れることはよく眠れることになるので大好きだし、体調不良も長年の日常なので特別ではない。とはいえイスラエル→トルコ→ジョージア→アルジェリア→エストニア→イスラエルという旅の現在地で常備薬は半分なくなっている、という状況。発熱、嘔吐、下痢、ま、それ以外にもいろいろあるけれど、今は全身蕁麻疹に見舞われている。

あちこちで去年のマスルールの卒業生にも再会する。「十三夜」をたくましく踊ってくれた若者達は皆それぞれの道を選択。ほとんどがダンスカンパニーに所属しているが、厳しいマスルールでのダンス教育と兵役を終え、中には普通の生活を選択する人、大学で心理学を勉強し始めた人など様々である。卒業生達は同期に再会すると必ず昨年上演したカンパニーとの「十三夜」の話になるという。日本人との交流は自分の人生の中で最高に印象的だしアジアに関心を持つきっかけにもなったし、何しろ「十三夜」は肉体的にも精神的にも一番厳しくて忘れられないという。兵役より厳しいってどういうことなのかしら。

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2017-05-07 旅記10-イスラエルに帰国

yaun2017-05-07

イスラエルに戻ったのはシャバットの夜。パスポートコントロールもタクシーも大行列。飛行機降りてから空港を出るまで90分かかった。やっとの思いでアパートに辿り着いたらなんとその契約したアパートはカビだらけだった。寝室もリビングもキッチン、風呂場もひどかった。これで寝たら肺が死ぬと思い、スケッチブックを破り、あらゆるカビの場所にスケッチブックを貼って、マスクをして仮眠したが翌日目も喉も痛かった。オーナーに連絡して苦情を言って出て行くことにした。お金も返して欲しいと伝えたがお金のことでかなりもめた。オーナーともめながらも新しいアパートを探した。歩いて引っ越しできそうなところを見つけたが、これまたそのアパートがダブルブッキング問題に。そしてそのオーナーに連れられてまた別のアパートを見に行った。大通り沿いだが部屋は内側の庭木向きで、大きなバルコニーもあり、一目で気にいって3軒目でようやく部屋が決定。しかしこの新しいオーナーは大変お金の工面に困っているようで、すぐに現金がほしいと口からヨダレを垂らしている感じに見える。とはいっても私が一日に引き出しできる現金は限られているから家賃を現金で支払うまでには3日くらいはかかる。お金に困ってるから毎日おろし多分だけ取りに来ることに。

さて、カビだらけの部屋を提供していたオーナーとの喧嘩が昼夜続いた。「今出て行ったら半額返金。それは君にとって随分損だぞ!いいのか!?」「それでもいい。そしてカビだらけの部屋を提供している人がいるってエイジェントにも伝えておく。それがいやだったら全額返してほしいしその前にまず掃除した方がいいと思う」「なんでそんな悪魔みたいな取引するんだ?お前は俺と話し合いじゃなくて遊んでるんだな?」「遊んでない。カビだらけの部屋で寝たら私肺炎になって死ぬ。一晩寝ただけで肺が痛い!私以外のゲストにもこのことは知らせた方がいい。」「出て行ったらキャンセルで50%支払うんだぞ!この損は痛いぞ!」「どうぞ」「50%だぞ、、ていうか実際僕はかなり痛い、それで君が苦情を書き込んだりしたらもう先がない」「じゃあ掃除する?」「私は自分のお客さんとこういう喧嘩はしたくない!君は何が言いたいんだ!」「私はカビは許せない。あなたは絶対掃除するべきだし、掃除しなかったら部屋を貸さないでほしい」「とにかく50%は痛い」「こっちだって痛い!お互い痛いってことにしましょう。喧嘩はしたくないし。このネガティブなパワーは疲れるからやめましょう」「そうだね喧嘩はよくない」あれこれやりとりには緩急があって、結局半額支払ってアパートを引き払うことに。そして最終章。「カビは本当にすまなかった。君の健康を心から祈るよ」「ちゃんと払ってね」「君の健康を祈る。祈りは素晴らしい」「そうだね」「僕の文化は祈りを大切にしている。僕たちは人間だ。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教ができる前から人間で宗教では分けられないし祈りは宗教とは関係ない。僕は君のことを祈る。本当にすまなかった。」「部屋の汚さは本当に残念だった。お祈りありがとう」「ところで君の名は?」「は?」「君の名前をちゃんと知ってお祈りしたい」という面白い展開に。そして私は名前を伝え「私たち日本の文化では掃除はとても大切。清潔にすることは大切。それがお金や幸運がめぐるエネルギーになる。あなたがちゃんと掃除したらきっと運がまた巡ってくる。あなたが掃除しっかりやって幸運をつかめますように」として喧嘩は幕を閉じた。

