大和但馬屋日記

この日記について

2017年01月31日火曜日 F1總集篇

今頃昨年のF1總集篇を觀てゐる。自轉車のローラーを囘しながら。昔の總集篇と較べたら全然掘下げがないなあ。生中繼で流れた素材しかないんだもの。寂しいもんである。

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2017年01月30日月曜日 空想世界の片隅で

中村製作所、後のナムコ創業者中村雅哉氏死去。その存在の大きさについて今さら語る言葉があらう筈もない。ナムコなくして今の自分はないといふ世間に掃いて捨てる程居るであらう一人のゲーム好きとして、有難うございました。

大正十四年生れと聞くとすずさんと同い年かと反射的に思つてしまふ病氣の序でに話を繋げると、片渕須直監督は「エースコンバット4」「同5」に深く關はつてゐる。自分は好みから言つてACシリーズのあまり良いプレイヤーではないけれども、唯一エンディングまで遊んだ「エースコンバット5」で終盤のストーリー展開に合せてHUDに表示された敵性のフランカーのマークが"FRND(友軍)"に變化した瞬間のことだけは忘れない。ゲームで遊んでゐて「ガーン」となることは度々あるけれどさうさうはなくて、この瞬間は紛れもなくさうだつた。

この話をTwitterに書いたら片渕監督の目に留まつた様で、話を變にかこつけただけだがこれも中村社長の生んでくれた縁には違ひないとささやかながら感謝を。

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2017年01月29日日曜日 目隠しと供出と

この世界の片隅に」十囘目。ULTIRAで觀られる内に觀とくのがうちらの戰ひですけえ。

十囘目に氣附いたところ。

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畫像は公式の豫告編動畫より引用。市境の短いトンネルを拔けると軍港だつたといふのを象徴的に示す、線路脇の目隠し板。これは他でもない戰艦大和建造の際に機密保持の爲に設置されたトタン壁ださうで、その後も目隠しとして機能してゐる。ここからカメラがグイッとパンして呉港が映り「くれー、くれー」とアナウンスが被るシーンは映畫のラストでも全く同じ構圖で繰返されることになるが、そのラスト近くでは目隠しの板は撤去されてゐた。そのことが隠すベき世界一の軍艦は既になく、海軍組織も解體されて周作さんが御役御免となつて初めて歸宅する場面を象徴してゐるのだと思ふ。トタン壁をバラしたのが鐵道省なのか占領軍なのかは判らないが、ともかくも焼野原となつた呉市街の復與の資材となつたであらうことは想像に難くない。それに際しておそらくは仁義なき筋の人等が絡んでもゐたのだらう。それも呉の一つの姿。

こんな目隠しなぞに金属を浪費して、それをどうやつて調達したかといへば呉市電の路線を一部廢止してレールを供出させたりもしたさうだが、北條家の家具からも金属の取手類が奪はれて繩の取手に換へられてゐる。そのタイミングがいつかと探してゐたところ、どうやらすずさんが楠公飯を炊いてから防空壕を掘るまでの間らしいといふことは判つた。徑子さんが嫁ぎ先の建物疎開で離縁して戻つてきた邊りが境目だと思ふが、そのシーンの家具の樣子がどちらなのかはまだ判別がついてゐない。

その後、何度も觸れてゐる二〇年三月十九日の初空襲の日にすずさんは小松菜の芽に手柄杓で水を與へてゐる。これもひよつとしたら金柄杓や如雨露があつたのを供出で持つて行かれたのかもしれない。

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2017年01月28日土曜日 マノー消滅

先日破産したと報じられたマノーF1チームが再建叶はず消滅することになつた。テールエンダーから脱することもなく終つたなあ。

今シーズンの爲に用意されてゐた風洞モデルを囲んでの冩眞が物悲しい。皮肉にも新規定對應マシンの姿を全チームに先驅けて公表することになつた。

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2017年01月27日金曜日 スイッチ豫約

Nintendo Switchの豫約に成功。

韓國へのヘイト記事で災上を狙ったデマサイトへのインタビュー記事を讀んで思ふのは「次のターゲットはこれ讀んで『自分は關係ない』と思つた人なんだらうなあ」といふこと。

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2017年01月26日木曜日 ターボアウトラン

「ターボアウトラン」を少し本氣で遊んでゐるが、面白味をどうにも見出せない。どこを觸つてもガサツで大味で、プレイヤーにストレスを與へることが目的になつてゐる要素ばかりが目立つ。畫面に居坐るライバルとしつこいパトカー、使つたらクラッシュ確定のターボブースト。アメリカンなノリでブッ飛ばすのが樂しいタイトルを狙つたのは解るが上手くならうとする程地味なプレイを強ひられる様で樂しくない。あれほど樂しかつた「パワードリフト」の後に何故かうなつたのか。

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2017年01月25日水曜日 セガ3D復刻アーカイブス3

昨年末、クレジットカードを紛失してゐる間に發賣されたので買へないまま失念してゐた3DS用「セガ3D復刻アーカィブス3」をDL購入。新規タイトルとして「ターボアウトラン」「エイリアンシンドローム」のそれぞれアーケード版と、「コラムス」のメガドライブ版を收録。「コラムス」! 素晴しい。當分、3DSはこの專用機になりさうである。立體視化された「コラムス」といふ技術の無駄遣ひぶりがまた何とも言へない。立體感溢れるジェエル。

