夢、潜在意識が教えてくれること。

中学の頃、大好きで大好きで、永遠の憧れの先輩がいた。

私は異性の方が同姓より氣を遣わずに自然に居られる方だけれど
好きで好きで好きになっちゃうと話は別

遠くから眺めて、でも、氣づいてほしいと願っちゃう、もどかしい、残念なところが。

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ここ何年か、衝動的に突き上げられるような、好き、がわからなくなって
それは、娘や、犬と暮らすようになったり
日々の環境を好きだと思う自然の中に移して
それらを愛する想いに取って代わったのかもしれなかったけれど

私は何が好きなのかを教えてください

と心のどこかで願っていた。

切なくて幸せな夢だった。
私はやっぱり思いを表現できていなかったから。
だけど、大好きな人や環境を目の前に喜んでもいた。

既に、霞んできてしまったけれど。

先輩は芸大に進学し、欧州で作品制作もし、現在も、その延長にあることを生業にしている。
私が好きになったときには、サッカー少年〜スポーツ青年期だったので
まさか、私の憧れてやまないその方向に、先輩が舵を取るとは思いもよらなかった。

アートに、いつも心震えていた。
絵を見て泣いていた。
表現に、生き様に、それをオープンにする一人一人に。

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Emiko superstar

メルボルンの図書館で娘が授乳してというので
その漫画をながら読みさせてもらった。
日本人の祖母を持つアメリカの平凡な女子が
どう自己表現していくか、ひと夏のストーリーで

授乳し、寝かしつけているいる間に読み終えられるほどの量で
Emikoとして表現を開始するまでの過程を垣間見て
勇氣のようなものをもらえた。

好きを好きと表現していこうと決めた。
なにかがすんなりできる人も、そうでない人も
それは人によって様々だから
自分を広い世界で相対評価して縮こまるのではなく

私は私の中を深く泳ぐことで
闇の温かさも冷たさも、光の眩しさや輝きも。