大和但馬屋日記

この日記について

2017年02月28日火曜日 ミラーに映る相手を嗤ふ周囘遅れ

フィクションにおけるジェンダーの扱ひに關してはアメリカの方がよつぽど遅れてるよね」なんてツイートまでが目に入つて溜息しか出ない。ハヤカワや創元が八十年代以降に日本語訳で出したSF・ファンタジーに限つてもジェンダーやフェミニズムマイノリティ問題に斬込んだものが相當數あるといふのにね。SF小説なんていふサブカルチャーの分野で一大ジャンルを成す程度にさういふものがあつたのは、社會的にさういふ問題を抱へてゐてそれに自覺的であるからに他ならない。マーベルの漫畫だけがアメリカのサブカルチャーだと思つてんだらうが、そんな訣があるか。

そんな認識だから戰隊の中に紅一点のメンバーがゐてそれが二人になつたりリーダーを勤めたことがあるといふ程度のことで冒頭の様なことを拔かす。そんな痩せた土壤に生煮えのジェンダー論を投げ込んでも當然まともな議論に育つ訣もなく。日本社會も當然同種の問題は抱へてゐるが無自覺でゐられる樣に皆で目を背けてゐる。

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2017年02月27日月曜日 F1進化中

昨日のを言ひ方を變へれば「ニチアサからナージャが消えた」といふのが時代の象徴だつたのかもしれぬ。それはさておき。

F1マシンも各チーム出揃つて、バルセロナテストが始まつた。早速發表時には無かつたデバイスが追加されてゐて、メルセデスですらシャークフィンをテストしてゐる。しかもただの背鰭ではなく、薄い煙突の樣な構造を盛込んできた。その後ろにはTウイングまでも。この形振り構はない感じが堪らない。いいねえ。

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2017年02月26日日曜日 緩くて苦しい同調壓力

ニチアサの子供向け番組を餌にジェンダーロールが云々といふ雜な言説があつて一部が紛糾してゐる。大きなお友達はニチアサにも色々あるといふことをすぐ言ひたがるものだが、子供にとつては目の前にあるものが人生の期間の大半を占めてゐる訣でスーパー戰隊にしろライダーにしろプリキュアにしろ、物心ついてから觀るのは精々二、三本くらゐでそれが全てなのだから、五年前や十年前の作品のことを一々例に舉げることには意味がないし、それぞれの差異を樂しむなんてのも大人にしかできないことだ。だから、子供の親が抱いた感想に對してオタク視點で揶揄するのは的外れとしか言へない。

一方で、生煮えのジェンダー論を雜に當てはめて一括りに語れる程日本の漫畫・アニメ特撮史は淺くも薄くもないので、それはそれで筋が惡い。全體を俯觀してジェンダー論から見た社會的な役割についてちやんと考へることは必要だらう。

憂ふべきは名作劇場枠に類するものが盡くバラエティ番組に潰されて久しい世の中だと思ふがね。問題はニチアサ枠以外の子供番組の枠が減つた分番組の多樣性も失はれてゐることだらう。「ニチアサ」といふ言葉である程度の傾向が固定され、その周辺番組のフォーマットもその模倣に留まつてゐるものが多く見えてゐる現状はあまり良いとはいへないとは思ふ。ニチアサっぽい展開のアニメが嫌ひな子供にフィットするものが今はあまり無いからね。何なら「へボット」があることが救ひにすら見えるのだから子供の頃の俺には正直地獄だ。多樣性の缺如はそれ自體が同調壓力なのだから。

勿論これに對する有效な反論は「TVに頼るな」であり自分はさうしてゐるが、それだけでいいといふ訣でもあるまいよ。

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2017年02月25日土曜日 電車と戰車

今日も今日とて茶屋までサイクリング

「劇場版列車大行進」鐡道の映像ソフトを多數制作してゐるビコム社がイオンシネマと協カして作つた映晝、といふことなのかな。豫告を見て氣になつたので觀てみたら、大變に樂しかつた。長年の蓄積なのだらう、同社が持つてゐる一番いい繪面を惜しげもなく一時間の映畫に詰め込んでゐる樣であり、その上で全體の構成の目配りも行届いてゐるので、「今の日本の鐡道の魅力を知りたいなら、先づこれ一本を觀るといい」と言へる決定版になつてゐると思ふ。一時間の尺の中でこれ以上の内容を誰が求め得るだらうか。

構成だけでなく個々の題材の選び方も上手い。阪急電車三線同時發車、京阪電車複々線區間、品川驛と田町驛の間で京浜東北線山手線を跨ぎつつ竝走する処など、その路線の格好良さを象徴的に表す場面が的確に選ばれてゐる。「わかってるなあ」と感心するよりも、俺なんかより映畫のスタッフの方が「わかつてる」のは當り前なので、むしろ「俺が格好いいと思つてたところはやつぱり格好良かったんだ」と安心したといふのが本當だ。

列車に乘つて車窓を眺めてゐると、「この瞬間を動畫に殘せたらどれだけいいだらう」と思ふ機會が誰しもあるだらう。この映畫はさうした瞬間の集大成である。非常に良かった。贅澤を言へば阪急京都線特急東海道線新快速の山崎附近でのレースもあると尚良かつた、くらゐのものか。あそこは本當に凄いけど映像に殘すのは難しさうだ。是非乗つて體驗すべし。ともかくも、大好きなものだけが映つてゐる一時間の映像に浸る幸せを實感。しかも全編沢城みゆきさんのナレーションだ。

