解説 阿木耀子さん 〜ニール・ドナルド・ウオルシュさんのご本その2から 10

 そんな杓子定規な講義を聞きながら、私は本能的に、何か違うな、と感じていた。神様って、もっと大きな存在にちがいない。そうでなければ、この広い宇宙をあまねく統治することなんか、できっこない。 神様が人間を愛してくださるなら、人間を自由にしてくださるはずだ。それぞれの意思を尊重し、私たちが何を選択するかを、見守っていてくださるにちがいない、と心のどこかで感じていた。 思えば、私のこの感覚は、幼い頃に培われたものだ。それは泥んこ遊びをしながら、神様がいつもそばにいてくれることを、素直に信じられた日に遡る。
 この本のなかの神さまは、ユーモラスだ。そして遊び心がいっぱいである。私の知っている神様も、泥んこ遊びがお好きだった。泥で作った乗り物に乗って、宇宙を旅することができる方だった。 私たちはいつから、そういう神様と決別したのだろう。そして、人間のご都合主義で四角い箱の閉じ込め、神棚に奉ってしまったのだろうか。
 『神との対話』は、神様とフランクに話をしたい人のための本だ。神様をはるか頭上に頂き、崇め奉っている人には、きっと理解しがたい内容だろう。この本に書かれていることは、頭で解釈しようとするとわかりづらい。何しろ、神様と人間との対話なのだから。そんなものは存在しないと言ってしまえば、それきりだ。
 でも、この本を感性でとらえると、素直に心に入ってくる。そして、この本が宝石箱だということがわかる。開くと、中にキラキラと輝く宝石がずっしりと詰まっている。 神様と友達になれたら、きっと毎日ときめいていられる。この本を読めば、それも可能な気がしてくる。 「神との対話」の3部作は、私にとって聖書である。学生時代に接した聖書より、ずっと読みやすいし、わかりやすい。何よりもユーモラスで、思わずクスクス笑いがもれるところがよい。神様が身近に感じられるなんて、最高である。この本のおかげで、私は生きることが、楽しくなった。   2002年5月

うん、たのしいです
神との対話〈2〉宇宙を生きる自分を生きる (サンマーク文庫)