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弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 日々是好日 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2010-03-27

[]強制起訴に「2つの壁」 JR福知山線脱線事故で検審議決 13:03 強制起訴に「2つの壁」 JR福知山線脱線事故で検審議決を含むブックマーク 強制起訴に「2つの壁」 JR福知山線脱線事故で検審議決のブックマークコメント

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100326-00000629-san-soci

今後、指定弁護士は、「起訴」に向け、検察官役を務めていかなければならないが、神戸地検が4年を超える捜査の末にたどりついた「刑事責任を問えない」との結論を覆す作業は容易ではない。

地検幹部は「3人を起訴するに足る証拠は一切ない」とまで断言している。起訴だけでなくその後の公判維持も見据えれば、膨大な量の捜査記録を精査したうえで、必要な証拠を得るために補充捜査を行わなければなるまい。

組織というものは大きくなればなるほど、トップが直接は把握できない物事が増え、組織の中の各担当部署に委ねざるをえなくなってくるものです。そういった組織の在り方が問題になって人が死傷する事故が起きた場合、現行の刑法上の業務上過失致死傷罪は、組織の在り方そのものを問う仕組みにはなっておらず、あくまで個々の「人」の責任が問題にされるため、上記のような「トップが直接は把握できない物事が増え、組織の中の各担当部署に委ねざるをえなくなって」いたことが、刑事責任(過失犯としての予見可能性回避可能性)という点では消極にはたらかざるを得ないという流れになってきます。不起訴にした神戸地検の判断は、そういった事情を踏まえつつ、従来の過失犯捜査の枠組みの中で行われたものと言えるでしょう。このたび出された検察審査会の議決要旨を読んでみましたが、従来の枠組みに照らした場合に、起訴相当とされた元社長らについて、具体的な予見可能性や結果回避可能性があったことをうかがわせるような記述は見当たりませんでした。

ただ、だからと言って、そういった議決が誤りかと言えば、そうとも言えず、従来の枠組みというものがあまりにも慎重すぎ、狭すぎたのではないか、特に公共交通機関を運行し極めて多数の人命を預かる会社にあっては、「危険」というものについて、トップを含め高度の注意義務が課せられていて、危険を顧みない、知らないまま放置すること自体に、刑法上の過失を認定すべきではないか、少なくとも起訴して裁判所の判断を仰ぐべきではないかという検察審査会の判断には、一介の刑事実務家としては賛同しかねないものを感じつつも、1人の国民の心情としては強く共感を覚えるものがあります。

こういった大規模な事故が、組織そのものの問題を原因、背景として起きた場合の刑事責任追及の在り方ということ(法人責任追及を含め)も、今後、検討する必要性が高いでしょう。

[]雲仙火砕流 焼けたカメラ、記念館で公開 11:28 雲仙火砕流 焼けたカメラ、記念館で公開を含むブックマーク 雲仙火砕流 焼けたカメラ、記念館で公開のブックマークコメント

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100327-00000004-maip-soci

1991年6月3日に発生し、43人の犠牲者を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流で、当時被災した報道関係者のものとみられるカメラ1台が同県島原市で見つかり、国土交通省雲仙復興事務所が26日、同市の雲仙岳災害記念館無料ゾーンで公開を始めた。

カメラは、土中の毎日新聞社の車の中にあった。取材中に火砕流に遭い死亡した毎日新聞写真部員、石津勉さん(当時33歳)が被災現場で使用していたカメラと同機種。毎日新聞は、発見されたカメラと、石津さんのカメラの製造番号を照合しようとしたが、毎日新聞側の記録が更新されていたため、石津さんのものと確認できなかった。

私が徳島地検に勤務していた当時に発生した大災害でしたが、既に19年近くが経過し、時の流れということを改めて感じさせられます。

取材の必要上、危険な取材対象に接近するということはやむを得ないとしても、その危険性の実態や顕在化した場合回避方法等を常に念頭に置いておくべき、ということを、上記の大火砕流事故は教訓として教えているように思います。

年月が経過し、当時の衝撃が風化しつつある今こそ、記事で紹介されている遺品は、記憶を新たにし教訓を蘇らせることにつながるような気がします。

[]3月30日の銃撃事件時効を前に、国松孝次警察庁長官「入念な下見での犯行ではない」 10:50 3月30日の銃撃事件時効を前に、国松孝次元警察庁長官「入念な下見での犯行ではない」を含むブックマーク 3月30日の銃撃事件時効を前に、国松孝次元警察庁長官「入念な下見での犯行ではない」のブックマークコメント

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20100326/20100326-00000264-fnn-soci.html

1995年3月30日、自宅前で銃撃された国松元長官はFNNの取材に、「後ろからドーンと音がして、衝撃で体が前に倒れた」と当時の状況を語ったうえで、「入念な下見をしたのであれば、犯人はあの位置にはいなかったはずだ」と話した。

FNNの取材では、署轄の南千住署の警備責任者は、ほぼ1日おきに、犯人が銃撃した場所の近くに立って長官を見送っていたが、犯行当日は署の行事で、警備に行けなかった。

警視庁の捜査本部もこうした状況から、入念な下見はなく、計画から短期間で実行されたとみている。

元々の警視庁公安部の見立てでは、オウム真理教による組織的犯行で、そうであるだけに入念な下見をした上でのことという構図を描いていたはずであり、元長官の上記のような証言は、そういった見立てを間接的に否定する側面もあるのではないかという印象を受けます。

【あれから、15年 警察庁長官銃撃事件】(上)迷走の初動捜査

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100326-00000060-san-soci

を読んでいると、初動の段階から皆で浮き足立ってしまっていて、こういう警察で日本の治安は大丈夫なのかと心配になってしまいます。警察庁長官が狙撃された事件も解決できずに迷宮入りにさせてしまうようでは、その力量に大きな疑問符がつかざるを得ないでしょう。警察捜査というものには期待できないという国民の印象が、これを機にますます大きくなる可能性もありそうです。では検察捜査に期待できるかというと、白を黒にする「ストーリー捜査」の弊害がますます大きくなっているという印象が広がっていて、とても期待できるという状況にもありません。捜査というものが、このように不信、あきらめの中でどんどん落ちて行く状況に、これでよいのかと危惧を感じるものがあります。

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