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大阪でひとやすみ!プロジェクト

2012-02-20

「放射能からいのちを守る全国サミット」に参加しました

 2月11日から12日にかけて、福島市で開催された「放射能からいのちを守る全国サミット」に参加してきました。
 私たちは昨年5月から「大阪でひとやすみ!プロジェクト」として、移住支援、保養キャンプの開催、一時滞在先の紹介などに取り組んできました。でも時間の経過とともに状況が刻々と変化していることを痛感していたので、他府県の情報を収集すること、就労支援なども含めて様々な団体と連携の可能性を模策することを目的に参加を決めました。
 11日は午前中が事例紹介、午後が分科会とパネルディスカッションでした。分科会は、すでに現場で実践を積み重ねている人たちからの発言がどれも鋭利なリアリティを帯びていて、共感したり驚いたりの連続でした。
 私が参加した保養の分科会での議論は、次のように総括されました。
 1点目は、ネットワークで取り組むことの重要性です。ひとつの団体で抱え込んで疲弊してしまわないこと。保養の団体同士、またはそれぞれが得意分野を持ち寄る形で多様な団体がネットワークを構築することで持続可能性が出てくることが見えてきました。
 2点目は、保養先での食材の安全性を確保するということです。保養の受け入れをする団体も、内部被曝のことを考慮すれば、外部被曝を避けられるからそれでよしとはせずに、保養先で提供する食材が安全なものであるかどうかにも配慮することが重要だと指摘されました。
 3点目は、福島の人々を「支援される人」とのみ位置付けない工夫の重要性についてです。参加者の自主運営をとりいれたキャンプの実践もあり、キャンプを一緒に作っていくようなしかけの必要性があると指摘されました。
 4点目は、情報をなかなかキャッチできない状況の人たちに対する配慮の問題です。保養に関するさまざまな情報は、知っている人はものすごくよく知っているが、知らない人は全く知らないという現状がある。そうした情報格差にどう対応するかも大きな課題であることが語られました。
 5点目は、官民の連携の必要性です。保養に関しても官民の連携が不可欠です。自治体自治体、学校と学校などの結びつきができれば、さらに保養に行ける人数が増える。壁は厚いが、まずは一つひとつ事例をつくって成功させることだ、との指摘がありました。
 
 パネルディスカッションの際に分科会報告があり、どの分科会でも白熱した議論があったことが伝わってきました。その中でも私にとって特筆すべき内容だと感じられたのは、「女子会」の分科会でした。
 福島の若い学生さんから「みんなが放射能のことを真剣に考えていて焦った!」という声が挙がったことからもわかるように、原発震災がもたらした放射能汚染をほとんど身近な問題ととらえずに暮らしている若者もたくさんいます。放射能の怖さを理解したお姉さんたちの、そうした女子たちへの愛情と連帯の意思がこの分科会を実現させたのだと思います。
 出産、結婚差別、自分の健康などへの不安が語られ、放射能と向き合いながら生きると決めたのなら何をすべきかも話し合われました。マスクをする、検診を受ける、食べ物に気をつける、などの具体策が挙げられ、おしゃれな絵柄入りのガーゼマスクも配られました。「お互いを否定せず、ざっくばらんに話せる場づくりが必要です。不安だ!危険だ!から入ると、それだけで逃げて行ってしまう人が出てくる。だからあえて女子会という軽いノリで、事実と気軽に向き合えるプロセスを作ることが大事では」という提起は、非常に的を得たものだと思います。そして、「子どもを守ろう!というのはもちろん賛成。でも子どものいない私たちは保養の行き場もないんだけど、どうしたらいいの?」という問いかけ、胸に響きました。
 
