「体験してわかった高齢者医療の大問題−気管切開と胃ろう」(2012年02月15日)の初稿

老年医学会「立場表明2012」に高齢者医療を考える (2012年2月5日脱稿)

 1月28日、日本老年医学会は「立場表明」(http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/tachiba/jgs-tachiba2012.pdf)の改定版を公表した。高齢者の尊厳や家族の負担に配慮されており、少なからぬ感銘を受けた。特に「胃瘻(いろう)造設を含む経管栄養や、気管切開、人工呼吸器装着などの適応は、慎重に検討されるべきである」という一文には目を見張った。この一年、私は「気管切開」と「胃ろう増設」に振り回されてきたからである。

 余震が続く2011年4月に、近親の高齢者が脳梗塞で倒れた。右脳の大部分が損傷し、命にかかわるということで、脳を部分的に切除する減圧手術が行われた。担当医師の説明では、幸い左脳が無事なので、車イスでコミュニケーションがとれるくらいにはなるとのことだった。
 ところが、手術後、出るはずの声が出なくなった。医師は「声帯がマヒしている。このままではいつ窒息するかわからないし、頭蓋骨を元に戻す手術もできないので、気管切開(手術)をする必要がある」という。さらに「手術は簡単で15分程度で終わる」と続けた。
 家族側は慌てた。「気管切開」の影響がわからなかったからである。医師に説明を求めと、気管切開は簡単な手術であること、けれども、患者の年齢と容態を考えると、元に戻せる可能性はほぼないとのことであった。つまり、自力で食事する可能性も、話をすることも、あきらめなさいということである。
 家族側は話し合いをし、手術に同意することを拒んだ。三大疾病の中でも、脳梗塞は、一命を取り留めた後は、平均余命が健常者と変わらないという特徴がある。担当医師が、頭蓋骨形成手術を無事に行って退院させたいという気持ちもわからないではない。しかし、家族は、その後、10年単位で介護にあたらなければならないのである。食事や会話は、患者本人にとっても家族にとっても、大変重要なことである。
 また、当時の容態についても、担当医師よりも長く患者のベッドサイドに付いていた家族の目からは、医師が言うほど呼吸が苦しそうには見えなかった。さらには、患者本人が手術を強く拒否していた。
 それでも医師は「声帯がマヒしたままで気管切開もしないとなると、受け入れてくれる病院はどこにもない」と、家族側からすれば、脅しにも聞こえるような説明を繰り返した。精神的な疲労が増していく中で、家族側は看護師長に「担当医を変えてほしい」と相談した。
 病院のクレーム対応のためか、それを境に担当医の態度が軟化し、「しばらく様子をみる」ことになった。すると、声帯のマヒは次第に良くなり、少しではあるが、自力で食事ができるようになり、かすかではあるが、声も出るようになってきた。結局は、気管切開をしないで頭蓋骨形成手術も無事に終わり、救急病院からリハビリ病院へと転院できた。

 リハビリ病院では、胃ろうを勧められた。自力で食事ができるといっても少しであり、栄養の大部分は鼻管を通して胃に注入されていた。鼻管よりも胃ろうの方が、負担が少ないという説明だった。胃ろうについて調べてみると、肯定的な説明が多かった。そこで今度は、医師の指示に従って、家族側も胃ろうに同意した。
 しかし、患者本人が手術を拒否した。胃ろうに反対したというよりも、手術そのものが嫌だったようである。そこで、落ち着いて話ができるようになるまで、しばらく待つことになった。
 ところが、リハビリが進むにつれて、自力で食事できる量が増え、結局は鼻管も取れて、胃ろうも必要なくなった。

 現在はリハビリ治療の期間が終わり、特養(特別養護老人ホーム)などの施設に移る段階に来ている。ここで、驚くべき事実を知ることになる。気管切開や胃ろうをしていると、受け入れ可能な施設が極端に少なくなってしまうことである。

 今回、一番驚いたことは、患者は一人であるのに、容態が安定するまで、複数の病院を転々としなければならないことである。患者を一貫して診てくれる実質の担当医というものがいない。各医師は自分の持ち場で万全を尽くそうとするが、それが、患者の将来にとって本当に最善なのか、疑問が残る。それに答えてくれたのが、日本老年医学会「立場表明2012」である。「医療制度改革」(http://www.mhlw.go.jp/houdou/0103/h0306-1/h0306-1.html)によって、日本の医療がわかりにくくなってきている。折にふれ、その善し悪しを注視していきたい。

 不自由な身体になってしまったが、今では車イスに座って、自力でゆっくりと食事をとることができるまでになっている。その姿を見ていると、「気管切開」も「胃ろう」もしなくて本当に良かったと思う。
 実は、私がここまで病院側に意見ができたのは、大学を通して知り合った高齢者医療の医師の支えがあったからでもある。「どんどん良くなりますから」「本当に困ったら、いつでもうちで引き受けますから」と励まして頂いた。辛いときほど、人の優しさが胸にしみる。近親の高齢者とは、私の母親である。