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2017年01月24日火曜日 バーニー引退

アメリカリバティメディア社がF1株式を過半數取得して興行面での運營權を掌握したとの報。これに伴ひバーニー・エクレストンCEOといふ名の名譽職に追ひ遣られ、マネージングディレクターにロス・ブラウンが着任するらしい。バーニーにとつては寝耳に水の人事だつたやうだが、まあお齢のこともあるしね。

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2017年01月23日月曜日 假名遣は發音のルールではない

「女王」を「じょうおう」と讀むのは間違ひかどうかといふ話題を久し振りにTwitterで目にした。前にこの件に觸れたのはいつだ。

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ものすごい昔だつた。當時「巨商傳」といふゲームがあつたらしい。そして今もあるらしい。凄いな。それはさて措き。

取敢ず今の見解としては「現代假名遣で『じょおう』と書くことになつてゐるから『じょうおう』と讀むのは間違ひである」といふ態度は自分としては斷固誤りとしたい。「ぢよわう」を逐字的に置換へたのが「じょおう」であるならば、そんなものが讀み方の根拠として良いものではないのだ。現代假名遣にはその樣な何かの根拠となるべき正當な裏付けがそもそも認められない。

「じょおう」を發声すると「ジョーー」にしかならないが、「ぢよわう」は「ジョウオー」といふ發音を産む可能性を持つてゐる。漢字の字音を昔の様に表記するのは難しい。今更一般人が學習して保存するのも無理がある。それはそれとして、現代假名遣が言葉の發音を規定し得るものと考へるのはとんだ大間違ひである。假名遣とは「文字表記のルール」であり、發音のルールではないのだ。

現代假名遣は歴史的假名遣や字音假名遣で書かれる文字の一部を一定の法則で別の文字に置換へる、單なる文字表記上のルールでしかない。假名で「じょおう」と書くから「ジョオー」と讀むのではなく、今なら「ジョオー」「ジョーー」「ジョーオー」などと讀まれる可能性があるものを、傳統的な表記に則つては「ぢよわう」と書き、現代假名遣では「ぢよ」は「じょ」に、「わう」は「おう」に置き換へると決めた結果として「じょおう」と書くことになつてゐる、といふのが正しい認識であるベきなのだ。文字表記とはさういふものである。

この順序を間違へると、「今日からマ王」のオープニングテーマ「果てしなく遠い空に」の樣な酷い歌が出來上る。まともな日本語話者なら、この歌には激しい違和感を覺えて然るべきである。まさかこれを「『文字通り』丁寧に歌つてゐる」と勘違ひする人は居ないと思ひたいが、世の中は解らないものなのだ。

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2017年01月22日日曜日 味方に向けられた砲口

シン・ゴジラ」の序盤に、品川附近で自衛隊が未確認生物と初めて對峙して攻撃の許可を總理大臣に求めるくだりがある。總理が前例のない決斷を下さうとした正にその時、未確認生物と攻撃ヘリの間の踏切を横切る民間人老夫婦の姿が認められ、総理は即斷で攻撃中止を命令、結果的に未確認生物を取逃すことになる。それを見て「何だよ攻撃しろよと思つたが、あの夫婦がすずさん達だと思つたら撃てる訣がない」といふツイートを見た。

さて、昨日も触れた「この世界の片隅に」の昭和二十年三月十九日である。すずさんが前年の夏に「今はどこでどうしとるんぢやらうか」と心配までした「戰爭」が、遂に形を伴つてやつてきた日だ。早朝の呉の山々に對空戰斗用意のラッパの音が鳴響き、畑ですずさんと晴美ちやんがその響きに包まれて呆然とする。最初に火を噴いたのはすずさんの畑の眞正面方向にある鉢巻山の頂上の防空砲臺だつた。立ち盡すすずさんの眼前で帝國海軍高角砲が火を噴いて、その初彈はすずさんの頭越しに破裂した。その背後の灰ヶ峰の稜線の向うから米軍艦載機の群れが飛んで來て、すずさんが事態を理解するのはその後のことである。當時の對空砲彈は空中で破裂して飛び散るその破片で敵機に致命傷を負はせることを狙つた武器である爲、破裂の威力は大きいし、破片のスピードも相應のものとなる。地上の生身の人間に當れば勿論一堪りもない。花火などとは訣が違ふ。つまりあの時のすずさんは何が起きたかを知る前に命を落してゐた可能性が極めて高く、さうならなかつたのはただ運が良かつただけなのだ。

義父の圓太郎さんが駈けつけて身を伏せさせたその後しばらくは、空中から降り注ぐ破片が呉の民家の屋根瓦を割り、共同井戸の周囲の地面や樹木を穿つ描冩が續く。勘違ひをしてゐる人もゐるかもしれないが、これらは全て日本軍の高角砲の攻撃による損害なのだ。その日の米軍の攻撃對象は第一に呉灣周辺に停泊してゐる無數の艦艇であり、地上施設や市街地は目標に入つてゐない。最初の鉢巻山の砲臺も、續けてアップで描冩された灰ヶ峰の砲臺も、砲の向きは市街地の上空に向けられて、そこから放たれた破片が容赦なく呉の街を傷付けたのである。もつと端的に言ふなら、あの日すずさんの見た最初の「戰爭」は、味方の砲臺がすずさんの居る處に向けて放つた一發で始まつたといふことになる。

そのことを踏まへて先の「シン・ゴジラ」の品川防衛線の描冩について考へてみれば、一層味はひが増すのではないだらうか。大河内總理の決斷は止むを得なかつたとしか言へないし、現場も正しくそれに從つた。後に何が起きたとしてもそれは正しかつたのだ。