 12日は避難と保養の相談会でした。私たちもブースを出させてもらい、春休みの受け入れプログラムを紹介させてもらいました。学校が春休みに入れば、また懐かしい子どもたちや新しいご家族との出会いがあります。私たちが受け入れられる人数は少ないけれど、そのようにして出会った人たちとつながり続けること、成長を喜び、健康を気遣い合いながら10年でも20年でも支援しきること、それが重要だと痛感した相談会でした。
 春休みは、関西でも様々な保養の企画があります。夏休みほど数は多くないし、みなさんのご希望が同じ時期に集中しているため定員になってしまったプログラムもあります。でも、もしも「春休みに保養で関西に行ってみようかなと思っているけど、なかなか行き先が見つからない」という方がおられましたら、ぜひご一報ください。関西の団体同士でがやがやと連絡を取り合いながら情報を共有しつつやっていますので、いい方法が見つかるのではないかと思います。
お問い合わせ:06-6833-5323(事務局・宇野田) メールは ayupertiwi@rice.ocn.ne.jp まで

2012-02-10

春休みの受け入れプログラム準備中です。2月12日の福島での相談会にどうぞ!

 去年の夏休みのキャンプ、冬休みのホームステイと継続してきた受け入れプログラム。関西でも春休みの受け入れ準備が始まりました。今回も、関西らしい連携プレーで、いろんな人たちが得意分野を持ち寄って、一番いいかたちを見つけていこうと思います。
 春休みは、ご家族で自由に過ごしていただく住居提供(大阪府吹田市大阪市)、食事や日中プログラムを含む住居提供(大阪府豊中市)、兵庫県篠山市神戸市大阪府吹田市でのキャンプなどがあります。
 詳しい募集要項などはまもなくこのブログでも紹介できると思いますので、保養を考えておられる方、ぜひご検討ください。

 春休みの保養を検討するといえば、2月11日〜12日、福島市で「放射能からいのちを守る全国サミット」が開催されます。
http://inochizenkoku.blogspot.com/

私たちも関西の仲間たちと参加します。12日は11時から15時までが相談会となっていますので、お近くの方はぜひぜひいらっしゃってください。北海道から沖縄まで、たくさんの受け入れ団体の方たちがブースを出しますので、直接相談できる機会です。
 私たちも、キャンプのお知らせのみならず、公営住宅など関西のさまざまな受け入れプログラムについても最新情報を持っていきます。
相談会の会場は2カ所あります。北海道から北関東までの団体が「ウィズ・もとまち」(福島市本町2−6)で、東京から沖縄までが「チェンバおおまち」(福島市大町4−15)でブースを開設する予定です。2つの会場はそれぞれ近いので、どちらものぞいてみてくださいね。
「保養ってなに?」「行った方がいいのかどうか判断できない」「どれくらいお金がかかるの?」などどんな質問でもいいので聞かせてください。一番いい方法、プログラムの組み合わせ方などを一緒に考えられたらと思います。
お会いできるのを楽しみにしています!

2012-02-07

冬休みに保養ホームステイを行いました!南相馬の子どもたち滞在記

f:id:yoko1214:20120105181330j:image:medium:right12月25日(日)から1月5日、夏のキャンプに来てくれた南相馬市子どもたちが再び大阪に遊びに来てくれました。年末年始が含まれるためキャンプという形はとりませんでしたが、豊中市の我が家を拠点にして、たくさんの方々に温かく迎えられて楽しい冬休みを過ごすことができました。