エストニアもアルジェリアもジョージアも濃い思い出がいっぱいあるけれど、どこへ行っても思い出に浸る時間は全く用意されないのはなぜだろう。ノスタルジックになる暇がない。今回もこたびの喧嘩で素晴らしくカットチェンジさせていただいた。

先週はタリンで吹雪の中を歩いていた。太陽が出た時、太陽の輝きや温もりが嬉しくて、鳥の声はハイピッチの喜びの歌だった。今ここは炎天下。たくさんの鳥が鳴いているが喜びの歌というよりもちょっとうるさい。私のアパートは木に囲まれているので複数の鳥が一日中きゃんきゃん言っている。

さて明日からは一日に2時間ずつ約40時間という限られたスケジュールの中で、作品を作らねばらならない。イスラエルの約18−22歳のちょうど兵役中の学生達。若者達は本当にタフで体当たりしたら体当たりしてくれる。

モダンダンス、というかコンテンポラリーダンスというか、創作のダンスは国によって全然違う。この一ヶ月、同じモチーフをジョージア、アルジェリア、イスラエル、エストニア、と行ってみたけど、やれること、やれないこと、伝わること伝わらないことが国によって差がありすぎる。バレエのテクニックを持っていたとしてもだ。私の振りは日常所作の延長にあるがため、国境を越えると日常も変わり、体の持つ当たり前は見事に違くて、伝わらなくて面白い。自分で訓練したり意識してない回路というのは本当に強烈なものだと実感する。

久々に洗濯機をまわし洋服達をテラスに干した。日差しも強く風も爽やかな真夏日で洗濯物はなびいてすぐ乾いた。洗濯大好き。旅の疲れを取ってくれる。

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2017-05-05 旅記9-エストニアツアー

yaun2017-05-05

タリンに着いた瞬間から「タリン公演のチケットがソールドアウトだ!どうしよう!」という相談から始まり、小池ちゃんの写真展のオープニングに行き、、エストニアでもバタバタと時が始まった。

ダンサーもスタッフもフライト途中で雲の上で了解をとる時間もなく5/4のソワレ19時と21時半という2ステージを決定した。テレビや新聞、ラジオの効果もあり追加公演もあっという間にソールドアウト。踊ってくれたダンサー達は見事だった。

エストニアという小さな国でコンテンポラリーダンスのチケットが早々にソールドアウトになることも、観客全員がスタンディングオベーションをすることもないらしい。一体何が起こったのか、なにを起こしたのか分からないが、エストニアの人々とダンスシーンの中心にタッチした。

ヨーロッパでは美しい身体の骨格と適当な身長があってさらに技術とセンスがなければ第一線のカンパニーで一流のダンサーとして活動するチャンスを得ることはできない。どんなにうまくてもビジュアルが少しでも規格外れだとダメだ。

音楽も照明も衣装も含めこんなのは見た事ない、体験したことがないという。手足は短いし体は薄いし頭もでかくて、世界のダンス規格には合わない日本人の体の行列は世界のダンスシーンにはなかなかない。

どれだけアヴァンギャルドであってもダンス業界もファッション業界も八頭身の身体を使うのが主流。理想的な身体、美の規格はそろそろ少しずつ拡張されるはずなのだが、着るものや持ち物が身体から拡張されるくらいで身体そのものの美とのバランスはいつまでたっても保守的だ。

エストニアは自然崇拝の中世の文化思想が残る。中世の記憶とソビエト時代。土地の豊かさと歴史の傷跡。小さな国で、人々はシャイで暖かい。いつも人と人の間には少し遠慮や距離がある。日本人の奥ゆかさと少し似ているところもある。モナカは日本のいろいろな景色が詰まっているが、エストニアの人は細やかな心理や風景の移り変わりなど、日本人以上に多くを受信できる柔らかい人達だ。

ダンサー達は素晴らしいと絶賛された。モナカはダンサー達の身体能力とそこから湧き出るアイデアもたくさん詰まった作品で、春の祭典とは全く違ったダンサーとの共同制作。音楽もメイドインジャパンだ。ということでこれからも異国にこの甘くて硬いモナカを届けられたらよいのだが。次のモナカは進化して来年1月東京〜福岡〜京都〜と再び16人バージョンで公演を行う。

