ひとまずドラムセット完成。

冬のボーナスが出たので、夏に買えなかったスタンド類と、ハイハットを買った。これで、僕のセットはひとまず完成した。
細かく言えば、シンバルスタンドによってもシンバルの鳴りとかが変わってきて、サウンドメイクする上では色々と考えなければいけないのだけど、さすがに高いスタンドをいくつも買うわけにはいかないので、今回はスタンド類は最低限でいいやと思って選んだ。まあ、移動が多いので、ちょっと軽めのにしたくらいか。とはいえ、ハイハットスタンドは、しょぼ過ぎるとシンバルの音が殺されたり、足の感覚がしっくり来なかったりするので、それらを考慮してDW5000TLを買った。
で、ハイハット。さすがにこれは金をあまりケチるわけには行かない。あまり予め何も絞ることなく、音のイメージだけを持って、秋葉原のイケベ楽器で買うことにした。これはおそらくたくさん試奏するだろうなと思っていたけど、結構あっさり決まった。Paiste Dark Crispだ。これは、トップとボトムの厚さが違うという特徴があって、トップがボトムより随分薄くなっている。このためか、粒が程よく立っているのに激しすぎない。普段はバッキングとして使い、ハットを使ったフィルインとかソロとかで、目を惹く演奏が出来そうなのだ。
持ち帰って、今日早速演奏してみたけど、欲しい音が本当に出るというのは素晴らしいことだ。テンションが上がる。今まで使っていたハイハットとわりと似た音ではあるのだけど、粒の立ち方とか、オープンでのサステインとか、その音色とか、そういう要素が全て合わさって僕の気持ちを高揚してくれる。素晴らしい。なかなか良いセットが完成した。
年末のコンサート2発は、この完成形セットでベストパフォーマンスを見せてやろう。

 スイング

市の音楽イベントに出演してきた。曲の合間に2分強ほどのドラムソロをやった。今までで最長のドラムソロだった。
今回は、次の曲の最後で使われるフレーズをリズムで抽出し、それを基本パターンとしつつどんどん崩していくという構成にしてみた。作りこみ自体は悪く無かったと思うけど、いかんせんウデが。演奏終了直後に、録音していたのを聞きなおして、そして凹んだ。
特に痛感したのが、やっぱり自分はまだまだスイングしきれていないなーということだった。半ばアドリブで叩いたフレーズが、後で聴いてみるとことごとく微妙に気持ち悪い。左手の細かい合いの手とか、大きな崩しフィルとか。
判っているのだ。こういうのは、今回のドラムソロをもっと練習していたらどうにかなった問題でもないし、ましてや予め全フレーズを決めていればハマるわけでもない。要は体と心の感覚の問題だ。この1年半くらい、ずっとレガートを練習して、レガートのノリだけならそれなりになった。つまりはそういうことなのだ。当日の精神状態とか、自分の好きな音楽とか、そういうものも現われやすい領域だ。気長に練習と鍛錬を積み重ねるしかない。基礎練習も大事だけど、いかに自分を自分でノせるドラミングをするか、ということも考えたほうがいいかもしれない。
と、こんな拙いドラムソロであっても、同じイベントに出演した別のバンドの人から賛辞をもらったり、会場の皆さんから手拍子をもらったりすると、ああ、頑張った甲斐があったなあと思うのだ。本当に有難いことだ。
秋から年末にかけては、怒涛のコンサートラッシュだ。会場が違えば客層や雰囲気が全然違う。そんななかで楽しんでもらえるドラムというのは、なかなかに難しい。難解でテクニカルなことばっかりやってると誰も理解してくれないというのはもちろんだけど、かといってシンプルすぎると、まあ全体としては悪くないんだろうけど、誰もドラムを気にしてくれない。僕はそれじゃ駄目だ。なんかドラムがカッコよかったなーと思ってくれるようなドラミングがいるのだ。その追求。そのために、今、色んな角度からドラムのサウンドというのを気にしている。どう叩いたら、お客さんにはどのように聴こえるのか、それは叩いている本人がドラムセットの中で聴いているのとかなり違う。そこんところの見極めが難しい。いかに自分の音を演出するか。チューニング、叩く場所、叩き方、握り方、その他もろもろについて感覚を研ぎ澄ましていこう。


ドラマーがこれをみてテンション上がらなきゃウソだろ、というような名動画。デイヴヴェックルと、ヴィニーカリウタと、スティーヴガッドの壮絶ドラムソロ回し。ハッキリ言ってこの画質と音質の悪さでは何をやってるのかよく判らないんだけど、色々参考になるところがあるし、やっぱりそれぞれ味があって面白い。例えば、小節感を崩して、どこで解決させて安定感を出すか、という目線で見ると、ガッドはあまり崩さずすぐに解決させて、どんな人でも乗りやすいリズム構成をしている。ヴェックルはよくシンコペーションを使うんだけど、その後に必ず解決するのでわかり易い。ヴィニーは、序盤は小節ごとに雰囲気を変えて行く構成なんだけど、終盤は本当にスリップしまくりなので小節感がなくなる。ちなみに、ヴィニーは、僕が好きになるスタイルを確立する前なのかもしれない。ここから、あのさりげなくとんでもないフレージングを生み出すドラマーになって行くのか。
最近、自分のバンドでもドラムフューチャーが多くなってきたので、とても参考になる。最近良く思うんだけど、ドラムソロをカッコ良く聴かせるには、いかに足を上手く強く正確に入れれるかが大事だ。フットワークをもっと向上させよう。