 25日はモモの家のおもちつき参加と夜の歓迎会。夏のキャンプで仲良くなったお兄さんやお姉さんがたくさん来てくれて、みんな大喜びでした。
26日は道頓堀に行き「グリコだ!」「大きなカニ!」と大喜び。ひっかけ橋にいるだけであんなに喜んでもらえて、なんだか大阪人としては嬉しかったです。
27日は子どもたちがお野菜を購入している南丹市のやぎ農園さん訪問。帰る途中ではおやつ代わりに餃子をいっぱいごちそうになりました。
28日は海遊館でたくさんのお魚を見たりペンギンパレードに歓声を上げたり。記念写真ではみんな他とてもいい顔で写っていました。
29日は千里中央公園でボール遊びや大型滑り台でたくさん遊びました。女の子は、帰りにダイエーコスメコーナーでも楽しみました。
30日はご近所の坂本さんがおもちつきに招待してくれました。公園でもたくさん遊びました。公園でサッカーをしているところをビデオで撮ってもらい、家で上映会もしました。
31日から1月1日にかけては奈良で温かくもてなしていただき、お寺での年越しを満喫しました。紅白歌合戦も見ました。
2日はちょっと休息したり公園で遊んだり。縄跳びやかるたで遊んだり、何でもない普通のお正月の一日を楽しみました。
3日はお兄さんお姉さんたちと凧揚げやスケートで思い切り遊びました。淀川の河川敷でバーベキューもして、大忙しの日でした。
4日は谷六の蔦屋さんにご招待。そばの実を臼で引いたり、おいしいお蕎麦をいただいたり。大阪城まで散歩に出かけた子もいました。
5日は万博公園でおもしろ自転車に乗りまくって遊んだ後、名残惜しい気持ちでいっぱいになりながら、見送りに来てくれたみんなと手を振りあって夜行バスに乗りました。

 すらすらと書きましたが、この期間中、実にたくさんの方たちが駆けつけてくださり、力強く支えてくれました。おいしいお料理を届けてくれた方、送迎を手伝ってくれた方、目いっぱい遊び相手になってくれた方々など、どの1人がいなくても、これほど完ぺきな冬休みにはならなかったと思います。みなさん、本当にありがとうございました!

 4人の子どもたちは、私たちに会うことを楽しみにして来てくれました。関西の仲間たちも、この子たちに会いたいから集まってくれました。私たちはこの子たちと、健康を気遣いあい、成長を喜びあえる友人として、仲間として、人間関係を丁寧にはぐくんでいきたいと願っています。

子どもたちが我が家に滞在していたときのことです。私が洗濯物の片づけをしたり折り紙を手伝ったり、けんかの仲裁をしたりしているのをにこにこしながらじっと見つめていた5歳のRちゃん。いきなり「宇野田さん、子どもがだいじだね」と言ったのです。私がとっさに意味がわからずにいると、「だって、RやSちゃんやKくんのことがだいじなんでしょ?なんで?」と言って実に嬉しそうな顔で微笑むのです。私はやっとの思いで「え〜、だって、かわいいし、大好きだから」と答えましたが、なんだか涙が出そうでした。
春休みにまたあの子たちと元気で出会える日を心待ちにしています。そして、また春休みに新たな出会いがありますように!

2011-10-01

南相馬市のお母さんたちが話してくれたこと

緊急時避難準備区域の指定が解除されました。
でも、指定解除の記事の横には、プルトニウムストロンチウム検出の記事が並んでいます。
今回解除された区域からも、プルトニウムストロンチウムが検出されています。
プルトニウムストロンチウム猛毒です。なぜこのタイミングで子どもを呼びもどそうとするのでしょうか。
首相も「除染をはじめ学校や幼稚園、病院・診療所の再開などさまざまな問題がある」と言っています。
実際に、9月に訪問した南相馬市除染現場を見た者としては、到底容認できない決定です。

以下は、8月にモモの家さんで開催した保養キャンプに来てくれた南相馬市のお母さんたちのお話です。
お母さんたちのお話を思い出すと、区域の指定解除がどれだけ人の命を軽んじたものであるかを痛感します。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *
たしか6月の終わりごろにかかってきた一本の電話がありました。
南相馬市のOさんからです。「ハッピーアイランド新聞で見ました。キャンプに参加できますか?」
この夏のプログラムをさらに素敵なものにしてくれた、南相馬子どもたちとの出会いの始まりでした。
南相馬市には、警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域、何にも指定されていない地域が混在しています。
地震津波の被害も大変なものだったので、本当に、ことばではいえないくらいたいへんな状況の町だと感じます。

そんな南相馬から、5人の子どもたちがキャンプに来てくれました。
おうちの事情で、子どもたちだけでの滞在となりましたが、お母さんたちが大阪まで子どもたちを送ってきてくれました。
8月15日朝、夜行バスで到着した一行と共にモモの家へ。
せっかくの機会なので、キャンプに出発するまでの時間を使って、南相馬市のお母さんたちのお話を聞く会を開きました。
以下は、その時のお話の内容をまとめたものです。

