アセンションへの旅(皆で一緒に幸せになろう!)

2007-06-04 アセンションすること

yoko162007-06-04

アセンションへの旅を書き始めて、

ちょうど6ヶ月が経過しました。


私としては、まだまだしばらくこれを続ける、と

思っていたのですが、「アセンションへの旅」は、これで

終わり・・、との天啓が唐突にやってきました。


ええっ・・。


地球の癒し方」を書いた時、『完璧』と言う声が聞こえてきました。

完璧? ・・・一体この文章のどこが完璧? と自分でも

突っ込みたくなるようなその言葉に驚きました。



それもなんだか、その声はお祝いのように喜んでいる感じなのです。

私は何がなんだか訳が分からず、自分的には、納得がいかないまま、

今日になりました。


そして朝一番に、なぜか急に『アセンションへの旅はこれからも

ずっと書いていくんだよね?』と聞いてみたくなりました。

すると、速攻で『いいえ』の答え。


「えっ?ずっと続けていくんじゃないの?じゃあ、どうするの?」

その答えには、『別のブログをはじめる』と指令がやってきました。


これまで、ここには5次元に移行する時の心構えと肉体の変化に

対応する為の内容を綴る、ということでしたが、今度のブログ

書くのは、5次元に移行した後のモデルとなる意識の在りようと

実際の状態を書き綴っていくことになりそうです。


アセンションは、夢物語ではありません。

単なる現実の続きです。

アセンションしたからと言って、空を飛べるようになったり、

いきなりヒーラーになったり、超能力者になったりするわけでも

ありません。(笑)


社会もいきなり、戦争のない平和な世界に変化するわけでもありません。

アセンションは、夢物語でも、不思議なことがいつでも起こって、

自分の望みが叶う世界になるのではなく、ただ私たち自身の意識状態が

変わるだけに過ぎないのです。


自分の足を地につけておく事を決して忘れないで下さい。

5次元になっても一見、何一つ変わりません。私たち自身は、唐突に超能力を

発現し始めるわけでもなく、半透明な身体になるわけでもありません。


けれど5次元に変わる時、私たちは意識レベルの変更を余儀なくされます。

意識レベルが変わる事、それが私たちが体験する5次元への移行です。

意識レベルが変わる事は、思考回路が変わることです。


意識レベルが高くなることによって、自動的に私たちの思考回路は

変更されます。

それによって、これまで自分にとってこだわりや執着の対象だったものが、

それほど意味のなかったものだったことに気付くでしょう。


今、私たち3次元の世界では、経済にまつわることがもっとも価値あるものと

されていますが、5次元のモデルでは、それはすでに古いものに過ぎません。

次のブログではそのことについて、もっと具体的に触れていく事になりそうです。



また次の世界では、意識の高さこそが真に価値あるものと、理解していただくための

水先案内として、次のブログを書いていく事になると思います。



と言うわけで、このアセンションへの旅のブログは、これで終了です。

次にお目にかかるのは、別の場所の別のブログと言うことになりそうです。



このブログを楽しみにしていてくださった皆さん、どうもありがとうございました。

これからは、また新しいタイトルでブログを立ち上げることになっています。

人間的には、このまま続けていく形の方がずっと楽なのですが、なぜかそれでは

いけないらしいのです。

その理由は、今の所、私にも分かりません。


私のHPエンジェルサポートを立ち上げて以来、ずっとこんな調子ですから、

なじみのお客様は、『ああ、またか・・』と苦笑していらっしゃるかもしれません。(^^;)

エンジェルサポートが魂の声に従うものである限り、このスタイルは変わらないものと

思われます。(突然終了の憂き目に遭ったりするのも・・・)



ともあれ、私はただ魂の声に従うだけ・・・。

新しいブログを読みたいと思ってくださった方は、私が主催するエンジェルサポートのHP

ご覧下さい。

http://www.h6.dion.ne.jp/~ange16/

用意ができ次第、こちらに新しいブログのアドレスをUPする予定です。

ご縁がありましたら、新しいブログを見に来てくださると嬉しいです。

しばらくこのブログはここに残し、本を作成した後、消去する予定です。


こちらからのお知らせが欲しい方は、メルマガ『魂の学び』にご登録ください。

『魂の学び』まぐまぐ

http://www.mag2.com/m/0000181800.html

新しいブログやイベントのお知らせなど、こちらからお送りさせていただきます。



それでは、短い間でしたが、『アセンションへの旅』をご愛読くださいまして、

ありがとうございました。

YOKO

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しゃぼんしゃぼん 2007/06/04 22:31
おめでとうございます。

そして、ありがとうございます。

きっと地球さんのアセンションが完了したのでしょう。

新しい時代の幕開けです。

これからもよろしくお願いします。

幸せになる。時空から
幸せである。時空へ・・・

なななな 2007/06/04 23:35 いままでコメントは一度もしたことはありませんでしたが、
ある方のブログの日記で紹介されていたのを拝見してから、
密かにずっと読んでいました。第一章!?はこれで最後ですね。
形を変えて、また続くのですね(*^-^*)

michikomichiko 2007/06/05 09:00 YOKOさん、ありがとうございます。最初からとても楽しみに拝見していました。どう表現してよいか分かりませんが、ここに書かれていることは私の心にしっくりきました。私は音楽をしています。オーラハーモニーってとても素晴らしいですね。私も同じようなことが出来たら本望です!やっとコメントできて嬉しいです。新しいブログも楽しみにしています。

yoko16yoko16 2007/06/06 13:43 しゃぼんさん、ありがとうございます。
完了とはいいがたいものはありますが、次の指令という
事ですので、とにかく黙々と従います。
こちらこそ、よろしくお願いします。

ななさん、ブログを読んでくださってありがとうございます。
はい、そうですね。形を変えて(表現を変えて?)続いていくようです。もし、どなたかがこのブログから何かを得る事があるなら、私がこれを書いた意味もあるのだろうと思います。

michikoさん、コメントありがとうございます。
最初からお読みくださってありがとうございます。
また新しいブログで、ぜひお目にかかりましょう。

yoko16yoko16 2007/07/06 16:31 もうすぐ、阿蘇でオーラハーモニーを行います。
その後は、横浜です。
ご縁のある方、ご一緒しましょうね。

HPの「つれづれなるままに・・」アップしました。
http://www.h6.dion.ne.jp/~ange16/

HikariHikari 2011/01/30 20:50 はじめまして!私もアセンションについてのブログを持ってるので、相互リンクしたいんですけど、できますか?私の「リンク集」にあなたのブログを載せてもいいですか?
あなたのプロフィールの「ここ(地球)は私のいる場所じゃない、私の本当の故郷に帰りたい」を読むと、私もYOKOさんと同じ家族なんだって感じがします…*_*☆

