スリッパでひっぱたきたくなる

「間接的な人殺し」関連。
とゆーか、自分がいかに想像がおよんでいなかったかに気づいたので軌道修正。


斎藤けんの『with!! 第1巻 (花とゆめCOMICS)』というまんががありまして、兄が車に轢かれそうになった妹を庇って死ぬのです。それで、残された彼女の姿を思い出して、私が使ってた「間接的な人殺し」ってことばがいかに軽かったか気づいたという次第。うん、もう、軽い軽い。「私は間接的な人殺しだ」と言ったっていいんだとか書いたけど、ぜんぜんよくなかった。わかってなかったよ私……!
その妹は、遠い異国の子どもが飢え死ぬよりもずっとつよい因果で「間接的な人殺し」なんだけど、その彼女に向かって「間接的な人殺しだ」とは、言わない。言う奴もいるけど、そういうのはスリッパでひっぱたけばよろしい。言うのがはばかられるのは、彼女が自分で自分のせいだと思っているからか、可愛い女の子だからか? でも、本人じゃなくても誰にでもそんなこと言わないし、思うことだって悪い、と思うだろう。たとえ兄のほうに思い入れがあっても。彼女のせいじゃないって、思おうとするだろう。不慮の事故で、彼女にはどうしようもなかったからだろうか?
身近な誰か、目の前で死んでしまった誰かの命はとても重く、そこで「人殺し」なんてのはもうシャレにならんのだ。真実であろうと、背負うのは難しい。で、私がここ数日考えてた「人殺し」なんてのはしょせんシャレになるような架空の荷物だったわけである。現実の重さを感じようとしたって、想像がおよんでなかったと気づいたいまでさえ、想像は難しい。
難しいし、常にそんな想像をしているのは、やっぱり嫌なのだ。遠い異国の貧しい名無しの子どもに思い煩って自分の生活を楽しめないのは。
……が、ほんとうのほんとうは、私は遠い異国の貧しい名無しの子どものことを本気で思い煩うような人間ではない。
まんがのほうがはるかにリアルだ。
わかってないのにわかったふりして加害者ヅラするのは嘘だろう。「事実は事実として認めろ」と何人かの方に言われましたが、事実として認めるってどういうことか、わからない。わからなくなった。