エストニア公演をプロデュースしたのは元バレエダンサーで今は振付家として活躍するテートカスク氏。ノルウエーのナショナルバレエに十数年在籍したダンサー経験があり、今は他国のナショナルバレエなどへのコンテンポラリーバレエレパートリーなどを手がけている。自らの活動をしながら私達カンパニーの招聘をした、グローバルに二足のわらじをよく履くタフな人である。 彼の活動や言動から西欧州との違いなど多くを学びながら、彼が苦労して招聘した原動力はカンパニーダンサーたちの「春の祭典」だった。

タリンではノルウエーの舞台芸術ディレクター会議が開催されていた。劇場のディレクター達は一年に2度程集まり会合を持ち、時に異国へ足を伸ばして情報交換とネットワークを活発にする。私達の公演にも多くの関係者が観に来て楽しんでいったよう。

カンパニーに束の間のオフが訪れる。ダンサーもスタッフも本当に本当にゆっくり休んでほしい。ダンサーとスタッフのこと、もっともっと大事にしたいと真底思ったエストニア滞在だった。

エストニア在住の小池ちゃんにタジン鍋をあげて、部屋にセトモノを置いてきて、ダンサー達にも増えたお土産を分散し、荷物は7キロ減った。アルジェリアのお土産であと5ヶ月のフライトで超過料金を払い続けるのは何か違うと思うのだ。

タルトウの国立博物館での公演が終わって夜20時頃から23時頃まで続くダイナミックな夕焼けが忘れられない。太陽の位置、角度が違っていて私が日本で見る色は一つもなかった。

再びフランクフルト。感じ悪いセキュリテイを通って1ヶ月ぶりにイスラエルに帰る。休みはないがダンサー達からエネルギーを貰ったので当分休みはいらないと今は思う。

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2017-04-27 旅記8-アルジェリア人

yaun2017-04-27

アルジェリア人の礼儀。滞在中私にはぴったりとボディーガードのような付き人がいたが、彼も運転手も絶対に私の前を歩かず「先にどうぞ」という。先に歩いたところで私は行き先を全くわからないというのに先を歩けというのだ。仕方なく先を歩くと「歩くのが早い!」と怒られる。「東京に住んでるんだから体の記憶が、、」というと呆れられる。どの景色に到着しても「どう思う?素敵か?」と尋ね「素敵だ」と答えると「写真!」というので景色の写真をとると「あながた景色と一緒に移らなきゃダメだ!それでフェイスブックに乗せるんだ!」という。といってもフェイスブックにアクセスできる電波の中に身を置ける時間も場所もなかった。車の移動中には終始フランスのシャンソンがかかっている。「あなたをこんなに愛しているのに、」、みたいな熱い歌詞になるとボリュームをあげてこちらをじっと見つめる。ドン引きするとますますボリュームをあげる。疲れた顔をするとなんとか盛り上げようと頑張ってテンションの高いアルジェリア伝統音楽のノリノリダンスミュージックを大ボリュームでかける。いつも時間厳守を気にしていて、早目の行動をするため、アポイントの1時間前に現地についたりしてしまう。大事なアポだと前日に現場に行くリハーサルまでして道や場所を確認しにいったりもする。食事は「何食べたい?」ときくのだが、毎回すごい量なので全くお腹が空かない。「何も食べたくない」というととても悲しそうな顔をして「何がほしいんだ?」ときく。「特に何も欲しくない」というと「それはだめだ。あなたは私たちの愛情を全部受け取らなければだめだ!」という。食卓はいつも大量の料理が運ばれてきて、それをテーブルをぐちゃぐちゃにしながら食べる。食べ方汚い!といつも思う。

観光についてはほぼ段取りが仕切られており、どこをどういう順番で観光するのがアルジェリアを知るのに一番よいのか、綿密に考えて連れて行ってくれる。現地では必ず専門のフランス語のガイドをつけてくれる。ガイドへのチップはお土産屋で倍返しする。訪れた観光地では必ずたくさんのお土産を買う。「いらない」といっても「それはだめだ」という。「選べない」というと「では私が選ぶから受け取りなさい」と言われる。「私6ヶ月も旅をするから大きな荷物は困る」というと「では旅先の人にもアルジェリアのお土産を持って行った方がいいのでは?」という。「いらない」というと「せめて13人のダンサーにはお皿を買っていった方がいい」といってカゴにものすごい量のお皿を入れ始めたのを止めた。