HikariHikari 2011/03/28 22:59 YOKOさん、こんにちは。
あなたと連絡を取りたいのですが、どうしたらいいでしょうか?
ここにしかコメントできないのでしょうか?^_^
4月17日に予定している滋賀オーラハーモニーに、オーラハーモニー体験だけ、1000円で参加したいと思っているのですが、まだよくわからないことがあります。もっと詳しい情報がほしいのですが、また違う方法で連絡取れないでしょうか?
よろしくお願いします^_^

ありがとうございました。ありがとうございました。 2014/06/01 20:33 yokoさん
りんごの種の件でお問い合わせさせて頂きました五十嵐です。
記事、すべて拝見させて頂きました。
とても勉強になりました。
ありがとうございました。

ご苦労様でした。

これからもご活躍を祈っております。

2007-05-29 地球(自分)の癒し方

yoko162007-05-29

心の問題を解決するために

何ができるか・・・?、ということで、

意識してみると、ふっと私の心に浮かんだのは、

小さな地球


両の手のひらにすっぽり納まるほどの大きさの小さな小さな地球

私の目の前の宇宙に浮かんでいました。


それは奇妙にところどころ赤黒く、別のところは焦げたように黒くなっていて、

私のイメージする瑠璃色の地球の美しさはありません。

傷ついて、息絶え絶えに横たわっている地球の女神の姿が見えました。

白い顔をした彼女は、それでも地球に生きる人々を愛してやまず、

自分の子供である人間たちが、彼女をこれほどまでに苦しめたにも関わらず、

なお愛し続けるその姿は、痛々しくもあり、神々しくもありました。


赤黒い大地は、人々の怒りをあらわし、焦げついたような黒色は、

人々の絶望を現わしているのだ、と私は気づきました。

地球の大地は、この黒色のエネルギーに覆われようとしていました。



あら? 今ふと思ったら、 ・・この感じ・・・。どこかで見たような・・・?

ああ、思い出しました。

ネバーエンディング・ストーリー』です。

このストーリーの世界に虚無が襲い来て、何もかもがなくなってしまう・・・!!

消えてしまう・・・というもの。


なんだか、これに似ています。

虚無・・むなしさは絶望に変わり、人は生きる気力を失い、自暴自棄になり、

時に暴力的になり、何もかも壊してしまいたくなる・・・。

もし人がそんな状態にあるとしたら、その人はきっとこの虚無の力に侵されているの

です。


でもこのお話では、一旦すべてが消え去ってしまうけれど、小さな一つの光から

すべてのものがもう一度新しく生み出されていきます。

どんな世界も思いのまま・・・。


新しい世界を思い描く時、人は本当の自由を夢みるでしょう。

今の自分に科せられた(と感じている)がんじがらめのしがらみなど何一つなく、

自らなりたいものになり、ありたい状態であることが許される世界・・・。


人の本当の喜びを何か皆さんはご存知ですか?

私たち人間が実は、心の底からそうしたいと欲しているものが何か、

あなたはその欲求をご存知でしたか?


