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ばばちゃんのおっちゃんの独り言

2015-03-27

・日本・日本人13

 日本語
 先般、読んだ本で、宮脇淳子さんが、日本人が、平仮名カタカナを編み出し、話し言葉で、文書に書き留められるようにしたので、日本には、用語を統一するための「科挙制度」の必要がなかったとおっしゃっていました。

 更に、日本人は、支那人にもわからない文書を、書き下し文というテクニックを編み出して、日本語として読み解くことが出来るようにしてしまいました。恐らく当時は、誰も意識していなかったでしょうが、その後の日本の成り立ちに大いに寄与したことと考えます。
 朝鮮半島では、同じような動きとして、200年ほど遅れて、折角、ハングルを生み出したのに、了見の狭い両班どもが潰してしまい、失敗しています。そして両班の制度が残りました。

 ケント・ギルバート氏が、「日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない」とおっしゃっていますが、私の拙い外国語の学習においても、英語も、それをマネた中国語もぞんざいな言葉だと感じていました。 そして、特に、擬態語擬音語も含めた、 雨、風等自然現象を表す言葉は、実に豊富です。
 彼の場合は、日本語を英語に直すのと、英語を日本語に直すのでは随分違うそうです。そして、面白い指摘は、通常、「日本語は五十音」と言っていますが、濁音、半濁音、捨て仮名と呼ばれる、小文字で表す語も入れますと、76文字有るではないですかとのことです。
 
 それよりも、大切な指摘は、明治維新のころに、英語を国語にしようと言う意見がありましたが、それを主張したのが、初代文部大臣森有礼氏だそうです。西洋の政治、経済、科学等において、日本の概念に存在しない語彙が有ったので、そういう主張をしたのではないかということです。しかし明治期の先人たちが苦労を重ねて、種々、新しい語彙を編み出してくれましたので、現在も豊かな言語生活が有ります。そして、日本に留学した支那の方々もお国に持ち帰って使用しています。共産党共産も、共和国の共和も、日本生まれの語彙です。

 彼の半島では、両班が、己の利権を守らんがために、ハングルを蔑ろにしたり、戦後、単なる「見栄」だけで、漢字を廃止したので、現在、古い自国の文書も読めなければ、読書熱も停滞しているそうです。どう見ても、宮脇氏が言う、「悲しい歴史の国の韓国人」ですね。

2014-12-06

・日本・日本人12

 たまたま、加瀬英明氏の記事が目につきました。何の事か忘れましたが、或る時、私の考えからしますと、外交評論家でありながら、とんでも無いことを、述べていましたので、彼を信用していませんでした。しかし、今回面白いことを述べています。

 今から130年あまり前になる明治25(1892)年に発刊された、『雙解英和大辞典』(東京共益商社)を私蔵されているそうです。
 西洋から伝えられた言葉で、現在では、一般的な翻訳語に成っている言葉でも、実は、130年前には無く、もっと後で、日本語の中に組み入れられたようです。
 この辞典でリーダー「leader」をひいてみますと、「案内者、嚮導(きょうどう)者、先導者、指揮者首領、率先者、巨魁(きょかい)、総理、首唱者」と説明されているそうです。まだ、「指導者」という言葉がなかったのです。
 今日では、「独裁者」という言葉も、日本語のなかにすっかり定着していますが、ディクテーター「dictator」をひくと、「命ズル人、独裁官、主宰官(危急ノ時ニ当リテ一時全権ヲ委ネラレタル)」としか、説明されていません。
 英語の言葉に相当する概念が日本に無く、言葉もなかったと言うことになります。

 もともと「神話」と言う言葉もなかったようで、先の英和辞典でmythologyをひくと、まだ「神話」という訳語がなく、「神祇譚、神代誌神怪伝(異教ノ)」としか、説明されていないそうです。徳川時代が終わるまでは、神話を「ふること」といい、古事(ふること)、古言(ふること)という漢字が、あてられ、『古事記』は「ふることぶみ」と、読んでいたそうです。