<Oさんからのお話>
私たちが住んでいる南相馬市は、津波の被害も壊滅的でした。まだご遺体が見つからない方もたくさんおられます。
私たちはいつも海岸沿いにある温泉に入りに行っていました。
その日は中学生のお姉ちゃんの卒業式だったので、偶然にもその日だけは温泉に行きませんでした。
その温泉は、建物ごとすべて流されて全壊しました。もしも行っていたら、私たちは今ここにいません。
福島原発は、運転開始から40年が経過した老朽原発です。
何年も前から、本格的に見直すべきだと専門家が指摘してきたのに、真剣に見直しがされませんでした。
だから、私は福島原発の事故は人災だと思っています。
当時は政府SPEEDIの情報を隠していたので、放射能の汚染がどのように広がっているかわかりませんでした。
だから、自分たちの住む町よりも放射線量の高い地域へと避難した人たちもたくさんいました。
除染は、住民の手でさせられているのが実情です。公共の施設のみ国がするようです。
事故から数カ月がたって、市民がホールボディカウンターによる内部被曝の検査を受けられるようになりました。
なのに、まずは市役所の職員が数十人も検査を受けたそうです。
理由を問いただすと、機械の調子を見るため、などと回答がありました。
私たちはこのことに、大きな不信感を持ちました。まずは市民、子どもに受けさせるべきなのではないでしょうか。
学校を通じて、内部被曝の検査の申し込み用紙が届きましたので、申し込みはしています。
しかし、なかなか順番が回ってこない。わが子も含めて、まだ多くの子どもが順番を待っている状況です。
しかも、6歳以下の子どもは受けられないのだそうです。
その理由は、じっとしていることができないので正しく測定できないから。
それなら、じっとしていられない小さな子どもが受けられる他の検査方法を考えるべきではないでしょうか。
いま、南相馬市は、葉っぱも、土も、虫も触れない世界です。
何かを食べたいと思っても、放射能による汚染が怖くて、結局はお菓子、ジュースしか選べません。
あまり先を見すぎるのは辛いから、今を生きるしかありません。

<Sさんのお話>
医療の仕事をしています。緊急時避難準備区域に指定され、多くの医療スタッフが避難しました。
私のように職場に残ったものは、100人の患者さんを5人でみるような状態でした。
他の地域の病院へ搬送された患者さんも、搬送先では廊下に寝かせられおり、かわいそうでした。
緊急時避難準備区域とは、居住はできるが、緊急時に備えて避難の準備が必要な地域です。
子どもや入院患者さん、妊婦さんなど自力で避難できない人は区域に入らないよう求められ、学校も休みです。
つまり、居住することはできるので、避難された方も戻って来られます。
避難した人が「逃げた」と言われ、関係が悪化してしまう問題もあります。
身内が農家をしているのですが、一生懸命つくっても、ゴミをつくってる感覚だそうです。

<Nさんのお話>
南相馬市では、ほとんど地元の野菜しか売られていません。
私は料理をするのが好きなのですが、スーパーに行っても汚染が怖くて何も買えずに帰ってくることも多いです。
長ネギ食べたいです。キャベツやキュウリも安心して食べたいです。
安全な食べ物が手に入らないと言うのは、本当に大変なストレスになります。
免疫力が大切だと言われても、抵抗力をつけられるような野菜が食べられないのです。

<質疑応答でのお話から>
新聞などに空間線量の測定値が載っていますが、あれは一番低い場所を選んで測定した数値です。
水素爆発発生時に、私たちは屋内退避を選びました。そして私たちは、内部被爆をしました。
心のどこかで、国は最悪の事態の前に何とかしてくれると信じていました。
でも、そうはなりませんでした。
窓を開けることはできず、子どもたちは毎週のように熱を出していました。
今では、窓を開けていても閉めていても室内の線量が変わらないので、窓は開けています。