それは、「人の役に立ちたい」という思いなのです。

人間というのは、どんなに欲が深くて残忍であっても、本当はその心の底に

人の役に立ちたい、という思いが隠れているのです。

こんな言葉をあなたは信じられないかもしれません。


そんな人を見たことがないかも知れません。

でも、それは単にその人たちがそれに気づいていないだけなのです。


人は生きている以上、誰でも人に認められたい、と言う思いを抱えて生きています。

人に認められて初めて、自分は生きている!と言う喜びを感じるものです。

『あなたがいるから嬉しい』『あなたがいてくれて助かった』『あなたは、私にとっ

て大切な人』

そんな風に、心の底からあなたを認め、受け入れてくれる場所を人は常に

求めています。

でも、人は大人になるまでにその素直な感情を違うものにすり替えて行きます。


人に文句を言ったり不満をぶつけるのは、その典型的な例で、自分の心の中の感情を

上手く処理できないでいるのです。

でもこの人たちの心にあるのは、たとえ口では何を言おうが、自分を認めて欲しい、

愛して欲しい、ということなのです。

子供の頃、この大切な素直な感情を受け入れられずに育つと、その思いはゆがんで

発現するのです。けれど、この心はたいていの人の心の中にあります。

もちろん、私の心の中にもあります。


たいていの親は、そのことに気づいていませんから、その大切な部分を

知らずにないがしろにしてしまうのです。

それは、その人たち自身もまるごと受け入れてもらった経験がなかったからなので

す。



神は、自分に似せて私たちを創りました。

私たちは、神が自分を経験するために、この世界に創られたのです。

何しろ、一人では「自分を経験すること」は、できません。

だから、たくさんの人を作り、自然を作り動物を作り出しました。


様々な経験をするためです。

それは、神が自分を経験するために、創られたこと・・・。

だからこそ、私たちは人の認証を必要としています。

人の認証によって、私たちは生きる喜びを見出し、人によって怒り、

人によって悲しみ、人によって嬉しさや楽しさ、あらゆる体験を

経験するように私たちは形作られたのです。


だからこそ、人は他人の認証を必要としています。

だからある人は、切望と言ってもいいほどの強さで、他人からの賞賛

注目を勝ち得ようと努力するのです。

努力がいやなら、犯罪を犯してでも、成し遂げようとするのです。

もっとも、それとても努力を要するのですが。


人の認証を求めることは、ある意味とても自然なことなのです。

恥ずかしいことではありません。

ただ、それをどのように表現するかで、その人のレベルは変わってきます。

私たちは、魂のレベルを上げるためにこの世界に存在するのであって、

認証の為に生きているわけではありません。


必要以上の欲求は、欲求とは呼ばれず、欲望と変化します。

精神に支配されている間、本当のことが見えてくるようにはなりません。

同じ映画を観ても、人の価値基準によって、面白さは千差万別です。

人と自分の感想が違うことに気づくでしょう。


私たちは、自分の価値基準に従って行動しているために、

自分の価値に従わないものを敵とみなす傾向があります。

それはまだ、正義か悪かの二元性の中に生きることです。

でも、その中にどっぷりはまっていても、誰も幸せにはなれません。


心の問題を解決するために、苦しみをぶつけても何もなりません。

むしろ、それが自分に戻ってきて、大変な思いをするだけです。

人の言葉に左右されて、心が動く時、必ずあなたの心の中に、

何かが存在しているのです。


私は、最初に見た小さな地球は、再生する必要があるのだ、と

思いました。

それは、まさしく私の心です。

私の中に現れたのだから、私の地球なのです。

私は、自分の地球を美しい元の瑠璃色の地球にしたかったのです。


怒りと絶望には、平安と希望を与えて、水をやり、元の美しい緑の地球

姿を取り戻させましょう。

愛の緑の光で地球を包み込み、穏やかさと優しさで包みたい・・・。

この地球が本来の光を取り戻し、輝かしい瑠璃色の光を放つまで・・・。


不思議なことに、地球が自分の中で輝きを取り戻した時、

私の心も平安と安らぎを取り戻していました。

自分を癒す方法がこんなところにあったとは・・。


自分の地球を癒す事は、すべての人にできることです。

怖れや怒りや不安を感じたら、ぜひ一度、イメージで自分の地球

癒してみてください。

やり方は簡単です。

ただ、愛の光でイメージの地球を包むだけ。


心の問題は、心の中にしかないので、平安を取り戻せば、

何事もないかのように、自分の中は平和になるのです。


苦しい時には、一度お試しあれ。

もし何も起こらなくても、少なくとも副作用はありませんから。(笑)




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しゃぼんしゃぼん 2007/05/29 23:25 こんばんは。

私は地球が大好きです。(月も太陽もね)
日本も大好きです。

秋の空は綺麗だし。
五月の新緑も綺麗だし。
夏の太陽も
雪景色も大好きです。

そんな自然が大好きなのはもちろん

実は、地球の重力が大好きです。

重力のおかげで楽しい!

重力って縛り付けられているイメージがあるけれど

みんな重力のパワーでどれだけ楽しませてもらってるかを
意識していない。

重力最高!

みんな地球に遊んでもらってる!
私の地球は笑ってる!

yoko16yoko16 2007/05/31 20:22 しゃぼんさん、コメントありがとうございます。
地球は笑っているんですね!
素晴らしいですね。

子供のように自分を喜ばせてあげること、
それができるのは、心に素直さがあるからですね。

しゃぼんしゃぼん 2007/06/04 22:18 大きな波の中で転がりまわるのが大好きです。

まるでお父さんに遊んでもらってるようです。

圧倒的な力で遊んでくれます。

幼いころ父がしてくれたように。

母なる地球が育んでくれました。
父なる地球が遊んでくれました。

本当に地球が大好きです。

子供のころ父と母が好きだったように。

地球は私たちを愛してくれています。

父と母が愛してくれたように。

お父さん、お母さん、ありがとう。

地球さん、ありがとう。

2007-05-24 考える事と意識する事の違い

yoko162007-05-24

今、私、実はものすごく眠いんです。

自分がなぜそんな時にパソコンを開いているのかもわかりません。

でも今、このタイトルで「ブログを書きなさい」、との要請に従って、

パソコンの前に座っています。


多分また、考えずに書け、ということなのでしょう。

というわけで、今日のタイトルは、『考える事と意識することの違い』を

書こうと思います。


滋賀県は、今日とっても暑いです。

我が家は、琵琶湖に近いせいか、様々な鳥がたくさんやってきます。

今もベランダの外で、愛らしく美しい小鳥たちの歌が聞こえてきます。


でもこの小鳥達の声が美しいと感じるのは、今この時、私の心が穏やかだからです。

だから、小鳥の声が歌に聞こえ、太陽の光がまるで降ってくる宝石のように見えます。

それは、今この瞬間、私がそのように意識しているから。


私の心の状態を、今の感情は映しています。

もし、私がイライラしていたら、小鳥の声よりもむしろ、道路を走り去るトラックの音が

気になっているでしょう。

それをうるさくて仕方がないと感じながら、これを書くことでしょう。


『頭で考えること』は、物事の一部分だけを切り取ったものの見方をさします。

なぜなら、どこか一点に意識を集中させて、それについて考えなければ、考えというものは

まとまりを失うからです。その行為は、ものの見方を狭めてしまいます。

だから高次元からのメッセージでは、いつもいつも「考えるな」と言われるのです。


それに対して、『意識すること』は、物事をまるごと受け止めること。

まるごと受け入れて、初めて意識することができる。

この場合の意識する、は、良いとか悪いとかいう観念からは

自由になったものを指しています。


『こうなろう』『ああなりたい』は考え。

『こうあろう』『こうなる』は、意識なのです。



「考え」は、私たちを迷路に迷い込ませますが、

「意識」は、私たちを自由にします。



『考え』からは、悩みが生まれます。

『意識』からは、光を見つける事ができます。



私たちは、いつも自分の在りようを、見つめる必要があります。

考えに支配されている間、私たちは真の幸福からは遠いのです。


「意識すること」を覚える時、人は、自分の足にかけられた見えない鎖を

解き放つことができます。


本当のことは、いつもシンプルです。

使い古された言葉の中に真実は存在しています。


よく耳にするからと言って、その本当の意味を私たちが

理解しているとは限りません。

むしろ、全く理解していないことがほとんどでしょう。

私も友人もメッセージを受け取るたびに、過去の観念の中から、その言葉の意味に

見合ったことを探そうとしてしまいますが、結果はいつも、惨敗です。(笑)


その時頭で考えて、解釈することは結局何の役にも立たなかったことが、

どれほど多かったことか。


考えることを放棄する、と言うのは何も考えるな、という意味ではありません。

悩むな、という意味には取れるかも知れませんが、本当は「意識して生きなさい」

という意味です。


意識することは、慣れないと意外に難しいものです。

試しに、いつも右手で歯を磨く人は、今日から左手で磨いてみてください。

靴を左足から履いてみてください。いつもとは反対の足から踏み出してください。


意外なほど簡単に思えるこの行為が、しっかりと意識していないと、

いつもと同じ行動をしてしまう自分に気づくでしょう。



これは、わたしたちに染み付いた習慣のなせるわざですが、私たちの「考え方」もまた、

これと同じように習慣づいています。

もし、あなたが何でもマイナスに考える癖が付いているとしたら、

どうやってプラスに転じることができるでしょう?


マイナスの考えは、あなた自身の行動をすべてマイナスへと導きます。

逆にプラスの考えは、あなたをプラスの方向に導くでしょう。


これは習慣力と呼ばれるものです。

この力は、私たちが意識しない限り崩れることはありません。


ここで皆さんにおたずねします。

あなたはいつもいつでも、自分が幸せだと感じることができているでしょうか?

もしノーなら、自分が不満や怒りを持った時、一瞬立ち止まって、意識してみてください。


『今私は、プラスの思考で考えているだろうか?

