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IT坊主のひとりごと

2018-10-19

説話「それぞれの光」

阿弥陀経(あみだきょう)というお経に、極楽の池にある蓮(はす)の美しさを説いた箇所があります。「青い花は青い光を放ち、黄色の花は黄色の光を、赤も白もそれぞれの色の光を精一杯放って、互いに相手を照らし照らされていて実に美しい。他の蓮の花よりも我が美しいと自慢することもなく、劣ると卑下(ひげ)することもなく、それぞれの色光(カラー)を大事にすることで全体が大きく輝いている」と説かれています。

世界を飛び回ることも、額に汗してトラクターを操るもいい。美味しいラーメンを打ち込んでいる姿も美しい。つまり一人ひとりが自分の特性に目覚めて一途に打ち込んでやっていくことが大切と思えます。

昔も今も、大方の親は子どもに勉強しろと言い、良い成績をとらせて、よい学校に入れようと奮闘するものです。しかし子ども特性を無視した考え方が果たして自分の特性に目覚めた大人になるだろうか。それぞれの子どもが、それぞれのカラーを出して、相互に切磋琢磨し頼もしく成長することを願いたいものです。

「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗法話集より抜粋・編集

2018-10-18

説話「数珠(じゅず)の意味は?」

「数珠」は私たちがお参りする時に使う法具(ほうぐ)の一つですが、訛(なま)って「ずず」とも呼ばれたり、「珠数」や「寿珠」と書いたり、「念珠(ねんじゅ)」などとも呼ばれます。

念珠という名前は、「南無阿弥陀仏」などと仏を念じながら、その名前を唱える時に、何回唱えたかという回数を計算するために使うことからきた名前です。数珠の形や珠の数は宗派や用途によって違うのですが、珠の数だけは百八個を基準としているのが普通です。多いものでは千八十個のもの、少ないものでは五十四個、三十六個、二十七個、十八個などのものがあります。

勿論、まれにはこれ以外のものもありますが一般的なものは百八個を基準に、十倍したり、何分の一かに略しています。

「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗法話集より抜粋・編集

2018-10-17

説話「心を磨く」

ある寺院での昔の修行の様子です。『修行僧達は、毎年ある時期になると、清掃用具を一式持ち、お寺から町に出て無作為に一軒ずつ家々の玄関を叩き、“○○寺の修行僧ですが、お宅様のトイレ清掃をさせて下さい。”と言って町内を回るのです。もちろん町内で、その時期にお寺の修行僧達が、トイレ清掃の修行に来ることは風物詩となっていました。しかし、その趣旨にご賛同し協力いただける家は少なかったようです。「数少ない受け入れ先の家は一体どんな方なのだろう?」という疑問が湧きます。受け入れてくださる家々のトイレは、修行僧が清掃する余地のないほど清掃が行き届いているそうです。もちろん、他の部屋、庭なども同様に清掃が行き届いているとのことです。もし、汚れているトイレであれば、当然、他人に見られることが恥ずかしく、修行僧を受け入れることはできないでしょう。また、その寺院の来客用トイレの清掃は、古参の修行僧が行うことが慣例でした。来客に対する配慮は経験豊かな者の役どころ、といった考えと、若い修行僧達を指導する立場の者に慢心が生じないように、との配慮ということでした。トイレ清掃ひとつ取ってみても、日常生活を送る上での心掛け、配慮や精神面での精進など、いろいろ考えさせられることが多くあります。』

このことは、私が禅宗の寺で修行していたとき、住職から寺の清掃を指示された際に、「どの程度まで綺麗にしたらよろしいのでしょうか?」と尋ねた愚問に対して、「掃除は自分の心を磨くようにすればよろしい。そして、それを初心として忘れないように!」と重なる想いがあります。

「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗法話集より抜粋・編集

2018-10-16

説話「華は愛惜に散り、草は棄嫌に生う」

「はなはあいじゃくに散り、草はきげんにおう。」です。

花が咲くと、人は喜び、惜(お)しまれつつ散るのに、雑草は嫌がれつつ生えては捨てられる。花も草も共に大自然の因縁の働きによって生じて来たのです。花は人に喜んでもらいたいために咲いたわけではなく、雑草は人に嫌がらせをするために生えたのではありません。なのに、人間の都合で勝手に良いの悪いのと差別することをいう格言です。

人は皆、因縁で生きています。幸不幸も哀楽も、それぞれ因縁によって与えられたものとして受け止め、その中に真実を探し前に向かって進むことが大切なのですよ。とも読み取れます。

「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗法話集より抜粋・編集

2018-10-15

説話「傘のさしかた」

「傘ひとつ 片方は濡れる 時雨(しぐれ)かな」

歩き方を示唆した句です。天候は雨。なかなか止みそうにありません。二人で傘は一つしかありませんから、どうしても片方は濡れてしまいます。さてそこで、傘をどのようにさすかが問題なのです。

一、自分一人傘をさしてすたこらさっさと行ってしまう。置いて行かれた人はずぶ濡れになります。これも片方は濡れるわけです。(手前勝手型)

二、相手に傘を全面的にさしかけます。これだと相手は濡れませんが、自分はびしょ濡れになります。(自己犠牲型)

三、傘を真中にして、寄り添うようにさします。俗にいう相合傘です。これも傘からお互いの外側の袖がはみ出して、片方の袖は濡れます。(相思相愛型)

いろいろなさしようがありますが、どうさしてみたとて片方は濡れてしまいます。「傘は一本だ」と諦めねばなりません。この句は、現実世界は堪え忍ぶことも大切ですという戒めを言ったものです。

「こころと命の相談室」快栄寺(eお坊さんねっと)説話集より

参考:「天台宗法話集より抜粋・編集