フランスの選挙速報をみながらアルジェリアも選挙前。日本の選挙は投票率が低いことを伝えると「それは選挙がいかさまで国民が政治を変えられないって思ってるから?」ときくので「まあそういうことも大きい」というと「そんなのどこの世界も同じだ。でも私たちは革命を起こした」という。植民地時代の記憶と革命したことの誇り、そして現在の大統領への敬意があり、学校や劇場のディレクタールームには大統領の写真が飾ってある。私がはじめて学校の校長室にいった時もまず大統領の写真の横に並んで記念写真をとりなさい、と言われた。

名前で呼び捨ては相手に失礼だからと思ったらしく、苗字で呼び捨てにされていた。「それはもっと感じ悪いから名前のうんって呼んでほしい」といったが皆「うん」と言えなくて「ヤマダ!」「ヤマダ!」と強いアタックで私を呼ぶ。あまりにも威圧的に母音を響かせて「ヤ!マ!ダ!」と呼ぶのがなんか私には感じ悪くてだんだん腹が立ってきて「うんと呼んでほしい」と皆に伝えるが、なかなか「うん」と呼べず、どんなに頼んでも「ヤマダ!」だったので、「今度ヤマダと呼んだら殺す!」と怒って「うん」に変えてもらった。

アルジェリアには四季がある。日本とは同じくらいの四季で野菜も動物も豊か。湿気のない地中海の気候は最高で疲れていても潮風の強風に飛ばされそうになると元気になる。太平洋の海風は時に疲れる時があるけれど、地中海は疲れがすっ飛ぶ。果てしなく透明なエメラルドグリーンの地中海は私の体を透明にしてくれる煌めき。猫や犬やヤギや羊や馬、動物がたくさん当たり前のようにある。でもここには私が日頃大切にしているものは何もない。

圧倒的に存在感のある大きくて高い建物は建設中のモスク。地中海の目の前に中国の企業が投資している。アラビア語のコーランは響きがまた素敵だった。ほとんどがムスリムなのでダンスや演劇などのパフォーミングアーツの現場は男性が8割くらいで女性は少ない。ジョージアもイスラエルも男性ダンサー不足を嘆いていたが、ムスリム国家はダンサーといえばほぼ男性だ。私が体と水のことを話した時に「水は全ての生命の始まりだ」という美しい詩を教えてくれたらそれはコーランだった。

私のクラスは5日間、美術学院の生徒たちにも噂が広まり、いろんなところからいろんな人が受けにきたのでダンサーというような人ではなかった。バレエダンサーにも出会ったが、パッションを超える技術レベルはない。彼らが私に求めるのは「コネクション」のあり方。体のどことどこを繋いだり切り離したりしたらいいのか、というボディーワーク、そして体と頭をどう繋げたり切り離したりしたらいいのか、という私の考え方。若いアーティストはダンサーも絵描きも彫刻家も皆マーケットのあるフランスなどに渡るので、美術学校の生徒300人中卒業するのは半分くらい。アーティストは流出していく。私の教えていたISMASの舞踊の先生は元ボリショイバレエの男性ダンサー。彼が指導しているクラスが行う公演のリハをみたが素晴らしかった。誰も普通に踊れないけど、素晴らしかった。

帰りの飛行機。空港まで4時間前に送ってれた。早すぎる。しかも「中で時間がたくさんあるから食べられるように」とお土産のピザまで持たされる。皆「この一週間は君につきっきりだったから仕事が滞っていて明日から仕事がたくさんまっていて忙しい!」と言われる。もうこれ以上は入れない、という怒られそうなゾーンまで入ってきて見送られた。毎日「アイシテル」を連発する男性達は半分以上挨拶代わりに言ってたのだと思うけどみんな泣いてしまった。

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2017-04-23 旅記7-アルジェ

yaun2017-04-23

アルジェリアの首都アルジェに来て三日。あなたが幸せだと私も幸せなのといって学食ではたくさんの美味しい北アフリカ料理が出てくる。クスクスとかカクシュカとかは欧州や中東でしか食べたことがなく、本場北アフリカの味はもっと素朴で深くて美味しい。たくさんの煮込み料理がある。食卓にはいつもあたたかいものが出てくる。水があわなのかスパイスがあわないのか基本的にずっとお腹は壊れている。あまり食べないと悲しそうなので食べていたものの、だんだん食べる量が減る私をみて皆が悲しそうなので「私の内臓あんまり丈夫じゃない」と伝えると「それじゃ牛乳飲んだほうがいい」といって出された牛乳がまた半分ヨーグルトの味がして飲めなかった。「これ無理」というと「私も無理」という人が結構いた。