地震の後、原発事故の影響もあって、南相馬市には何も物資が入ってきませんでした。
卵3個で800円にまで値上がりしました。餓死するんじゃないかとまで思いました。
物資の配給が始まると、おにぎり一日2つ、賞味期限きれたパンでも嬉しかったです。

南相馬市は危険だから避難はしないのかと聞かれることがあります。
高校生の娘は、医療の資格を目指して、ずっと行きたかった学校への進学がきまったところでした。
これまで必死で築き上げてきたものがあまりにも大きいので、母としては深く悩んでいます。
娘は、「内部被爆してるんだったら、死にたい」とパニックになりました。
結婚できないんじゃないか、がんになるんじゃないか、そんな不安もあります。
母が考え込んでいると、娘が言ってくれました。
「お母さんが放射能出してるんじゃないのだから、悩まないで」
「自分よりも小さな妹たちが心配。妹たちだけでも避難させてあげて。保養キャンプへ連れていってあげて」と。
子どものかかえる辛さは、大人の何倍だろうかと思います。

緊急時避難準備区域というものは、あまりにも中途半端すぎます。
危険なのであれば、強制的にでも動かしてほしい。警戒区域にしてほしい。
緊急時避難準備区域ということで、汚染されているにもかかわらず、除線も進んでいません。
多くの人々が、区域の指定が近々解除されるのではないかと心配しています。
解除されてしまったら、汚染されたままなのに、何もなかったことにされてしまうのではないでしょうか。

(モモの家でのお話会での発言を再構成するにあたり、つりちゃんのメモを参考にさせてもらいました。ありがとうございました!)

「ひらのへいらっしゃ〜い」開催しました

8月7日、大阪市平野区のカフェ時空想(ジグソー)で、地域交流イベント「ひらのへ、いらっしゃーい」を共催しました。
大阪市では、福島など東北から避難して来ておられる方々が多く住んでおられるのが平野区東淀川区です。
これは、市営住宅の数が一番多いのが平野区、二番目に多いのが東淀川区だからなのだそうです。

この日は、平野区に転居して来られた3家族9人が参加してくださいました。
日曜日で貸し切りとなったカフェ時空想で、まずはSさんのギターと歌で自己紹介です。
なつかしい「ビューティフルネーム」の間奏で、次々に参加者が名前を言っていきます。
子どもたちがちょっと照れながらもはっきりと名前を言ってくれるたびに大拍手です。
簡単なプログラム説明の後、カフェの裏の駐車場でそうめん流し。
時空想のスタッフの方々とそのお子さんたちが、汗だくでお世話をしてくれました。
ちょっと勾配がきついのか、そうめんの流れるスピードがなかなか速い!
みんなで歓声を上げながらそうめんを捕まえていると、色鮮やかなミニトマトが突然流れてきます。
子どもたちは大喜びで次々にトマトをほおばっていました。
おなかがいっぱいになると、子どもたちは時空想の学童保育に移動して、子どもプログラムです。
スタッフと一緒に色とりどりのスライムを作り、丸めたり切ったり。そのあとは、水鉄砲とシャボン玉です。
道路でみんなで遊んでいると、通行人の人たちが子どもたちを笑顔で眺めながら通り過ぎていきます。
時空想の子どもたちと、平野区に引っ越してきてくれた子どもたちが、工夫を凝らしながら懸命に遊んでいました。
時空想の高学年のお兄ちゃんたちが、小さなお客さんたちの面倒をとてもよく見てくれていたことに驚きました。
カフェでは、大人たちがお菓子とジュースを囲んで話し合いました。
参加者の皆さんがすぐに核心をついたお話を聞かせてくれたので、こちらも背筋を伸ばしてじっくりと耳を傾けました。
地域の小学校の先生も来てくださり、いろいろな立場から意見を交換することができました。
そして子どもたちがカフェに戻ってくると、ゴスペルグループMaryの皆さんがゴスペルを聞かせてくれました。
天使にラブソングを」みたいなものすごい迫力。こんな風に歌えるようになれたら!と羨ましくて叫びだしたくなるほどの歌声とチームワーク。
子どもたちも小さな手で一生懸命に手拍子をしながら驚きの笑顔で聞いています。
最後は、子どもたちとゴスペルシンガーの皆さんでトトロの「さんぽ」を大合唱しました。
時空想さんとの打ち合わせの段階から、手作り感覚いっぱいのイベントにしたいねと話し合っていました。
新しい土地に移り住んで来られた方にとっては、地域に根を張って人脈と歴史を持ち、地域の社会資源をたくさん把握している人たちとまず知り合うことは、きっと役立つことだと思います。
また私たちも、「平野には移住してきた人が多いらしいね」という一般的な知識から一歩進むことの大切さを感じました。
移住して来られた方々と具体的に出会い、交流することで、あっという間に距離感が縮まります。
「あの子、学校で楽しく過ごしてるかなあ」「いい小児科は見つかったかなあ」などと、折に触れて思い出してしまいます。
時空想さんとは、11月23日に第二回目の交流会を計画しています。
平野近辺にお住まいのみなさんとまたお会いできるのを、楽しみにしています!