たまに面白いドラムの動画を紹介したりしてみよう。

これはYou TubeでDennis chambersで検索すると一番最初にヒットする動画なんだけど、デニスのキャラがよく出てて面白い。ずっとバスを踏みながら休憩モードっていうコミカルな絵だ。
ちょっと注目に値するのは、バスをずっとツインペダルを使って3連で踏み続けつつ、ハイハットが鳴ってるところ。これは、3つのうち1番目を左足で踏んでて、そのとき同時にハイハットを踏んでるのだ。で、残り2つを右足で踏んでる。
タムを回してたらタムが足らなくなったっていうシメの絵も面白い。

 ついに念願のマイドラム。

ついにドラムセットを買った。ついに。
ボーナス片手に、前々から狙っていたSONORのFORCE3007を買おうと思って、浅草のコマキ楽器まで行った。あいにくフルセットが無くて、コンパクトセットを試奏したところ、SONORらしいガツンとした音はさすがだったんだけど、ボリュームを抑えて叩いたときの音が余り趣深くなくて、うーむと思っていたところに、店員さんにオススメされて叩いたセットが良くて。TAMAのStarclassic“Real Pro JAZZ” KIT。タム一発でほとんど買いな音だった上、バーチらしいちょっとスカした音が、バスを軽く鳴らしたときにお洒落に響いて、とても魅力的なセットだった。
で、セット自体の値段は前述のFORCE3007と同じくらいだったんだけど、FORCE3007はシンバルスタンドやハイハット(+スネア+ペダル)がセットに含まれていたのに対して、こっちはタム×3とバスだけのセット内容だったので、追加で買わないといけないものの分が予算オーバー。しかも結構オーバー。
でも買った。まあ、こういう買い物のときの、こういう形での予算オーバーは仕方の無いことだと弁えているからいいのである。たぶん。
さらに、シンバルを2枚購入。まず、SABIANのParagon 18"Crash。基本的にはオールラウンドな音なんだけど、若干ピッチが低くて、サステインがあまりブレず、ストーレートかつダークな響き。僕としては、ライド的な使い方もアリかなと思ってる。もう一つは、PAISTEのTwenty 20"Ride。これはとてつもなく幅広い使い勝手がありそうで、そんな感じのことが書かれていた店の紹介文では余り惹かれなかったんだけど、いざ叩いてみると、まさにパイステな感じのアタックに、これまでと違う柔らかく暖かい響きが。ちょっと派手かも知れんけど、上手く使えばとても僕好みの音が出せそうな感じだった。ハイハットは、冬のボーナスに持ち越し。
というわけで、僕の今のセット内容はこんな感じだ。
TAMA Starclassic (Birch)
  BD:20×14"
  FT:14"×14"
  TT:12"×8"、10"×8"
・Pearl Custum Crassic Snare 14"×6.5"
・SABIAN AA Crush 16"
・SABIAN Paragon Crush 18"
・PAISTE Twenty Ride 20"
・Zildjian A Splash 10"
・DW 5000 double pedal
・Zildjan DENNIS CHAMBERS model sticks
ハイハットは何を買おうかな。。。と考え中。

 愛用教則ビデオ

最近手に入れた中で一番「うひょい」となった教則ビデオを紹介。

DVD>フィル・インの常套句 ジャズ・ドラミング編 (<DVD>)

DVD>フィル・インの常套句 ジャズ・ドラミング編 ()

