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うえの善巳 近況

2018-09-12 さすらいのフルーティストのブログ

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 うえの 善巳 (よしみ)


フルーティスト、キーボーディスト、作・編曲 

ノージャンル

一応、桐朋行きましたが、かなりフリースタイルなフルートなので、普通の優雅なフルートを想像しないでくださいね。







2018/09/12更新


♪ 響き ♪ 2018/09/12


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 「自分で確かめないと気が済まない」性格はどこから来たか?


 あまり遺伝じゃなさそうだ。おやじもオフクロもとくにエキセントリックなところはない常識人だし。隔世遺伝?ウチの家系は警察官、司法書士、大学教授みたいなカタい職業ばかりで、その可能性もうすい。




 「響き」ってなんだろう?音楽に関するものだと、辞書的には

1,音が広がり伝わること。また、その音。

2,ものに反射して聴こえる音や声。反響。

3,余韻。残響。また、耳に受ける音や声の感じ

4,振動。

 とある。


 自分で楽器をやる人は知っているが、「良い音」を追求するにはこの「響き」が重要になる。ところが、辞書にもあるようにそれはその場所の反射や、空間の広さによっても変わってくるので、なかなか厄介なのですね。

 楽器単独でも「音の芯」的な要素と「響き」的要素があって、響きは場所によって違って聴こえるから、普段両者を合わせて聴いている奏者の耳は、その場所に合わせた補正をしなければならなくなる。まぁだいたいは経験がモノをいうわけですが。



 マニア以外は家に大仰なステレオセットを置かなくなったけど、40年まえくらいの「ハイファイ追求時代」は、スピーカーはデカいほうがエラい、の価値観だった。オーディオショップでJBLとか、タンノイとかのスピーカーを視聴させてもらってその音の豊かさに驚き、とうてい手が出ない価格を眺めてため息をついていた。

 日本のメーカーや、JBL、アルテックを始めとするアメリカのメーカーは、スピーカーの箱はガチガチに固め、極力共振が発生しない指向だった。それはそれなんですが、タンノイをはじめイギリス製のスピーカーは「響く」のだ。


 それって「箱鳴り」って言うんですが、スピーカーユニットから出る音に雑味を加えず、忠実に鳴らそうとしたら確かに箱は共振しないほうがいい。でもそのような音はなんか「冷たく」聴こえるんですね。よく言えば冷静、客観的な音と言えるんだが。

 あるとき、ステレオ以前の「蓄音機」、それもグレデンザという、100年前くらいにアメリカの金持ちが家に置いていたようなヤツを聴かせてもらって納得した。

 蓄音機はモノラルで、ステレオ効果による「音の拡がり」はないから、箱自体を響かせて「響き」を出そうとしているのですね。




 僕の「ひとりでできるもん」のいちバージョンとして、オルゴールに伴奏させて笛吹く、ってのがあるんですが、本物のリュージュのオルゴールでもやってみたんですけど、任意のスタート・ストップには難あり、曲数にも難あり、ゼンマイほどけてくると自動リタルダンドになるし、ちと現実的じゃない。で、不本意ながらハードウェアには電気とデジタルを使い、でも「オルゴールらしい響き」を出したくて作ったのが上のボックス。どうやって「箱鳴り」させるかを試行錯誤しました。




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 で、フルートのほうはこの40000番台のヘインズ。マニアご用達のハンドメイド30000番台とは違い、レギュラーだしディボースケールですが、ヘインズお約束のガタガタキィは健在。今の新しいものはわかりませんが、この時代のヘインズって新品の時からキィのガタはあたりまえ。よく「造りが粗い」って言われるんですが、あるマニアはわざとそう造っている、それによって「楽器の響き」を止めないようにしている、って言うんですよ。

 うーん、自分で試してみたい。本当にガタとったら響きが変わるのか?でも自分でキィのガタ取りはムリだから、修理屋さんにお願いするしかないし、確かめてからまた頼んでもとに戻してもらう?


 呆れられること必至。





 でもたしかに、スピーカーの造り方での、アメリカとイギリスの価値観の違いからすると、「ガタは悪」とは違う価値観もあるかも、とも思い、「自分で確かめないと気が済まない」病は収まらないのです。















♪ アジア一人劇祭 ♪ 2018/08/17


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 8月3〜5日、韓国・居昌(コチャン)で開催された第29回アジア一人劇祭に、パントマイム清水きよしさんの音楽担当として参加してきました。


 アジア一人劇祭は、日本・インド・マレーシア・台湾と毎年持ち回りで開催していた初期から、韓国・公州での第2期を経て、21世紀に入ってからは慶尚南道の居昌で開催されています。実行委員会本拠地、施設もここで、廃校になった小学校の建物を県から借り受け、改修して使っています。毎年この時期の開催期間になると校庭に野外ステージを組みます。

 韓国でのイベントに呼んでいただくと毎回感心するのですが、文化活動に対する観客、行政の理解度、それに予算は日本の比ではありません。まったく、国の豊かさとは何をもって量るのか、考えさせられます。K-popは第三次ブームだそうで、日本のジャニーズ系のようなガチャガチャしたものも盛んな反面、伝統的・文化的なものに対する理解もしっかり同居している感触です。



 今年の居昌・アジア一人劇祭は、中国・マレーシア・ヴェトナム・フィリピン・ウズベキスタン・日本そして韓国のチームが出演しました。開催国韓国のチームは、伝統芸能からモダンなアートまでさまざまです。会期中には今後の発展や一人劇(モノドラマ)の定義を議題とするシンポジウムも開催されました。





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韓国の伝統影絵。ボイスと打楽器による音楽を伴って上演されますが、音楽のほうはさすがに伝承が途絶えていて、旧い録音を使わざるを得ない状況だそうです。こちらは客席側。





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スクリーン裏はこうなっています。大きさの見当がつくでしょうか?





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ヴェトナムから参加のディン・リンさん。3代続くフルーティストの家系の、彼は2代目。息子もフルーティストだそうです。今回は姪の木琴奏者と一緒に参加です。




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こちらリハ中。

しかし変わったカタチの木琴ですね。僕も初めて見ました。音はフツーに木琴の音がするのですが…
















♪ 認識の違い ♪ 2018/07/06


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例の(?)Bad∞End∞Night。ドラム担当のあやかがよくわからないと言うので、打ち込みの参考音源作成中。







 一昨日のことです。


 クラリネットの4年生のひとりが、ヤマハの楽器が足りなくて中華のクラ吹いてたのですね。で、やっぱりイマイチなんで、要修理の他校からの借り物、眠っていた楽器を出入りの楽器屋に修理してもらって、そっちを吹いてもらおうと思ったのですが…


 修理に出す前に僕がチェックして、「こりゃあちゃんと直すには費用かかるなあ」と思っていたのが、校長先生は「見積りは結構安い値段でした。明日戻ってきます」とおっしゃったので、「ほんまかいな」半分「ラッキー」半分に思っていたのですね。

 戻ってきたクラリネットを見ると、なーんにもしてない。破れたタンポもそのまんま。すわ、またしても御用聞き癒着業者の詐欺仕事か。それならば暴れるフルーティスト、ネックカッターの異名をとるうえの、ボコボコに叩いたうえで業者のクビすげかえてやる、と思ったのですが…

 その後、校長先生に連絡とってもらった結果を聞くと、どうも事態はそういうことではないらしい。

 小学校の事務が、「借り物の楽器で返却するための現状復帰だから、最小限の修理で頼む」と言ったとか。で、業者はキィバランス調整くらいしかしなかったと。それが「現状復帰」か?とも思うが。でもそれが生じる事情もあるのです。


 学校の楽器を対象に、ふつうよりも安価に修理する業者(楽器屋)がむかしから存在する。学校楽器の維持にかかるコストは馬鹿にならない。いっときの好景気時代以後、どこの学校も所有する楽器の維持費捻出に汲々としていて、ニーズあるところにサービスあり、クオリティを多少(かな?)落として安価に修理する、ある意味お互いに必要とし必要とされている関係がある。

 でもやっぱりそこにあるのは大人の都合だけだと思う。小学校の吹奏楽なんだから主体者は小学生でしょ。今回たまたま、「も一回使うか」ってなって僕が見たから露見したけど、このまま2小に返してむこうで「クラたんねえや、そうだ南白から帰ってきた楽器があったからあれ使うべ。返す前に修理したっていってたし」となったら、そこにはタンポ破れた楽器で四苦八苦する子供が出現したわけだ。

 こちらだって、その吹きにくい中華クラ吹いてたMちゃんに、僕は「あしたちゃんとした楽器がくるからね」と言っていた。そしてその楽器もダメ楽器だったとわかったときの、彼女のがっかりした表情が忘れられない。僕も彼女に対して申し訳ない気持ちでイッパイなのは、ヘンクツうえのなんだから「世の中にそんなうまいハナシがあるわけない」と思わなければならなかったのだ。「本当にその金額ならラッキー」などと、チラとでも思ってはいけないのだ。だいたいがその業者にしろ、そしてそこで実際にリペアしたリペアマンにしろ、本当にこれでいいと思って仕事したのか?「仕方ない」と思ってたんじゃねえのか?小学校の楽器だってことは解っているだろうに、これ吹かされる子供は泣いちまう、とは思わなかったのか?ウチの家訓は?言い訳をしない?ひきょうなことをしない?てめえのケツはてめえで拭く、なんだが。