マイナスの思考で動いてはいないだろうか?』と。


物事は、すべてが自分の意識によって形作られています。

あなたが何を意識するかによって、そのすべては変化します。

あなたの今の感情、あなたの今の状態、あなたの今の考え、すべてあなたが

自分の力によって、作り出したものです。


状況によって、あなたの感情や考えが生まれたのではありません。

あなたがそう意識し、そう考えたから、あなたの感じる状況がうまれたのです。


まず、意識ありきです。


何を意識するのか、それをまず心に決めましょう。

自分を不幸にするのか?それとも自分を幸せにするのか?

それもまた、あなたにしか決められません。



諦めも時には必要ですが、自分の望みは、最後まで諦めないでいれば、

必ず叶うものです。

意識することを実行していくことは、自動的にあなたの望みを

叶える生き方になっていくでしよう。



後は、実行する勇気を持つこと、それだけです。



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よしえよしえ 2007/05/24 20:07 今日はわたしも眠くてしかたありませんでした。(笑)
またアルパを人前でひきたいな〜、聴きたいと思ってくれている人達の前で・・と思っていたその日の晩に電話がなって1年くらい連絡をとってなかったひとから、弾いて欲しいと依頼がありました。(笑)
この力はわたしにも使えるぞ・・・。次はどうしようかな〜。(笑)

しゃぼんしゃぼん 2007/05/24 23:43
今日は頭が冴えてお目目パッチリです!
さ〜考えるぞ〜(笑)

意識的に生きる!

それは、意思です。

意思は愛です。

あれ、もう考えが終わった!(笑)

もっと考えたい〜

あ、そうそう

アルパってどこかで聞いたと思ったら最近ラジオで上松美香て人が故郷の安曇野から生演奏してた。それを覚えておこうと携帯からパソコンに「あげまつみか」ってメモメールしていたのでした。さっき受信箱さがして「あげまつみか」っていうのを見つけて(見てなかった)「あげまつみか」で検索したらアルパってでてきた。あ〜そうそう、思い出した。

これは、シンクロニシティー?

安曇野って感じの演奏でした。

yoko16yoko16 2007/05/26 14:23 自分の思いで、現実を引き寄せる・・、これが望みを叶える力ですね。あんまり力入れないくらいの方が、すんなり叶いやすいですね。と言うのは、軽い気持ちなので、否定的な意識が生まれにくいからなんですね。

しゃぼんさん、考え終了おめでとうございます!!(笑)
後は、新しい世界に向かってまっしぐらですね!

2007-05-23 人の心には宇宙が在る

yoko162007-05-23

って、まだ大分の続きも書いてませんでしたね〜。(^^;)


おほほ・・。(汗)


なんとなくタイトル変えたかったもので・・。


大分でのオーラハーモニーは、すでに楽しかった〜としか思い出せない

状態になってしまいました。(笑)

友人によく「yokoちゃんの過去は、もう過去世なんだね」と冗談を言われるのですが、

それはまさしく本当のことかもしれません。


だいたい普通にしゃべっていたはずなのに、後になると、

何にも記憶がなくなっている事は日常茶飯事です。

それなのに、その時のことを相手の人は克明に覚えていて、

後で『yokoさんにあの時、こんなことを言ってもらって助かった』なんて

よく言われます。

でも、私は何にも覚えていない。

それで私は『ああ、それは私じゃないから。』と思うこともしばしば。(笑)

親友の言うことには、私は相当な巫女体質らしいので、たいていその時も知らず知らず

何かにつながっているのでしょう。


だいたい、オーラハーモニーも正にそういうこと。

私は、単に身体を貸してエネルギーを通しているだけであって、

私が決めて声を出しているわけではないのですね。

だから、その光の通り道になっている自分をどれだけ透明にするかだけが

大切なわけなんです。


どんなエネルギーもメッセージもその人を通してやってくる。

だから、その人のエネルギーに染まったら、純粋なエネルギーは、ゆがんでしまう。

そこで私が一番、気をつける必要があると思っているのは、そこに

一部でも自分を差し入れないこと。


ただ私はその光を受け取る媒体だから、通り道をぴかぴかにしておくこと、

それだけが私のやることだと思っています。

後は、その器にふさわしいエネルギーがやって来るのを待ちます。

だから当然、私が変わればやって来るエネルギーのレベルも質も変わります。


人という存在は、人間の器の中に入っているけれども、

その本質は光ですから、望めば、その瞬間にいかようにも変わる事ができるのですが、

たいていの人はその力を信じていません。

つまり、本気で信じていればできるのです。信じることで一番強い意識って、

何かご存知ですか?

『知っている』ということなんですよ。(笑)

皆さんも知ってる事を信じることはできないでしょう?

知っている事は、信じるよりも強い意識、つまり「信じる」、は未来形だけれど、

「知っている」は、過去形なんです。この意味が分かったら、あなたは信じることから

知っている事に変える準備ができた事になりますね。(^^)



私がオーラハーモニーという名前をつけたのは、以前からあるものには、

たいてい『〜協会』なるものが存在していて、誰かが決めた決め事があるので、

それに支配されるのを望まなかったのです。


全く誰にも知られていない、0から出発することで、自分の望むまっさらな状態では

あったけれど、その分『一体、オーラハーモニーって何なんだろう?』という疑問が

ありました。自分が決めたのに、自分が不安に思うなんて、どういうこと?