電車映畫を堪能した後は戰車映畫を。「ガールズ&パンツァーOVA これが本當のアンツィオ戰です!」と「ガールズ&パンツァー劇場版」二本立て。何度目だ。二十七囘か二十八囘くらゐだと思ふ。今頃になつて岩浪美和音響監督が來館して9.1chセンシャラウンドの調整を行つたといふことでそれを味はひに來た。勿論實に樂しめたのだけど、やはり二十數囘目なので「音響がどうなつてゐるか」にばかりに注意を向ける樣な觀方になつてしまつてゐるのも否めないところで、本當に贅澤なことなんだけど「一年とは言はず、半年前くらゐにこれがあればなあ」と思つてしまつた。…半年前なら囘數的にはあまり變らんか。

音響ではカールや觀覧車先輩などよりむしろ、今までどちらかといふとスルーしてゐた最終決戰の廣場でのパンジャンドラム型回轉ブランコがV2ロケットの直撃で倒壞する場面が凄かつた。四號がその下を潜る時の音響たるや。どこも手を拔かれてないなあと今更な感想。

そしてやつぱりアンツィオ戦が樂しい。カトキハジメ氏のコンテは絶品だ。そんなこんなで乘物映畫を樂しみ盡したのであつた。

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2017年02月24日金曜日 F1新車續々々

フェラーリマクラーレン新車發表。メルセデスに較べて一見特徴が無ささうなフェラーリだけどよく見るとサイドポンツーンの吸入口が今までに見たことのない形をしてゐる。前から見て空氣が眞直ぐ當る位置にはボディ下面に向ふ傾斜しか見えない。攻めてるなあ。

マクラーレンは橙色と黒のツートンに。成程、やはりロン・デニスの匂ひは完全に消すつもりのやうだ。こちらもノーズ周りが面白いが、それよりパワーユニットがが心配だね。

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2017年02月23日木曜日 F1マシンの長大化

メルセデスF1新車が手堅い出來に見える。

それにしても今年のマシンはホイールベースが長い。レギュレーションでタイヤ幅とトレッド幅がそれぞれ大きくなつたので、そのままではジオメトリが横方向にばかり擴がつて擧動がナーバスになつてしまふから、前後方向も長くしてバランスを取つたものと思はれる。つまりマシン全體が一囘り大きくなつたといふことだ。一九九一年頃のフットワークやローラの如き馬鹿長いV12エンジン搭載車の様で、コンパクトなマシンが好きな自分としてはちよつと殘念な傾向だ。ドライバーに走るパーツを貼付けた様なのが理想。F1マシンは「めちやくちや速いカート」であつてほしい。

めちやくちや速いといへばフェラーリが先日發表した新しい市販車。フロントエンジンの北米向けGT車の系譜なのはいいが見た目がまるでSRTバイパーそのもので、ちよつとプライド捨てすぎではないかと思つた。そいつの名前が「スーパーファスト」。「めちやくちや速い」。ちよつとプライド捨てすぎではないかと思つた。トランプ政權下のアメリカ市場を睨んだらかうなつた、といふことでもなからうが。

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2017年02月22日水曜日 F1新車續々

今年のシーズン向けのF1マシンがいよいよ姿を現してきた。一年で一番樂しい季節。今年はシャークフィンと呼ばれる背鰭状の整流板が復活する模樣。一時期流行つた後レギュレーションで規制されたのが緩和されたらしい。評判は良くないが個人的には嫌ひではない。恰好よく見せるかどうかはデザインの問題だらう。

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2017年02月21日火曜日 片渕監督×富野氏

この世界の片隅に片渕須直監督と富野由悠季氏の對談を聽いた。映畫は富野氏にも相當以上に刺さつた樣で、思想的に、あるいは表現技法的に心に引掛つたことを語る度に片渕監督が我意を得たりといつた貌をするのが印象的だつた。

ここからは自分の想像だけど、富野氏自身の監督作品にはどこかしらに核兵器かそれに類する大量破壊兵器が必ず登場し、人々はその扱ひを巡つて互ひに相爭ふことが多い。ロボットアニメであればそれ自體は當り前かもしれないが、こと富野監督作品となればそれは極まつて悲劇的であり、大きな力を得ることが即ち希望に繋がることは凡そ皆無である。

「この世界の片隅に」と同じ時代を「リーンの翼」の樣な形でしか表現し得ないのが富野監督といふ才能であり、同じ時代を描いた「ローレライ」にカメオ出演もした富野氏であればこそ、「この世界の片隅に」に向けては「嫉妬しかない」といふ最大級の贊辭を贈ることもできたのだらうと想像した。

そして、廣いとはいへない業界の中で數十年もの間仕事をしてゐたにも關らず凡そ接點のなかつた二人の監督を遂に結び付けた作品の力にはただ舌を巻くばかりだ。

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2017年02月20日月曜日 淺草夜景

點鼻藥を今季初使用。厭な季節がやつて來た。

DP2で淺草夜景。

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2017年02月19日日曜日 ワンフェス2017冬

yms-zun2017-02-19

ワンフェス當日。色々あつて色々買つた。ラジコン豆戰車の38(t)とM3リーを買へて良かつた。全體的な傾向はよく分らんといふか、何かが席卷してゐるといふ風ではなく「今の定番」が割據してゐる感じ。「ガルパン」が一周囘つて充實してたかもしれない。「艦これ」の勢ひが企業ホールと一般ディーラーで雲泥だつたのは何故だらう。まだまだ續く力はあると思ふので版權管理側の問題なのかね。單に作り手が飽きたのかもしれないが。