 そして僕が気になるのは、日頃僕も悩まされている「提供する側と提供される側の認識ギャップ」なのです。フルート場合、オーバーホールを一流の修理屋さんに依頼すると¥80000くらいかかる。これは楽器の元価格にはあまり関係ありません。僕はその理由・内容がわかるから自分の楽器はやりくりに四苦八苦してもそういう修理屋さんに頼むが、理解の足りない一般ユーザーは「高すぎる」と思うだろう。実際問題、新品で買って¥60000くらいのヤマハの楽器で、修理代¥80000と言われたら「え?」となるのは自然なこと。


 個人所有の楽器の場合は、そうなった時点が「買い替え需要」の発生でもあります。どんな道具でも修理費用が新品価格を上回ってしまったら買い替えるよね、普通は。発達途上の、将来音大を目指す可能性もある中・高校生なら、楽器をグレードアップすると本人のモチベーションもアップ、の相互関係もあるし(大人でもですね)。でも予算が乏しい、3年で使用者が変わる学校楽器ではそういう選択にはならない。で、修理になりますが、「オーバーホール」手前の「タンポ全交換のみ」か、本当にヤバいタンポだけ、「部分交換」で済ませる。ほとんどの場合学校業者ではヤマハの純正パーツではなく、もっと安い社外品のタンポを使う。長く使っているとキィシャフトの修正が必要になってくるけど、それもなし。ゼンゼン理想的なコンディションにはならないが、妥協と「適材適所」的な対応にならざるを得ない。


 でもその「適材適所」が「大人の言い訳」に化けちゃあかんやろ。「予算ないんだからこのくらいで」てのは子供のことを考えたら言い訳以外の何者でもない。それを根本的に解決していくには各方面の意識改革、われわれは各方面への啓蒙が必要なんだと思う。楽器の維持にはお金がかかる。そしてそれは必要な費用なんだと。学校の場合、吹奏楽部だけが突出した学校予算をとるわけにはいかないから、受益者負担原則に乗っ取ってそれなりの部費を設定するか、小学校では無理だけど「交通費」の範囲をいただける営業活動(商店街イベント出演等)をするか。でもなにも贅沢にお大尽するのが必須ってわけじゃない。「自分で出来ることは自分で」やる。僕は自分の楽器に関してはオーバーホールレベルより手前、調整の範囲は全部自分でやる。子供たちの楽器も金管・打楽器含めてそうです。でもこれは他校では吹奏楽部顧問の負担がさらに増えることになるが… 僕は楽器だけでなく、機材や仕事に行くための道具であるバイクでもそうです。

 

 世の中最近この「自分で出来ることは自分で」が全般的に甘くなってきていると思う。フルートのキィ注油ですら取説でも「楽器店にお持ちください」になっている。小・中学生ならともかく、高校生以上は自分でやれ、とウチの生徒には言っている。わからなければ(昔の男の子のように)目覚まし時計分解して元通りに組み立ててキカイを知れ、と。「自分で出来ることは自分で」やって、その先はケチることのできない必要経費。オイルさしてもらって何千円、キィバランス調整何千円でも、チリも積もれば山。そのぶんのお金は「自分でやって」節約して、オーバーホールにかかる費用は当然の金額、と考えるべきなんじゃ?小学校では大人が代わってやらざるを得ないけど。


 なにかをやるためには正当な報酬を支払って他人にやってもらうか、自分でやるかのどちらか。世の中うまい話はない。それをやれ「あなただけ特別に」の釣り文句にヨロメクから特殊詐欺に騙される、「30分以内にお電話下さった方だけ」の通販のみ販売に付け込まれる、アホなダイエット商品はびこる。あのヤラせのオバちゃんたちがぎゃあぎゃあわめくCMを目にすると、真剣この国は終わったな、と思う。それに、なんも深く考えずに「オトモダチ価格でお願い」をやるから貸し借り出来てシガラむ。そもそもが「自分で出来ることは自分で」やらないで楽ばかりしようとするから、すべての生活コストが上がって朝から晩まで働かなくてはならなくなるか、もっとうまい金儲けしなきゃ、の連鎖になるんだべ。そしてそれを「世の中はそうやって回っている」と思うか「それは地球を壊している20世紀的ワガママ好き勝手やりたい放題」と思うか。




 それにレッスン料・月謝・出演料のたぐい。どう考えても払う側と受け取る側に認識のギャップがあるんだよね。

 はっきり言って、こちらで算出したコストでレッスン料設定したら、僕の場合だれも来ないです。「テレビ出てます、一流音大にコネあります、楽器あっせんしてあげます(これって実はボられてるだけなんだけどね)」みたいな付加価値なーんにもないから。




 でも、長年そういうシガラミ一切拒否してやってきたから、気兼ねなく自分の思い通りに暴言(?)吐けるんだよ。ダメなもんはダメ。癒着は癒着、悪慣習は悪。あんたクビ。ふざけるな自民党。正論のどこが悪いんじゃあ。





 まぁ、付き合いにくいニンゲンですよね。 














♪ チャリティコンサート ♪ 2018/06/05


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 6月23日(土曜日)14:00、相鉄線の二俣川駅南口からすぐの、カトリック二俣川教会で、ギターの田中春彦さんと2人でコンサートします。


 この、笛吹き無頼漢に頼む教会も教会だと思うが(笑)、田中さんクラシックだけでなく守備範囲広いので、クラシックありジャズあり民族音楽ありの楽しいコンサートにしようと思っています。


 いまのところ予定している曲目は、

  主よ 人の望みの喜びよ

  愛の挨拶

  ゴセック タンブーラン

  マイ ファニー ヴァレンタイン

  オーバー ザ レインボー

  オヨーダイ

                  そのほか

 カトリック二俣川教会は、モダンなつくりですがよい響きで、田中さんの繊細な響きと僕の無手勝流(笑)のコントラストを楽しんでいただけると思います。




 チケット・お問い合わせは

二俣川教会 ゆりの会 045-391-6296 

またはwonder-yocchy@docomo.ne.jpへ。

  

 















♪ 好み ♪ 2018/04/07


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 まだ先のハナシなのですが、7月に篠笛のオシゴトを頼まれて先日打合せをしました。

 たしかに篠笛も吹きますが… 邦楽奏者でもない僕に頼む方も頼む方だと思うが、引き受けた以上いいかげんなことは吹けないので、手持ちの楽器をチェックすることからとりかかったわけですね。


 たしかに篠笛も吹きますが(クドいって?)人前で吹くのは年1回あるかないか。その状態で楽器に求めることは、普段の、自身のフルート奏法と共通した部分がなるべく多くあって欲しいということになります。


 今はYoutube上にありとあらゆる資料がありますから、もらった楽譜と桐朋の先輩であるNさんの演奏を照らし合わせてみると、どうも楽器は六本調子らしい。楽譜には八本の記載があるのだが、八本調子では発音不可能な音があるので。やれやれ、移調した楽譜を作るところから始まるわけね。


 六本調子、何本か持っていますが、どれもイマイチ納得いってなかった訳ですね。篠笛はフルート以上にピンキリ、フルート以上に生き物です。毎日に近く吹いていれば、楽器・ニンゲン双方が歩み寄ってくる。でもそうではない状況でのベストチョイスは、本業の笛奏者とは違ってきます。





 特に楽器に凝るほうではないと、自分では思っているのですが、フルートの管体の材質の違いによる音の違いに興味が湧いて、洋銀、銀、金、プラチナ、木管とあれこれ試しました。楽器の好みはある程度の時間をかけて対話しないと解りません。表面上の浅い付き合いならば、よっぽどエキセントリックな相手でない限り誰とでも出来ますが、「自分の本音」で付き合える相棒は、時間をかけて深いところまで対話しないと解らない。そしてその選択には経験がモノを言います。それぞれにいいトコ悪いトコあるからね。

 フルートでの、僕の「現時点での」最良の選択は、管体は薄めの銀管、そこへ少しのウエイトを加えます。管体自体が厚いヘヴィ管を選択すれば当然、楽器全体のウエイトは重くなるのですが、それに薄管の楽器とは明らかに吹きごたえが異なりますが、ヘヴィ管の楽器はレスポンス、それにppの音色・響きやピッチコントロールの柔軟性がどうしても納得いかないのです。それらをカヴァーするために歌口を過敏気味に作る手もあるようですが、そうするとppは歌口だけが鳴っているように、僕は感じます。ただ、フルートの製作はハンドメイドの部分が多く、同じモデルでも音は一本いっぽん違います。同じモデル、同じ製作者だとしても、管厚・歌口それぞれ、なにかのパラメーターが異なってそれが音に影響したとしても、ひとつのパラメーターの違いによるとは言い切れないわけです。実験対象が多ければ傾向は掴めますが… そもそもがその状態なのに勝手に改造するわけですから、なるべく客観的な実験結果がとれるように、加えるウエイトは頭部管のヘッドキャップに重さの違うナット(?)を貼り付けて試します。足部管も重さの異なるC足・H足を数本取っ替え引っ替えしてセッティングを出しました。



 まったく、「良い子は真似しないように」状態で、リペアさんに見せたらガンガンに怒られそうです。



 その手を篠笛にも使ってみよう、と思いついたのですね。材料である篠竹の質、熟成の影響が大きい竹製は不確定要素が多いので、初心者用のプラ管を数種類入手して、「吹きごたえ」が一番好みのものを選び(やっぱり薄かった)貼り付けるウエイトの重さをいろいろと替えて、好みのセットアップを出しました。