と思われるかも知れませんが、これも基本的には『これをしなさい』という魂の指示のもと、

それに従ったのであって、実のところ『オーラハーモニー』として自分の中で確立するまで

には2年の歳月がかかりました。


その時までは、ずっと自分の頭が勝っていて、人に『理論的』に説明するにはどうしたら

いいか、とそればかり悩んでいました。私は、自分で言うのもなんですが、結婚するまでは、

仕事に関してはかなり有能な方であったろうと思います。

いくつもの職場でそういう評価を受けていましたし、実際力仕事以外なら、たいていの事は

こなせる自信がありました。

しかし、それは現実世界でのことであり、この自分にとっても未知の『オーラハーモニー』が

いったい全体、どういうものなのかが、私にも全く計り知れず、どうにか数値に置き換えて、

客観的にその存在の意味を知りたい、と切に願っていました。


それは、何にも知らない他人に説明するため、と自分では信じていたのですが、

実のところ、自分の頭を納得させるためだったのだ、と後になって気が付きました。

その事に気が付いた時、私はオーラハーモニーを今の科学で計ろうと努力するのを

やめました。心の奥底では、そんなことに何の意味のないことはわかっていたのです。


数値がどんなものであろうと、オーラハーモニーの本当の価値を測れるものなど、

まだこの世界に存在していないことくらい、頭のどこかでも分かっていたのです。

ただ、自分がそれを仕事にして拡げて行くにあたって、まず私は、自分自身を納得させる

必要があったのでした。


最初に、大きな屋外のコンサート会場のような場所で、オーラハーモニーを歌う自分の

ヴィジョンを見たとき、自分の心の中に『ありえない』という気持ちと同時に

「気持ちいい、最高!」という思いが同時にありました。

そして、私がオーラハーモニーをやってみたい、と思うようになった最大の理由は、

この時のあの心地よさを体験したい、という思いからでした。


自分の中から溢れてくる、湧き上がってくる不思議な何か・・・。

それが何か、その時にはまだ、形にして表現することは叶わなかったけれど、

その『思い』こそが、私にとって啓示だったのだ、と今の私にはわかります。


抑えようとしても抑えきれない、大きな感動にも似た情動。

私は、その波にさらわれることを望み、その大きな光の渦の中に

入っていくことを望みました。

そして私は、それが自分がここに生まれてきた、本当の意味であると、

頭ではなく、感情でもって、確信したのです。


もっとも、それが分かってもまだ、それで何をどうすれば、いいのかは

さっぱり分かっていませんでしたが。(笑)



ただその後、自分がこれをやりたい、と感じることを少しずつ形にしていくことにしました。

感じて、実際に行動に出ること、それが自分の道につながっていく・・、と当時は

分かっていたわけでなかったのですが、自分の強い直感と突き動かされるような情動に

従って行動することによって、本当の自分とは何か、本当の自分の使命が何なのか、

理解する事ができたのです。


もちろん、その間には、様々な助けとサポートが入り、人間的には悩み続け、

それが苦しい時期もありましたが、結局のところ、私は自分が本当に望んでいたのは、

『人類すべての進化を助けること』だったのだ、と思い到った時には、

その意味する大きさに自分でも、相当驚きました。

けれどその事は、すうっと私の心の中に入ってきて、本当にそれがしたかったのだ、と

それまでで一番、落ち着いた納得がありました。


そして、それが『オーラハーモニー』という形をとったのだ、と。

人間の私は、人の進化を助けるなんて大それた事をなぜ考えるのか、と思います。

けれどもう一人の私が、それは考えたことではなく、私という存在がそのように

在るべくして、ここに生まれてきたのだ、教えてくれました。


いくつもの過去世を自分で見て、私は過去にも何度も同じことに挑戦してきていたことを

知りました。そして自分が、元々は違う星からこの地球に志願してやってきたこと、

人は私の事を『選ばれし者』と呼ぶけれど、私は選ばれたのではなく、

私の魂がそれを選んだのだと感じること、私の魂が今の自分の在り方をとても喜んでいること。


今でも、頭では、まだ理解できないことだらけです。

けれど、不思議なことは、どんな質問にも答えられないと感じないこと。

その答えは、無尽蔵に私の中からやってきて、私に答えを教えてくれる・・・。

私はただ、それを翻訳して、人に伝えるだけ・・。


私の中には、ありとあらゆる知識も答えも詰まっていて、ただ私はそれを

言葉として吐き出すだけ・・・。

そのように感じます。だから、求める必要もない。そこに在るのだから・・・、と。



たいてい敏感で、奇妙な能力の持ち主の子供だった私は、自分が20歳になる頃までには、

死ぬか狂うかするだろう、と思っていました。

あまりにも奇妙な体験の為に、自分の神経はそれ以上持たないだろう、と

思っていたのです。


そこで、私はこの世界のありとあらゆることをできる限り、吸収してから死んでやろうと

考えました。それが小学生の頃だったと思います。

それから私の知識への探求は始まりました。学校の授業は退屈な上に、

僅かなことしか教えてはくれない。そこで私は最大限に図書館を利用して、

一日にどれだけ知識を得ることができるかに、挑戦していきました。

一日20冊もの本をすごい勢いで読みふけり、その知識を我がものにしようと

躍起になっていたのです。


その頃読んだ、北欧の神オーディンの話にその時の私は強い共感を覚えました。

オーディンはあらゆる知識、叡智を得るために、彼は自分の片目を贄として差し出すのです。

私はそれを読んだ時、私も片目を失ってもいいから、その知識が欲しい、と

心の底から思っていました。

今思えば、そんなことを考える小学生って、ちょっとぞっとしますね。(笑)


そうこうしているうちに中学生になり、相変わらず本の虫だった私の耳に、

妹達が見ていたアニメの歌が飛び込んできました。


その歌はこう、歌っていました。

『人の心には宇宙がある・・・』と。


それを聞いた瞬間、私の頭のなかで何かがスパークしました。

その時、唐突に私は悟ったのです。

『そうだ、本当に人の心には宇宙が在るんだ・・・』と。


そして気づいたのです。自分の中に宇宙が在るということは、

すべては、私の中に存在するということではないか・・・?

それなら、世界中の知識も実は、私の中に存在するのではないか・・・?


私は、正に宇宙の図書館を自分の中に持っているのだ、と突然直感したのです。

それならば、私は無理して自分の外に答えを捜し求める必要はないんだ・・・、と

奇妙にほっとしたことを覚えています。



それが「アカシックレコード」と呼ばれるものだったことは、もちろんその時の私は

知る由もなかったのですが。


それから、私は外に知識を探求し続ける事をやめてしまいました。最も、本の魅力に

取り付かれているのはいまだに変わらないのですが。(笑)


そして、そのアカシックレコードは皆さんの中にも存在しています。

私たちが望みさえすれば、その図書館は開かれ、あなたに答えを指し示します。

その答えは、もちろんあなたのレベルに合わせてやってきますから、

最初は何のことか分からないかもしれません。


あなたの魂のレベル、受け取っても良いレベルでしか、アカシックレコード

内容は明かされません。

というか、逆ですね。知識はいつでも開いているのですが、その人が受け取れるレベルに

なっていなければ、どんな言葉も意味をなさない、というのが本当のことでしょうか。


自分の魂を磨くことは、私たちは自分の本当の姿・・・、大きな光で在ることに

近づくことです。

自分の魂の光に気づいてください。



あなたが魂であることにまず気づき、そこから行動していくならば、あなたの人生も

あなたの周りの人生もまるで違ったものになるでしょう。


あなたは、これまでと全く違ったものを自分の人生や世界に見出し始めるでしょう。

愛はいつでもあなたの側で息づいています。


あなたがただそれに気づくだけで良いのです。

神はあなたの側で、いつもあなたを愛していることに気づくなら、あなたの人生は

輝きを増すのです。

(注意:私は宗教とは全く無関係ですので、誤解しないでくださいね!笑)


