【きょうは何の日】乃木希典夫妻が「殉死」

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080913/trd0809130344001-n1.htm

乃木といえば、日露戦争で指揮を執った旅順攻略戦があまりにも有名だが、司令官としての評価は分かれている。戦後の明治40(1907)年には、学習院院長に就任、後の昭和天皇の教育にもあたった。

殉死 (文春文庫)

殉死 (文春文庫)

は、かなり前に読んだことがありますが、その印象で言うと、司令官としての能力は低いものの、教育者としては卓越したものがあり、早い時期から後者のコースを歩むべき人物であったのではないか、という気がします。昭和天皇が、晩年まで、諸事、非常に質素で贅沢を嫌っていたのも、乃木学習院長の薫陶を受けたことによるものが大きいのではないかと思います。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも旅順攻略戦の場面が出てきますが、多くの将兵が無駄に死んで行くことに、怒りを覚えつつ読んだことが思い出されます。「関ヶ原」でもそうですが、司馬遼太郎は、自らが従軍経験を有するだけに、戦闘、合戦シーンを描くのが非常に巧みであった、と思います。

<敬老の日>100歳以上が過去最多の3万6276人

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080912-00000028-mai-soci

100歳以上の割合が高い「長寿県」の1位は、36年連続で沖縄県。沖縄は65歳以上の割合は全国最低で、「高齢者は少ないのに長寿が多い特異な地域」(厚労省老健局)になっている。上位10県はすべて中国、四国、九州に集中し、最下位は19年連続で埼玉県だった。

上位10県が西日本に集中しているのが不思議ですが、環境やライフスタイルなど、何らかの原因があるのかもしれません。こういった記事を見ていると、100歳までは無理としても、平均寿命くらいまでは生きていたいな、と思いますね。いつ死んでも悔いがないように、一日一日をできるだけ充実させたいとは思いつつも、やはり長生きはしたいものです。

御巣鷹の遺族、JALで初講演 「空の平和」思い重ねる

http://www.asahi.com/national/update/0912/TKY200809120254.html
http://www.asahi.com/national/update/0912/TKY200809120254_01.html

事故から7日後、真っ黒に炭化したかたまりが、夫の遺体だと判明した。2本の歯の治療跡だけが決め手だった。大切な夫が、他人に不快感を与えるほどに尊厳を奪われ、「日航を恨みました」。
しかし、世話役の社員は嫌な顔もせずに、腐乱したにおいが漂う体育館で遺体の確認に付き添ってくれた。登山支援班の人たちは23年間、山道にくいを打ち込んだり、銘標をたてたり、慣れない土木作業を続けてくれた。「夢を持って入社したことでしょう。社員も、大きな意味で被害者ですね」
「お互い、平和な空であるよう祈りたいと思います」。池田さんはこう言って、講演を締めくくった。

過去の歴史をひも解いてみると、様々な失敗が、関係者の驕り、慢心、謙虚さを忘れたことから生じている、という例が非常に多いということがわかります。自分自身がいちいち失敗して学んでいては大変なことになるので、何に学ぶべきかといえば、やはり、過去における先人の様々な失敗、そういった失敗が生じた原因、そのような失敗を回避するためには何をすべきであったとかいう教訓、そういった様々なことを歴史の中で学ぶということが必要不可欠でしょう。特に、実務に携わる者が(私もそうですが)歴史に学ぶ意義をどこに見出すかといえば、やはりそういったところにあるのではないかと思います。
その意味で、JALが、上記の記事にあるような、痛みを伴うようなことを敢えて行い、貴重な体験談を現役社員に聞かせ、学ばせようとすることには、非常に大きな意義があると思います。
人間というものは、物事がうまく行ったり、他人が誉めてくれたりすると、とかく慢心しがちですが、そういった状態になったり、なりそうな時ほど、謙虚さということを意識し、歴史に学ぶということが必要になるということを、改めて強く感じます。

薬害エイズ厚生省事件平成20年3月3日最高裁決定(厚生省薬務局生物製剤課長であった者につき業務上過失致死罪の成立が認められた事例)

判例時報2004号158ページ以下に掲載されていたので、一通り読んでみました。上記のような立場にあった被告人の不作為について刑事責任が問われたという点で、従来にはない特異性があり、それだけに注目されてきた事件でしたが、決定中、最高裁が刑事責任を肯定した根拠として述べるところは、非常にわかりやすく説得的なものを感じ、今後のこの種事件(立件される例は今後も極めて少ないとは思いますが)を考えるにあたり参考になるものという印象を強く受けました。

正当防衛に当たる暴行及びこれと時間的、場所的に連続して行われた暴行について、両暴行を全体的に考察して一個の過剰防衛の成立を認めることはできないとされた事例(最高裁平成20年6月25日決定・判例時報2009号149ページ)

事案の内容は省きますが、要するに、急迫不正の侵害行為が止んだ後に、さらに暴行を加えた場合、止む前の暴行と止んだ後の暴行を、どこまで一体として捉えるべきか、捉えるべきではないか、ということについて、具体的な事案の中ではあるものの、最高裁が判断を示した、というものです。
実務上、実際に正当防衛が問題となる事例では、生身の人間同士の激しい争いですから、上記のような一体性を肯定すべきなのか、否定すべきなのか、迷うケースが少なくありません。その意味で、一般化できるような基準を提示したりはしていないものの、一体性を判断する切り口のようなものを最高裁が示した、という意味で、今後の参考になりそうな気がしました。判例時報のコメント欄で紹介されている参考文献も、今後の同種事件で参考になりそうです。

追記(平成21年6月28日):

林幹人「量的過剰について」(判例時報2038号14ページ以下)

急迫不正の侵害に対する反撃として複数の暴行を加えた場合において、単独で評価すれば防衛手段としての相当性が認められる当初の暴行のみから傷害が生じたとしても、一個の過剰防衛としての傷害罪が成立するとされた事例(最高裁第一小法廷平成21年2月24日決定)
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090628#1246156563

との関係も含め、分析、検討されています。