 楽器は本人がキブン良く吹けるのがイチバン。ブランドも値段も二の次です。





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そういえば、こんなこともやりました。

「笛吹き紙芝居」(これはフルートですが)
















♪ 顕在意識・潜在意識 ♪ 2018/01/22


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 心理学での「顕在意識・潜在意識」とは少し違うのかもしれないけれど、楽器を演奏するとき、それにもう一段階外側の音楽を認識するときにも、顕在意識と潜在意識が深く関わっているように思える。


 楽器奏者は、初めて見る譜面、それもややこしい譜面は「譜読み」と称して、ゆっくりのテンポで、ひとつひとつの音を確認しながら鳴らしていく作業から始める。

 この作業は顕在意識でひとつひとつの音を認識しているからにほかならない。そして無意識のうちに、経験に応じて潜在領域の書庫に収納されている「スケール・アルペジオ」のデータが使える場所を摺りあわせている。そこからテンポをあげていって、指定のテンポ、本来のテンポで、理想は「居眠りしていても吹ける」(弾ける)状態を目指す。「スケール・アルペジオのデータ」をペーストした文書データ自体が潜在書庫に入っている状態。自分の場合、16分音符より細かい音符は「潜在意識コントロール」になっていなければならず、対して4分音符以上、さらにカンタービレだったりは「その場意識」が重要な気がする。ボケッと吹いていてはカンタービレにはならない。細かい音符を追いかけることは潜在意識に任せて、顕在意識のほうはその先のこと… 音楽的な表現とか、アンサンブルとか、そういうことを考えられる状態にもっていくわけですね。少なくとも僕はそう認識している。


 やっぱり、いわゆるの「潜在意識」とは違うのかもしれない。潜在意識とは、在ることはあるが、容易には水面上に持ってこられないもののようだから。だから自由連想法とか催眠療法とかがあるわけでしょ? 音楽家が楽器奏法から考えたタワゴトだと思ってください。楽器演奏の場合、運指のデータ、音のコントロールに関するデータ、それにフレーズのファイルなどが、全部は机の上には並んではいないが、書庫にきちんと整理されて収まっていて、しかもインデックスがちゃんとしていてスグに取り出せる状態でないと、みたいな感覚だから。この場合「潜在記憶」ですかね?

 それでもクラシックの場合は、書庫に収納されているのはスケールだったりアルペジオだったりなわけですが、ジャズのアドリブでは記憶してある「ジャズフレーズ」をもう少し手前に置いとかないと… アドリブコーラスが進行しているその場で記憶を繋いで並べていかなければならないわけですから、「机の上」には乗り切らないとしても、「部屋の中」にはブチまけとかないと… それでもアップテンポになると、ほとんど「身体が勝手に吹いている」状態じゃないと間に合わない。やっぱり自分的な感覚でいえば、「場所はちゃんと解っているがブチまけられている」状態で、その中を飛び回って拾い上げていく感覚。決して優等生の学級委員の部屋のように整然とはしていない。お行儀よく「廊下(この場合部屋の中ですが)は走らない」を守ってもいない。

 ヒューバート・ロウズに師事したセンパイの話しだと、ヒューバートの日課練習はコーラス単位で纏めたものを繰り返す(クラシックの練習方法に似ている)ものだそうです。この場合、「文書単位」のなぞり書き作業なわけですね。

 「お行儀よく」ない要素は発音にも関わる気がする。ジャズ・トーンはクラシックのそれのように十分に準備して、整えて発音していたらお行儀が良すぎだし、間に合わない。もっと「いい意味でザツな」吹き方じゃないと。ジャズ屋がアドリブで吹いている演奏と、それを譜面にしたものをクラシック奏者が「読んで吹く」状態が違って聴こえるのは、そのへんもある気がする。そこのところを、ここまでリクツこねて分析しなくても、聴き手は「無意識下」で、ジャズっぽい演奏とそうでない演奏を判断しているように思う。


 「知識」とか「知恵」のようなものは、顕在意識領域にあるのでしょうか? トシがいけばいくほど、特にシニアの生徒さんをみていると、自身60年、70年(もっとの人も)の経験にがんじがらめにされているように見える。「トシとってから新しいことは覚えにくい」はこのことを指しているのかな?と思う。対してまだ潜在意識コントローラーとしての顕在意識が未熟な小学生は、「よく解らないけど感覚的に捉えた」ことの染み込みが早いこと。



 3学期の練習曲として、「シング・シング・シング」に取り掛かったのですが、「ジャズ」「フルバンサウンド」に馴染みのない南白ウインドアンサンブル、フレーズのリズムを「そこはね、パースパッスパーて吹くんだよ」と「口三味線」で教えると、やれ裏拍だのシンコペだののリクツ抜きであっという間にこなす。みんな天才かと思う。それは映画「スイングガールズ」なんぞカルく超えてる、感動的な世界!!!








 この仕事してると、「事実は小説より面白い」こと、いっぱいあります。
















♪ 踊ってきました! ♪ 2017/12/20



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 娘の母校でもある府中市立南白糸台小学校。ここのウインドアンサンブルは伝統ある吹奏楽部で、レヴェルの高い演奏は毎年、教育委員会表彰をいただいている。



 今回、モロモロの事情があって、急遽このウインドアンサブルのコンサートを指揮することになってしまった! ボヘミアンうえの、学校関係はいろいろと面倒くさいことがあるのでなるべく関わらないようにしていたんですが…

 ひと月前から、連日の朝練。僕も楽器組み立てて一緒にロングトーンしてスケール吹いて。いやあ新鮮な朝を過ごしました。



 いろいろな事情があってのこの状況。最初に指揮台に立った時、子供たちの目は不安の色でいっぱいだった。彼女たちはその前、音楽会を目前にしながら満足に練習が出来ない状態が続いていたわけですね。

 で、吹かせてみたらなかなか上手い。そしてみるみるうちに「やっと吹ける!」気持ちがみなぎってきて、音楽室に豊かな響きが満ちてきた。




 僕はそれを聴いていて思った。今の段階では細かいことは置いといて、彼女たち(彼ら、もごく少数いるんですが)をのびのび吹かせてあげることがいちばん大事なこと。大人の事情に振り回されて大好きな音楽を楽しむことが出来ない状況に置かれた彼女たちの、「楽器が吹きたい!」気持ちを最大限サポートしてあげよう、と。

 そして、僕自身が今まで経験してきたこと… 最初は不可能に思えたパッセージも、積み重ねでモノにできることとか、指揮の先生に信頼してもらって、僕のソロになったら指揮棒を止めて好きなように吹かせてくれたこと… それらこれらがどれだけ嬉しかったか、どれだけ感動したか… そんなことをわからなくてもいいから話して聞かせるのではなく、棒を通して表現しよう、と。



 いいコンサートになったと思います。彼女たちが自信を持つことにも繋がったようで、3学期の練習曲には難曲「スターウォーズ」を挙げてきた。よしよし、一緒に頑張ろう。



 3学期いっぱいだけど、君たちのそばにいます。よろしく。

(その後抜けられない状況に…)
















♪ 森の演劇祭雑感 ♪ 2017/11/13



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 11/2〜5、島根県松江で開催された「森の演劇祭」に、もう30年来のお付き合いであるパントマイム・清水きよしさんの音楽担当として参加してきました。

 「森の演劇祭」は3年にいちど開催される国際フェスティバルで、普段は静かなところであろう松江市郊外の山中(?)4会場を使って催される本格的なイベントです… って、僕も今回初めて知ったのですが。


 行ってみてびっくり。松江市・八雲町の行政や地元の企業、それに多数のボランティアが一体になっての、素晴らしいイベントです。バブル期、そしてそのあと少しの間は「タダのお祭り騒ぎ」的なイベントは各地にありましたが、なんとかミクスの波及効果なんぞゼンゼンない現状、これだけクォリティの高いイベントが地方で行われていることはオドロキでした。文化的な分野ではいまは地方が元気な時代、の感がありますが、20年の年月をかけてこの演劇祭をここまで創りあげたプロデューサー、園山土筆さんの手腕は敬服に値すると思います。



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スイスから参加したアクロバティックなクラウンマイム「Pss Pss(ぷすぷす)」のメンバー




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沖縄の伝統に溢れるミュージカル、「沖縄燦燦」のメンバー





 久々に舞台観まくりました。ほかにも国内の「劇団あしぶえ」の「セロ弾きのゴーシュ」や「人形劇団むすび座」の「父と暮らせば」など。

 あらためて「セロ弾きのゴーシュ」を観て、宮沢賢治は一言も「音楽療法」とは言っていないけど、これはまさに音楽療法の話しだったんだ、と思った次第。音楽を通して、森の動物たち、それにゴーシュ自身や金星楽団の面々も進歩し、癒され、人は(動物も?)パンのみで生きるにあらず、文化と触れ合う喜びを感じるのだ、ということを賢治は表現したかったのだろうな、と再確認しました。実際に自身でチェロを嗜んだ、という宮沢賢治、本当に音楽が好きだったんですね。







 貴重な4日間でした。








 






♪ 不思議 ♪ 2017/09/10



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ミラノの街中で道に迷った親子

(もう10年以上前ですね…)




 この仕事をそこそこ長くやってると、ときどき不思議なことに遭遇する。



 いまではすっかりフツーのポケピン中学生であるウチの娘。彼女がまだ4歳だったころ、イタリアでのお仕事に連れていったのですね。で、その日程のなか、今日はローマ郊外の老人ホームを訪問してミニコンサート、という日の朝、合唱団の指揮者の先生が突然、