「刀劍亂舞」が多いせゐか客の側もいつもより女性が多い氣がした。參加人数そのものも多かった様で遅い時間までごつた返してゐて、幕張に移轉して初めてビッグサイト時代に近い手狹さまで感じた程だつた。

グッドスマイルレーシングが十周年とのことでエントランス手前に過去のマシンが四輛ばかり竝んでゐたけれど、初代BMWの「レーシングミクではない」ただのミクが却つて新鮮に見えたものだ。

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2017年02月18日土曜日 センカラウンド?

yms-zun2017-02-18

突然頭の中で結び付いた。何故すずさんは目を見開いて最初に「この人、ほんま周作さんに似とりんさる」と思つたのか。目を開く前、最後に自らの手で描いた繪が「この人」とその娘の似顔繪だつたからで、最後に聞いたその娘の聲が「ねえすずさん、今度晴美のお兄さんも描いてねえ」だつたからなのだと。

そんな感じに浮かされながら新幹線に乘つて東京を飛越えて千葉幕張まで。ワンフェスは明日だけど今日から現地へ前乘りといふ意味では全然なくて、今日はイオンシネマ幕張新都心にて「この世界の片隅に」を觀るのだ。「ガルパン」で評判となつた9.1ch立體音響による上映を體驗しておきたかつた。9.1chへの變換の調整は片渕監督の手になるものといふ。環境音の臨場感が格段に増したこと、そして音樂と臺詞が綺麗に分離してそれぞれが聞き取り易くなつたことを實際に強く感じた。まあ當り前の感想である。

臨場感といふ意味では、「何だか今日は館内がざわついてゐて觀客に落着きがないな」と思つたらそれが騒音でなく映畫の環境音だつたといふことが何度かあつた。上から降つてくる重低音としては七月一日深夜の無差別空襲に來た空を覆ふ雲の上のB29のエンジン音が壓巻で、9.1chとはかういふことか、そして空襲とはかういふものかと大いに納得し恐怖した。あと夕立の大雨。

スクリーンそのものはやや暗く、音響に比して一歩落ちる印象だつた。同じULTIRAでも名古屋茶屋より暗い。映像の下端が少し切れてゐて、「コクバ拾うて来るわ」のところの海苔の干し場が稲刈り後の田圃であることがこれでは判らない。見較べなければ氣付かない程度の些細な違ひではある。茶屋でも同じ音響調整をしてくれたら嬉しいな、といふ話でもある。ここで觀る「ガルパン」はさぞ凄からうと思ふし實際夜に上映もあるのだけど、宿を都内に取つたこともあるので諦めて退去した。

都内に戻つて秋葉原のナツゲーミュージアムへ。「グラディウス」を遊んだらノーミス一周の後二周目二面終盤で全滅するといふ三十年來變らぬ結果に終つた。案外衰へないものだな。しかし久し振りに實機で遊ぶと、レーザーの出の惡さに閉口してしまふ。その他「ジービー(ナムコ)」「シェリフ(任天堂)」「ブレイザー(ナムコ)」を遊んで、カウンターで高價なテクモのCDボックスセットを手にとつては買うたやめた音頭を長いこと踊つた擧句、腹を括つて買つてしまつた。ワンフェスに使へる金が減るといふのに。

上野で投宿。

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2017年02月17日金曜日 すずさんといふ名前

隙あらば。

すずさんといふ名前

この世界の片隅に」のすずさんとすみちやんの名前は妙に古風である。

十郎さんとキセ丿さんの子供の名前が要一・すず・すみ。おそらくキセノさんの母であるイト婆ちやんの娘がマリナ、その子が千鶴子。すずさんの嫁ぎ先一家の名前が上から圓太郎・サン・徑子・周作、徑子の嫁いだ夫がキンヤで子が久夫と晴美。すずさんの幼馴染が哲、すずさんが迎へ入れた孤兒がヨーコ(仮)。すず・すみだけが何となく浮いてゐるといふか、イト婆ちやんに近いものを感じるのできつとニ人の名付け親はイト婆ちやんなのだらうと思はれる。

自分の係累で戰前戦後世代の名前を思ひ出しても〇〇子・〇〇代・〇〇美・〇〇江といふ名前が大半で、随分前に亡くなつた田舎の向ひの婆ちやんが明治生れでトラさんだつたなあ、くらゐ。大正以後のトレンドからは外れた名前といふのもすずさんのキャラ付けに一役買つてゐるに違ひないと思つた。

登場人物の名前が元素周期表から採られてゐるとか、北條家の人達が幾何學の圚に纏はる字に絡められてゐるといふ有名な考察とは別に、さういふ含意もきつとあるのだらう。

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2017年02月16日木曜日 「ハコボーイ! もうひとハコ」

ハコボーイ! もうひとハコ」を始めたらまたチュートリアルの樣なパズルを延々やらされて半ば閉口してゐたのだが、エンディング後のおまけワールドでやうやく本格的に牙を剥いてくれた。悔しさに滿ちた顔をしつつゲームコインを使つてヒントを見てしまふか否かの葛藤を樂しむのが最高だ。葛藤に負けてヒントをチラ見して、「そ、そんなの解つてたもんね! ちよつと氣付かなかつただけだもんね!」と自分に言ひ訣をするのが堪らない。