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よしえよしえ 2007/05/23 10:15 頭で考えないほうが気持ち良い今日この頃です。
小・中学生のころって、世間のことは良くはしらなかったけど、自分の世界はたしかに力をもっていました。
今その力が復活しています。やっと、もどってきた感じです。

yoko16yoko16 2007/05/23 13:17 おめでとう、よしえさん。
それが本当の自分に近づく、ということですね。

たぁぽんたぁぽん 2007/05/23 13:22  はじめまして いつも読ませていただいてます。
わたしは霊感とかはないと思いますが、感受性が強くて幼い頃から、色んなことに気づつきやすく、頭痛や肩こりに悩んできました。
数年前から精神世界に興味をもつようになり、これは「神様がそろそろ気が付きなさい」っていうメッセージかなって最近、思うようになりました。
 yokoさんのブログ大好きです。これからも読ませてくださいね。

yoko16yoko16 2007/05/24 08:47 たぁぽんさん、コメントありがとうございます。
確かに、それは気づきのメッセージですね。ご自身の本当の気持ちに従っていくことで、あなたの魂が一番望んでいる所へ行き着くことができます。それは、現実のあなたを幸せにしてくれます。ブログ読んでくださってありがとうございます。コメントもいつでも大歓迎です。

しゃぼんしゃぼん 2007/05/24 23:27 こんばんは

私って渡しです。ん?

”私”って”渡し”だと思います。

”あっち(宇宙)”と”こっち(世界)”の”渡し”が”私”。

♪矢切の〜私

私って変な字だな〜と今思った。

しゃぼんしゃぼん 2007/05/24 23:32
私っていうのは、今ここに居る私を指しているのでなく

私という言葉一般を指してのことです。

ん〜言葉って面倒くさい!レベルの低いコミュニケーションツールだ!

2007-05-16 オーラハーモニーin大分

yoko162007-05-16

大分でのオーラハーモニーが終ったら、

ちょっとゆっくり?かと思っていたら、

まだまだなんだか毎日がばたばた・・・。


でも、大分でのオーラハーモニーは最高でした。

あ、えーとオーラハーモニーが何か、たいていの人はご存知ないですよね。


オーラハーモニーは、音(声)と波動によって

場と人のエネルギー調律するワークです。

これはヒーリングと違って人を治したり癒したりするものではなく、

その人の本来の在り方へと導くものです。


オーラハーモニーの名は、天使が『あなたは場と人のエネルギー

調律するマスター』と言ってくれたことから私がつけた造語です。

ですから、今のところ、後にも先にも『オーラハーモニスト』は

私しかいません。(笑)

だからご存知なくても当たり前ですね。


この言葉が光と共に私のところに降ってくるようにやってきた時、

私の魂の中で、私はこのお仕事をするのだと決めていた気がします。

もっとも、人間の私は一体、誰がそんなことをするの? と思っていましたが。(笑)


そう言いながらも、今色々なところに出向いて、オーラハーモニーを

行っています。

そんな自分がちょっと不思議かも。(^^)


毎回、同じテーマでやっても、その会場によって、空気もパターンも人も違うので、

内容は全く異なります。今回、滋賀東京、大分で同じテーマでやりましたが、

その全部に参加してくださった方も、どれも全く違う、とおっしゃっていました。


もちろん、波動調律するオーラハーモニーそのものも全く違うのですが、

その他、筋力反射を利用したキネシオロジーの使い方や実際の体験の中身も全く違っていたり、

今回の大分では、参加者全員のオーラを皆さんに見ていただいたり、オーラって

こんな風に見えるんだ・・・なんて実感して下さった方もいらっしゃったのでは

ないでしょうか。


実際、お互いのオーラに触れてもらう体験では、『えーっ、何で風が吹いてるのー?』とか、

『暖かくて手が汗をかいてきました。』とか、『その人が近づいてくると圧迫感を感じます。』

など、それぞれの人が目に見えないものの存在を身体で認識する事ができたようです。


そもそもオーラは、私たちの本来の姿であって、肉体はその中に少し形を作って存在しているに

過ぎませんから、肉体を敏感な状態にしておけば、誰でも必ず感じているものなのです。

ただ、学校や親からそのことを学ばなかったので、それがどういうものか、

知らないだけなのです。


私たちの人生の半分は、思い込みでできています。

オーラに関しても、ほとんどの人が視える人は、はっきりと極彩色で見ているのだろう、と

思っているようですが、決してそうとも限りません。

はっきりと克明に視力で見るように見える時もあれば、頭の中に突然ビジョンの

ように映ることもありますし、はたまた、ただぼんやりと陽炎のように視える事だってあるのです。



はっきりと、「りんごが赤いと見えるように見えなければ、見えたとは言わない」などと

思っているなら、それこそ思い込みというものです。

だって、オーラが見えると主張している人が、どんなものを見ているか

どうやって理解できるというのでしょうか?

あなたが思い込んでいるものを見ているとは、限らないのです。


少なくとも私の体験から言って、「不思議」と思われるものに遭遇した時、

私が思っていたような姿かたちで遭遇したことなんて、ただの一度もありません。

例えばかなり前、こんなことがありました。


その時の私は、夫とそれまでにないくらいの喧嘩をして、

とんでもないくらい怒っていました。


「それで、明日は絶対、市役所に離婚届を取りに行ってやる!!」とすごい剣幕で、

お茶碗を割りそうな勢いで、洗い物をしていたのです。

その時の私は、容易に想像できると思いますが、頭の中は夫に対する怒りで

いっぱい。他の事を考える余地なんてこれっぽっちもありませんでした。


それなのに。


唐突にその声は聞こえてきたのです。

『まぁまぁ、許したってぇなぁ』と、間の抜けた関西弁が。

思わず反射的に振り向くと、いたんです、そこに。


黄色のクマの天使が。


いや、冗談だと思うでしょ?

でもね、確かにいたんですよ、黄色いクマのぬいぐるみに羽の生えたような天使が。

大きさは30センチくらいで、しかもべたべたの関西弁で。(笑)

パタパタ小さい羽根を動かして。


でもその時の私は、ものすごく怒っていたので勢いが止まらず、思わず

「あんた誰っ!」と聞き返していました。


すると、そのくまの天使ちゃんは、またまた関西弁

『わいはなぁ、あいつの守護天使や』と、私の夫をさすではありませんか。

そして、なおも『この辺であいつを許したってぇなぁ』と言い募っています。


それを聞いた瞬間、あまりにおかしくて、私は腰くだけになりました。

夫の守護天使がこんな可愛い関西弁のクマだったなんて、と思っただけで

おかしくておかしくて、もう私はその時、何で怒っていたかも忘れてしまいました。


だって、想像しただけで笑えませんか?