 「うえのさん、ちょっと時間余るんで、りんちゃんによさこい踊ってもらえないかなぁ?」


 とおっしゃった。


 娘はそのころ、保育園での運動会のプログラム、「よさこい踊り」を練習していて、たしかに老人ホーム慰問とかではコドモの余興は喜ばれるんで、でもなぁ余興とはいえ音楽会ブチ壊しにならないかとも思いつつ、一応本人に訊いてみると、


 「りんこちゃん、やる!」


 で、老人ホームまでのバスの車中、遠足バスでの不良の指定席である5席並びの最後列で、ヤツはバチの代わりに割り箸を手にして踊りの最初から終わりまでの手順を確認したのち、


 「りんこちゃん、おっけ」


 と言いくさった。


 僕はそれを見ていて唖然としたのだが、なぜって僕も本番前、その日の曲の手順を脳内シュミレーションして、「おっけ」と思えてから舞台に向かいますが、それは長年、舞台やってて身につけたスキルであって、はっきり言って20代のころとかには解っていなかった。

 とうてい4歳児ができることではないと思うんですが…


 でも安心したことに(?)、今の娘の行動を見ていると、先のこと、それに周囲の空気が読めないことおびただしく、そのスキルは消え去ったようです。ではあのとき、確かに彼女がとったあの行動はなんだったのか?






 今日出会った不思議は、世田谷の教室でのレッスン。もう10年以上通ってきているお嬢さんですが、彼女は好みはっきりしていて、クラシックのレパートリーみたいな堅苦しいのは嫌い。アドリブで自由に吹くのは好きだけどメンドくさい理論的なお勉強は嫌い。でもいちばん大事なのは本人がキブンよく吹けることなんで、曲は僕が選んでジャズありポップスありラテンあり、で、うるさいこと言わずに好き勝手に吹かせてたら、ある頃から結構サマになってきた。


 彼女、結構器用な性格なんだとも思うが、モノゴトの伝承って、本来こういうものなのだと思う。正反対に、いくら理論をマスターしてもいっこうにアドリブらしくならない生徒はたくさんいる。理論書とか、フレーズ集とか、もしかしたら五線譜も、進化という名の「便利なもの」が登場して本質が見えなくなっているようにも思う。


 でもね、今日吹かせてたら、倍テンで吹くべきラテンだったのですが、「それらしい」だけでなく、あきらかにラテンアドリブの伝統的なフレーズが混じっているのですね。彼女、「メンドくさいことは嫌い」な性格なんで、決してウチで資料を聴きこんで「お勉強」したりはしない。だいたい自分が吹く以外にはCD聴いたりもしない。念のため本人にも確かめたから間違いない。ではときどきチラつく「伝統的フレーズ」はなんだ?


 僕は教えてない。僕自身の場合、そのテは「お勉強」して身につけた。だから、「エグエスがよく使ってた、マラカもときどき使う」的な説明が出来る。でも彼女、エグエスも、マラカの名前も知らないだろう。


 

 感覚的な把握であっても、何らかの「最適解」を追っていくと似たようなところに着くのか?あるいは… もしかして… ハッピーでフレンドリーなキューバ人の気質を考えるとアリえそうなんだが、リチャード・エグエスの霊が彼女に向かって微笑んでいる?(エグエスにはお会いしたことないので、実際の人物像はわかりませんが)… 4歳頃のウチの娘のように、「霊界通信」出来る能力があるのか?はたまた量子力学で説明出来るのか?

 そして、幼いころにはみんなが持っている能力を、「教育」という名の洗脳を受けたのちにも保ち続けられるのが、「天才」と呼ばれる人々なのだろうか?








 いやあ不思議なことってあるもんですね。

















♪ 黒帯 ♪  2016/11/01



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 8年前、50代を目前にして、フルコンタクト空手を始めた。ことの起こりはウチのチビ娘。娘は超未熟児で生まれ、保育園時代は常にクラスいちばんのチビ。運動会のかけっこも毎回ビリ。保育園のクラスを廊下から覗いていると、集団行動のなかでなにかと遅れをとるウチの娘を、まわりの友達が助けてくれるシステムが出来上がっている。ウチのはそれをいいことにシッパイは周りに助けてもらうのがアタリマエ、とばかりひっくり返したおもちゃを自分で片付けようともしない。


 こりゃアカンと思った。このままでは周りによたれかかってばかり、他人の気持ちなどなんも感じられない大人になってしまう。わが家の家訓は 1、いいわけをしない。2、卑怯なことをしない。3、てめえのケツはてめえで拭く。なので、チビでも負けないなにかを、自分に自信がもてるなにかを身につけてもらわなければ。で、ウチからすぐの中学校の武道場でカラテをやってると聞きつけて連れていったのですね。


 べつに押し付けるつもりもないから、稽古を見学したあとで「どう?」と聞くとやってみたいという。平日の7時、送り迎えしなければならないがまぁ金曜日の夜の仕事は断るか、と。

 娘を入門させて、金曜日の7時に連れて行って1時間、稽古が終わったら連れて帰る。2週間もすると、自分が1時間なにもしないでじっとしているのが性に合わないことがよくわかった。で、自分も入門させていただいて、一緒に稽古することにしたのだ。


 そのときはなにも知らずに、娘の送り迎えのこともあるので8時からの(大人の)一般部でなく、7時の少年部に入れていただいたのだが… まぁそんなこともあるのだろうくらいに思っていたが、それ以後、少年部で稽古する大人は見たことがない。空手道講士館代表・長谷川一之師範は元全日本チャンピオン、厳しいなかにも暖かいまなざしで子供にも武道の心構えをしっかり説く方だが、柔軟な考え方も、それにユーモアのセンスもお持ちの先生で、けっこう例外的措置だったのだろうと、今では思っている。



 空手道講士館。なにもわからずに、ただウチから一番近いという単純な理由でここに入門したことが、どれだけ幸せなことだったか。娘が生まれて以降、人との出会いに恵まれるようになった… 娘が連れてきた運なのか、子供を持つということはそういうことなのか、そのへんは解らないが、素晴らしい師範、先生方や先輩に恵まれ、さんざんお世話になりながら娘は昨年、自分も先日の秋季審査会で、念願の黒帯をいただくことが出来ました。


 稽古を重ねていると、中高大学時代を通じて運動部経験いっさいなく、その後も不健康なミュージシャン生活だった僕は、自分の身体能力の低さに自分で呆れた。柔軟では固い身体に嫌気がさし、基本稽古では上がらない足に憤り、パンチの威力のなさはこりゃドラえもんとたいして変わらんな、と。


 かたや現役選手である若手の先生方は、山田先生は中量級世界チャンピオン、宮島先生は全日本2連覇と超一流。稽古の合間に先生方が技の練習をしていると、その美しい身体の動きに惚れ惚れする。そして、とても同じことをやってるとは思えずに再びガックシとなるのだ。





 それでものめり込んだ理由のひとつは、「こりゃ楽器のコントロールと根っこは一緒だな」と思えたこと。演舞の型や、試合ではその場でアタマをフル回転してやることでは間に合わず、そのために日々稽古を積み重ねて身体の記憶をつくるのですが、これって楽器と全く同じ。その身体記憶をつくるためにひたすら繰り返すことが大切なのも同じ。そしてもうひとつ好みに合ったのは、評価基準がひとつにはならない音楽と違って、試合では勝敗がはっきりしていること。まぁときにはビミョーな判定、というときもありますが。


 今の時代、どのスポーツでもそうですが20世紀に比べると科学的分析が進んだ。強いパンチ・キック、それに流れるような技の連続のためには身体のどこを使い、どこを鍛えるべきなのか。昭和の根性論とは違うアプローチをするようになっている。だから現役の選手は驚異的なパワーがありながら無駄な筋肉は持っていない。シュワルツネッガーが最強の選手ではないのだ。


 そりゃそれなりに代償も払いました。アバラにヒビはいること数回。突き指、肩肘故障数しれず。右肩はもはや完全に元通りにはならないようで、動作範囲がかなり狭くなってしまったし、これからの季節、バイクで寒風にさらされると結構痛む。右薬指の関節も元通りにはならないみたいだしなぁ。ケガするといつも師範が「うえのさん、完全に治るまで組手はやっちゃいけません。元に戻らなくなりますからね」と怖い顔でおっしゃるのだが、そうは言っても治りの遅いシニア、我慢できずに適当なところで「治りましたぁ」と組手稽古に出ていた報いなのですが。


 でも、「怪我の巧名」(文字通り)じゃないけど、ケガしてみて初めて理解した身体のしくみって、結構あるんだ。いちばん突き指しやすいのは指の第2関節ですが、ここをやっちまってもフルートは吹けるしピアノも弾ける。まぁ痛みはしますけどね。指を動かす筋肉の仕組みは複雑ですが、掌よりも総指伸筋はじめ前腕のほうが重要なことが、ケガすると解る。すると、フルートの理想的な「構え」がおのずと見えてくる。まぁこれは屁理屈の類かもしれませんが。