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2017年01月21日土曜日 時間を描くといふこと

今日も茶屋まで走つて映畫を觀る。

「きんいろモザイク pretty days」。TVで二期までやつたアニメの新作OVAのブローアップ上映。今時そんな言ひ方はしないか。フィルムを引伸す訣でもなし。あくまでTVクオリティの畫面ではあつたが、これが豫想外に良かつた。あややを話の中心に据ゑて、日本人側三人の高校受驗の話をメインに進めて英國人二人は完全に脇役。これが意外にも良かつたのだつた。まあこれがツボに入るのは自分がヲッサンだからかもなーといふ氣もしつつ、ちよつとホロッと來てしまつたのだから仕方がない。

終盤の舞臺劇のシーンがTV第一期最終囘のやうな展開を期待したのにgdgdだつたのは殘念だが、ここをちやんとやるには千八百圓取れる映畫として作らにやならんのだらうな。さういふのを觀たくはあったがまあそれはゼイタクといふもので。

引續き同じ箱で「この世界の片隅に」久し振りのULTIRA上映。片渕須直監督の舞臺挨拶が行はれるといふので、少なくとも通路に挾まれた中央のブロックは珍しく満席に近い盛況振りであつた。しかしULTIRAに氣壓されて萎縮してしまふのか、あるいは映畫馴れしすぎた人ばかりなのか、そして何よりリピーターが殆どであるせゐでもあるのか、ともかくもそんな感じで映畫に對するリアクションは薄く、小さい箱でよく起こる笑ひもすすり泣きも窺ふことはできなかつた。まあ自分も外から判る反應は見せない方だと思ふが、先刻の「きんモザ」では不覺にも涙を拭いてしまつたものね。

久々のULTIRAだし觀賞は九度目なので今囘は敢へてすずさんの一擧手一投足からは耳目を逸らし、すずさんを取囲むすずさんが見聞きしてゐる筈のものごとに注意を拂つて觀た。

嫁入りの日の呉の驛頭の喧騒。休山の方の砲臺の教練の音に氣を取られがちだが、行交ふ乘物の音が自轉車ーつに至るまできつちりつけられてゐる。喧騒ばかりでなく、鹽辛蜻蛉や赤蜻蛉が飛べばその羽音まで聞える。

音の演出の壓巻はすずさんを見舞に来たすみちやんをすずさんが街まで見送る場面。破裂した水道管に栓を打込む作業を行ふ一組の男性の姿が見えるが、その槌音はすみちやんと別れるまでの間ずつと一定のリズムで續いてゐて、作業する姿が畫面から外れてまた戻つた時にもきちんとリズムに合はせたまま動いてゐる。當り前のことが當り前に描かれてゐるだけだが、そんなことをするアニメがあるか? 自分の知る限り、かういふ時はオフの時にガヤで台詞を入れて作業を中斷したりして、無理に何カットも跨いでまで繪と音を繋げたりはしないものではないのか。音樂合せの演出と同レベルのことをこともなげに日常として描いてゐるのが恐ろしい。

繪と音については、それでもやはり遠方の砲撃の音が繪と同時に鳴るといふ映像のセオリーを外しはしてゐないが、一箇所だけ明確に距離感を感じさせる演出を取入れてゐる。三月十九日の、すずさんが初めて空襲の災禍に見舞はれる場面。ここで遠くから發砲される音、砲彈が破裂する音なども全て基本的に繪と音が完全に同期してゐる。さうした上で、圓太郎さんが鐵兜に「被彈」し、廣工廠唱歌を囗遊みつつ地面に突伏したところで、遙か遠方の呉灣上に浮ぶ戰艦榛名が主砲から三式彈を發射した時だけ、戰艦主砲の威力を示す衝撃波が數秒遅れて北條家のガラス障子をガタガタ振はせる描冩を挾んでゐるのである。監督としては「本當はこのくらゐタイムラグがあるんだよ」といふ「事實」を示さずには居られなかつたのだらう。その上で、主砲の發射音と三式彈の破裂音は繪と同時にも鳴らしてゐる。それが映像としての「眞實」だからである。

この衝撃波の遅れの描冩がそのまま八月六日の原爆の描冩へと繋がるのは言ふまでもない。そこで驚くベきは光と音のタイムラグの表現ががすずさんにとつての重大な選擇の場面でもあり、即ち原作漫畫の時點でタイムラグがドラマの要素として折込まれてゐたといふことである。漫畫で時間を主體的に扱ふ場合、そこには得てしてわざとらしく時間を強調して引伸す様な描冩がなされたり、時間を象徴する事物、あるいは動作が入念に描かれる。映畫だとスローモーションになつたり、一見本筋と直接關らない何かの風景を挾んだりして、觀客の注意をそちらに向けようとする。ところが、このシーンでは徑子さんとすずさんの二人の静かな會話によつて時間が進み、互ひの關係にほんの僅かな變化が起らうとしてゐるだけである。その僅かながらも重要な變化の瞹間に「ピカ」が挾まり、すずさんの心が定まつたのと同時に「ドン」が來る。廣島市から呉の距離は凡そ二十キロで、光が見えてから音が傳はるのに五十秒程掛かつたといふ。それを實時間として描いてみせたのである、映像ではなく漫畫で。こうの史代先生の筆力。こんなの「漫勉」でも解き明かせまいよ。