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2017年02月15日水曜日 映像と遠くで鳴る音

この世界の片隅に」について「遠くの音が遅れて聞こえず繪と同時に鳴つてゐる矛盾を誰も指摘しないが、本當にリアリティを感じながら觀てゐるのか」といふ疑問を提してゐる人が居る。車輪の再發明をしたがる人はどこにでも居るものだが、ちやんと考へたことがない人も多からうと思ふので改めて書く。前に書いたd:id:yms-zun:20170121の繰返しだが映像的な觀點からもう一度捉へ直してみよう。

音といふのは、思つてゐるより「遅い」。狹い風呂の中でもあれだけエコーが掛つて聞こえるのだからそれだけ音の速度は遅く、また人の知覺はそれを感じるに十分すぎるほど鋭敏であるといふ事に他ならない。

空氣中を傳はる音の速さは條件によつて多少變化するが、假に時速千二百キロメートル強といふ値を採用しよう。今囘の話に丁度當て嵌め易い。分速に直せば二十キロで、廣島から呉までの凡その直線距離にあたる。原爆の「ピカ」から「ドン」までに一分弱の時間が掛つたといふのもここから導かれる。この映畫でのその時間の描き方については前に書いた。

次に、すずさんが三月十九日の「空襲」で見た風景。北條家のあるとされる地點から呉の港までは凡そ二キロ程離れてゐる。分速二十キロで傳はる音が二キロ進むのには六秒掛るといふことだ。海上軍艦ともなると家から三キロは離れてゐるから、軍艦が撃つた大砲の音は發射の九秒後にやうやく聞えるといふことになる。リアルさを追求するとさうなるのだ。

すずさんが見た最初の砲撃、正面方向の鉢巻山山頂の砲臺はすずさんから凡そ二・五キロ程離れた處にある。眞面目にやると砲撃の爆煙が見えてから音が届くまでに七秒以上は掛る計算だ。映畫の尺に當て嵌めると、すずさんが正面に煙を見てからカットが二囘變つて「山の向うから飛行機の大群が飛んでくる手描き風の一枚の繪」かその次のカットあたりでやつと最初の大砲の音が鳴るといふことになる。勿論、觀客にはもはやその音が何の音であるかは理解できない。

映像の原則としては、カットを切換へた時、それが實時間に沿つた經過を表してゐるといふ保証もない。同時に起きてゐることを二つのカットに分けてゐるのかもしれないし、逆にカットの間に切り詰められた時間があるかもしれない。何よりあの飛行機の大群の繪はそれ自體が靜止してゐるから、實時間からは完全に切離されてゐる。随つて、最初の砲撃の爆煙に合せて鳴らされなかつた音は、鳴らされるべきタイミングを永遠に失つてしまふのである。

そもそも、我々一般人が「遠くで鳴つた音」の遅れを認識するのはどういつた場合だらうか。まづ誰でも思ひ付くのは打上げ花火、次に雷、あとは運動會の徒競走のスターターくらゐだらう。花火やスターターは皆がそれに注目してゐるから音の遅れがよく判る。雷の稲光は大變に眩しいので嫌でも目に入る。どちらの場合も先に目の情報に意識が向いてゐるから「後から音がついてくる」ことを明確に認識できるのである。その花火にしても運動會にしても、觀客から音源の距離は精々一キロ以内であらう。運動場ならば高々百メ一トル程度でその場合の音の遅れは〇・三秒位となる。

一キロ先の打上げ花火ならば音の遅れは三秒程度で、それよりも遠いと音量が減衰してしまひ、大した音は聞えない。我々一般人の感じる「リアルな音の遅れ」とは長くても三秒、殆どの場合一秒未満の話であるといへる。それ以上の遅れである場合、そもそも音の発生源を目で見ることが有得ないといつても良い。一キロ先で起きてゐることを人が一々見てゐるだらうか? 一キロ先で起きてゐることの音が聞えるだらうか? 遠くの音が聞えた時、その音の元となる事象は目で見る前に終つてゐるのではないか?

つまり、「遠くの音が遅れて聞えること」に對して、我々はリアリティを語れる程の基準を体感として共有してはゐないのだ。「映畫の音が遅れて聞こえないのはをかしい」と簡單に言ふけれども、では遠くの砲撃の音が〇・一秒でも遅れて聞こえてきたら滿足なのだらうか。きつとさうなのだらう。本當は三秒とか五秒とか十秒とか、さういふ單位で遅れて聞こえてこなくてはとてもリアルとは言へないのに。

三月十九日のシーンで、五秒以上の長い尺が使はれてゐるのはすずさんが呆然と空を見上げ、「ああ、今ここに繪具があつたら…」と内心で呟くカットくらゐのものである。それ以外の殆どを二秒以内の短いカットで畳み掛けることで戰闘の緊迫感、死と隣り合せの恐怖といつたものを十分に演出してゐる。音源から音が届くのを待つ爲だけに五秒も十秒も時間を費してゐては間伸びするばかりで、そんなことをして得られる效果など何もない。カット割などを行はず、どこかの山頂の定點カメラで撮つた戰闘の一部始終を收めた記録映像といふ體にでもしない限り「遠くの音を遅らせて鳴らす」といふことには何の意味もないのだ。