 音楽も仕事にするとイヤでも出くわす理不尽、ブラックな世界。まぁいつもでないとは言え、だいたいがグレー。府中道場にはこれから全日本を連覇するであろう素晴らしい選手、Y君がいるんですが、中学生時代までは空手をやっていたものの高校・大学は野球に打ち込んでいた彼が空手に戻ってきて、茶帯で足踏みしていた僕をあっという間に追い越して黒帯昇段審査を受けるまえ、師範がわざわざ僕のところへいらして「Yを先に(僕を追い越して)昇段させます」とおっしゃった。さいしょは師範何をおっしゃってるのかと思った。僕はもちろん、彼の実力から言って僕より先に黒帯になるのが当然と思っていたし、だいたいがヘロヘロな趣味のシニアと現役選手だし、いくら在籍上は僕のほうが先輩とはいえ、師範がわざわざ筋を通されたことに新鮮な感動を覚えた。そりゃ空手の世界も外ではいろいろあるが、すくなくともここ講士館の中ではわけのわからない、筋の通らないことはないのだ。






 自分が生徒たちに接する姿勢も、こうありたいと思います。
















♪ ていねいな仕事 ♪ 2015/05/23

   


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ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネの看板奥様



 パンとかお米って毎日食べるものじゃない?それが美味しいととっても幸せな気持ちになれるよね。


 このところ、とっても気に入っているパン屋さん。横浜の瀬谷区にあるちいさなパン屋さんなのだけど、ここのパンがハンパなく美味い。どういうふうにかって言うとですね…


 このお店はクロワッサンが一番人気で、もちろんこれも最高のクロワッサンで、「瀬谷の逸品」に認定されてる。でも俺の一番のお気に入りはバゲット。外側のクラストは実に香ばしく、内側はしっとりだが小麦の風味がしっかりしていて、ニッポンでフツーの軟弱なフランスパンより少し硬めのしっかりした焼き上がり。噛めば噛むほど旨みが口に広がる。これとハム、チーズだけあれば(僕は下戸なんでワインは不要)立派な食事で、値段もけっして高くない。

 フランス海外領土のニューカレドニアのバゲットがとても美味かったことを思い出す。ここのバゲットも値段が安く、つまり庶民の日常のひとつだ。全体的に物価が高いニューカレドニアのこと、なにか訳(税率が違うとか、政治的な何かか)があるとは思うんだが…



 豊かになった現代のニッポン、お金さえ出せば美味しいものはナンボでもあります。でもそういうんじゃなく、毎日の生活の中にあるフツーのものが素晴らしい、それが豊かさなんだと思います。てか俺はそう思うんで、自分自身もなるべく日常の中の、手の届く目の前に生きた音楽を提供したいと思っています。


 オジさんこのトシになると恥じらいナイんで、自分がわからないことはスグに訊くから、トーゼンこのパン屋さんのご主人にも「どうしたらこんなに美味しいパンが焼けるんですか?」って訊いたことがある。そしたら一言、


「丁寧に作っているだけです」


 と言われて、結構オドロイタ。いや、丁寧に作ってないと思っていたわけではもちろんなく、同じセリフをその前に2回も聞いていたからだ。



 ひとりはウチの近くにあるラーメン屋のご主人。いずれ改めてご紹介しますがここのラーメンもハンパなく美味い。そしてそれがコケおどしでない証拠は、毎日でも食べたいラーメンなのだ。インパクト重視系は一口めはいいが、完食するころにはモウケッコウになるからね。もうひとりは俺の昭和ポンコツバイクをメンテナンスしてもらっている、調布市下石原のモトショップ・ダブルフットのご主人だ。33歳にもなる俺のGS普段使い出来るのはひとえにこのひとのおかげなんだが、この2人がまるで打ち合わせでもしたかのように同じセリフを吐いたのだ。


 アリガチな、勘違いした精神論のように「技術は足りなくても気持ちで補う」ていう訳じゃない。それこそラーメン屋でままあるように「一生懸命営業中!!」なんてことを店の入口にデカデカと書いたりしない。プロが一生懸命仕事するのはアタリマエ、3人とも確実な技術を持つ、俺が本当に尊敬するその道のプロだ。でもどれだけ技術と経験に長けても、結局、いちばん大切なことはどれだけ「丁寧に仕事する」か、なのだと改めて思った次第。




 そして面白いことにこの3人に共通していることが、3人とも「一匹狼」だということだ。パン屋さんとラーメン屋さんはお店を奥様が手伝ってはいるが、「作る」ことに関しては一人でやる。ダブルフットは従業員なし。そして頑固者(皆様ごめんなさい)であることも共通している。




 バゲット、食べてみたくなったでしょう?お店の場所はここです。




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ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネ


横浜市瀬谷区阿久和西4-4-10 TEL045-391-8033 

 6:00〜18:00  日曜・月曜定休
















♪ アジアのごはん ♪ 2011/08/25


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 仕事柄、海外での演奏が増えてきた頃、はじめて韓国に行ってオドロいたのは、メシがうまいことでした。それも、エラソーな高級料理でなく、庶民が普段フツーに食べているものが、です。道知事主催晩餐会(?)みたいなのに招待されたこともあったのですが、そこでの韓国高級宮廷料理(舌噛みそうじゃ)よりも、ソウルの街中の食堂のほうがウマい気が… その後、バンコクに入り浸るようになったら、屋台めぐりという楽しみが加わって、アジアンジャンクフード行脚に拍車がかかってしまいました。

 場所によりさまざま違いはありますが… インドでも、そらタマには大ハズしすることもあるけど、10ルピー(30円)程度の喰いモノが充分ウマいです。バンコクの、20バーツ食い放題食堂なんかも、こっちが店の経営を心配するくらいウマいですから。

 好みの問題も絡むとは思うのですがね。ボクのばあい、カンペキにB級グルメだし、それと「工場製」の味が極端にダメなんですね。「大量生産系」といいますか、インスタントとか、カンヅメとか、レトルトとかですね。ファミレスも基本的に工場製の味がするでしょ。メシってのは自分で食材買ってきて火入れて、てのが基本の基本でしょ。そこを人任せそれも大量生産になるとあっというまに拝金主義者がロクでもないことを始めるんだよね。見てないのをいいことに。商売の極意はすっかり騙しのテクニックになってしまった。バレなきゃいいって?こちとらダテに舌鍛えてんじゃないんだよ。オンナ子供騙せてもだなぁ… まぁ自分で料理するにしても国内産肉も野菜も信用ならない今日このごろではあるが。

 まぁバンコクのバーミーも、いまや日本ではお目にかからなくなった「○の素」タップリの味ですけどね。でも目の前にすべて見えてるだけはるかにマシ。素直に感心するようなアジをだす屋台のオヤジがいっぱいいます。

 これをウチで、「あのときあそこの店で食べた○○○○の味を再現!」となると、日本では手に入らない食材・調味料が多々あって、断念せざるを得ないことが多かったんですね。10年前に比べればずいぶんとイロイロなものが手に入るようになったとはいえ、「最後の決め手」みたいなものが足りないこともしばしば。たとえば、タイのチャーハン、「カオ・パッ」には、シーズニングソースという、ウスターソースとオイスターソースの中間みたいな調味料がどうしても欲しいんだけど、日本のスーパーでは売ってないわな。ロンドンのサインズベリーがうらやましいこと。仕方ないから以前はバンコク行ったときに買いだめしてきてたんだ。

 それがここにきて一挙に解決したのは、ウチのそばの市場、正確には「大東京総合卸売センター」の中に、アジアンミールという、エスニック食材の専門店が出来たからなのですね。この店がスゴイんだ。韓国・中国・タイ・フィリピン・マレーシアその他、アジア中の食材の、めぼしいものはほとんどあるんじゃないか、という勢い。日本でこれだけの需要があるんじゃろか?と思わなくもないのだが…  若い御夫婦が2人でやっているのだけど、ハーブティーの品揃えもすごくて、最近はずいぶん繁盛している。

 興味あったらのぞいてごらん。

 Asian Meal アジアンミール 大東京総合卸売センター(通称府中市場)内 

042−336−6399


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 ♪「笛吹きインドひとり旅」好評発売中! ♪

代替文

 うえの作家デビュー作、「笛吹きインドひとり旅」、好評いただいています。堅苦しいインドの研究書(?)やガイドブックには載っていないインドの魅力満載! イラストは、フォルクスワーゲンの専門誌等でも活躍中のイラストレーター、二宮 言氏にお願いしました。余談ですが、二宮さんと打ち合わせしていて(彼はニュービートルのオーナーなのです)、なんと同じディーラーにお世話になっていることが判明しました。(世間はせまい・・・) 6月15日には全国書店一斉発売になっております。まだお読みになっていないかたのため(販売促進のため!)ちょっとだけ見せます。


・・・インド滞在5日めにして、そろそろ腹ぐあいがアヤシくなってきた。今回、出かけるまえから考えていたのは、日本からクスリを持っていかないで、腹こわしたらインドのクスリを飲もう、いうことだ。

 食いしん坊の割には胃腸が繊細なボクは、海外で5日以上おナカがもったためしがない。とくにインドは食事が「あれ」だから・・・ つまるところ、毎日「カレー」。むこうではカレーという呼び方はしませんけど。要するにtoo much spicy, too much oilyなのですね。

 で、例のミリオンに、「腹のクスリくれる?」と頼んだら案の定、「ドコガイタイノカトイレニワナンカイイッタノカウンコハカタイノカヤワイノカ○Х△ΩФ・・・・・・」

 あまりにやかましくて閉口したんだけど、文字どおり背に腹はかえられないからね。ちゃんとクスリ買ってきてくれたのはいいんだけど、ミリオンなにを血迷ったか、やおら母性本能発揮して、ほとんど幼稚園児を看病する母親のノリになってきたのにはさらに閉口した・・・



・・・この先をご覧になるには「有料確認」ボタンを押してください・・・





 「日印アナデジ対決2001」ライヴ録音CD発売中(プライヴェート盤)

 2001年10月にラケーシュ・ミシュラ氏(タブラ)、パンカジュ・ミシュラ氏(サーランギ)と共演した、武蔵野芸能劇場でのライヴ録音を限定販売しています。(なくなり次第終了)

収録曲は、・プリヤダナスリ(インド古典音楽) ・PEACE FOR WORLD 2001 (インド古典のスタイルによる新作、うえの善巳共演) ・もみじ(当日のアンコールピース)の3曲です。税込¥1000 TOPページのアドレスへメールでご注文ください。





 「クラシックmeetsダンスビート」一部収録CD発売!

