オウムのこと(2) 騙す側と騙される側


(続き物になってしまったので、前エントリを改題しました。)


個人的には、松本智津夫という人物については、宗教家というより詐欺師という視点で見ている。たとえば彼の初期の犯歴を見る。

1976年7月、知人を殴打する。これにより傷害罪で罰金刑を受ける。

1980年保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求される。

1981年、健康薬品販売店「BMA薬局」を開局したものの、1982年に無許可の医薬品を製造販売したため薬事法違反で逮捕され、20万円の罰金刑を受ける。

一番最初こそ暴力事件だが、その後は詐欺罪ではないにしろ似たようなものである。特に薬事法違反の件は、みかんの皮を原料にニセ薬を作ったというもので、この時点では、まあ小悪党である。



だから、オウムという団体も松本智津夫の詐欺の結果という視点で見ることが多い。



地下鉄サリン事件などの一連の事件の動機も、基本的に組織防衛のためだったのだと思っている。オウム内部の無駄に細かな階層制度や、無駄にややこしい“省庁制”などの組織化、一般信者には禁欲を要求しながら、妻はともかく他の女性信者との間に複数の子供を作っていたことなどから、オウムにとっての組織防衛とは要するに麻原教祖としての安楽な生活を守ることだったのだろうということだ。それを支えている詐欺のからくりを喝破されるのは困る。だから阻止する。そして、そのための手段は選ばない。


タントラ・ヴァジュラヤーナだか金剛乗だかよく知らないが、そういう“危険な教義”というのは、実行犯に選ばれた信徒の最後の良心を黙らせるための麻酔薬の役目でしかなかったのだろうと思っている。つまり宗教上の大目的ではなくて単に手段・方便であろうと。そう思って見ているから、その“危険な教義”のオウムの教義全体との整合性だとか、まして仏教全体における位置づけだとかいった議論にてんで興味が向かない。要するに詐欺師のする詐話の一つ、からくりの種じゃねえかと思えば、それまでだからだ。



だから問題は、教義の中身がどうとかではない。それが教義であれ、詐話であれ、それを信じて恐るべきことどもをやってのけた人間が相当数いた、という単純な事実に絞られる。たとえ詐欺師一人の欲望から発したことであっても、それを自らの信じる宗教の大きな目標のためだと思って、どんな恐るべきことでも実行できる人間を多数作り出したということが、オウムという団体の最大の危険性だと思っている。


そして、それを今は多くが死刑囚となっている実行犯だけの問題とできるのか、という点について、私は強い疑問を持っている。実行犯の多くが組織の幹部ではあったが、彼らが信者として特別強烈な信仰心を抱いていたのかというと、このあたりはよく分からない。彼らは信者の中にあって、たまたま騙されやすい人間だったのか? そうは思えない。彼らの多くはたまたま古参であってそうした立場になっただけで、他の多くの信者も似たような機会があれば同じような行動をとる割合が相当に高かったのではないかと、私は強く疑っている。


思い出すのは、地下鉄サリン事件以後の一斉捜索とその後の大量の逮捕者を出していた時期のことだ。逃亡者をかくまって捕まった一般の信者達がいた。指紋を消すなどの工作に携わった信者がいた。高級幹部の一人であった上祐は、比較的早い段階で真相を知ったそうだが、それでも嘘をつき続けた。だが、組織を“裏切って”自ら重要な証言をした信者や、重大な事件を行うことを良心から拒否した信者の話をほとんど全く聞かなかった。


事件後の騒動がある程度終わり、数年が経ってもなおサリン事件などを自らの組織がやったのだということを認識できなかったという信者の証言は多い。あるいは、今でもそう信じている信者がかなりの数いるのではないか。なによりも今でもオウムはかなりの数の信者を擁し、“セミナー”や“イニシエーション”でかなりの額の資金を資金を集めつづけているのだ。


ある人はそれを麻原への帰依がまだ残っているのだと言う。私には松本智津夫が作り出した詐欺の世界に今でも住んでいるのだなと見える。今もって騙す側と騙される側の関係がそこで続いているのだと。



オウムが引き起こした事件の中で比較的最近のものは幹部の一人である野田成人が起こした薬事法違反であった。師匠と弟子ということを思う。