實冩映像で、繪と音を同時に録る場合には遠くの音が遅れて入ることがある。その場合は編集で音のトラックを早めて同時に鳴る様「修正」するのが暜通だ。それが映像といふもので、距離に基く時間差そのものに意味を持たせて意圖的に演出する必要がない限りは、繪と音は同時に鳴らさなければならないのである。

意圖的な距離の演出についてはd:id:yms-zun:20170121で觸れた通りだが、敢へてくどい説明を付加へるなら、圓太郎さんが晴美ちやんに「敵は何馬力なん」と問はれたのに應へずグッタリ倒れた直後に遠くの戰艦が主砲を放ち、その「音」が北條家の窓を搖らした箇所で、監督は「本當の距離感」を何とかして演出しようとしたことが窺へる。この部分を繪コンテ集で確認すると、コンテの段階では戰艦が主砲を放つた後で圓太郎さんが崩れ落ち、その後で北條家の窓が搖れることになつてゐる。監督はここに十秒近い實時間の經過を取入れようと試みたのだ。

しかし本編映像では前述の通りに順序が入換へられて、砲撃のすぐ次のカットで窓がガタガタと揺れることになつた。時間にして二秒足らず、とてもリアルな距離を表してはゐない。この表現ですら、おそらく觀た人の大半は「戰艦の主砲が家の窓を搖らした」といふ風に正しく認識できなかつたかもしれない、その位ギリギリの演出だつた。まして間に別のショッキングな描冩まで挾まれば、我々の誰一人理解できない映像にしかならなかつただらう。そんな理解できない映像を見たところで「遠くの音が遅れて聞こえないのは矛盾してゐる」などと指摘して悦に入つてゐる樣な人がそれを正しく評價などできよう筈もないのだ。實際、ここで擧げた演出に気付いてすらゐないのだから。

映畫とは百分の四秒單位で物の動きや音のタイミングについてコントロールする藝術なのだから、その演出において「遠くの音をどうするか」について檢討されたことがない訣がないし、全ては明確な意圖を以てさうなつてゐるものと理解すべし。

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2017年02月14日火曜日 これも一つの射幸心?

日本のカジノ問題の専門家の人がなか卯で貰つたコラボ企劃のアニメのカードに文句をつけてゐる。謂く「こんなもん出すなら他の顧客還元を考へてくれよ」「通常メニューにかういふの付加しても既存顧客には逆效果」。何を言つてゐるのやら。

まづ、要らないなら斷れば良い。カード代金を喰べたカレー代に上乘せされて請求された訣でもあるまいに。俺なら要らないおまけは斷る。さうすれば他の欲しい人に囘るのだし。コンビニでスピードくじの箱を差出されてもまづ間違ひなく斷る。自分の用は既に濟んでゐるのだから、それ以上の物品もサービスも求めてなどゐない。貰はなくても全く損はしてゐない。

次に、そもそもこれは顧客還元などではない。飲食店がコラボと稱して物品を差出すならば、その物品のコストは飲食店が負擔してゐるものではなからう。アニメグッズならばアニメの版元側が金を出して作つて配布してゐるに決つてゐる。勿論新規の客寄せの爲に、カレーを喰つて滿足した人ではなく、カードでもなけりやカレーもうどん親子丼も喰ひに來ない人の爲にだ。

何より、たかがなか卯で瑣末なカードを寄越されたくらゐで「もつと常連を優遇しろ」と噴上るそのさもしさである。自分で本を出せる様ないい大人がファストフードで常連面つて、それああんまりだらう。要らないカードを貰つたことで射幸心が傷つけられたのかどうか知らないが、仕事として扱つてゐる問題に對してあまりにしやうもないレベルのことで噴上がれるものだな、と思つた。見方を變へれば、さういふ處に損得を感じる心を利用してゐるのがその手のサービスであり、そこを肥大させたのがカジノなりギャンブルなのであらうな、とも。「奴らはサービスすると言つたのに俺にとつてはサービスとは言へない! 何か損した氣分だ!」。かういふことだ。實にくだらない。

俺は昔作つたファミマTカードをハサミで粉碎して捨てた。ポイントカードの類も持歩かない。自分に關係のない處で勝手に呉れたり失くしたりされるもののことなど知つたことではない。欲しい物が手に入るならそれが多少割高でも氣にしないし安いものを探して時間や勞力を割く氣もない。途中で誰かが儲けてゐたつて構はない。心根の貧しくなつた世の中でそれに染つてゐたくはないのだ。懐は寒いままだけど。

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2017年02月13日月曜日 郷に入りては

日本に來た異文化の人や日本の中で他と少し異る振舞ひをする人に對して郷に入りては郷に從へなどと言ひ放つ人が居るが、思想や信仰自由は日本國憲法といふ宗教的戒律で保証されてゐるので日本といふ郷ではまづそれに從つてくださいね。

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2017年02月12日日曜日 「ハコボーイ!」クリア

3DSハコボーイ!」をクリアした。ラストワールドでやつと求めてゐた齒應へを感じられる樣になつた。本編クリア後のおまけワールドも樂しかつた。おまけの後半でやうやく複數のハコを扱へる樣になつたが、何て勿體ないデザインなんだか。まあ、そこは續編「もうひとハコ」のお樂しみといふことなのか。