地中海の青と空の青が今まで見た青と全く違う。同じ空なのにものすごく広くて深い。青の面積が多い。建物はほぼ白。手すりとかドアなど家に使われているペンキはほぼ青。ドラえもんの色。人々は明るく朗らかでとてもフレンドリー。目につくのは子供たち。一つの家族に5人くらい子供がいても普通で、そこらじゅう子供だらけ。「アルジェリアはいつだってミニキッズだらけなの」という。

綺麗な場所しか投稿しないけど、汚い場所は同じくらいたくさんある。電波も下水道もインフラ整備はまだまだで、付き人がいないと街を自由に歩いたりしにくい。検問も多く、パーキングに一時駐車する時もトランクも全部あけられる。

「僕は悩み事があると行く場所がある。一緒に来る?」というのでついてった学校の裏の花壇にマーガレットが一輪咲いていた。あとはミントとよくわからない草だった。「何の草?」ってきいたら「知らない」といって雑草にみえるものも役に立ちそうな草も対等に、緑のものには全部水をあげていた。30分かけて水をあげたけど、すぐに乾いた。

地中海沿岸に全部の街が面している。海岸は岩だったり砂丘だったりだが、地中海からくる風はとても強く、終始細かい砂が運ばれている。胃腸だけでなく粘膜もやられる。日本を出てから4カ国目で移動が多いため体調はよくないけれどあまりにも空が綺麗で子供たちがたくさんいてなんだかどうでもよくなってしまう。

ジョージアより英語は通じると思ったが通じなかった。つたないフランス語でがんばる毎日。アルジェリアでは小学校でフランス語を学ぶので、かなりブロークンだが皆フランス語が話せる。長い間フランスの支配下にあったアルジェリアの人たちにとってフランスへの感情は特別に悪く複雑なもの。「日本人にとってアメリカもそうでしょ?」と聞かれたが、私たち日本人がアメリカによって傷ついた時間はアルジェリア人に比べて短い。第二次世界大戦も原爆も被害者の数がどんなに多くて悲惨で不条理であっても記憶に濃く残っている世代は1世代だ。アルジェリアの人たちは約130年間何世代にもわたってフランスから支配、屈辱、差別を受けていたので、語り継がれていく歴史の厚みが強烈。「私たちは決して忘れない」と言いながらフランスに渡って活躍しているシャンソン歌手のBGMに合わせて合唱する。

芸術学校の生徒達は在学3年間で舞踊、映像、批評、を学ぶ。卒業すると生徒達は劇場の舞踊団や映画業界、テレビ業界などに入る。舞踊は伝統舞踊、モダンバレエ、クラシックバレエなど。バレエの技術などは低いし、体も全くできてはいないけれど、皆目をまんまるにして一所懸命学ぶ。何かに気づくとまばたきしないでこちらを見つめる。アルジェリアの伝統舞踊は細かいステップと腰を振る動き。広場で真似して踊った。

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2017-04-20

旅記6-ジョージアのダンス

ジョージアで一番観たかった伝統舞踊とバレエの融合したナショナルバレエスキシュヴィリはリハしか見れなかったのだが、リハの雰囲気だけでこのバレエ団がどれだけ素晴らしいかわかる。全員ジョージア人。自分達にしか踊れない踊りを全うし誇りを持っている。楽しんでいる踊り手達。1人2人ではなく大集団で一人一人誰のどこを見ていてもずっと嬉しかった。

男女の踊りは分かれてお互いが触れ合うことはない。優雅に空気に触ることもあれば力強く空気を切ることも。剣と剣が高速で踊りながらぶつかり合い音を奏でるのだが、剣と剣がぶつかり合う瞬間は火花が出る。どこか日本の神楽を思い出すが、舞台芸術としてのチャレンジが凄い。守る事と破る事の幅が絶妙で踊りと舞いが合体した究極の形のように思う。おっちゃん達の奏でるライブ演奏は見事なもの。スキシュビリ三代目の振付家は私に「ストーリーはない、どんな小さなステップもストーリーよりどれだけリッチか見てればわかる」と。とても共感する。ユーチューブで映像が溢れているが実際の迫力は映像の何百倍あることか。