時空想さんでは、いろいろなイベントをされているので、よかったらぜひのぞいてみてください。
10月15日には久宝寺緑地ファミリー広場で「みんなでやっちゃえ縁日」
11月12日には平野公園にて「平野ふれあいまつり」
そのほかにも、音楽交流サークルや地域おこ交流など定期的な取り組みもあります。

2011-07-31

泉佐野でのキャンプ、無事に終了しました!

泉佐野キャンプ、「トレジャーin下瓦屋南」が無事に終わりましたので報告します。
 26日(火)の4時、4家族14人の参加者が下瓦屋青少年会館に到着しました。
簡単な開会式の後、みんなでわいわいと銭湯まで移動して、まずはお風呂。晩ごはんは、会館の皆さんが時間をかけて準備してくれたバーベキューでした。
 子どもたちは、外で食事をするのも久しぶりのこと、ブルーシートに並べたテーブルの周りにぎゅっとかたまって座り、仲良く食べています。
 このバーベキューには、小出さんも参加してくださいました。実はこの下瓦屋、熊取の原子炉実験所から車で10分程度なのです。参加者の皆さんは、それぞれが抱えていた疑問について、小出さんから一つひとつ答えてもらうことができました。
 晩ごはんの後、子どもたちは体育館の大きなスクリーンでドラえもんの映画を楽しみました。その間に、大人たちはテーブルを囲んで交流会です。3月11日以来、一人ひとりが経験してきたことの重さ、背負っている苦悩や決意の深さを思い知らされる話し合いとなりました。
 福島市のお母さんは、自分の母乳を検査してもらったらセシウムが検出されたという衝撃的な出来事について語ってくれました。
 松戸市のお母さんは、自宅周辺が県内でも最も線量の高いホットスポットとなっていること、それがわかったのが事故からかなり時間がたってからだったために、もっと早く情報開示されていれば避けられた被曝があったのではないかと悔む気持ちなどを話してくれました。
 いわき市のご夫婦は、爆発の直後に長野に避難、そのあとしばらくいわき市に戻ってから大阪に避難したとのこと。私たちは彼らが非常に迅速に動かれたことに感銘を受けるのですが、お父さんは「もっと早く避難していればよかった」と後悔の念を持っておられることを知り、衝撃を受けました。
 ここには書ききれないけれど、さまざまな思いを分かち合うことができました。
 27日(水)、午前中はプールです。市営プールを会館の子どもクラブと一緒に貸し切りで使わせていただき、プールを広々と使いながら今年初めての水遊びを楽しみました。どの子も、思い切り遊べなかった数カ月分を取り戻すかのように、時間いっぱい泳ぎ回りました。
 お昼に会館に帰って、お素麺とおにぎりの昼食。会館の方々の細やかな準備で、大人から赤ちゃんまで食堂でおいしくいただきました。
 そして午後、子どもはペンダントづくり、大人は地域の方々も聴衆に迎えての講演会です。講演は、いわき市の小学校の先生である下山田富戸さんです。
 地震発生時、下山田さんは子どもたちと集団下校中だったそうです。たいへんな揺れが来たので「皆さん、手をつないで座りましょう」と声をかけ、みんなで手を握り合いながらその場に座ったそうです。揺れが収まらず、子どもたちがパニックに陥りそうだったので、「手をつないだまま数を数えましょう」と提案し、みんなで数を数え続けたそうです。数えた数は、120を超えました。3分以上揺れたな、と思っていたそうです。