アニメでこれを再現すること自體はきちんと丁寧に演出すれば問題ない筈なのだけれど、それでもアニメでは「ピカ」の瞬間に低くくぐもつた轟音を合せてゐる。合せなくてはならないのである。映像である以上、「光つた理由となる音」は必要なのだ。三月十九日の空襲場面での榛名の砲撃描冩については、おそらくその後に出てくる八月六日の重要なシーンを踏まへて、その前哨の意味を込めて意圖的に挿入されたのだらう。音の傳はる速さの違ひが、どちらも北條家の家屋を搖らすことで表現されてゐることからも明らかであると思ふ。

そんなことを感じながら觀ると面白くて仕方ないのだが、大變に疲れるのも正直なところなので、手前に「きんモザ」を觀ておいて良かつた。アニメなんてgdgdくらゐで丁度いい。

程良く疲れた頭で監督挨拶の時間を迎へる。

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すずさんはこまいなう。監督さんはもつとこまいなう。

片渕監督の話は「北條家が井戸に頼つてゐたのは何故か」「すずさんを襲つた境遇の意味」「終戰の日に灯る家々の窓明りについての實話」等々。すずさんに關する話は、原作から端折つた部分を拔きに物語を成立させる爲のロジックの説明といふ感じで聞いた。

スクリーンの大きさに少し狼狽した風の監督の言葉に、一年前の「ガルパン」以來のULTIRAフリークとしてはまるで戰艦大和をすずさんに誇つてみせた周作さんと同じ氣持になつたのであつた。

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2017年01月20日金曜日 女子自轉車アニメ

女の子が自轉車に乘つてキャッキャウフフするアニメが二期續いてゐるけれども、「南鎌倉高校」はその名の通り高校が舞臺なので自轉車そのものの値段や旅行にかかるコストの問題がリアルにのしかかる。同じ高校ものでも競技に特化した「弱虫ペダル」は部活の備品といふことでその問題を物語から棚上げできるが、部活動の承認を得るところから話を始めた「南鎌倉高校」ではその手が使へない。結局のところ、「皆お金持ちやなあ」と思つてしまふのはこちらが貧乏根性なだけか。

前期の「ろんぐらいだあす!」については「何故女子大生なんだ」と文句を言つてゐた友人もゐたが、アルバイトと自轉車であちこち走り囘る暇を無理なく登場人物に與へる爲と考へれば當然の配慮なのだらう。今時、バイトして旅行して筋肉痛で講義をサボれる程大學生も呑氣では居られないと思ふけど、そこはやはり作者がをつさんであるが故のファンタジーなんだらうな。

をつさんのファンタジーといへば、どちらも神奈川が舞臺で自轉車店の店主が動物コスプレをする變なキャラ造形で語尾に「パカ」を付けるアルパカつぽい人が出るといふのは何なのか、神奈川縣にはさういふプロトコルがあるのか? わりと見てて辛いポイントです。

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2017年01月19日木曜日 橙色はニュージーランドの徴

マクラーレンチームが今年のカラーリングを橙色にするのではないかといふ話。チームの大口スポンサーが變る度に毎囘同じ噂が出ては、結局モノクロベースに赤いワンポイントカラーで收まるといふことを繰返してゐるので「またか」といふ感想にどうしてもなつてしまふ。ロン・デニス氏がCEOを退任したのが根拠の一つと捉へられてゐるが、さて。

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2017年01月18日水曜日 遊びの繼承

子供の遊びの繼承と斷絶について考へた。

昔ながらの遊びの内、べーゴマやビー玉、ヨーヨーなどの特定の玩具を使つたものは玩具メーカーの主導で保存されたり復刻されて、そこで新たな商品性に合せたルールを付與されたりすることもあるが、さうでない遊びはどうやつて生殘るのだらう。そもそも、どの程度生殘つてゐるのだらう。今も尚繼承されてゐるのだとすればどうやつてだらうか。玩具メーカーのマスプロダクトのフィルターを拔きにして生殘れる術があるのかどうかなど、知りたくても知り樣がないな。甥にでも訊いてみるか。

マイマイ新子と千年の魔法」では地域の縦の繋がりと親子の斷絶でもつてさうしたことの一面を描いてゐる。自分にとつての「マイマイ新子」を味はふフックをまづこの辺に置いてみよう。

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2017年01月17日火曜日 お歸り

昨年、引退發表をしたばかりのフェリペ・マッサが今年もウィりアムズから出走することになつた。何だこれ、顔が緩んで仕方がない。それあね、マッサの居ないF1よりマッサの居るF1の方が樂しいに決つてるからだよ。お歸り!

ロスべルクが引退しちやつて、メルセデスの席が空いたところにウィリアムズのボッタスが移籍したから、ウィりアムズに乘せたいドライバーが居なくなつてマッサに殘留してもらふことになつたのだな。

何故メルセデスにボッタスが、といふと元ウィリアムズの要職にあって数年前にメルセデスに轉籍したトト・ヴォルフがウィリアムズ時代からボッタスを支援してゐたので、これを機に引拔いたといふことらしい。

辞めるロスべルク、辞めるマッサを走らす。

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2017年01月16日月曜日 雀の御宿

昨晩、齒を磨いてゐて風呂場から何やら氣配がすると思つたら雀が入り込んでゐた。明りを消し忘れてゐたところにあまりの寒さで逃込んで來たらしい。言葉を交せられれば引留めもしたものを、さうもいかずに飛んで逃げてしまつて気の毒なことをした。その後も明りは灯したままにしておいたが、一度人の姿を見た以上戻つて來る程愚かでもなからう。

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2017年01月15日日曜日 何も考へんボーッとしたうちのまま