イースターの深夜、教会でお会いした映画監督は1980年頃年岩波ホールにいった時の事を御礼をいいたいといって私の手を話さず深々と頭を下げる。ソ連時代だった当時、日本に来ることは並大抵なことではなかった。その後ソ連から独立し、自由の切符をもらったようでいて、映画業界の予算は圧倒的に減り、また閉鎖化、国外へ行くことは難しくなり、国内需要の中で成立させていく道がメインとなった。

日本にお世話になった事がある人からホストのズラさんにたくさん連絡がきた。昔日本人に世話になったから私にお返ししたい、と。

そんなご縁で多くの方からおもてなしを受けた。お客様は神様ではなく、神からの授かりものと考える、そのもてなし方は驚くほど丁寧で暖かく厚い。

イースターが明けて禁欲の生活から解放された日はある家族の食事に招かれた。イースターの卵は飾りやゲームではなくて新しい命の誕生を祝う復活の結晶、命の卵なのだと話す。赤い色はビートルーツで煮る。キリスト教文化もエンターテイメントに、または新しい文化へと変化しているけれど、グルジア正教は厳格に守っている習慣や儀式があり、これこそ本物なのだと力強く語る。車で教会の前を通り過ぎる時でさえ頭を下げ十字をきる。食卓では何度も希望や友情や愛、感謝を短歌のように短い言葉で提示しては乾杯する。

新しい高層ビルが着々と増えて西ヨーロッパ風な街の雰囲気になりつつあるが、街の中には信じられないほど豪快な廃墟もたくさんある。中年以上はロシア語を話すことができるが、若い世代はもうロシア語より英語やドイツ語を話す人の方が増えている。EUとの距離は縮んでいるがそれがこの国の暮らしにとってリッチなターミナルになるのかはわからない。

ジョージアのダンサーや俳優やスタッフ、様々な方との出会いでこの国のリッチな栄養に触れ、この感じは一言で言えない。3回のテレビ取材でもこの気持ちを言葉で伝えたのだが、英語も変なので、一体何が伝わっただろう。

力士や重量挙げの選手、バレエでは有名なジョージアだが、日本に最もジョージアを紹介したい!という気持ち溢れて飛行機に乗るとこ。

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2017-04-15 旅記5-トビリシ

yaun2017-04-15

トビリシに来て5日。イースターホリデイに合わせて毎日たくさんの観光客がやってくる。東南アジアからの観光客は半袖短パンにビーチサンダルを履いており、それじゃ寒いでしょ、と声に出さずに突っ込むってことが懐かしくて愛おしい。私の宿泊しているホテルは小高い山のてっぺん付近にあり、バルコニー付きの角部屋からは、トビリシを一望できる。街の真ん中に川が流れている。イースターを祝して毎晩その川から打ち上げ花火があがる。つまり街の真ん中に花火があがる。午前零時前に部屋に戻れる日はバルコニーから打ち上げ花火を見下ろす。

ヨーロッパからもアジアからも通り道となったトビリシにはリッチな食文化がある。一番好きなのは「ひんかり」という小龍包のでかいやつ。中に肉汁スープがたっぷり詰まっているのでかぶりついてスープを「ずるずる」とすすりながら食べる。食べ物をすすって食べる人種は日本人しかいないと思っていたけどここにいた。みんな「ずるずる」って音を出しながらひんかりを食べる。

ひんかり以外にもチャカプリとかハチャプリとかと美味しいものはたくさん。どこかアジア人のテイストで、どこかヨーロッパの良さがあり、どこかロシア風という感じ。日本にジョージアレストランがあまりないのが残念だ。日本人みんな絶対好きだと思う。スパイスにもコリアンダーがよく使われている。ヨーグルトはマツオニと呼ばれていていわゆるカスピ海ヨーグルト。食べ過ぎてここ数日お腹がかわいそうなことになっている。

ワインが美味しい。本当に本当にものすごくぶどう。私が飲んでたワインはワインじゃないと思った。多分日本で初めて寿司を食べた外国人の気分だ。ワインだけではなくぶどうのジュースもとっても美味しい。ぶどうエキスをナッツにからめてグミみたいなお菓子、タタラとかチュルチュヘラも好き。スーパーにぶどうの木が束になってたくさん売っている。ぶどうの木は燃料として使う。なによりも最高温度が高いのでバーベキューにスモークに最適なのだという。ぶどうは実も木も大活躍だ。

