何もしてません

“何もしない時間”は無駄なのか?――「ウツ」を引き起こす「有意義」という言葉」……で、「何もしない」のも、心にとっては必要ですよー、人間は何かを効率的に生産するために生きてるんじゃないですよー、っていうような話をしてるんだけど、最後の節で、

 人間は、何も「しない」空白の時間があってこそ、内省や創造と言われるような内的作業が可能になるもので、ボンヤリと様々なことに思いを巡らしてみたり、自分自身との対話を行なったりします。また、その退屈さゆえにどこかに新しい世界はないかと模索してみたり、とりとめもない空想にふけったりするのです。このように自由な精神活動こそが、人類の文明や文化を築いてきた根源でもあると言えるでしょう。

http://diamond.jp/series/izumiya/10019/?page=3

って言っちゃってて、いやいやいや、それじゃけっきょく、何もしない時間を持つほうが“効率的に”創造するために必要です、ってことになっちゃうけど、いいのか? と、つっこみ。
でもこれは、「ことば」の限界なのかな、というような気もします。
人間はそもそも何かのための「生産マシーン」として生まれたわけではありませんって言われると、じゃあなんのために生まれたの?という問いを誘発してしまう。けれど、それはあんまりつっこまないほうがいいことのようで……なんの意味もなくただ生まれて死ぬ、とか、幸せになるために生まれました、とかいうのよりは、生産マシーンとして生まれました、ってほうがマシだと感じる人のほうが多いんじゃないかなあ、と、私は思うんですが。と、いいつつ、私自身は違うんだけど(なんのためであろうと、なんのためでもなかろうと、かまわない)。あと、人間はなんのために生まれるのか?を問うことと、「この私」はなぜ存在するのか?を問うことは、別なんだと思う……。
「ことば」というのは頭で理解するものだから、こうこうこうしたほうが得ですよ、っていう説得は得意なんだけど、損得勘定をしない、という選択は提示しにくい。損得勘定をしないのの、どこが得なのか、って、頭は考えてしまう。けど、身体の状態の声に耳を傾けるって、そういうのじゃダメなんでしょう、たぶん。音楽のほうが有効かなあ、とは思うものの、どんなの、というのは浮かばないな。あるいは、物語化する、とか。
まあ、とりあえず、人類の文明や文化の発展に寄与するよりも、身近な人間に必要とされることのほうに、人は流されるとは思う。あと、ただ意味もなく生まれて死ぬだけ、を、まっとうするだけでは、ヒマなんだなあ。その意味では、人生は長すぎる。「忙しい」は心を亡くすと書くけれど、一方で退屈は人を発狂させる伊坂幸太郎陽気なギャングが地球を回す (ノン・ノベル)』)わけで。