 ここ数年追求(?)してきた、クラシックのメロディとイマ風のビートの合体。今回、ボクのアレンジ1曲と、クラブサウンド業界で活躍中のヴェテラン、岩見正明氏に2曲お願いしたものが完成しました。

 チャルダッシュ(モンティ)/アレンジ・岩見正明

 剣の舞(ハチャトリアン)/     同     

 だったん人の踊り(ボロディン)/アレンジ・うえの善巳

なかなかいいカンジに仕上がりました。「ぴくるす」というオムニバスCDに収録されています。これもプライヴェート版で、残念ながら流通には乗らないので、メールでご注文ください。税込¥2000


































































m(_ _)m


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 うえの 善巳 (よしみ)


フルーティスト、キーボーディスト、作・編曲  ノージャンル

一応、桐朋行きましたが、かなりフリースタイルなフルートなので、普通の優雅なフルートを想像しないでくださいね。







2018/05/20更新


♪ 衣装 ♪ 2018/05/20


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 舞台の衣装は毎回悩みます。なんでも屋なので、そのときどきの内容に合わせた選択は必要だとしても、そこへ「自分らしさ」をどう加えるか、がポイントなわけですね。


 共演者が邦楽の方だったりすると彼らは羽織袴で、あこがれます。やっぱり日本人体型にはあれだよね。でも音楽の内容が、そりゃかなりフリースタイルで邦楽的要素その他がブレンドされてるとは言え純粋な邦楽奏者ではないですから、あれ着てしまっては包装と中身が違います。


 楽器の選択もそうですが、もうン十年も吹いてて自身の好み、欲求もあるていど固まっているのだから、フルオ−ダーしてしまったほうが早いのでは、とも思うのですが、その場合、自身のイメージを正確に製作者に伝えることは容易じゃない。言葉その他で「伝えられる」イメージにはどうしても限界があります。究極は自分の楽器を自分で造ることなのでしょう。衣装も同じくです。






 先週のこと、いつも水曜日に教えに行く戸塚の老福センターへ行く途中でふと目にとまったのが「古布リメイク 雪ん子なかま」というお店。なんとなく気になってUターンしてみると、6畳間ほどの小さいお店です。

 そこで見つけたのが上の画像のもの。画像ではよくわからないかもですが、大島紬の古布をポンチョ風のシルエットに仕立てたもので、黒いアンダーと組み合わせれば、僕の音楽的内容とちょうど良い和洋折衷です。シルエット的には、ちょっと中世ヨーロッパ風を思わせるものもあって、「ハーメルンの笛吹き」がアイドルのひとりである僕にはちょうどいい。



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5/19 青梅遊芸舎にて 清水きよし「KAMEN」


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横浜市戸塚区深谷「古布リメイク・雪ん子なかま」の高木さんと



 今年は8月に、清水さんの韓国公演も予定されているのですが、これを持っていきます。















♪ 好み ♪ 2018/04/07


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 まだ先のハナシなのですが、7月に篠笛のオシゴトを頼まれて先日打合せをしました。

 たしかに篠笛も吹きますが… 邦楽奏者でもない僕に頼む方も頼む方だと思うが、引き受けた以上いいかげんなことは吹けないので、手持ちの楽器をチェックすることからとりかかったわけですね。


 たしかに篠笛も吹きますが(クドいって?)人前で吹くのは年1回あるかないか。その状態で楽器に求めることは、普段の、自身のフルート奏法と共通した部分がなるべく多くあって欲しいということになります。


 今はYoutube上にありとあらゆる資料がありますから、もらった楽譜と桐朋の先輩であるNさんの演奏を照らし合わせてみると、どうも楽器は六本調子らしい。楽譜には八本の記載があるのだが、八本調子では発音不可能な音があるので。やれやれ、移調した楽譜を作るところから始まるわけね。


 六本調子、何本か持っていますが、どれもイマイチ納得いってなかった訳ですね。篠笛はフルート以上にピンキリ、フルート以上に生き物です。毎日に近く吹いていれば、楽器・ニンゲン双方が歩み寄ってくる。でもそうではない状況でのベストセレクトは、本業の笛奏者とは違ってきます。





 特に楽器に凝るほうではないと、自分では思っているのですが、フルートの場合、管体の材質の違いによる音の違いに興味が湧いて、洋銀、銀、金、プラチナ、木管とあれこれ試しました。楽器の好みはある程度の時間をかけて対話しないと解りません。表面上の浅い付き合いならば、よっぽどエキセントリックな相手でない限り誰とでも出来ますが、「自分の本音」で付き合える相棒は、時間をかけて深いところまで対話しないと解らない。そしてその選択には経験がモノを言います。それぞれにいいトコ悪いトコあるからね。

 フルートでの、僕の「現時点での」最良の選択は、管体は薄めの銀管、そこへ少しのウエイトを加えます。ヘヴィ管を選択すれば当然、楽器自体のウエイトは重くなるのですが、それに薄管の楽器とは明らかに吹きごたえが異なりますが、ヘヴィ管の楽器はレスポンス、それにppの音色・響きやピッチコントロールの柔軟性がどうしても納得いかないのです。それらをカヴァーするために歌口を過敏気味に作る手もあるようですが、そうするとppは歌口だけが鳴っているように、僕は感じます。ただ、フルートの製作はハンドメイドの部分が多く、同じモデルでも音は一本いっぽん違います。同じモデル、同じ製作者だとしても、管厚・歌口それぞれ、なにかのパラメーターが異なってそれが音に影響したとしても、ひとつのパラメーターの違いとは言い切れないのです。実験対象が多ければ傾向は掴めますが… そもそもがその状態なのに勝手に改造するわけですから、なるべく客観的な実験結果がとれるように、加えるウエイトは頭部管のヘッドキャップに重さの違うナット(?)を貼り付けて試します。足部管も重さの異なるC足・H足を数本取っ替え引っ替えしてセッティングを出しました。



 まったく、「良い子は真似しないように」状態で、リペアさんに見せたらガンガンに怒られそうです。



 その手を篠笛にも使ってみよう、と思いついたのですね。材料である篠竹の質、熟成の影響が大きい竹製は不確定要素が多いので、初心者用のプラ管を数種類入手して、「吹きごたえ」が一番好みのものを選び(やっぱり薄かった)貼り付けるウエイトの重さをいろいろと替えて、好みのセットアップを出しました。


 楽器は本人がキブン良く吹けるのがイチバン。ブランドも値段も二の次です。





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そういえば、こんなこともやりました。

「笛吹き紙芝居」(これはフルートですが)
















♪ 好み その2 ♪ 2018/04/07


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 XLR125Rのキャブセッティングがようやく決まった。なんだかんだで、許せるレヴェルになるまで1年近くかかったことになる。


 このバイクは、同じ号棟に住んでいらっしゃるKさんが20年前に新車で購入されて、大切に乗っていらしたもの。そりゃあ20年も経って養子に出されりゃあグレもするってもんでしょ。


 ライダーは、ほぼ無意識下でエンジンと対話しながらスロットルワークをしている。バイクのほうは経年劣化して、あちこちが新車の頃とは違う反応になってくるのだが、毎日(じゃないとしても)乗っているオーナーは、よっぽど症状がひどくならないかぎり、やはり「無意識下」で自分のほうがバイクに合わせていることが多い。娘の身長と同じで、毎日見てるとイマイチ変化の実感がない。コイツのキャブもヘタってきていると思います。オーバーホールかな?でももう少し調整で行けそうな…

 単気筒エンジンなのだから、それにコイツのキャブは強制開閉式だから、アイドリングからガバ開けしたらストールするのは当たり前。ですからライダーは「無意識に」開け始めはジワっと開けているわけですが、その「ジワっと」の加減、彼にとってちょうど良い「ジワっと」が、どうも僕のフィーリングと合わなかったのですね。

 発進のたびに毎回、気をつけて「自分の自然な感覚」よりさらに「ジワっと」開ければ無事だが、油断しているとスロットル触ったかさわらないかの時点でエンストする。そのへんの、ほんの開け始めの微妙なところが、おそらくKさんとは違うのでしょう。



 コイツは当初、CDIの不調も抱えていたのですが、完全にエンジンかからないとか、フケないとかではなかったので、キャブセッティング含めての調教の方向性を定めるのに手間取ったわけですね。


 結局、CDIを交換、キャブはパイロットニードル段数とも標準から変えてバランスとりなおし、ようやく「キブン良く乗れる」自分の好みのセッティングになりました。ここに辿り着くまでが長かったぁ。道端でかがみ込んでバイクいじっているオヤジを見て、道行くひとはさぞかし不審に思ったことでしょう。
