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2017年02月11日土曜日 片隅とガルパンと

所謂「意識高い系」の中でも政治的な主張をよくする人程、気に入らない意見に對しては反射的にブロックする。さういふ人等の望む社会なんてどうであれろくなものではない。

さて、茶屋まで走つて「この世界の片隅に」十一回目。同じ構圖が繰返し用ゐられてゐるカットに注意してみた。主な舞臺となる北條家の中での同一構圖は措くとして、江波周辺での意圖的な同ポジの多用はそれ自體が時間經過を物語る語り口となつてゐて印象深い。意外なカットが同ポジになつてゐて、それが子供のすずさんと大人のすずさん、かつてそこにあつた街と失はれた街の對比となつてゐることにも氣付いた。まだまだ嚙むだけ味の出る河豚の鰭である。

その後、引續いて「ガールズ&パンツァー劇場版」の復活上映を觀賞。劇場で前に觀たのは昨年の秋、TV版一擧と併せての時が最後で、その時既に「この世界の片隅に」の二囘目も同時に觀てゐたのだから全然久し振りでも何でもないな。何度觀ても中央廣場の最終決戰は絶品だ。特にメグミとアズミのパーシングが屠られるまでの、劇伴もなくただ淡々と效果音のみで進行する展開が堪らない。TV版の最後にあつた様な臺詞による盛上げもなくサイしント映畫の様に、しかし爆音だけは盛大に轟かせて描き盡すバトルは日本のアニメCGの一つの金字塔だらう。

勿論ただのフルCGで賄へない部分のあちこちには手描きの技が光つてゐる。「富士山」中腹のセンチュリオンの足元にティーガー砲撃の彈着の煙が上り、返す刀のセンチュリオンの砲撃によってその煙が吹き拂はれて霧消する。こんなのはCGではまだ描けない。

最後に四號とティーガーが「富士山」麓で左右に別れ、右に進んだ四號を後ろから前にカメラが追ひながら囘り込み、再びカメラを追越した四號が驅け上つて頂上で再度ティーガーと合流、頂上からセンチュリオンを見下すまでの一カット。まさにCGでしか描けない極上のカメラワークの中で、みほだけは全て作畫なのだといふ。顔の見えるフレームだけかと思つたら、全部手で描いたらしい。成程さうでなくてはこの繪は出來ないだらう。素晴しい。何度觀ても素晴しい。

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2017年02月10日金曜日 自由なゲンロンの限界

健康診斷。長生きしてどうするんかね。

ゲンロンの偉い人が雜なこと言つてたのにツッコんだら即ブロックされた。すげえなゲンロン。あの人らの言ふことには本當に何の意味もないな。「主人公がアホな女の子だから受けたといふことが日本のアニメの限界だと思ふ」つてこれ。それああんたが葉鍵系のアニメばつかり觀て評價してきただけだらうよ。酷いなんてもんぢやない。こんなゲンロン要らない。

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2017年02月09日木曜日 言葉は正しくはつきりと

某所の映畫館向けに監督補が描き下したすずさんのメッセージが「遠ひ処をありがとう」となつてゐる。正しくは「遠い処をありがたう」。正月の朝日新聞の全面見開き廣告に續いてまた。

「昔の假名遣っぽいもの」を調べもせずに書いたら十中八九間違ひになります。調べませう。その氣がないなら無理をせず現代假名遣で書けばよろしい。雰囲氣を出さうとして間違へたら雰囲氣が臺無しになるだけでいいことがありません。

新房監督のアニメが出鱈目な假名遣を使ふのはどうでもいいけれど、「この世界の片隅に」の看板を背負つてこれではつまらない。

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2017年02月08日水曜日 いまさらハコボーイ

今頃ではあるが3DS用の「ハコボーイ!」を遊んでゐる。ずつと前に買つたまま放置してゐて、シリーズ三作目がリリースされるのでいよいよ遊んでおかうと思つたのだ。で、始めたのはいいが延々とチュートリアルの如き簡單なパズルを解かされてゐてちよつと辛い。手觸りは良いのだけれどボリュームと難易度のバランスが今一つ取れてゐない氣がする。どこで牙を剥いてくれるのか。

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2017年02月07日火曜日 ヅジャウノテキキ

隙あらば。

この世界の片隅に」の十九年七月二十九日、すずさんが幻の鷺を追つてグラマンの前に躍り出たその九日後の朝。夜間の空襲警報が解けて空が晴れたことを報せるラジオアナウンサーが「管内上空にテキキなし」と發音してゐる、これは「テッキ」が正しい筈だとする意見を誰かが言つたらしいが、果してさうなのか。

この件については、福田恆存が「私の國語教室」の中で具體例を擧げて痛烈に批判してゐる。昭和二十一年に公示された「現代かなづかい」の内閣告示において、「敵艦=テキカン、敵機=テッキ」と讀むこととあつたらしく、その一貫性のない恣意的な決定を論難してゐるのである。流石に正當化のしやうもなかつたとみえて、そこから四十年後に公示された「現代仮名遣い」では態度が幾分曖昧なものとなつた。