岩瀬立飛。教則ビデオなのに、詳しい技術の解説など一切無くて、ほとんど演奏しているだけという、日本ではなかなか珍しい形である。
今加入しているビッグバンドは半分くらいジャズをやるので、ジャズドラムなんぞほとんどやったことの無かった僕は、とりあえず目指すべきモデルを探すことにした。ドラムに限らず、凄くカッコいい、触れていて気持ち好い人をとりあえず目指すのが一番の僕の推進力になるからだ。で、少なくともCD等で聴いている限りはかなり僕の好きなドラマーだった岩瀬立飛の演奏を体感したくて買ったわけだ。
初めて視聴した時から、演奏の虜になった。偶発性と必然性を持ち合わせたセンスあるフレージング、時折前記2要素のバランスを意図的に崩すアプローチ、音量と音色の自在な操縦による豊かなストーリー性。全てが時間軸と空間軸で相乗効果を生み出し、観ている者の心のうねりからノりたい衝動を釣り上げる。パーカッシヴな演出によってのみ著しく大きなエネルギーを与えられ得る、特有の衝動だ。
偶発性は、他者との「その」共演の中でのアドリヴによってのみ「その」フレーズと出会えたという事実性で獲得され、必然性は、アドリヴであるにも関わらずそのフレーズが全体の中で担う部分が確固として存在し且つそれが必要不可欠であると受け手に感じさせるという事実性によって獲得される。
そして、これらのバランス。偶発性に重みを置くと、斬新さを与える。必然性に重みを置くと、ベタさを与える。この二要素を自在に操ることで、それらの斬新さ、ベタさが、全体に対応付けた場合にそれぞれ意図的な斬新さ、意図的なベタさであることを受け手に感じさせる。このコミュニケーションが、全体から見た各部分の偶発性や必然性を更に豊かにする。全体と部分の循環が起こる。
前述した「パーカッシヴな」衝動に関わるこの循環は、時間軸上の点の位置と、大まかな強弱と、周波域の大まかな高・中・低で「ほぼ」生み出される。このざっくり感が、この衝動の何よりも大きな特徴だ。が、ここに実際は、受け手の意識できない、細かい演出が加えられる。不可分に見えるものを、それこそざっくりと「ざっくりな領域が主なのだ」と言っておいて、後で「細かいところもあるのだ」というのはまさにマッチポンプのような議論に見えるかもしれないが、ざっくりな領域と、細かい領域との違いを敢えて分けて考えるのは結構面白い(というのが昔からの僕の持論)。その線がどこに引かれているかは受け手次第なのだが、それは受け手が頭の中でその感覚をどこまで再現できるかというところに関わる。
長くなるので詳しい話はまたいずれしたいが、例として、僕の大好きなケーキの話をしてみよう。特にフランス系の流れを引くケーキは、「食感」「味」「香り」の各要素についての、強弱と時間軸上の位置が、ざっくりとした演出を行う。最初にカリッとした生地を噛むと強いキャラメルの香りが拡がって、中のふんわりとしたムースを舌でゆるやかに溶かすと同時にまったりとした甘み、そしてやや遅れて鋭い酸味が口を支配し、そのままその感覚に浸ろうかと思った途端にそれらがスッと抜け、爽やかな洋酒の香りが後味をキレのあるものにしてくれる…といったような感覚だ(ケーキ食べたくなってきた)。以上の記述は、僕が受け手である場合の「ざっくり」な領域だ。僕が後で「あのケーキ美味かったな…」とヨダレを垂らしながらニヤけるとき、そのケーキはこのようなざっくりした属性に従って想起されている。受け手がそのケーキの感覚を思い出すのに必要充分な領域と言っていい。
これに対して、僕(受け手)の意識出来ない領域というのは、例えば最初のカリッとした生地は実は噛んだ時に複雑な効果を伴って崩れるのだとか、やや遅れてくる酸味の前に本当は一層甘みが強くなる瞬間があって、それがその後の酸味をより鮮烈に感じさせているのだとか、そういう、僕には後からその辺のことは思い出せないんだけど、そのケーキを食べた時に僕が感じた快感を生み出すのに実は必要だった演出が、「細かい」領域だ。ここで注意したいのは、「細かい演出」といっても、製作過程の履歴に関わる細かい話ではないということだ。実は生地には三種類のナッツが使われているとか、実は甘みを一瞬強くするためにナントカ地方の特別な砂糖を使っているとか、そういう話ではないのだ。ここではあくまで、受け手がその場で感じることが出来るあらゆる感覚という集合の中に2つの領域があるのだ、ということを考えたい。(演奏者、作り手として技を磨くというのは、「後で感じられない領域」をどんどん「意識できる領域」へ持って行き、そして細かい演出に関わる製作過程の履歴を勉強すると言うことであって、それが受け手としてのレベルと必ずしも関係があるわけではない。)
話を戻すと、シンバルの細かい音色変化や、タムの細かい音量コントロールは、僕が後で岩瀬立飛のプレイを思い出そうとしても、そんな細かいところまで覚えていない。でも、プレイを観た時にはそれらが僕の感覚を揺さぶるのに必要不可欠な要素となっているわけだ。そして、実際には、そういう細かい領域での演出が、最初に触れた偶発性や必然性の相互作用、部分と全体の循環を更に豊かなものにしているのだ。
このビデオの素晴らしいところは、音と映像を受け止めることによって、そのような、(受け手にとっての)2つの領域での演出が、意識的にしろ無意識的にしろ、全て意味を伴って行われていることに受け手が容易に気付くところにある。であるが故に、何度観ても、「うお、こんな技を使えば演出ができるのか!」と、受け手としても作り手としても興奮することによって、すぐさまビデオを切ってドラムを叩きに行きたくなるのだ。