 その神話ですが、神話の最高神が女性というのは、どうも日本だけのようです。その天照大御神が、天の岩屋に籠(こも)られると、全宇宙が暗闇に閉ざされてしまいました。 八百万(やおよろず)の神々が、天(あめ)の安(やす)の河原に慌てて集まって、どうしたらよいものか、相談。日本においては、合議制のようです。

 604(推古12)年に、聖徳太子が制定した『十七条憲法』に於いても、第10条目では、「自分だけが頭がよいと思ってはならない」と、諭していますし、第17条では、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。大切なことは、全員でよく相談しなさい」と、定めています。さらに、明治天皇五箇条の御誓文にしても「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と有ります。

 国の呼び名からも、日本人の国柄が忍ばれます。即ち、日本では祖国を指して、「母国」としか呼びません。しかし、英語、ドイツ語ではファーザーランド、ファーターラントといい、フランス語にもラ・パトリ――父国という、表現しかないそうです。

輸入外国語が、もともと日本人が待っている概念を、変質させているかもしれません。また外国との違いから、古き良き日本の心を探り当てたいものです。

・日本・日本人11

古くから有る日本の子供の遊び
 「ためしてガッテンで」で、古くから有る日本の子供の遊びが認知症対策にもなるし集中力を付けることに役立ちますと紹介していました。
 私は、2,3年前に、脳の勉強をしたり、ミニバス児童と一緒にやったりしていた時に気が付きました。昔からのあそび、けん玉、おジャミ、竹馬、まりつき、ごむとび、・・・・・それらは、理にかなっているのだなということでした。

 バルセロナオリンピックの金メダリスト古賀稔彦さんが指導する柔道教室では、稽古前に必ずやるのが、けん玉。玉を乗せようとする練習が、柔道の技を成功させるための集中力を生み出すんだそうです。

 じつは、集中している時の脳は、必要な部分だけが働き、余計な部分は働かないよう活動が抑えられていたのです。スポーツ選手などが究極の集中状態の時に感じる、「ゾーン」といわれる状態に近いと考えられます。けん玉をして、脳にこの「集中モード」を覚えさせることで、他のことをしている時でも、集中モードに切り替えやすくなると考えられます。ただし、集中モードになるのは、慣れたワザをしている時だけ。難しいワザにチャレンジすると、前頭前野は逆に活発に働くことがわかりました。こちらは「脳活性化モード」。

 けん玉には、更に、「オノマトペ」の利用。お手玉では、誰もがやる方法ではなく、利き手とは逆の手で投げ上げ、効き手で受けると、上達が早いそうです
 紙飛行機では、後端部を少し立ち上げますと、滞空時間が長くなるそうです。

http://www9.nhk.or.jp/gatten/pdf/program/P20141029.pdf

 既に、自分用に、けん玉を購入したり、孫達に、お手玉をプレゼントしたりしています。

2014-08-04

・日本・日本人10

 最近、中国国内のツイッターの訪日記事が、日本語のニュースサイトによく紹介されていますが、年寄りの私から見ますと、皆さん何か勘違いしていらっしゃるのではないでしょうかと考えます。

 即ち、日本人には、大昔から良い習慣、良い躾が有ったように、感じるかも知れませんが、50年、60年前の私達が子供の頃はそうでもなかったですよと申し上げたい。日本人でも若者は、昔を知らないから、多分、誤解しているかもしれません。

 例えば、「バスへの整列乗車」は、東京オリンピックの頃でも、関東では、実際に行われていましたが、関西では、我勝ちに乗り込んでいました。私が利用しましたのは、通学に利用しました京都駅前からの市バスでした。乗客は、同じ大学の学生が大部分でした。もう50年ほど前になりますが、毎回腹を立てていました。

 「自動車のクラクション」もそういうキャンペーンが有ってから、徐々に、火急の時以外鳴らさないようになりました。しかし、特に関西では、大阪万博の頃でも、信号の変わる前に発進したり、割り込みをしたり、行儀が悪かったですね。
 そういえば、中国に居た時は、確かにクラクションの音がやかましかったですね。

