2005-09-28
■[刑事事件]とんだゲージュツ、ビルの壁に巨大落書き

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_09/t2005092821.html
容疑者が「売家とスプレーで書く三代目」にならなければよいのだが。
事件ですからおもしろがってはいけないのですが、この一節はおもしろいと思いました。
元のことわざは、「売り家と唐様で書く三代目」ですね。
■[インターネット事件][表現の自由]ファッション紹介サイト「無断掲載は肖像権の侵害」

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050927i419.htm
判決によると、問題のサイトは、街を歩く人のファッションを写真で紹介しており、女性は2003年7月、銀座で歩いているところを無断で撮影された。その後、別の掲示板サイトで、この写真をもとに女性を中傷する書き込みが行われた。
この種の事例は、報道で街の風景を撮影する場合などに起こりやすくなります。
本人の承諾がなく、本人が特定できる態様で撮影されていれば、やはり、原則として肖像権侵害という判断にならざるを得ないと私は考えています。
例外としては、例えば、代替性が乏しい場面(事件・事故やイベントなど)について撮影したところ本人が特定できる態様で映ってしまった場合など、限定されたものになるでしょう。
追記1:
この問題点について、ちょっと調べてみました。大きく分けて、
1 公共の利害に関する事項か、公益を図る目的か、公表された内容が相当か、という観点で決すべきとする考え方
(新・裁判実務体系「名誉・プライバシー保護関係訴訟法」296頁、大家重夫教授執筆部分)
2 私的生活領域か公的生活領域かでまず区別し、私的生活領域におけるものは撮影・公表等が許容されず、公的生活領域におけるもののうち、一般人が通常取っている行動であってその行動自体が撮影されることに心理的負担を覚えない形態での撮影・公表等であれば許容されるとする考え方
(竹田稔「プライバシー侵害と民事責任(増補改訂版)」266頁)
という2つの考え方があるようです(他にもあるかもしれませんが、私の手元にある資料を見る限り、です)。
上記の2の考え方も、確かに魅力的で、表現の自由を尊重する考え方だと思います。上記のニュースで問題となったような事例にこの考え方を適用した場合、「公的生活領域におけるもので、一般人が通常取っている行動であってその行動自体が撮影されることに心理的負担を覚えない形態での撮影・掲載」であるとして許容される余地も出ると思います。
しかし、「公的生活領域か私的生活領域か」の区別が、特に限界においては困難と思われますし、公的生活領域の範囲を広く取りすぎれば、結局、肖像権やプライバシー権の軽視につながりかねないという危険性があるということは言えるでしょう。
私見では、やはり、当面は、上記の1のような基準に照らして判断して行くしかないのではないかと考えており、本人の承諾がなく、本人が特定できる態様で撮影されていれば、原則として肖像権侵害という判断にならざるを得ないと考えます。
上記の記事では、
とありますが、1の考え方に立つ場合、本件のような事例における本人が特定できる全身写真の掲載は、相当性の点で正当化が困難ということが言える(あくまで一般論ですが)と思います。
ただ、上記1の考え方も、窮屈ではあり、今後とも、より適切な基準の定立を目指す必要があるとも感じています。
追記2(2007年6月20日記):
上記の追記1を書いた後、最高裁判例が出ています。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20051111#1131641206
上記の1や2とは異なる基準ですが、2の考え方も取り入れている面があります。この問題を考える上で、実務上は、上記の最高裁判例を中心に据えて考えるべきでしょう。
■[話題]『会社辞め研究職目指したのに』 34歳以上お断り

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050925/mng_____tokuho__000.shtml
私は、所詮、しがない実務家でしかなく、学者を目指したことは、かつて一度もありません。そういう私ですが、この記事は興味深く読みました。
なかなか難しい問題であると思いますが、一つ感じるのは、ここで取り上げられているような社会人として一定期間過ごした後に研究生活に入ろうとする人々の、「社会経験」というものが、どの程度研究や研究生活に生かせるか、ということも問題になるだろう、ということです。
そういった経験が生かせないような分野であれば、もっと若くしてその世界に入るべきだった、で終わりそうですし、逆に、そういった経験が生かせる分野であれば、34歳などといった年齢で画一的に切るべきではなく、個別具体的に判断すべきではないかと思います。
学者とは言えないかもしれませんが、50歳を過ぎてから勉強して不朽の業績を残した伊能忠敬のような例もあり、何事につけても、年齢で画一的に切ることには慎重であるべきと感じました。
■[話題]「丁寧な説明を」…副検事研修で交通事故遺族が初講師

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050927i418.htm
受講者らは、「改めて遺族の痛みに触れることができた」「遺族への丁寧な説明の大切さを認識した」などと話していたという。
上記のような感想が出ることからも、こういったカリキュラム導入は評価できると思いますが、研修による成果に多くを期待すべきでもなく、副検事の資質、能力の全般的な向上のほうが、むしろ重要ではないかと思います。
■[話題]田尾監督以外、首脳陣残留か=プロ野球・楽天

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050927-00000206-jij-spo
成績不振の責任を問うのであれば、監督だけでなくコーチ陣もその対象になるべきでしょう。新監督としても、従来のコーチ陣ではなく自分の指揮命令が徹底する新スタッフを配置したいと思うはずです。
こういう話が出てくるところに、この球団の未熟さや混乱ぶりが現れていると思いました。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050927&a=20050927-00000039-jij-spo
野村氏には、晩節を汚すな、と言いたいですね。








退路を断ってまで大学院に入らねば学べないことは少ないでしょう。
法が変わってきたということはいえそうですが、その当否をよく考えてみる必要がありそうです。個々人の人格権尊重と他の人の行動の自由との衝突事例ですから。
問題は、法科大学院卒、新司法試験不合格者だけではないわけですね。公務員採用試験にもあるわけですし。一般企業にもあるわけですし。
>弁護士の研究生活
院生になるのであれば、半年週1回2時間どこかのゼミに参加できれば、勘を取り戻せるのでは?それよりも、もう大学スタッフになることができると思うのですが・・・。
でも研究「生活」する研究者ということなら、教えることも必要不可欠ではないでしょうか。私も教えなくていい研究生活ができるのなら、やってみたい。