6 この仮名遣いは,「ホオ・ホホ(頬)」「テキカク・テッカク(的確)」のような発音にゆれのある語について,その発音をどちらかに決めようとするものではない。

現代仮名遣い:文部科学省

終戦直後には十分にリアリティのある例示であつたに違ひない「敵艦・敵機」が四十年を經て「的確」に變つたのは「平和」樣々であらうが、要はさういふことである。

敵機はテキキともテッキとも讀める。發音としてどちらが正しいといふものではなく、まして表記で一意に極めて良いものではない。一意に極めようとした昭和二十一年の内閣告示第三十三號は明示的に廢止されてゐる。敵機をテッキと讀むのが正しいとする根拠は、現代日本の社会一般には存在しない。何なら「テキキ」と書かれたものを「テッキ」と發音しても何ら問題ないのだ。言葉を讀むとはさういふものだ。

テキキかテッキかについてはこの通りだが、この話で重要なのは發音は表記に支配される必要はない、といふことだ。d:id:yms-zun:20170123でも書いたことだがもう一度。「假名遣は發音のルールではない」。

さて、その上で當時のアナウンサーがどう讀んだかについては判らないが、映畫で現職のアナウンサーに「テキキ」と讀む様に監督が指導したのであればさう讀まれた記録があつたのだらう。さうでなくアナウンサー任せの演技であれば「テッキ」と讀む方が致つて暜通と思はれるのだから。當時の、今とは較べ樣もない劣惡な放送設備にあつて、「テキ」といふ重要單語をはつきり發聲せず音便化したりはしないのではなからうか。推測ではあるがさう考へた方が合理的だ。ラジオとて軍隊においても情報傳達の手段の一つであつたのだから、尚更だ。

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2017年02月06日月曜日 昔日の殘照

マクラーレンが今季のマシンから「MP4」の名称をやめて「MCL32」と呼稱することになつたと。こいつは本當に驚いた。d:id:yms-zun:20170119で書いた「ロン・デニス退任」の影響がここまで大きいとは。もはや「排除」といふレベルではないか。

一九八一年のMP4/1から昨年のMP4-31まで*1のマシン名稱である「MP4」は當初は「マールボロ・プロジェクト4」、マールボロが離脱してからは「マクラーレン・プロジェクト4」の略とされる。「プロジェクト4」といふのがロン・デニスの本來のチームの名前で、マクラーレンチームをプロジェクト4が買收してF1に參戰した際にチーム名は古典的な名門のままとし、自らのチーム名をマシン名稱に殘したといふのが一九八一年以來のマクラーレンチームの實態だつた。今マシン名から「P4」が消えたといふことはマクラーレンからプロジェクト4、ひいてはロン・デニスの臭ひを消し去るといふ意思表明に他ならない。

エクレストンの退任と合せて、八〇年代のF1の影がいよいよ薄れようとしてゐるのだと實感する。

*1:MP4と後の番號の區切りはある時期にスラッシュからハイフンに變つた

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2017年02月05日日曜日 「サカサマのパテマ」

この世界の片隅に」の一シーンと「君の名は。」のキービジュアルを混ぜたパロディ。シチュエーションを考へるとこれはこれで酒落になつてない。ファンアートめいた落描きなんて「Forza」のペイント以來だ。それすらも何年前だ。

早速「イナバウアー」タグなど付けてもらつたが、仰向けに仰反るのはイナバウアーとは關係ないよ。それはさて措き。

AT-Xで「サカサマのパテマ」が放映されてゐるのを觀た。前にやつてた「イヴの時間」と同じ吉浦康裕監督作品。同じ空間に重力の働く方向の異なる二つの世界の住人が同居するとどうなるか、といふ物理学的には起り得ない状況を思考實驗的に表現するといふ意味では大變意欲的で面白い作品になつてゐる。これはできれば實冩で表現できれば尚良かつたのだらう。ゲームの題材としても面白さうだ。發想としてもその邊から來てゐるのかもしれない。

アニメの筋立てとしてはどうしても古典的な冒險もの、有體に言へば「ラピュタ」「ナウシカ」「カリ城」等の宮崎アニメの影響が鼻についてしまふ。單純にそれらの眞似だからどうだと言ひたい訣ではなく、ストーリーの骨格が特異な状況の解明と説明に費されることになつて、それは本當に描きたかつたことなのか? と思へて仕方がないのだ。

異る物理法則に支配された者同士が同居したらその間に何が起きるのか。二人に何が出來て何が出來ないのか。そのアイデアをどうストーリーに活かすか。實はかういふ世界構造なのでした、と種明しをされても世界設定自體が御話の爲にしか成立し得ない無理のあるものである以上、大して驚き樣がない。「始まりからサカサマだと思ひ込んでゐた方が實は」といふどんでん返しはいくらでも話の都合でひつくり返してしまへるものなのだから、一囘それをやつてみせたからといつて特に興は湧かないし、むしろ削がれてしまふだけだ。二つの地面のどつちが本當か、なんてのは正直どうでもいいことなのだ。物理法則が異る二人が出遭つて二人で暮らす上での不都合とそれに因る事件や氣持のすれ違ひ、さうしたことにもつともつと尺を使つて欲しかつた。さうすれば、彼らの父と守護者の交流についてももつと味はひが増した様に思ふ。

「イヴの時間」では閉ぢた空間を舞臺に人と人ならざる者同士の少し捩れた交流だけを多面的に描いてゐて、それが大層魅力的な物語になつてゐた。その世界の成立ちについて匂はせる描冩もあったけれども、あくまで背景として退いてゐたのが良かつたと思ふ。「サカサマのパテマ」も同じ方向であれば、もつと良かつたのだらうにな、といふ感想だつた。