自分の夫の守護天使がくまのぬいぐるみの天使で、

べたべたの関西弁しゃべってるなんて。


それからすっかり仲直りした私たち夫婦ですが、あの時、あのクマちゃん天使が

現れてくれなかったら、あの時本当に離婚していたかもしれません。


そしたら今、私は生活に追われてこんなことを書いている場合

じゃなかったかも知れません。


それにあの時、あの姿で天使が現れてくれたからこそ、私は

怒る気力をなくしたのであって、もし、私の想像するような美しい姿をした天使が

現れてまともに『あなたの夫を許してあげましょう』なーんて、言っていたら

きっとあの時の私なら、逆ギレしていたに違いありません。(爆)


今思えば、その時のそんな私の心理を理解していたからこそ、

そんな姿で現れてくれたんだろうなぁ、やっぱり神様っているなぁ、と思います。

もちろん、後にも先にもこの天使を見たのは、これ一度限りでしたけどね。(笑)

(もう一度見てみたいです。笑)


って、話がどんどん脱線してしまいました。

という具合に、いつも私の予測のつなかい事だらけなんです。

オーラハーモニーをお仕事にすることだって予想外。


子供の頃から、この奇妙な人の見えないものを見てしまう、自分の状態が嫌で嫌で、

絶対、そういうものには、自分からは近づくまい、と心に決めていたし、

まさか自分が魂のお仕事を自分から進んでやることになろうとは、

夢にも思っていなかったのです。



それでも結局、生まれ持った能力は消すこともできず、

自分にとっては、迷惑だと思いながらも、長年付き合ってきて、

このお仕事をはじめて、ようやく、自分のこの能力を容認することが

できるようになったのです。


あらら、これだけ書いたら、またまた長くなってしまいました。

続きは、また次回・・・。

あ、そうそう、次のオーラハーモニーは、6/17に滋賀でやる予定です。

http://www.h6.dion.ne.jp/~ange16/aurahar-s.htm


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bear☆bear☆ 2007/05/16 16:42 今日も面白かったです!
私も天使に遭遇したいですね〜
クマの天使見たら本当おかしくなりますよね。yokoさんの
「あんた誰っ!」にも笑ってしまった。きっとyokoさんだから
見えたのですね。
本当に人には生まれもった使命があるような気がします。
私はいったいなんなのかな・・

bear☆bear☆ 2007/05/16 16:42 今日も面白かったです!
私も天使に遭遇したいですね〜
クマの天使見たら本当おかしくなりますよね。yokoさんの
「あんた誰っ!」にも笑ってしまった。きっとyokoさんだから
見えたのですね。
本当に人には生まれもった使命があるような気がします。
私はいったいなんなのかな・・

bear☆bear☆ 2007/05/16 16:43 間違って2度送信してしまいました。
すいません!

yoko16yoko16 2007/05/16 22:52 bear☆さん、ありがとうございます。
私だから見えた・・、というより、その時は
私に見せてくれたんでしょうね。
きっと、あまりにも怒っていたから。(笑)
いまだに時々、その天使を思い出すと笑ってしまいます。
それがたとえ妄想だったとしても(いや、そんなことはないですよ。笑)、私を思い直させてくれたのだから、やっぱり天使のお仕事だったんだと思います。

本当に、すべての人には使命があるのだと思います。
生まれる前に自分の選んだ使命が。

それを見つけるのも、魂の学びなんですね。

yoko16yoko16 2007/05/20 08:03 何人かの人にコメントが書けない、という連絡をもらいました。
なぜでしょう・・・? 最近、はてなの調子が悪いのかな?

よしえよしえ 2007/05/20 20:47 大分のオーラハーモニーにいってきました〜!
とっても手応えのあるワークでしたよ。
ハーモニーを聴き終えた後、トンネルからぬけたときみたいにくらってしました。それは単に、肉体的反応だったんだけど。

心の腹筋がしなやかになりました!!
ドヨ〜ンってはまらなくなりました。
余計な事考えないで楽しく淡々としていられます。最近。
水彩画なんかもはじめちゃいました。

みんな〜おすすめです。
是非いってみてくださいね。

yoko16yoko16 2007/05/23 08:05 よしえさん、オーラハーモニーに参加してくださってありがとう。参加してくださる方達が、それぞれお互いを指してあの人は変わった、軽くなった、明るくなったと私に漏らすので、ある意味すっごく面白いです。(笑)
皆さんがどんどん素敵になって、何より幸せになっていくのを見せていただくのは、私の楽しみです。
それを見ると、オーラハーモニーをやっていく気力が生まれます。

2007-05-11 何が善で何が悪か

yoko162007-05-11

「何が善で何が悪か」この言葉の二元性に振り回される間、

私たちは本当のことは何もわからない、と前々から思っていました。


誰しも、自分の正義を振りかざすけんかや、争いや戦争のもとに

なっているこの意識。

これに振り回されていても、何一つ解決しないのです。


例えば、かつては世界一安全と謳われた日本も、今や

安全な国とは言い難い国になりました。

子供が外で一人で遊ぶこともままならない世の中に、

ため息をつきたくなる人も多いでしょう。


少なくとも、私が子供の頃には、幼い子供が理由もなく、

道端でさらわれたり、暴力を振るわれたり、さらには、

殺害されるなんて事はありませんでした。

けれど、今は子供が遅く帰ってくれば、親は誰かに襲われたのではないか、

誰かにさらわれたのではないか、などといらぬ心配しなければならない

世の中です。


それを社会が悪い、犯罪を犯したらその親が悪い、

それをきちんと取り締まれない警察が悪い、ひいては、

こんな国にした政府が悪いといえば、いくらでも、

悪者を作り出すことができますね。

でも「誰かが悪い」と言っている間、何にも解決しませんよね。

かといって「自分が悪い」、なんて思っても結果は同じです。


良い、悪い、という観念の中では、結果はこの二つしかありません。

『良いか、悪いか』です。


人間としては、この意識にのっとって、

あの人が悪い、この人がいけない、という気持ちがあるのは事実ですが、

冷静になってみれば、この『決め付け』からは何一つ生まれてこないことに

気づくのです。


犯罪が凶悪化すれば、罰則を厳しくしようと言います。

けれど、罰則を強化したところで、犯罪はなくなることはありませんし、

犯罪を犯した子供の親をなじってみてもどうにもなりません。

考えてみれば、自分の子供を犯罪者に育てようなんて思う親が

どこにいるでしょうか?