毎日ひどい頭痛でもう持ってきたロキソニンがなくなる。今日はケーブルカーで標高を更に上がったら耳鳴りも頭痛もひどくなった。湖を散歩してまたケーブルカーで下ったらさらにまた頭痛がひどくなった。春のトビリシは毎日天気も気温もアップダウンが激しい。さらに標高が高いからなのか、春特有の自律神経狂いは日本の何倍もひどい。私が過敏なのかと思いきやそうでもなく皆結構辛いらしい。私のホストのズラさんも頭痛が辛いと毎日言っている。この時期は花粉症か頭痛に悩まされる人が多いらしい。こちらの花粉は杉ではなくてスズカケノキ。

チャブキアーニバレエスクールにワークショップへ行った。古い建物の中に勉強をするお教室とバレエのレッスンをするスタジオがある。8割−9割は女の子。みんながみんな9頭身というわけではなく、いろいろなタイプの子がいて親近感がわく。バレリーナの卵たちに伝えることは普段日本で小学校にアウトリーチに行って伝えることと全く変わらなかったりする。来週は国立オペラ劇場でのワークショップと、公開ワークショップ&ショーイングを行う。

3000年の歴史あるこの国が持つ食文化や生活。ここで暮らす民族も100種類くらいいるらしい。バレエ学校は150年の歴史がある。その昔ジョージアにはジョージバランシンがいて、その弟のアンドリアバランチバーゼは作曲家としてジョージア初のオリジナルバレエ作品音楽を手がけた。その後チャブキアーニが男性ダンサーたちの圧倒的な創作舞踊を生み出していった。バレエダンサーたちは古典バレエの演目を踊りながらもチャブキアーニのキレキレの力強い作品も踊り、現代の振付家のレパートリーやコンテンポラリーの新作も踊ったりする。国立バレエ団のダンサーたちを見ていても、パリオペラ座のバレリーナに比べていろいろな動きに対応できそうな個性的なダンサーが揃っている。国立舞踊団としてバレエが優秀に踊れて9頭身という人だけではなく、他の様々なレパートリーに有効なダンサーがいることはとても素晴らしいことだと思う。

お昼はルスタヴェリ劇場の社食でご飯食べたりしている。劇場内で会う女優さんが綺麗で美人すぎる。あまりにも美人すぎて涙が出そうになる。

物価が安い。スーパーでお惣菜を食べきれないほどたくさん買っても300円くらいである。例えばさとうのご飯くらいのサイズのピラフは30円−40円くらい。お惣菜コーナーに真っ赤な卵が売られている。この時期だけのイースター用の卵。これを買って、飾って、イースターが過ぎたら食べるのだという。今の時期はイースターだから禁欲で、信心深いグルジア正教の人はチーズやお肉を一切食べない。グルジア正教では復活祭の40日間は動物性の食べ物を食べないのだ。明日禁欲が明けたらいっぱい食べるのだ!といってパーティーに誘われている。どんだけ食べるのか今から怖い。恐ろしくお腹が出てる人が多いこの国の人たちが「食べる」ってどんだけだろう。街で売られているろうそくは黄土色。蜜蝋の甘い匂いがする。宗教と伝統的な常識は切りはなせない。家庭にもよるけれど、女性はとても慎まやかで大和撫子のように育てられてる人も多く、女優さんもダンサーも何を表現するかによっては恥ずかしがる人も多い。少し閉じていて解放的ではない。つまり相手に気を使ったり相手を観察することができる人たちも多い。

どこの国から来た?中国か?と聞かれ「ジャパン」というと皆とても笑顔になる。「日本大好き」という展開になる。日本人のことを好きな人が多いらしい。ある種の差別か偏見があるのか、アジア系の人は日本人じゃなくても「日本からきた」と嘘をつく人も多いんだそう。「ジャパン」といえば日本人、「ヤポン」とかだと嘘だと判別するらしい。

テレビ見たよ。美しいダンスで感動しました。と声をかけられる。史上最高に体が動かなかくてびっくりしたけど公演ができなかった代わりにジョージアの人に踊りを届けられてよかった。朝のワイドショーなのだが、近年方向性が変わって生放送的なゆるゆる感の時間刻み。美人&イケメンキャスターのトークもジョージア語なので、展開がわからない。突然質問されても話しの脈絡がよくわからないのでとんちんかん。突然「では踊ってもらいましょう」という流れを理解できてテレビカメラが上から横から動いている小さなスペースに移動して踊る。全く自分のセンスにない化粧をされ、朝一番で体の中の血液は沈んでて、3分間のインプロ。なんの準備もできないままとてつもなく孤独で、思い返すとまたとない楽しさだった。