 「時間を守る」ということに関しても、新幹線、通勤電車については確かにそうでしょうが、一般の生活に関しては、それぞれ地方により、「○○時間」と言うのが有りました。しかし、いつの頃からか、約束時間の5分前、或いは、10分前には、約束の場所に到着するように躾られるようになりましたが、未だに、ターミナルには、待ちぼうけの方が、沢山いらっしゃるように感じます。

 自家用車につきましても、子供の頃、自分が自家用車を乗り回すなんてことは、これっぽっちも考えつきませんでした。同居していた姉夫婦が、自動車を買うと言い出したので、私もお相伴に与ろうと、慌てて、自動車学校に通ったのは、大学生になってからです。

 私の感覚では、所得倍増の掛け声、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博や、高度経済成長達成期に掛けて、日本人の身についたものではないかと考えます。
 すなわち、オリンピックや万博で、「良い格好したい。」、所得がある程度増えたので、食べることに余りガツガツしなくて済むようになり、「気持ちに余裕が出てきた」からではないかと考えます。

やはり、潤い、豊かになるというのが一番ではないかと考えます。

2013-10-01

・日本・日本人8

 日本人の性向として、器用なるが故の、拙速というのが有ります。その延長線で、危機管理において、漸次戦力投入と言う悪癖があります。
 あさま山荘事件で活躍された佐々淳行さんの「危機管理 」で教えてもらったのは、英国が行う「鶏を殺るに、鉈を用いる。」です。危機管理では、完全に息の根を止めろということです。先の戦争においても、戦力の漸次投入等がそこここに見られ、失敗を繰り返したとの指摘がありますが、大部分の日本人は、その点について全く学習していないようです。

 新聞の記事によりますと、東京電力福島第一原発事故後の2011年6月、東電が汚染水の流出を防ぐ遮水壁の設置を検討しながら、経営破綻(はたん)のおそれがあるとして着工を先送りしていたことが、当時の民主党政権幹部の話で分かったそうです。
 今回の処置に失敗しますと、国家の信用を落とすと同時に、世界に危険を振りまいてしまう。国家存亡の危機です。こんなこともわからない人達を選んだのは、誰だ。
 政党とは関係なく政治家として持って置かなければならない資質があるのではないでしょうか。政治屋(ポリティッシャン)ばかりで、政治家(ステーツマン)が、民主党には皆無です。

「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」と言う言葉が昔からありますが、日常生活において当て嵌まるかもしれませんが、危機管理には、不適当な言葉です。

2013-09-18

・日本・日本人7

 或る外国人のブログを読んでいますと、「日本の人達はラマダンをせずに、もう既にラマダンの教訓を守っているようですね」というイスラム教の人の話が有りました。
 そもそも、イスラム教では、ラマダン(イスラムの断食)を通して、食べ物も十分に行き渡らない人達のことを思いやりなさいと言うことですと、聞いたことがあります。怒りっぽくならないようにとか、時間や約束を守る、思いやりを持つ、勤勉である、食べ残しをしない、などと言う習慣を、身につけようとしているそうです。
 ところが、日本の人達は、それなしで、既に身に着けていて、守っている、ということに、感心しているという話です。
前述のように、四書五経では、子供には重すぎると感じていましたが、最近、齋藤孝先生が紹介しておられます「実語教(平安時代に成立し、鎌倉時代に普及したそうです)」と言うのを知りました。なるほど、これなら幼い頃に素読して、同時にしつけも行ったと実感出来ます。斉藤先生は、「日本人1000年の教科書」呼んでおられますが、この先1000年も十分真理で在り続けるものと信じます。
 ところで、その昔にも何か有ったのでしょうか?魏志倭人伝、隋書等にも、泥棒は少ないし、争いも少ないと載っています。当時、一般大衆であった奈良時代の防人は、和歌を読むことが出来たています。彼らは、どういう育ち方をしたのでしょうか?
 まだ読んではいませんが、同じく、斉藤先生の「童子教(成立は鎌倉中期以前)」という本も有るそうです。実語教よりも上の世代が対象のようです。