 そして、水素爆発。未曾有の原発震災となった現地の状況を、下山田さんは具体的かつ簡潔に話します。除染しろと言われても水がない。水素爆発後に「問題ない」と政府が言うから、お母さんたちは子どもを連れて水の配給の列に並び続けた。しばらくたってから子どもたちが工作の時間にメルトダウンごっこを始めた、などなど。学習帳に「牛がたくさん殺されてかわいそう」「放射能で汚染されているから水は飲めません」など新聞の切り抜きとともに書き綴ってくる子どものことに触れ、子どもたちが相当程度、現状を理解して耐え抜いていることもわかりました。
 聴衆の方たちの中には、新聞やテレビで見聞きしていることと全く違う臨場感と緊張感に満ちたお話に、戸惑いを隠せない人もいたようでした。
 この日の夜は、2日間の遊びで疲れが出てきたようで、子どもたちは早い時間からすやすやと眠りました。
 28日(木)も午前中はプールです。水質検査で幼児プールがしばらく使えないと分かり、2歳や3歳の幼児たちも、大人に抱っこされて大きなプールに初挑戦です。プールの行き帰りには、ねこじゃらしやクローバーを摘んだり、石を拾ったり。放射能の汚染をそれほど心配せずに自然と触れ合えることを喜ぶお母さんたちを見て、子どもが育っていくために当り前なそんな環境が奪われてしまっていることの理不尽さを再認識させられました。
 プールが終わって会館に帰ると、館長さんが前庭に大きな鉄板を出して焼きそばをたくさん焼いてくれていました。おなかぺこぺこの子どもたちは焼きそばを平らげ、またまた遊び続けていました。
 今回のキャンプでは、避難の途中の人、避難を検討するために大阪に一時的に滞在している人、もう大阪に移住して来られた人など、いろいろな立場の参加者がおられました。あまりたくさんのプログラムを詰め込まず、話したくなったら話し、休みたくなったら休む、そんな雰囲気を目指しました。
 全く知らない同士だった子どもたちは素晴らしいチームとなりました。自然の中で遊びながら、小学生が小さな子どもを気遣い、年下の子どもがお兄さんやお姉さんに甘えていく様子は、心が洗われるようでした。おうちの方々も、忙しい日常や放射能の不安などから少し距離を置いて、一息ついてもらえたのではないかと思います。そのような場に一緒にいられることができて、私たち大阪のスタッフが一番幸せなひとときを与えられたのかもしれません。
 こうした取り組みができたのは、食事や宿泊、集会などについて全面的にお力を貸して下さった会館の皆さんのおかげです。すべてについて至れり尽くせりの心遣いをいただいたはまのさん、ほんとうにありがとうございました。「東北の人たちのために何もできない私に、こんな機会を与えてくれてありがとう」とおっしゃった、その温かい気持ちは忘れられません。
 毎朝4時から朝食のパンを焼いてくださったことについては「被災地から避難してきている方たちなんだから、買ってきたパンなんてもう食べ飽きてるやろ?だから、手作りの焼きたてパンを食べてもらいたいねん」との考えがあったそうです。
 大阪の人も、大阪に来てくれた人も、子どもたちも、新しい友と貴重な出会いに恵まれました。このつながりを、いつまでも大切に育てていくことが、持続可能な世界を未来に手渡していくことにつながると感じています。