♪ 顕在意識・潜在意識 ♪ 2018/01/22


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 心理学での「顕在意識・潜在意識」とは少し違うのかもしれないけれど、楽器を演奏するとき、それにもう一段階外側の音楽を認識するときにも、顕在意識と潜在意識が深く関わっているように思える。


 楽器奏者は、初めて見る譜面、それもややこしい譜面は「譜読み」と称して、ゆっくりのテンポで、ひとつひとつの音を確認しながら鳴らしていく作業から始める。

 この作業は顕在意識でひとつひとつの音を認識しているからにほかならない。そしてそこからテンポをあげていって、指定のテンポ、本来のテンポで、理想は「居眠りしていても吹ける」(弾ける)状態を目指す。自分の場合、16分音符より細かい音符は「潜在意識コントロール」になっていなければならず、対して4分音符以上、さらにカンタービレだったりは「その場意識」が重要な気がする。ボケッと吹いていてはカンタービレにはならない。細かい音符を追いかけることは潜在意識に任せて、顕在意識のほうはその先のこと… 音楽的な表現とか、アンサンブルとか、そういうことを考えられる状態にもっていくわけですね。少なくとも僕はそう認識している。


 やっぱり、いわゆるの「潜在意識」とは違うのかもしれない。潜在意識とは、在ることはあるが、容易には水面上に持ってこられないもののようだから。だから自由連想法とか催眠療法とかがあるわけでしょ? 音楽家が楽器奏法から考えたタワゴトだと思ってください。楽器演奏の場合、運指のデータ、音のコントロールに関するデータ、それにフレーズのファイルなどが、全部は机の上には並んではいないが、書庫にきちんと整理されて収まっていて、しかもインデックスがちゃんとしていてスグに取り出せる状態でないと、みたいな感覚だから。この場合「潜在記憶」ですかね?

 それでもクラシックの場合は、書庫に収納されているのはスケールだったりアルペジオだったりなわけですが、ジャズのアドリブでは記憶してある「ジャズフレーズ」をもう少し手前に置いとかないと… アドリブコーラスが進行しているその場で記憶を繋いで並べていかなければならないわけですから、「机の上」には乗り切らないとしても、「部屋の中」にはブチまけとかないと… それでもアップテンポになると、ほとんど「身体が勝手に吹いている」状態じゃないと間に合わない。やっぱり自分的な感覚でいえば、「場所はちゃんと解っているがブチまけられている」状態で、その中を飛び回って拾い上げていく感覚。決して優等生の学級委員の部屋のように整然とはしていない。お行儀よく「廊下(この場合部屋の中ですが)は走らない」を守ってもいない。

 「お行儀よく」ない要素は発音にも関わる気がする。ジャズ・トーンはクラシックのそれのように十分に準備して、整えて発音していたらお行儀が良すぎだし、間に合わない。もっと「いい意味でザツな」吹き方じゃないと。ジャズ屋がアドリブで吹いている演奏と、それを譜面にしたものをクラシック奏者が「読んで吹く」状態が違って聴こえるのは、そのへんもある気がする。そこのところを、ここまでリクツこねて分析しなくても、聴き手は「無意識下」で、ジャズっぽい演奏とそうでない演奏を判断しているように思う。


 「知識」とか「知恵」のようなものは、顕在意識領域にあるのでしょうか? トシがいけばいくほど、特にシニアの生徒さんをみていると、自身60年、70年(もっとの人も)の経験にがんじがらめにされているように見える。「トシとってから新しいことは覚えにくい」はこのことを指しているのかな?と思う。対してまだ潜在意識コントローラーとしての顕在意識が未熟な小学生は、「よく解らないけど感覚的に捉えた」ことの染み込みが早いこと。



 3学期の練習曲として、「シング・シング・シング」に取り掛かったのですが、「ジャズ」「フルバンサウンド」に馴染みのない南白ウインドアンサンブル、フレーズのリズムを「そこはね、パースパッスパーて吹くんだよ」と「口三味線」で教えると、やれ裏拍だのシンコペだののリクツ抜きであっという間にこなす。みんな天才かと思う。それは映画「スイングガールズ」なんぞカルく超えてる、感動的な世界!!!








 この仕事してると、「事実は小説より面白い」こと、いっぱいあります。
















♪ 踊ってきました! ♪ 2017/12/20



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 娘の母校でもある府中市立南白糸台小学校。ここのウインドアンサンブルは伝統ある吹奏楽部で、レヴェルの高い演奏は毎年、教育委員会表彰をいただいている。



 今回、モロモロの事情があって、急遽このウインドアンサブルのコンサートを指揮することになってしまった! ボヘミアンうえの、学校関係はいろいろと面倒くさいことがあるのでなるべく関わらないようにしていたんですが…

 ひと月前から、連日の朝練。僕も楽器組み立てて一緒にロングトーンしてスケール吹いて。いやあ新鮮な朝を過ごしました。



 いろいろな事情があってのこの状況。最初に指揮台に立った時、子供たちの目は不安の色でいっぱいだった。彼女たちはその前、音楽会を目前にしながら満足に練習が出来ない状態が続いていたわけですね。

 で、吹かせてみたらなかなか上手い。そしてみるみるうちに「やっと吹ける!」気持ちがみなぎってきて、音楽室に豊かな響きが満ちてきた。




 僕はそれを聴いていて思った。今の段階では細かいことは置いといて、彼女たち(彼ら、もごく少数いるんですが)をのびのび吹かせてあげることがいちばん大事なこと。大人の事情に振り回されて大好きな音楽を楽しむことが出来ない状況に置かれた彼女たちの、「楽器が吹きたい!」気持ちを最大限サポートしてあげよう、と。

 そして、僕自身が今まで経験してきたこと… 最初は不可能に思えたパッセージも、積み重ねでモノにできることとか、指揮の先生に信頼してもらって、僕のソロになったら指揮棒を止めて好きなように吹かせてくれたこと… それらこれらがどれだけ嬉しかったか、どれだけ感動したか… そんなことをわからなくてもいいから話して聞かせるのではなく、棒を通して表現しよう、と。



 いいコンサートになったと思います。彼女たちが自信を持つことにも繋がったようで、3学期の練習曲には難曲「スターウォーズ」を挙げてきた。よしよし、一緒に頑張ろう。



 3学期いっぱいだけど、君たちのそばにいます。よろしく。

(その後抜けられない状況に…)
















♪ 森の演劇祭雑感 ♪ 2017/11/13



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 11/2〜5、島根県松江で開催された「森の演劇祭」に、もう30年来のお付き合いであるパントマイム・清水きよしさんの音楽担当として参加してきました。

 「森の演劇祭」は3年にいちど開催される国際フェスティバルで、普段は静かなところであろう松江市郊外の山中(?)4会場を使って催される本格的なイベントです… って、僕も今回初めて知ったのですが。


 行ってみてびっくり。松江市・八雲町の行政や地元の企業、それに多数のボランティアが一体になっての、素晴らしいイベントです。バブル期、そしてそのあと少しの間は「タダのお祭り騒ぎ」的なイベントは各地にありましたが、なんとかミクスの波及効果なんぞゼンゼンない現状、これだけクォリティの高いイベントが地方で行われていることはオドロキでした。文化的な分野ではいまは地方が元気な時代、の感がありますが、20年の年月をかけてこの演劇祭をここまで創りあげたプロデューサー、園山土筆さんの手腕は敬服に値すると思います。



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スイスから参加したアクロバティックなクラウンマイム「Pss Pss(ぷすぷす)」のメンバー




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沖縄の伝統に溢れるミュージカル、「沖縄燦燦」のメンバー





 久々に舞台観まくりました。ほかにも国内の「劇団あしぶえ」の「セロ弾きのゴーシュ」や「人形劇団むすび座」の「父と暮らせば」など。

 あらためて「セロ弾きのゴーシュ」を観て、宮沢賢治は一言も「音楽療法」とは言っていないけど、これはまさに音楽療法の話しだったんだ、と思った次第。音楽を通して、森の動物たち、それにゴーシュ自身や金星楽団の面々も進歩し、癒され、人は(動物も?)パンのみで生きるにあらず、文化と触れ合う喜びを感じるのだ、ということを賢治は表現したかったのだろうな、と再確認しました。実際に自身でチェロを嗜んだ、という宮沢賢治、本当に音楽が好きだったんですね。







 貴重な4日間でした。








 






♪ 不思議 ♪ 2017/09/10



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ミラノの街中で道に迷った親子

(もう10年以上前ですね…)




 この仕事をそこそこ長くやってると、ときどき不思議なことに遭遇する。



 いまではすっかりフツーのポケピン中学生であるウチの娘。彼女がまだ4歳だったころ、イタリアでのお仕事に連れていったのですね。で、その日程のなか、今日はローマ郊外の老人ホームを訪問してミニコンサート、という日の朝、合唱団の指揮者の先生が突然、


 「うえのさん、ちょっと時間余るんで、りんちゃんによさこい踊ってもらえないかなぁ?」


 とおっしゃった。


 娘はそのころ、保育園での運動会のプログラム、「よさこい踊り」を練習していて、たしかに老人ホーム慰問とかではコドモの余興は喜ばれるんで、でもなぁ余興とはいえ音楽会ブチ壊しにならないかとも思いつつ、一応本人に訊いてみると、


 「りんこちゃん、やる!」


 で、老人ホームまでのバスの車中、遠足バスでの不良の指定席である5席並びの最後列で、ヤツはバチの代わりに割り箸を手にして踊りの最初から終わりまでの手順を確認したのち、


 「りんこちゃん、おっけ」


 と言いくさった。


 僕はそれを見ていて唖然としたのだが、なぜって僕も本番前、その日の曲の手順を脳内シュミレーションして、「おっけ」と思えてから舞台に向かいますが、それは長年、舞台やってて身につけたスキルであって、はっきり言って20代のころとかには解っていなかった。

 とうてい4歳児ができることではないと思うんですが…


 でも安心したことに(?)、今の娘の行動を見ていると、先のこと、それに周囲の空気が読めないことおびただしく、そのスキルは消え去ったようです。ではあのとき、確かに彼女がとったあの行動はなんだったのか?






