日弁連、最高検の検証批判 「一部録画を正当化」

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009032501001058.html

日弁連は意見書で「虚偽自白の危険性という観点が欠けている」と指摘。一部録画と全部録画のどちらが有用かを比較しておらず「任意性の争点を解消する効果があるとしているが、単なる推測だ」と批判している。
また、自白調書の任意性立証のため公判でDVDが再生された16件のうち、1件で任意性が否定されたという点について「一部の録画だけでは、誘導や迎合が見落とされる危険が極めて高い」と、全部録画の必要性をあらためて強調した。

取調べの一部だけ録画・録音すれば良い、ということであれば、録画・録音していない場面で徹底的に任意性を喪失させるような取調べを行っておき、抵抗する気力も体力も奪い去っておいた上で、さあ、この辺で録画・録音しましょうね、ということにすれば、極めて従順で何ら抵抗しない被疑者の姿を残せるでしょう。そういう性質のものを見て、任意性があるとかないとか議論すること自体が無意味であり虚しいことである、といった健全な感覚を持たないと、この問題に対する適切な答えは永遠に出ないのではないかと思います。
「最高」検察庁の名に恥じないような見識が期待されます。単に威張るのがうまかったり建物の中の高い所にいるだけでは、最高の名が泣くでしょう。

泥酔学生下車し凍死、タクシーに賠償命令 松山地裁

http://www.asahi.com/national/update/0325/OSK200903250117.html

判決などによると、学生は07年12月21日夜、松山市内で友人らと酒を飲み、翌22日未明、帰宅するため1人でタクシーに乗った。運転手は松山市玉谷町の国道で降車させ、学生は約200メートル歩いたところで石手川の河原に転落して凍死した。降車したのは自宅から約4キロ北東の山中だった。
運転手は学生の指示で現地に下ろしたと主張したが、武田裁判官は「学生が友人に抱えられ泥酔状態でタクシーに乗車してから降車まで20分しかたっておらず、降車時は酔っていると感じなかったとする運転手の供述は信用できない」とした。その上で、「運転手は現場付近の地理に詳しく、泥酔した学生を降車させれば、転落や凍死の危険性があることは明らかだった」と結論づけた。

具体的な証拠関係がよくわかりませんが、泥酔状態にある乗客を、12月の夜間に山中で降ろしてしまう、という非常識さが厳しく問われた、ということでしょうか。安全配慮義務ということを考える上で、特異なケースとはいえ考えさせられるものがあるという印象を受けました。
お酒の飲み方が良くなかったとはいえ、もっと親切で配慮できるタクシー運転手にあたっていれば、死ぬまでのことはなかったと思われ、若くして亡くなった学生さんが気の毒ですね。

追記:

この件については、その後、東京新聞から取材を受け、本年4月3日の東京新聞朝刊24面(11版)の「こちら特報部」で、「乗客降車後に凍死、賠償命令 タクシー責任どこまで」という記事の中で、私の、

四国勤務経験がある元東京地検検事の落合洋司弁護士は「東京の夜に慣れた人には想像できないかもしれないが」と前置きし、「『降ろしてくれ』と言われたからといって、寒い時期に山中で降ろすのはいかがなものか、との判断だろう。客を荷物みたいに運ぶだけでいいのか、という考え方はうなずける」と話す。「運転手の安全配慮義務には、人里や警察署、交番まで連れて行ったり、客の家族に引き取りに来てもらうという配慮まで含まれるという認識を持った方がよさそうだ」

というコメントが掲載されていました。
コメントとしてはその通りなのですが、本件の特殊事情(上記のエントリーで触れたような)がかなり判決には影響しているように思われ、タクシー運転手に過重な義務を負わせる方向に物事が進むのもどうかど思いますが、ケースバイケースの中での適切な判断というものが求められている、ということは言えるように思います。

<周産期医療>現場負担、放置のツケ 愛育病院が指定返上へ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090326-00000019-mai-soci

労基法を守ろうとすれば、医師を増やし、日勤−夜勤で交代する体制を実現するしかないが、産科医は減り続けている。06年末の厚労省の調査では、産婦人科医は1万1783人で、96年から約12%減っている。全国の同センターも、少ない医師でやりくりせざるをえないのが実情だ。愛育病院のような動きが広がれば、日本の周産期医療は崩壊の危機に直面する。

以前、産婦人科医の仕事ぶりに接する機会がありましたが、昼も夜も土日もなく、何かあればすぐに対応という仕事ぶりに感服するとともに、これでは体も気も休まることがないだろうな、と思い、負担の重さを強く感じたことが思い出されます。
上記のような厳しい状況について、特効薬はないとしても、産婦人科医に対し、例えば国から補助金を給付するなど、お金で報いて行く、ということを大胆に行うことで、医師の減少を増加へと転じさせることも真剣に検討されるべきでしょう。お金で報いるというと、嫌悪感を抱く人が少なくありませんが、お金のあるところに人が集まる、というのは人間社会の現実であり、ただ単に世のため人のために頑張れ、ではこの窮状は打開できないでしょう。