大和但馬屋日記

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yms-zun2011-03-06

目にするたびに、控へ目に言つて愉快でない気分になる言葉の話。最近知人もよく使ふので、殊更に波風立てたい訣ではないが、以前から書かうと思つてゐたことを今書くことにした。
それは「終つたコンテンツ」といふ言回しを四文字に約めた言葉である。自分の書いた言葉として残すのも嫌だから直接には書かない。
少し前、呑み会の席でイラスト描きを生業とする友人が「俺、あの言葉が嫌ひなんだよね」と言つた。個として物を作る側の人間として、見倣ふべき態度だと思ふ。そして、同じく何かを作る側に身を置きつつ、自分はその友人とも少し違ふ理由でやはり嫌ひだと思ふ。
「終つたコンテンツ」と呼ばれる対象の何が「終つた」かといふと、それは同時性に基づく経済的効果が「終つた」と言つてゐるにすぎない。要は、「ネットで話題にならなくなつた」以上の意味ではない。ニュー速やふたばやニコ動、そしてTwitter等で垂流される主体性のない浪費の中で、好き勝手に貼つて回られる軽薄で下らないレッテルだ。何か自分にとつて一つでも大切なコンテンツがあるならば、それが如何に下らないレッテルであるかの説明など不要であらう。
その言葉の発祥となつたと思はれる、中断中のとあるラノベ(「とある」のラノベではない)の最新刊が、四年ぶりに刊行されることになつたさうだ。アニメイトでアニメ版「GA」のビジュアルガイドブックと「アイマスDS」の涼ちん漫画を買つたらついてきたフリーペーパーに書いてあつた。自分でも意外なことに、それを「嬉しい」と思つた。さうだ、四年前の俺はこれを待つてたんだよ。中断直前の巻に仕込まれた装訂のギミックに気がついて、そんな筈もないのに「これに気付いたのは世の中で俺だけかも」なんて思つたりして、その答へ合せを心待ちにしてるんだよ。世間ではアニメが始まつたり終つたり映画になつたり忙しかつた様だが、そんなもんは知らん。俺にとつては、止つていただけで終つてなどゐないのだ。
「GA」ビジュアルガイドブックでは原作者が後日談の漫画の中で「アニメが終わればもぉ世間にとっちゃ過去の作品!!」とトモカネに叫ばせてゐる。自虐にも程がある。
アイマスDS」は、あれだけ散々貶されてゐながら、今は「2」を貶すためのダシに使はれて一部で変な持上げられ方をしてゐる。剰りの馬鹿馬鹿しさに言葉もない。それら作品のタイトルに、決つて付けられるのが例の四文字だ。
それを使ふ側の人間は、レッテルを貼る対象にコミットしない、理解を示すつもりがないといふことを無自覚に示してゐる。言葉自体に嘲笑の意味があるといふことを、少なくとも解つておくべきだ。物を作らない、人の作つた物を愛さない者がどんな馬鹿な言葉を使はうと知つたことではないけれど、馬鹿の真似をして馬鹿な言葉を、わざわざ意味をずらしてまで使ふことはない。
ひとつ、嫌な予言をしようか。何年か後、軌道投入に失敗した金星探査機の再投入が近付いた時に、きつとかういふ奴が出てくる。「『あかつき』は○○○○」「宇宙開発は○○○○」。想像しただけで気分が悪い。