今宵はイースターパーティーのミッドナイトライヴにでかける♫

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2017-04-13 旅記4-ジョージア人

yaun2017-04-13

公園でハンモックを吊るして昼寝してたら日本車のお迎えが。ルスタヴェリ劇場で以前働いていたスタッフと衣装スタッフ、ズラさんが天気がいいからといってムツヘタへドライブに連れていってくれた。ムツヘタは5世紀頃までイベリア王国の首都だったのでたくさんの古い建物や教会が残っている。この街で一番高い丘の上に立ってる十字架教会「ジュヴァリ聖堂」は6世紀に建てられたジョージア正教最初の教会。ジュヴァリは十字の意味があり上からみても十字の形。中は縦長のドームでセンターにものすごく大きな十字架が立っている。そのあとスヴェティツホホヴェリ大聖堂へ。この中のフレスコ画は本当に素敵で珍しいユニークに表したパラダイスの絵などがある。この教会からも遠く丘にそびえ立つ十字架教会が見え、そしてさらにその外側にはコーカサス山脈が輝いてこちらを囲んで守っているように見える。

英語を話せる人はあまりいない。日本と同じく、普段外国人と仕事をすることがほぼないので、とっさに英語が出てこない。私も英語はあまり話せないが私より話せないということになるのでコミュニケーションはなかなか大変だ。が、皆、単語とジェスチャーで私と話そうとしてくれる。話せる人は大抵自分の言いたいことは話せるが、ヒアリングができなかったり。なので「わからない言葉は全部クーで」というジョークになる。この国でキンザザを知らない人はいない。

会う人会う人皆チェーンスモーカー。レストランもカフェもタバコを吸ってる人の多さにびっくり。車もオフィスもロビーも銭湯の待合室もタバコがNGな場所はあまりなく、たった1日で気管支喘息になった。3日経って免疫がついたのか慣れてきたけど山脈からの冷たい風にやられて今日は発熱。午前の打ち合わせをキャンセル、午後からはバレエ学校へワークショップへ出かける。

ホストのズラさんは有名人。どこへ行っても知り合いだらけだしそこへ行っても話しかけられる。「映画みましたよ」とかテレビのレギュラー番組のこととか。忙しい人なのでひっきりなしに電話がかかってくるのですぐにスマホのバッテリーがなくなる。1日4回チャージしないとならない。バッテリーがなくなるとキヨスクみたいな売店や知人の家などにいって「ちょっとの間チャージさせてね」となる。ハイテンションでマイペースに私をあらゆるところに連れて行っては人々にPRと挨拶。彼と歩いているだけで選挙カーに乗ってるみたいだ。「僕は君がいる間ベストを尽くしたいんだ!」というが、ものすごいエネルギーの持ち主だ。

ルスタヴェリ劇場には所属するスタッフや役者などにそれぞれ個室がある。それぞれの部屋はオフィスというよりその人色にすっかり染まっている家みたいなもの。飾ってあるものや置いてあるものは本当に面白い。話をしていたら「一緒に芝居を作ろうよ」という流れになり、盛り上がってすぐに劇場の支配人に交渉しにいく。一回目はダメだといわれ、次にまた仲間を増やして交渉しにいく。ジョージア語で何を話してるかわからず顔色を見るしかない。気づいたら支配人も首を縦に振り「年内中にプレミアだ!」という。ほんとか???

私がいる間に私のパフォーマンスもなんとかやろうという。「あらあら(いやいやという意味)特に準備してないしワークショップでいいと思う」と私は言うのだが、やはり「僕は君がいる間ベストを尽くしたいんだ!」という。

イースターホリデイ。街には観光客と警察が多い。

昨日は大使を訪問。久々に日本語と日本茶。 

普通スーツケースの中身はいろいろ持ってきても使わないものが必ずあったりするのだが、今のところ、イスラエル、トルコ、ジョージアと旅してほとんどいろいろ出番が回ってきてる。また半月しか経っていないけれどスーツケースは早速壊れたし、日本にいる時よりも電話やメールも多い気もする。荷物も薬も体も何もかもあと半年もつのだろうか。

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