 今日出会った不思議は、世田谷の教室でのレッスン。もう10年以上通ってきているお嬢さんですが、彼女は好みはっきりしていて、クラシックのレパートリーみたいな堅苦しいのは嫌い。アドリブで自由に吹くのは好きだけどメンドくさい理論的なお勉強は嫌い。でもいちばん大事なのは本人がキブンよく吹けることなんで、曲は僕が選んでジャズありポップスありラテンあり、で、うるさいこと言わずに好き勝手に吹かせてたら、ある頃から結構サマになってきた。


 彼女、結構器用な性格なんだとも思うが、モノゴトの伝承って、本来こういうものなのだと思う。正反対に、いくら理論をマスターしてもいっこうにアドリブらしくならない生徒はたくさんいる。理論書とか、フレーズ集とか、もしかしたら五線譜も、進化という名の「便利なもの」が登場して本質が見えなくなっているようにも思う。


 でもね、今日吹かせてたら、倍テンで吹くべきラテンだったのですが、「それらしい」だけでなく、あきらかにラテンアドリブの伝統的なフレーズが混じっているのですね。彼女、「メンドくさいことは嫌い」な性格なんで、決してウチで資料を聴きこんで「お勉強」したりはしない。だいたい自分が吹く以外にはCD聴いたりもしない。念のため本人にも確かめたから間違いない。ではときどきチラつく「伝統的フレーズ」はなんだ?


 僕は教えてない。僕自身の場合、そのテは「お勉強」して身につけた。だから、「エグエスがよく使ってた、マラカもときどき使う」的な説明が出来る。でも彼女、エグエスも、マラカの名前も知らないだろう。


 

 感覚的な把握であっても、何らかの「最適解」を追っていくと似たようなところに着くのか?あるいは… もしかして… ハッピーでフレンドリーなキューバ人の気質を考えるとアリえそうなんだが、リチャード・エグエスの霊が彼女に向かって微笑んでいる?(エグエスにはお会いしたことないので、実際の人物像はわかりませんが)… 4歳頃のウチの娘のように、「霊界通信」出来る能力があるのか?はたまた量子力学で説明出来るのか?

 そして、幼いころにはみんなが持っている能力を、「教育」という名の洗脳を受けたのちにも保ち続けられるのが、「天才」と呼ばれる人々なのだろうか?








 いやあ不思議なことってあるもんですね。

















♪ 黒帯 ♪  2016/11/01



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 8年前、50代を目前にして、フルコンタクト空手を始めた。ことの起こりはウチのチビ娘。娘は超未熟児で生まれ、保育園時代は常にクラスいちばんのチビ。運動会のかけっこも毎回ビリ。保育園のクラスを廊下から覗いていると、集団行動のなかでなにかと遅れをとるウチの娘を、まわりの友達が助けてくれるシステムが出来上がっている。ウチのはそれをいいことにシッパイは周りに助けてもらうのがアタリマエ、とばかりひっくり返したおもちゃを自分で片付けようともしない。


 こりゃアカンと思った。このままでは周りによたれかかってばかり、他人の気持ちなどなんも感じられない大人になってしまう。わが家の家訓は 1、いいわけをしない。2、卑怯なことをしない。3、てめえのケツはてめえで拭く。なので、チビでも負けないなにかを、自分に自信がもてるなにかを身につけてもらわなければ。で、ウチからすぐの中学校の武道場でカラテをやってると聞きつけて連れていったのですね。


 べつに押し付けるつもりもないから、稽古を見学したあとで「どう?」と聞くとやってみたいという。平日の7時、送り迎えしなければならないがまぁ金曜日の夜の仕事は断るか、と。

 娘を入門させて、金曜日の7時に連れて行って1時間、稽古が終わったら連れて帰る。2週間もすると、自分が1時間なにもしないでじっとしているのが性に合わないことがよくわかった。で、自分も入門させていただいて、一緒に稽古することにしたのだ。


 そのときはなにも知らずに、娘の送り迎えのこともあるので8時からの(大人の)一般部でなく、7時の少年部に入れていただいたのだが… まぁそんなこともあるのだろうくらいに思っていたが、それ以後、少年部で稽古する大人は見たことがない。空手道講士館代表・長谷川一之師範は元全日本チャンピオン、厳しいなかにも暖かいまなざしで子供にも武道の心構えをしっかり説く方だが、柔軟な考え方も、それにユーモアのセンスもお持ちの先生で、けっこう例外的措置だったのだろうと、今では思っている。



 空手道講士館。なにもわからずに、ただウチから一番近いという単純な理由でここに入門したことが、どれだけ幸せなことだったか。娘が生まれて以降、人との出会いに恵まれるようになった… 娘が連れてきた運なのか、子供を持つということはそういうことなのか、そのへんは解らないが、素晴らしい師範、先生方や先輩に恵まれ、さんざんお世話になりながら娘は昨年、自分も先日の秋季審査会で、念願の黒帯をいただくことが出来ました。


 稽古を重ねていると、中高大学時代を通じて運動部経験いっさいなく、その後も不健康なミュージシャン生活だった僕は、自分の身体能力の低さに自分で呆れた。柔軟では固い身体に嫌気がさし、基本稽古では上がらない足に憤り、パンチの威力のなさはこりゃドラえもんとたいして変わらんな、と。


 かたや現役選手である若手の先生方は、山田先生は中量級世界チャンピオン、宮島先生は全日本2連覇と超一流。稽古の合間に先生方が技の練習をしていると、その美しい身体の動きに惚れ惚れする。そして、とても同じことをやってるとは思えずに再びガックシとなるのだ。





 それでものめり込んだ理由のひとつは、「こりゃ楽器のコントロールと根っこは一緒だな」と思えたこと。演舞の型や、試合ではその場でアタマをフル回転してやることでは間に合わず、そのために日々稽古を積み重ねて身体の記憶をつくるのですが、これって楽器と全く同じ。その身体記憶をつくるためにひたすら繰り返すことが大切なのも同じ。そしてもうひとつ好みに合ったのは、評価基準がひとつにはならない音楽と違って、試合では勝敗がはっきりしていること。まぁときにはビミョーな判定、というときもありますが。


 今の時代、どのスポーツでもそうですが20世紀に比べると科学的分析が進んだ。強いパンチ・キック、それに流れるような技の連続のためには身体のどこを使い、どこを鍛えるべきなのか。昭和の根性論とは違うアプローチをするようになっている。だから現役の選手は驚異的なパワーがありながら無駄な筋肉は持っていない。シュワルツネッガーが最強の選手ではないのだ。


 そりゃそれなりに代償も払いました。アバラにヒビはいること数回。突き指、肩肘故障数しれず。右肩はもはや完全に元通りにはならないようで、動作範囲がかなり狭くなってしまったし、これからの季節、バイクで寒風にさらされると結構痛む。右薬指の関節も元通りにはならないみたいだしなぁ。ケガするといつも師範が「うえのさん、完全に治るまで組手はやっちゃいけません。元に戻らなくなりますからね」と怖い顔でおっしゃるのだが、そうは言っても治りの遅いシニア、我慢できずに適当なところで「治りましたぁ」と組手稽古に出ていた報いなのですが。


 でも、「怪我の巧名」(文字通り)じゃないけど、ケガしてみて初めて理解した身体のしくみって、結構あるんだ。いちばん突き指しやすいのは指の第2関節ですが、ここをやっちまってもフルートは吹けるしピアノも弾ける。まぁ痛みはしますけどね。指を動かす筋肉の仕組みは複雑ですが、掌よりも総指伸筋はじめ前腕のほうが重要なことが、ケガすると解る。すると、フルートの理想的な「構え」がおのずと見えてくる。まぁこれは屁理屈の類かもしれませんが。


 音楽も仕事にするとイヤでも出くわす理不尽、ブラックな世界。まぁいつもでないとは言え、だいたいがグレー。府中道場にはこれから全日本を連覇するであろう素晴らしい選手、Y君がいるんですが、中学生時代までは空手をやっていたものの高校・大学は野球に打ち込んでいた彼が空手に戻ってきて、茶帯で足踏みしていた僕をあっという間に追い越して黒帯昇段審査を受けるまえ、師範がわざわざ僕のところへいらして「Yを先に(僕を追い越して)昇段させます」とおっしゃった。さいしょは師範何をおっしゃってるのかと思った。僕はもちろん、彼の実力から言って僕より先に黒帯になるのが当然と思っていたし、だいたいがヘロヘロな趣味のシニアと現役選手だし、いくら在籍上は僕のほうが先輩とはいえ、師範がわざわざ筋を通されたことに新鮮な感動を覚えた。そりゃ空手の世界も外ではいろいろあるが