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2017年02月04日土曜日 鉛筆と波の兎

隙あらば「片隅」語り。「この世界の片隅に」十三年二月の「波のうさぎ」のシーンでのすずさんと哲の鉛筆を巡るやりとりについて。

すずさんはよく落描きをするので不要不急の鉛筆の消費が激しく、それを鬼いちやんには咎められ、すみちやんからも半ば呆れられてゐる樣である。教室で削る限界までチビた鉛筆を見兼ねて、水原哲が江波山の上ですずさんに鉛筆を手渡す。どこですずさんの鉛筆のことを見てゐたかは映畫だけでは解らないが、すずさんが鉛筆を削つてゐる後ろで暴れてゐた哲が、その後すずさんの鉛筆を取り上げて悪戯に使つた擧句、床板の節穴に鉛筆を落して失くしてしまふといふ頴末が原作漫画では語られてゐる。哲はクラスでは鼻抓み者で、殊に女子の間では「水原の姿を見たら全力で逃げるんが女子の掟」であつたらしい。

映畫ではその邊は省かれてしまつたが、すずさんが聲を掛ける際に逡巡したことであまり觸れたくはない相手であることは判る。その哲が鉛筆を呉れた。
「やる、兄ちやんのぢや」
「え、ほいでも」
「ようけあるけえ」
この會話の情報量たるや。哲の「兄ちやん」はもう死んで居ないことはこの前に語られてゐる。原作の欄外にもある「正月の轉覆事故」を手掛りに調べると次の樣な史實に行當る。

宇品沖峠島で舟が沈没
昭和13年1月2日、江田島汽船の宇品−江田島航路みどり丸が年始帰りの客60人近くを乗せて広島県の宇品から江田島へ向かう途中、宇品沖峠島で沈没した。正確な乗客総数は不明だったが、救助されながら死亡した者と漂着死体の合計は32人であった。
【広島・昭和の事件史〜脱線・転覆・落下死亡事故関連】

特に戰爭とは關係のない、天候不順による不幸な事故だつたのだらう。この中に江田島の海軍兵學校に戻る哲の兄が居たとのことだ。

江田島の兵學校といへばエリート中のエリートで、當時の帝國大學に入るのと同等の難關であつたらしい。後年の哲が納屋で語つた様な「うちは貧乏ぢやけえ、兄ちやんはタダで入れる兵學校に入つた」なんて生易しい話ではない筈だ。相應に猛勉強したのは言ふまでもなく、海苔の手傳ひも免除されただらうし、父母にかけられた期待もさぞ大きかつたのだらう。哲が鼻抓み者になつてゐるのは恐らくその反動で、後に映畫でチラッと映る學校の卒業時の集合冩眞でも哲は一人だけ視線を外してそつぽを向いてゐる。一言で言へばグレてゐるのだ。

「鉛筆がようけあるけえすずにやる」といふのはつまり、それだけ兄が勉強したといふことと、哲自身には不要のものであることを示してゐる。すずさんが「ほいでも」と躊躇つたのは「兄ちやんの形見ぢやのに」といふつもりだつたのだらうが、哲がすずさんに鉛筆をあげようと思つたのは何も優しさばかりではないことも窺ひ知れる訣だ。さういふ屈託が解るからこその「鬼いちやんあげようか?」でもあるのだらうな、とも思へる。兄へのコンプレックスを抱へた者同士の共感がそこにはあつたのだらう。それが戀心の種だつたかどうかはまあ措いておくとして。

鉛筆一本の背後にこれだけの話の種が埋つてゐるから全く油斷も隙もない。

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2017年02月03日金曜日 節分

惠方巻がコンビニで大量にアレがナニしてどうたらかうたらとTVでやつてたといふ話がネットを賑はせてゐるらしい。コンビニもTVも關係ない暮しをしてゐるとまるで實感が沸かないが。用もないのにコンビニ行つて皆何してるんだらう。

うちの實家は島の風習節分の行事に相當することは大晦日に行つてゐた。豆撤きはともかく鰯と質素な煮物だけの料理が苦痛だつた。正月も餅と正月料理だけなので、年末年始は食の面では心が沈むものだつた。

いふても基本は大阪暮しでこちらも世間竝に節分ではあつたので、年に二度も豆撤きをしてゐた。まあ岡山と大阪の其々の家で鬼を拂つてゐたと考へれば無駄ではなかつたのだらう。大阪なので今では惠方巻と称する太巻きも暜通に食べたが、太巻きのまま切らずに齧るといふやつは一度だけやつてすぐやめた。昔の太巻きの海苔は厚くて嚙切りにくいし、黙々とあんなものを齧つたつて旨いわけがないのだ。

東京で暮してしばらく經つて、「惠方巻」なるものが賣られる様になつた時には下らないものがついて來たなと思つたものだ。

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2017年02月02日木曜日 たまげる程ようけのひとらーから

こちらこそありがたう。

D

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2017年02月01日水曜日 惡しき獨占

パイクスピークのゲーム化權を「グランツーリスモ」が獨占したとの報にそつち系レースゲームファンが阿鼻叫喚。ソニー絡みがこれをやると純粹にそのジャンルのプレイヤーの邪魔にしかならないから。F1WRCが過去にどれだけ迷惑を被つたかを考へるとねえ。獨占したなら鹽漬けにせず毎年ちやんと出してあげなよ、と言ふのも空しい。

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