今週のたいようのマキバオーはいよいよヒノデマキバオー佐賀競馬場に到着して、ロータスクラウン賞に挑むわけですが、読んで気になったのは高知と荒尾所属馬が佐賀の重賞を制したのは何回あるか。
という訳で調べて見ました。
データはNAR公式HPの「重賞競走歴代優勝馬」で掲載されている分から。
まず、高知の馬が佐賀で重賞を制したケースから

・花吹雪賞
1997年 イージースマイル(赤岡・谷)


・西日本アラブ大賞典
1997年 ハッコウマーチ(中越・東原)


<番外>
・西日本地区騎手招待
1997年 ヒカリウイング(北野)

イージースマイル、ハッコウマーチと高知を代表する名馬が1997年に花吹雪賞と西日本アラブ大賞典を制覇。
イージースマイルはその後中央の報知杯4歳牝馬特別に出走。(15着)
高知に戻ってからは黒潮皐月賞と高知優駿の2冠を制覇し、三冠馬誕生かと思われたが骨折で戦線離脱。
その後は以前の走りを取り戻せずに引退している。
ハッコウマーチは前年の南国王冠でバイタルサインに敗れるまで当時日本タイの26連勝の連勝記録を持っていた事で知られ、このレースでは兵庫の三冠馬ケイエスヨシゼンや福山の強豪馬タッチアップなどを破っている。
イージースマイルに乗っていた赤岡修次、ハッコウマーチに乗っていた中越豊光(現兵庫)は当時19歳、22歳と非常に若く、若手騎手とのコンビで佐賀の重賞を制覇した。
番外で西日本地区騎手招待を制した北野真弘(現兵庫)も入れてみました。


続いて荒尾の馬が制したケースは

・たんぽぽ賞*1
1998年 シンセイマーク(橋本・畑田)


・九州地区サラブレッド大賞典
1980年 トカチランラン(福島・高橋)

 
・花吹雪賞
1996年 ヒノデマジョルカ(古泉・副島)
2000年 ヒノデティアラ(吉留・副島)
2001年 エスパーアラオ(古泉・幣旗昭)
2005年 アリラン(西村・福島)


・九州地区交流アラブ大賞典
1984年 ダイジユフレーム(後藤禎・宮本)


・九州弥生賞
2002年 クニノオーカン(新町・古澤)


・九州BC アラブ3歳チャンピオン
1997年 タツフウジン(中島・畑田)


・九州アラブダービー
2001年 コウザンシンオー(西村・福島)
2002年 ダイナマイトキング(吉田・松島)

11勝と意外と少ない。
11勝の内訳は4勝が花吹雪賞、5勝がアラブ重賞、その他2勝といった形。
この内、96年に花吹雪賞を勝ったヒノデマジョルカはその後中央のチューリップ賞に出走したが8着。
この時の勝ち馬がエアグルーヴで2着がビワハイジ、4着ロゼカラーと後の競走成績や繁殖成績で結果を残している名牝相手でこの着順は健闘といえよう。
なお、ヒノデマジョルカチアズダンサー(11着・チアズメッセージチアズブライトリーの母)に先着。その後は肥後菊賞を制している。
2001年の覇者エスパーアラオも後にチューリップ賞に出走したが、テイエムオーシャンの13着と大敗。チューリップ賞に出た荒尾の2頭はいずれも名牝となった2頭に敗れた形となった。
エスパーアラオはその後肥後菊賞制覇など最後までオープンで活躍し引退。去年、ダンツシアトルとの間に牡馬が誕生している。
シンセイマークは荒尾所属馬としては唯一のたんぽぽ賞の覇者。JRAから地方にレースが移って佐賀で行われたのはこの年だけ。後は荒尾で行われている。
シンセイマークはその後中津で行われた霧島賞(2000年)を制し、九州産の大一番を両方制した馬となった。この2レースが地方で行われるようになってから両方制したのはこのシンセイマークただ1頭だけである。
3連勝で九州産限定の重賞九州弥生賞を制したクニノオーカンはその後は肥後さざんか賞を制覇。アラブ3歳チャンピオンを制したタツフウジンもやはりその後肥後さざんか賞を制している。(通算では13勝、15勝)
2001年の九州アラブダービーの覇者コウザンシンオーはこのレースの後は福山の全国交流の全日本アラブグランプリに出るも、フジナミスペシャルの6着。その後は地元を中心に走り、九州アラブ栄冠、アラブチャンピオンの重賞2勝含め通算で29勝。重賞で馬券圏内を外したのはわずか4回だった。
騎手では西村栄喜と古泉悟(引退)、調教師では畑田修治と副島義弘が2勝ずつ挙げている。騎手・調教師の所に「福島」の名前があるが、トカチランランに騎乗して制したのはおそらくコウザンシンオーを管理した福島幸広師かと思われる。
という訳で制した馬のその後なども含めて書いて見ましたが、果たして連載の方ではロータスクラウン賞はどういう結果になるか。
ちなみにロータスクラウン賞の所で95年にリンデンニシキがなぜか荒尾所属扱いになっています。(おそらく引退時が荒尾所属だったためか。この時は佐賀・手島豊厩舎所属)

*1:上にも書いているが、この年のみ佐賀で開催