昨日からの雪と酷寒に外へ出る氣は消え失せた。「MAD MAX:fury road」のモノクローム版を觀たかつたのだがこの雪で茶屋までは行けぬ。どこにも行けないので家でものの本をめくりながら「この世界の片隅に」について考へ續ける。

この作品が描いたのは、監督の言葉を借りれば「暜通に暮してゐるすずさんといふ女性の上にも飛行機がやつて來て爆彈を降らせてしまふ」日常といふことになる。では何故さうなつたか。日本が世界を相手に戰爭を仕掛けたから? まあさうだ。では何故戰爭を仕掛けたのか。そして仕掛けた戰爭で追詰められて敗けたのか。それを一言で纏めるならば「リソース確保に失敗したから」となる。リソース即ち燃料だ。戰時中の標語に「ガソリン一滴血の一滴」とあるが、結局さういふことだ。それなりの經緯があつて、結果として我が國は世界から孤立し、經濟的に立行かなくなつた。戰爭をしたから物がなくなつたのではない。戰爭をしなくては物がなくなることになつてしまつた。少なくとも當時はさう理解された。

そして戰爭をして、當然の歸結としてますます物がなくなつた。すずさんを通して描かれるのはその状況である。交通網が未發達だから流通手段も限られる。自由に物が行來できないから配給制になる。金があつてもなくても物がないから野草を摘んで献立の足しにせざるを得ない。米も足りないから粥や楠公飯などの節米料理で文字通り水増しし、それを炊くにも火無し焜炉なるもので凌がなくてはならぬ。木炭バスは坂を登れず、朝に少し寄道をしただけで鐵道の切符は賣切れる。どれもこれも理由は同じ。ガソリンも石炭もないからだ。それら高效率のエネルギー源は軍に優先的に囘されて、しかしそちらも全然足りないから、傷ついた青葉や利根等の艦艇も呉の工廠に歸って來たままろくな修理も受けられず放置された。航空母艦にはもはや載せる飛行機もなく、呉の港は行き場のない軍艦の溜り場となった。艦の好きなお兄さんのことが大好きな晴美ちやんが港を見て喜んだのは、さういふ艦で港が一杯だつたから。東泉場のヤミ取引で見た西瓜栽培が禁止されてゐたのは、他の作物に比べて大量の肥料を必要とし、その結果得られるものがただ甘いだけであとは水氣しかなく日持ちもしないからだらう。甘い物、樂しい物が制限されて「贅澤は敵だ」と言はれたのは必ずしも精神論から來てゐるのではなく、本當に餘裕などなかつたのだ。さうして港に動けぬ艦が集結してゐたから、そこへ飛行機が飛んで來て爆彈の雨を降らせた。迎へ撃つ高射砲は、山向うから來る飛行機の爲に街のある方角へ向けて撃たざるを得なかつた。どれもこれも、物がないから、燃料がないから起きた事。

そこへ到るまでの外交上の判斷に幾つも誤りはあつただらうが、兎も角も最終的にどうにもならなくなつてゐた。その時點で敗けるしかない戰爭であり、やつた方が良かったなどとはとても言へないかもしれないが、かといつてやらなければ良かつたかどうかも判らない。ただ、やつてしまつたことは大變な痛みを伴ふことだつた。それがあの時代の「現實」であり、この作品が描いたのはその「現實」の一つの姿だつた。それを見て、導き出す己れの答が「反戰」の一言で良いのだらうか。

戰爭は嫌ですねと言へば、それあ誰だって同意するだらう。ではそれを囘避する爲に何かを諦めなければならないとしたら、それは簡單に諦められるのか。我慢はどこまでできるのか。戰爭の爲に何かを我慢するのは嫌だと人は言ふ。では戰爭を避ける爲にもつと我慢しなければならないとしたら? さういふ事態まで想像して、尚も反戰を唱へられるのかと今人に問へば皆口を揃へて「できる」と言ふだろう。しかしいざ本當にさういふ事態になつた時に同じことを言へるかどうか。逆に、さういふ事態になつて尚同じ事を言つてゐるのが妥當なことなのか。自分の中に簡單に答へを見出してしまへる様な話ではない。平時に戰爭を語ればそりや「嫌だ」「駄目だ」で話は終る。平時でない時にどうなるか、そしてどうして平時でなくなるのか。どこかに惡い人が居るから、だつたらどんなに樂でよいか。

戰爭責任が云々と言ふが、當時の日本人のすベてに責任があるといふならそれは何なのか。産業革命後の世界經濟の中で、他所の國の暜通の人竝みに物質的に恵まれた状態にあつて「皆で笑うて暮らせればええのにねえ」と望むことが罪なのか。笑ふのをやめて、暮すことを諦めれば戦爭は避けられたのか。假に日本が戰爭を仕掛けなければあの時代の世界のどこにも戰爭が起きなかつたのかといふと勿論そんな訣はないし、さうすることで當事者として矢面に立つこともなく濟んだといふ保証もない。少しはマシだつたかもしれない、もつと酷いことになったかもしれない。「過ぎた事、選ばんかつた道は夢と變らん」「誰かの夢は誰かにとつての惡夢でもある」。

悲しくて悲しくてとてもやり切れない、なのであつた。

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2017年01月14日土曜日 スカパー機器トラブル?

