歓喜を描く−『マラソン』

水曜日はレディースデイで1000円、この映画の公開は22日まで、ということで、MOVIX 宇都宮に見に行ってきた。
平日の昼間の韓国映画なんてがらがらだろうと思いきや、客席は8割以上の入り。ほとんどは女性で、男性の姿は、夫婦で見に来たと思しき方数名。わたしのそばに60年配の女性グループがいたので、「しゃべるなよー」と思っていたが、上映中は実に静かで、鼻をすする音くらいしか聞こえなかった。
チョ・スンウの演技のすばらしさは、まず最初に言っておかなければならないだろう。わたしは、身近に自閉症の人や知的障害を持った人と接したことはないので、ほんとうにそれらしいのか、ということは断言できないのだが、ほかの映画の少しクールな印象のチョ・スンウとは、まるで別人だったということは、はっきりいえる。
母親役のキム・ミスクもほとんどノーメイクで、生活感がよく出ていた。まあ、生まれついた美貌はそれでも隠せないが。息子のために必死で生きていながら、孤独にさいなまれている様子がひしひしと感じられたのはさすが。
雨が降りしきる中、幼い息子の手をかざし、ふたりともびしょぬれになりながら、「雨がざーざー降ります」という言葉と、手のひらに受ける雨の感覚とを結び付けようとする母。『奇跡の人』かよ、と思ったのだが、その後何度も出てくる、手のひらに雨を受ける、手のひらに風を受けるシーンを見ると、言葉を使うことによって、社会の側に障害のある子を引き寄せる、という以上の意味があることがわかる。
「がんばる障害者」をほめたたえる、みたいなのは好きじゃないのだが、そういう「美談」が持つ臭さを、母親のエゴ*1を描くことによって、うまく回避している。音楽がちょっと狙いすぎのような気もしたが、まあ「感動作」には違いないんで、そのへんはしょうがないかな。
人にものをあげる、もらう、というやり取りの中で、相手との距離や好意を計る、という、この社会のお約束の外にいる主人公。決して他人から食べ物をもらわない、という母親のしつけが痛々しい。それだけに、主人公の練習に伴走して、いっしょに倒れこんだコーチに、水をわたす、という行動が、大きな意味を持つのである。
映画というのは、登場人物の心情を言葉以外の方法で見せるものだ。言葉で心情を表現することがむずかしい主人公だからこそ、走る主人公の目から見た、すぎさっていく風景を輝かしく描くことで、彼の喜びが伝わってくることこそが、この映画の最大の成功だと思う。
ラスト近くのファンタジックなシーンは、『ビッグフィッシュ』のラストを彷彿とさせた。全体に笑いも多く、歓喜を描いて終わる映画である。泣けるシーンもあるのだが、それを期待していくと、肩透かしかもしれない。
脇もみなよかったが、弟役のペク・ソンヒョンのみずみずしい演技が印象的だった。関係ないが、『茶母』で彼が演じたイ・ソジンの子供時代の役名は「(ファン)ボユン」じゃなくて「(ファンボ)ユン」ですから。「皇甫」という二字姓なのである。

*1:状況が状況だから、たとえほんとだとしても、ただそれを指摘するだけでは、酷に過ぎると思うが。