「法科大学院ー露呈する設計ミス」(平成19年11月23日・日本経済新聞朝刊「大機小機」)

昨日の上記記事(私が見たのは12版19面)には、共感を感じるものがありました。
論者は、現在の状況を紹介した上で、「今吹き出ている問題は、初期設計のミスに基づくものなのではないか。」として、

1 多数輩出する個性的な法曹資格者たちが法曹以外の分野でも引っ張りだこになり、研究者になる者もいれば企業法務を担う者もいる、といったことが想定されていたが、現実はそうはならなかった
2 法科大学院乱立、合格率は2、3割止まり、受験回数も制限され高額の授業料を支払わされるという状況の中で、法科大学院は今や高級予備校化したと言われている
3 法曹としても中途半端で他分野での活躍も期待しがたい卒業生が、毎年3000人も生産されることこそ問題であり、このような帰結をもたらした改革の陰で、日本の社会の隅々に法的センスあふれる人材を供給すべき法学部が弱体化し、研究者養成が犠牲になっているが、そうした大きな犠牲を強いるに値する中身のある3000人なのか、問われるべきはそこである

といった指摘がされていました。
最後に、「日本の社会が払うべき設計ミスの代償はあまりにも大きい。」という言葉で締められていて、最近の混乱を見るにつけ、確かに、的確な指摘ではないか、と思わずにはいられませんでした。
世の中に、完全な制度というものはありませんが、司法試験受験、合格の過程で選別を行った上で、司法研修所における修習(実務修習など実務家からによる指導を中心とした)、2回試験を経て法曹として社会に出る、という、戦前からの長い歴史の中で形成、確立されていた制度を、あまりにも安易に変えてしまい、法曹養成について知識も経験も能力もない人々に、重要な部分を「丸投げ」状態で委ねてしまったところに、現在の混沌、混乱が生じている原因があるのではないかと思います。
私も、司法修習生指導の経験があるのでわかりますが、山のような仕事を抱えつつ指導もする、というのは、かなりの負担になるもので、そのかなりの部分を、法科大学院がやってくれる、というのは、確かに、法曹三者にとってはそれなりに魅力ある話であった、という面はあるでしょう。しかし、そこは、何とか頑張ってやり通す必要があり、負担が重くメリット(法科大学院側は、金が入る、教員をより多く抱えられ就職先が増えるなどのメリットにつられたものと推測されますが)が乏しくても、投げ出してしまうべきではなかった、投げ出したことで、より大きな負担を抱え込むことになってしまったのが現在の状態、と言えるように思います。
やはり、根本的な再検討を行い、失敗は失敗と率直に認めた上で、より良い制度へと再改革して行くしかないでしょう。合格者3000人体制も、個人的には、減らす必要もないのではないか、と思っていますが、自分で責任も取れないのに安易に増員を唱えるような人々を排除した上で、合格者の数について冷静な議論を行う必要もあると思います。

「捜索中、届いた荷物に覚せい剤…無罪主張を棄却」

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070210#1171062565

でコメントした最高裁決定(平成19年2月8日・第一小法廷)ですが、判例時報1980号161頁に掲載されていました。
判例時報のコメントが、なかなか鋭いところを突いていて(突けるような人が書いている、ということでもありますが)、

1 捜索実施中に他の場所から捜索すべき場所に持ち込まれ、被告人が所持・管理するに至った物について捜索を行ったとしても、新たな住居権・管理権の侵害を生じるものではなく、新たな令状を必要とする理由はない
2 捜索差押許可状の効力に関し、令状呈示の時点において捜索場所にある物に、その効力が限定されるという規定はなく、そのように解する根拠も見出し得ない
3 令状呈示の趣旨は、執行を受ける者に裁判の内容を知らせる機会を与え手続の明確性と公正を担保し裁判に対する不服の機会を与えることにあり、令状呈示という行為自体に、呈示の時点に捜索場所に存在するものに許可状の効力を限定する機能は存在しない(処分を受ける者が不在の場合は令状を示さずに執行着手が可能ということからも明らか)

と指摘され、根拠としては、上記の3点に尽きているのではないか、と思いました。

「検察官不在で判決!女性裁判官が被告を呼び戻しやり直し」

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060825#1156503311

でコメントした事件ですが、その後、最高裁で判断が示され、決定(平成19年6月19日・第二小法廷)が、判例時報1977号159頁に掲載されていました。
上記のコメントで、私は、

判決宣告が一応存在した、と考えるか、検察官が立ち会っていない判決宣告は、判決宣告とは言えず当然無効と考えるか、2つの考え方があり得るでしょう。福井地裁は、後者と考えて(あるいは、パニック状態の中で何も考えないで)、判決をやり直したようですが、前者と考えて、手続に重大な瑕疵がある、という見方も可能でしょう。そうすると、地裁レベルでは是正不可能(やり直しできない)で、控訴審で是正するしかない、ということになります。

と述べましたが、高裁、最高裁は、前者と考えた上で重大な瑕疵がある、と判断しています。ただ、高裁が、判決に影響は及ぼさない、としたのに対し(控訴棄却)、最高裁は、判決に影響を及ぼすが、破棄しなければ著しく正義に反するとは言えない(「不著反正義」と言われます)として、破棄まではしていません。

刑事訴訟法第411条
上告裁判所は、第405条各号に規定する事由がない場合であつても、左の事由があつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。
1.判決に影響を及ぼすべき法令の違反があること。
2.刑の量定が甚しく不当であること。
3.判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること。
4.再審の請求をすることができる場合にあたる事由があること。
5.判決があつた後に刑の廃止若しくは変更又は大赦があつたこと。

こういった事態は稀にしか起きないことですが(頻繁に起きても困りますが)、刑事判決の有効性を考える上で、一つの参考になる判例にはなるでしょう。

「音楽保存サービス ストレージ利用は著作権侵害 東京地裁」

音楽保存サービス ストレージ利用は著作権侵害 東京地裁
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070527#1180196927
音楽保存サービス ストレージ利用は著作権侵害 東京地裁(続)
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070529#1180408863

でコメントした事件の判決文が、判例時報1979号100頁に掲載されていました。1審で確定していることがわかりました(上級審の判断も見てみたかったような気もしますが)。
判例時報のコメントでは、関連する裁判例や文献がいろいろと紹介されていて参考になります。
同コメントでは、問題となった公衆送信について、

本件サーバにおける複製が原告によって行われているということになると、送信行為もまた原告が主体ということになり、原告からユーザへの送信が公衆送信に当たるとされたものと思われる。

とされ、確かに、形式的にそのように片付けられた、と見るの自然でしょう。しかし、そういった形式論で片付けて良いのか、より実質的に、実態に即して考えるべきではないか、といった批判は、やはりこの判決に対し投げかけられるべきではないか、と改めて感じました。