スカパーチューナーで録畫が行はれなくなつた。番組はちやんと受信されてゐて視聽はできるのに、豫約を入れた分も直接録畫ボタンを押した分もHDDに録畫されてゐない。壞れたのなら困つたな、と思ひつつサポートに電話して状況確認をしてゐたら、パラボラアンテナに繋がる二本のケーブルの一本が拔けてゐた。受信できてゐたから疑ひもしなかつた。ネジ留めしてゐるのによく拔ける。これはこれで困つたものだ。ともあれ繋ぎ直して問題は解決した。雪の積もる中での作業は堪らなかつた。

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2017年01月13日金曜日 先入觀

こうの史代作品を電子書籍で買へるものは全部買つて熱病に浮された様に讀んでゐる。随分前「タ凪の街 櫻の國」がネットで評判になつた時に買つて讀んで、打ちのめされて以來他の作品も敬して遠離けてきたのだ。どのくらゐ打ちのめされたかといふと過去の日記で「讀んだ」といふことすら記してゐないくらゐだ。正直、「この世界の片隅に」の映畫を何故觀に行つたのかも自分でうまく説明できないくらゐに避けてゐた。それはたぶんこうの先生自身が感じてきたであらうやるせない悔しさの元ともなる先入觀である筈で、そこは何とも申し訣ないが人生のあらゆるものは先入觀によつて阻まれるのだ。

で、輕さうなのから順に讀んで辿り着いた「長い道」。これが何とも面白い。「さんさん録」も面白いがこの「長い道」は、何だこれ。變な既視感があると思つたら攖玉吉「ラブラブルート21」だ。全く似てゐる訣ではないが、何故か思ひ出さずには居られない。その源流を辿るとつげ義春とかになるのだらうか。それとも何か違ふがまあええか。

テンプレ的な幸福觀や、物語論的な豫斷を打砕くのが今作の持ち味なのだとすれば、ここでも先入觀と戰ひ續けてゐるのだらう。

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2017年01月12日木曜日 作畫は崩壞しないけど

春の新作「けものフレンズ」絶對に出演聲優のアドリブパートがあるやつだと思ってたが特にさういふのはないらしい。途中二カット程をかしな畫像処理が入つたのが氣になつた。

意味なく畫面が薄暗い状態になつて、フレームがボケてガクガクになつてゐるのだけど、何だらう。共通するのはカット切換へのワイプが被ることなので、編緝時にその邊の作業でミスがあつたか。フルCG、フルデジタル時代の「万策盡きた」事例なのかも。まだ一話目だが…

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2017年01月11日水曜日 キネマ旬報べストテン

キネマ旬報べストテンで「この世界の片隅に」が一位を獲つてアニメ作品としては「トトロ」以來、監督賞はアニメ作品として初と報じられてゐる。これに對する片渕監督のコメントが「過去のアニメーションの先達の積重ね」であるとし、特に高畑勲氏の名を擧げたのは印象深かつた。同賞に名を殘す者として宮崎・高畑ではなく宮崎・片渕なのが収まりが惡いと感じてをられるのだらうな、と無責任な外野が言ふのも野暮ではあるがさう思つた。「じゃりン子チエ」の映畫を觀たくなつたな。

それにしても、實際驚くべきは「シン・ゴジラ」が二位を獲つたことである。だつて、ゴジラ映畫だよ? まさかこんな世の中が來るなんて誰が思つた? 今まで怪獸映畫を見下げてた多くの人たちはともかく、ガメラが好きな怪獸ファンだつて予想し得なかつただらうし、ましてゴジラファンからすると驚天動地以外の何物でもなからう。昨年の夏には「凄いものを觀た」と思つたが、今また「凄いものを見てゐる」と思ふ。「ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ」は買つてあるもののあまりの物量に氣壓されてまだちやんと讀めてゐない。S君が參加してゐたことも氣付いてなかつたよ…インタビュー後でじつくり讀みます。今は狂ほしく「片隅」熱に浮かされてゐるので、BDが届いたら改めて。

まあキネ旬べストテンなんて普段は氣にも留めない癖に今年となるとかうぢや。我ながら呆れる程に現金である。

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2017年01月10日火曜日 砂糖の値段

マノーF1チームが破産したげな。

この世界の片隅に」ですずさんがヤミ物資の砂糖を買ふシーン。「砂糖一斥二十圓」と告げられ、映畫のすずさんは「配給の五十倍以上!?」と驚く。原作漫画のすずさんは配給の六十倍…」と絶句する。たぶん配給の價格は三十五錢くらゐなのだらう。二十圓と聞いてパッと六十倍と出てくるすずさんではない、といふことに映畫ではされてしまつた樣だ。

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2017年01月09日月曜日 フレンチプレスコーヒー

晝過ぎまでK氏宅でだらだら過して午後に歸途に着いた。途中、驛の喫茶店でフレンチプレスコーヒーといふものを初めていただいた。なるほど、言ひたいことは解る。美味いとも思ふ。ぢやあ家で自分でやりたいかといふと、やらない。求めてゐるものと異なるからだ。かうしてたまに呑むにはよいと思ふ。そんな感想。

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2017年01月08日日曜日 塚口さんさん録

友人K氏とR氏と共に塚口さんさんタウンへ行つた。塚口ヘ行くのは初めてだが、昭和の驛前ショッピングセンターが今も何とか持堪へてゐるといふ感じ。頑張れ。

何十年振りかのドムドムバーガーを晝食にいただいてからサンサン劇場へ。全席指定ではあるが古きよき映畫館だなあ。「ガルパン」の時に來てみたかつたけど機會がなかつた。「この世界の片隅に」友人達は初めてで自分は八囘目。日本語字幕版としては二囘目だ。正月に引續き、自分はどちらかといふと周囲のお客さんの反應を樂しんでゐた。一番笑ひが起るのはやはり「びつくりしたあ」だな。そこに到るまで細かい笑ひを仕込んできて、ここで爆發する感じ。でもそれは空襲の後でもあつて、そして…といふ一番大きな罠でもある。原作通りでありつつも、映畫ならではの仕掛けになつてゐるのだ。

