ベオグラード


友人のセルビア人を訪ねてセルビア共和国の首都ベオグラードを訪ねてきた。

セルビア、と聞くとどうしても戦争のイメージが強くて、依然として寂れた危険なところではないかという先入観があった。だからこそ、大学の友人が帰省するのに合わせて今回の訪問を計画したのだが、・・・実際に街を歩いてみるとそんなイメージが全く間違っていたことを実感した。

確かに、戦争の痕はいまだに残っている。いたるところに99年のNATOによる空爆後そのままで放置された建物がある。ミロシェビッチ政権下における経済制裁を発端とするインフレ・不況の影響か、多くの建物は修繕が全くなされていない状況で放置されていて、外壁がはがれて薄汚いコンクリートがあらわになった建物も多い。街のあちこちに見られる落書きは、そんな経済状況を反映した若者の不満の表れかもしれない。

しかし夜の街に繰り出してみると・・そこにはとても活気のある街が。多くの店は9時ごろからようやく満席になりはじめ、午前5時まで営業するというスタイル。Traditionalなレストランにて食事を終え、12時近くに外に出てみると、町は多くの人でごった返していた。レストランでは伝統的な音楽の生演奏があり、とても楽しい雰囲気。軽犯罪はある程度あるのだろうけど、銃による犯罪などは少なく、夜の街をあるく分にはアメリカよりもはるかに安全のよう。


(写真:レストランにて。)

現地で人気なのは、街を流れる川に浮かぶ水上レストラン。あいにく自分が訪問したときには天候が悪く利用はできなかったが、よく晴れた夜には明け方近くまで音楽が鳴り止まないとか。

トルコとヨーロッパ文化との接触点にあるベオグラード、その立地上の影響はいたるところに見られる。基本的に欧州風の町並みをもつ一方で、ギリシャ正教の系列にあたるセルビア正教の教会のドームはモスク風のデザイン。もちろんイスラム教のモスクもあれば、オーストリア・ハンガリー帝国傘下にあったころの影響で、カトリック風の建築のギリシャ正教の教会もある。いたるところに歴史の足跡が残されている。


(写真:建設中のセルビア正教の教会。ギリシャ正教系のものとしては世界最大とか)

共産主義から資本主義への転換、その過程で起こった高インフレは、貧富の差の拡大をもたらしている。それは街を走る車をみて一目瞭然。空港を出るとまず、排気ガスの臭さに圧倒される。旧ユーゴスラビアの国民車「Yugo」はいたるところでまだ走っているが、後部座席に乗っているとガソリン中毒になるくらいにガソリンを揮発させながら疾走する。そんな今にも壊れそうな車の脇を、トヨタアウディBMWなどの高級車がびゅんびゅん通り過ぎていく光景は、そもそも統一感の少ない町並みを一層混沌とさせる。


(写真:友達のYugo製Skala(91年モデル)。古い車だけどまだ街ではたくさん走っている。)


戦争、戦争、戦争、で特徴付けられる歴史は人の雰囲気にもそのまま反映されている。そもそもこのセルビア人のクラスメート夫婦、アメリカにいても最も声が大きいのだけど、セルビアに来てみてその訳が分かった。ここでは皆がアグレッシブで、常に競争状態。そのうえ路上には信号がとても少ない。誰が優先権を持つのかはっきりしないようなラウンド式の交差点を歩行で渡るのは文字通り命がけで、何度も路線バスや乗用車にひかれそうになった。おそらく世界一危険な交差点ではないか。友人の運転するYugoが向かってくる路面電車にぶつかりそうになってぎりぎりで停車・・・その時の路面電車の運転手の顔が忘れられない。日本ならば「危ない!」と息を呑んだ表情でも見せるであろうシチュエーションで、その運転手は「お前オレの前に出てくるなんてふざけんじゃねーぞ」とでも言わんばかりの形相でぶつかるギリギリ直前の最後の最後までこちらをにらみつけていた。友人曰く、ベオグラードでの運転は「どちらが先にブレーキを踏むかのチキンゲーム。」とても納得。