Bigger Than Life ― 「マイルストーン」 ロバート・クレイマー、ジョン・ダグラス

 人生で初めて出産に立ち会った僕が凍りつくのは至極納得がいくが、もう何度もそれを経験しておられるであろう紳士淑女の皆様方までも凍りつかせるとは、これはもう仕様がないとしか言いようがない。
 195分にも及ぶこの長大な映画の終盤、なんと一切の処理(モザイク)無し(こう言うとまるでポルノグラフィについて語っているようだ!)で妊婦の出産シーンが捉えられているのだ。
 
 バランス・ボールのようにまん丸とポンポンに膨れた巨大な腹。そして陰部(ゴダール言うところの「宇宙の傷」)から赤ん坊の頭が、そして躯が、首の骨が折れてしまいそうなくらい強引に引っ張り出されるかたちで、ぬるりと飛び出て来るところがクローズアップで捉えられる。臍の緒が切られて血液が噴き出し、赤ん坊が泣き叫び、周りで見守っている夫や(なぜか)大勢の友人たち、看護婦たちが歓喜の声をあげる。陰部からぺろりと飛び出た胎盤を看護婦が業務的に片づける。
 たとえば「大家族スペシャル」で僕らもしばしば一緒になって感動の涙を流すことができていたはずのこの出産シーンが、しかし、「マイルストーン」のこれとなると、まるで中学生の野球の練習でも見つめるように無表情になるほかないのだ。
 
 苦しそうにいきむ妊婦があまりにも長くカメラに収められているなあと考えているそんなときに、周囲にいる看護婦か友人が「三塁回ったわ!」と言うので、僕らは不安と同じくらいの好奇心を持って、「まさか」と思う。まさかリアルな出産シーンが捉えられているのでは、と。
 しかし、その「まさか」が現実になったとき、僕らはそれを抱え込むことなど到底できずに、それをすべて吐き出してしまうのだ。生より大きい「生」の、ビガー・ザン・ライフのその光景のわけのわからなさに、一度は飲み込みきれるだろうと思っていたものを、僕らはスクリーンに向かって嘔吐し、ぶっかけるのだ。泣き叫ぶ赤ん坊を抱きかかえながら歓喜する夫や友人、看護婦たちのその歓喜さえ意味が分からず、とても感動できるといった状況ではなく、僕らは凍りつくしかない。館内には鼻をすする音ひとつ聞こえず、誰一人の涙が破水することもない。ただ張りつめた空気が漂うだけだ。

 この「生」のシーンは、(それをカメラに収めるということの倫理に関する問いも含めて)問いを生み続ける。とても消化することなどできない、ビガー・ザン・ライフの「生」や「死」を、どうやら僕らは何度も飲み込もうとし、吐き出し続け、ただただ問い続けながらこの先も死ぬまで生き続けるしかないのだろうということを直感させられる。
 「マイルストーン」は、この「生」のシーンだけではない(つまりビガー・ザン・ライフな)ありとあらゆる問いが喚起され得る、たっぷり詰まった195分であった。


マイルストーン」は日仏学院の特集「カプリッチ・フィルムズ ベストセレクション」で2月26日(日)にもう一度上映されるようです。