上映が終ると拍手が上つた。まあ、この劇場ならさうなるのもわかる。少しばかり殘念なのはスクリーンのフォーカスが甘く、最後のエンドロールの繪物語が内容を知盡してゐる自分でもよく讀み取れない程だつたことで、果して初見の友人にはさつぱりだつたやうだ。まあ、ちやんと映つてゐても初見では大體看過すんだけどね。俺なんか初囘は「何か見逃してはならないものを見逃した」と気付いたのが最後の最後だったよ。あとは御定まりの原作コースだつたけれども。

見終つても特に感想などは言ひ合はないまま、R氏とはお別れ。あまりこちらから聞き出すのもアレだし、處理できない感情を味はつてゐるのだとしたらそれが一番だ。俺は二囘目を觀るまで何も吐き出せなかつた。

引續きK氏宅で泊り。

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2017年01月07日土曜日

土曜だが仕事。上つてそのまま新幹線に飛乘つて友人宅に集まつて新年鍋。SFC風NEW 3DS LLを買つたので剩つた3DS LLをK氏にあげた。ぐだぐだと楽しく過す。

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2017年01月06日金曜日 冬新作

ぼつぼつ始まつた。

幼女戰記」女の子が空飛んで軍隊で戰ふ枠つてもはや一つのジャンルとして確立されてるのな。今季のは矢鱈とダークな雰圍氣。何か狙つた感じのタイトルが嫌だなあ。

「南鎌倉高校女子自轉車部」。今季の女の子が自轉車でキャッキャウフフ枠。原作漫畫の、ちよっと時代がかつてはゐるものの華やいだ雰園氣の繪に比べると地味なキャラクターデザインになつてしまつてるな。表情やシルエットで要點を押へようとしてゐるのは解るが。「ミニスカ宇宙海賊」の時もア二メ化*1の際に變へられてゐたし、そのままではアニメ化しづらいのかね。幾原監督のチームとかなら何とかしさうなものだけど。

内容はいつものガール・ミーツ・自轉車から。この手のがアニメになるたび繰返されるのであらう。主人公が長崎出身なので自轉車に馴染みがないといふ設定は上手いと思つた。鎌倉も大概ではないのか? といふ気もするが一度しか行つたことがないので。それにしても鎌倉が舞臺のアニメも多いよな。そのうちモデルの学校も被りさうだ。

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2017年01月05日木曜日 仕事初め

仕事初め、といつても某所のホテルで立食パーティーやつて終り。出向の身からするとメーカーさんは違ふなう。

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2017年01月04日水曜日 「イヴの時間」

昨日は午前中に近所の成田山と友呂岐神社初詣に行つてから實家を出て京都に寄つて歸つた。新福菜館に寄れて良かつた。

今日はだらだらと洗濯などをしつつ、年末に放映されてゐた「イヴの時間」を觀た。淡々と良い話でした。最後に如何にも「終はらせる」爲の一荒れが來るかと思つたら來なかつたのが良かつた。

いつか終りの來る時間であるには違ひないけれど、それが映畫の中で語られなくてもいい。さういふ時間。

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2017年01月03日火曜日 惜しい

朝日新聞の全面廣告。

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すずさんとのんさんのメッセージ交換。いいね。いいんだけど。

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「泣ゐたり」ではなく「泣いたり」。惜しい。

  • 語尾が「ゐ」に活用する動詞は日本語にはありません。
  • ワ行の動詞「据う」「飢う」「植う」などは下二段活用、即ち「う」「ゑ」にしか活用しません。
  • 「泣く」はカ行で「泣いたり」は「泣きたり」のイ音便なのでワ行の「ゐ」にはなりません。
  • 「ゐる」の「ゐ」は語幹であつて活用語尾ではありません。
  • 語尾が「ゐ」に活用する動詞は日本語にはありません(もう一度)。

先づは。

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2017年01月02日月曜日 兩親と觀る「この世界の片隅に」

兩親を伴つて「この世界の片隅に」を觀に行つた。父は勿論澁つてゐたが、「もう席は取つたから」といふと案外簡單に折れてくれた。朝一の上映囘だがほぼ満席。茶屋だとかうは行かない。上映が始まつたら父は「何や、アニメか」と呟いて母が「さう」と頷いたらその後は黙つて觀てゐた。

小さい箱で滿席なせゐか、今までで一番客席の反應をダイレクトに味はふことができた。特に自分の席から二つほど離れた席の年を召した御婦人がいい感じに笑つてくれてゐて、それだけに例のシーンでは「あッ…!」と聲を上げたのが一番のクライマックス。うちの母は人前でさういふ反應をするのを恥かしがる性質なので、すずさんの化粧に噴いた後それを誤魔化す咳拂ひなどしてゐた。そんなことせんでええから、普通に笑たらええねんでと後で言つておいた。

後半、重く静まり返つた中で「そりや嫌味かね」のところで結構な笑ひ聲が起きたのは、何だかそこに縋る樣な雰圍氣もあつて物悲しかった。

映畫が終つて、フードコートで晝食をいただいてゐたら父が口を開いて謂く「小さい頃の生活そのままぢやつたなう、配給がどんどん少なうなつてな。あんな(呉の樣な)都會と違うて海や畑がある分、あそこまで酷うはなかつたけどな。都會のもんは喰ふもん無うて芋の蔓まで喰ふとつたいふもんなあ。儂のお袋も時々船に乘つて笠岡までヤミの買出しに行つとつてな、何囘か駐在所に捕まつとつた」

父は昭和十四年生れ、晴美ちやんとほぼ同世代(たぶんヨーコと同じ年くらゐ)。それにしてもそんな話初めて聞いたわ。

「捕まつたいうても十五分くらゐ説教されてすぐ放されるんやけどな。皆やつとるし一々取締つとれんけど、見つけたら捕まへん訣にはいかんからな」

まあお巡りも身綺麗な訣でもあるまいし。魚は捕れるといふが、舟なんか出して機雷の心配は無かつたのか。

「機雷はさうでもないが、さういへば島にも空襲はあつたなあ。艦載機が村の眞上をブァーッて低空飛行してな。爆彈は落さんけど」

なるほど子供心には「空襲」だつたのだらう。ちよつと調ベてみたら福山市が苛烈な都市空襲に見舞はれたさうで、その前哨として艦載機が何度も現れたらしい。南洋空母から發進して四國を横断したへルキャット邉りが島々の上空を低空で通つたものとみられる。勿論、島影に隠れて目標に接近する爲に低空侵入するのである。ああ、當時の子供の証言と歴史の資料がかういふ風に繋がるのだな。こんな作業を片渕監督やこうの先生は延々積重ねてきたのだ。そりや面白い訣だよ。

すずさんが江波に歸つた晩の夕食の貝について話を向けてみた。島でも小螺の類はよく拾つて食べるものだが。「あの頃は食べるもんがないからああいふのは皆が拾ひに行つて、あつちふ間に採り盡されて無うなつた」それあさうか。そして原爆

「眞鍋からも原爆のキノコ雲は確かに見えた。皆で騒ぎになつて、山に上つてありや何ぢや言ふて。物凄い音も聞こえた」

廣島市から眞鍋島までは直線距離で百キロメートルはあるが、あの晴れた日に一万六千メートルもの高さの雲の塊が上れば見えもしようか。正直想像もつかないが。遠くの鐡床雲と區別がつくや否や。

後生れの母も「さういヘば魚雷の水柱が山の向うに上つたのを覺えとるわ」と言ひ出した。いやいや。戰後に魚雷て。よくよく聞けば、機雷の掃海作業で爆破処理を島の裏手の海域で行つたらしい。數十メートルの水柱が上つて、表側の村からも見えたと。それは壮觀だ。

晝にそんな話を聞いて、タ食の時にまた父がしみじみと口を開いて言ふのが「アニメやつたから良かつたんかなう、途中で絶對寝ると思たけんど眠らんかったもんなあ。普通の映畫やつたら寝とつたかもなあ。面白かつた。空襲、迫力あつたなう」。普段、ドラマや劇映畫を決して觀ない父にここまで言はせたのだから、引張り出した甲斐があつたといふものだ。「この世界の片隅に」は父と同年代の作品だから、母向けには「マイマイ新子」を見せてやらうかの。

roverrover 2017/02/13 23:25 とても良い記事を読ませていただきました。ありがとうございます。なのにお父様の言葉を書き文字で見て、「ん?」と思ってしまった自分は、知らぬ間にTwitter文化に毒されてるのだなあと思ってしまいました。

yms-zunyms-zun 2017/02/13 23:30 なう。笑。この手の話し言葉に仮名遣をどこまで適用すべきかは正直迷ひのあるところで、方言を音写するには表音に徹した方が良い場合もあるのではないかとも考へてをります。

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2017年01月01日日曜日 正月

年も明けたし近頃體重を測つてゐない日ばかりなので日附見出しのつけ方を變へよう。形骸化にも程がある。

正月とはいへ何をするでもないので兩親に「明日映畫でも行かうやあ」と誘つてみたら母は一發でタイトルまで察して喰ひ附いてきた。豫想通りの反應である。父は「御前等二人で行つてこい、儂や行かんぞ」と連無い返事で、こちらも豫想通り。押間答してもどうにもならんことは分つてゐるので儂や肅々と近場のイオンシネマの豫約を濟ますまでぢや。

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夕方散歩に出掛けたら、近所のイオンといふかジャスコの入つてゐたショッピングセンターが閉館してゐた。開いたのは三十五年前くらゐだつたか。

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スイミングスクールに入會させられて土曜の夕方を潰されたり、同時に開店した外の棟の二軒の電器店(冩眞右の上新と左の中川ムセン)に入浸つて各社の八ビットPCで遊んでBASICの基本文法をマスターしたり、館内のゲームコーナーで最高難度の「ゼビウス」に鍛へられたり、その隣の臺の「スターフォース」の高らかに響くスタートミュージックに心震はせたり。

ぴつたり八十年代を十代で過した地方民のいい遊び場であつた。二十代は京都で遊んだ後東京に移つてしまつたので、このショッピングセンターの思ひ出は八十年代で殆ど止つてゐる。たまに買物に來ることはあつたけど。

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最寄の國道を跨ぐ大きな歩道橋に懸けられた、六年以上も前の「リニューアルオープン」の看板が虚しい。この「はちかづきちやん」はゆるキャラブームよりずつと前から存在してゐる古株である。

そのままつらつら歩いてゐたら變な立看板に行當つた。

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コトリンゴの聲で再生される「とんとんとんからりと隣組」の歌。まあ自治會とはそもそもさういふものではあるが、もはやすずさんの天秤棒無双しか浮ばない。

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