先日、ニュースを見ていたら、こんなことを放送していました。

生徒が荒れてしょうがない学校で、それを調整する仕事をする人に

荒れる生徒達をまかせることにしたというのです。


その調整役をやる人は、元暴走族の総長をやっていたといいます。

けれど、あることがきっかけで、暴走族をやめ、また後には

その暴走族の仲間でボランティアをはじめたという、

とてもユニークな経歴の持ち主でした。


その人は学校にやってきて、荒れた少年たちを、

決して叱ったり、声を荒げたりすることはなく、

まずは仲間に入り、信頼関係を作ることからはじめていました。

そしてさりげなく、問題のない方に誘導していくのです。


もちろん、時には真剣勝負のやりとりもありますが、

彼は荒れた少年達の心の中に、土足で入り込むのではなく、

彼らを本当に愛しい子供たち、として扱っているのが

わかりました。

頭ごなしに分からせようとするのではなく、

心を開かせて、相手に寄り添うのです。


そうすることで、彼は少年達の本当の信頼を勝ち得ていました。

それを見たとき、私はなんだかとても感動しました。

彼は決して、職業だからその仕事をしているのではないのです。

彼は、心から子供たちの為に行動しているのであって、

その仕事は、彼にとってライフワークなのだろうと感じました。


その人と生徒の間には、心からの信頼関係が出来上がっていくのが見えました。

その人への信頼が、子供たちを変化させていきました。

そして、あれほどまでに荒れていた子供たちが、卒業式では

誰よりも先に、涙を流して泣いていました。


私はそれを見たとき、これなんだよ!と思いました。

人間の私はまだまだ修行不足ですから、年中子供とけんかしていますし、

それを反省する毎日ですが、頭からいいとか悪いとか決め付けられた瞬間に、

相手はその通りの行動を取り始めるのですね。


ほら、思い当たるふしはないでしょうか?

「お前が悪い!」と決め付けられると、なんだか相手がすごく憎くなって、

逆に相手が悪い、と思うものなんです。

すると当然、言動も行動も荒くなりますよね。

ところが、逆に『あなたは本当に優しい人ですね。』なんて

言われると、その人の前ではなんとなく、優しくなれてしまうんです。


人間って、自分の意志で動いていると思っているのですが、自分の行動の大半は、

思い込みと、相手の自分に対する態度への反応だったりします。


相手をどのように見るかは、結局「自分自身をどのように見ているか」の

雛形です。

何しろ、相手を通して自分を知るのですから、相手に対する思いは、

まさしく自分の自分に対する思いに他なりません。


人をさげすんで見ていれば、その人から恨まれます。

そのさげすむ相手は、本当はあなた自身です。

逆に憧れを持つ人もあなたのもう一つの写し絵です。

すべての人は、あなたの中にいるから、あなたの世界に存在するのです。


「何が善で何が悪か」と決め付ける事は、自分自身にレッテル

貼り付けているのと同じなんですね。

自分自身を変えることは、なるほど、自分の世界を変えること・・・。

私が見て感じるものは、誰でなく、私自身のものなのですね。


一番大切なのは、『何が善で何が悪か』ではなく、「どうすれば幸福か」を

意識する事だと思います。

この一瞬に、どの思考を選び取るのか、そのことが私たちに

幸せも不幸ももたらすのです。

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bear☆bear☆ 2007/05/11 16:52 書き込みはしてませんでしたがいつも読んでました。
今日のブログも心に沁みわたりました。
いつも愛をもって生きることを心がけてはいますが
ついカッとなってしまう自分に対し
「まだまだだね トホホ・・」と反省しきりです。
でも確実にいえることは以前に比べ確実に嫉妬、ねたみ等からは
離れてきているようです。心で相手を認めることが出来るように
なりました。今が一番心が落ち着いています。
みんな仲良くしようよ〜楽しい事しようよ〜てな感じです。
子供に愛が足りないよね〜なんて言っていたら
最近「はいはいまた始ったね〜」なんて感じで流されて
しまいますが、きっと何か感じてくれるものがあると
信じてます。
まだまだ葛藤はありますが、これからも自分に正直に
愛を持って生きていきたいです。(照)

yoko16yoko16 2007/05/12 08:14 bear☆ さん、コメントありがとうございます。
私も思いっきりbear☆ さんと同じです!(笑)
素直である事がこんなに楽で、自分を幸せにしてくれるとは
知りませんでした。心(愛)が一番、頭(思い)は二番!あ、次からこれで行こうと思います。(笑)

しゃぼんしゃぼん 2007/05/16 00:11 学校の先生ってやっぱり偏ってますよね。良い悪いじゃなく。

先生の心を広くするより、色んなタイプの先生を学校に置く方が話が早いかもしれないですね。先生である必要はなく、責任を持っている社会人ならいいですね。

一人一人の心を広くするのは大変ですが、社会全体なら色んな人がいます。

誰かに分かってもらえれば救われますからね。

分かってあげる努力をするより分かってあげれる人を連れてきたほうが早い。

自分の子供でもすべて親が理解してやるのは無理があります。
親にもいろいろ好き嫌いがあるから。
でも自分でなくてもいいから誰か分かってもらえる人が子供に現れればいいですね。けっして親である必要は無い。できればそうありたいですが。

親の理想にはめ込みたいですが、子供に合った人とめぐり合うことを祈るのも親の愛だと思います。たとえそれが親の価値観に反するひとでも。

親って辛いな〜。

しゃぼんしゃぼん 2007/05/16 00:19
心(愛)が一番、頭(思い)は二番!

頭も二番目なら使っていいんですね!

よかった〜。頭使うの好きなんです。(笑)

yoko16yoko16 2007/05/16 08:19 しゃぼんさん、ありがとうございます。
親が子供を全部理解する、なんて無理がありますよね。
子供はいずれ親を越えようと変わっていくものだから、
私たちにできるのは、本当にただ見守るだけなのだと
思います。

見守って、傷ついたらいつでも幼い時のように
帰ってこられる場所を作ってあげること・・・、
必要なのはそれだけのような気もします。

「頭も二番目なら使っていいんですね!」って
言葉にウケてしまいました。(笑)

2007-05-08 アセンション、その後

yoko162007-05-08

って、こんなこと書いている場合じゃないくらい、

毎日ばたばたしているんですが、なぜか書いてますね。(笑)


アセンションしたって言ったって、何にも変わらないねー、と

言うのが友人と私の二人の感想。

本当にあまりにも変わらないんで、拍子抜けするほどです。


うちに来てくださるお客様達は、「YOKOさんの側にいると軽いです」と

言ってくださったんですが、うーん、本人はその自覚すらないんです。(笑)


友人と二人、「別にアセンションしたら超人になるとか、悟りを開いてすごい人に

なるなんて思ってなかったけど、せめて感情的でなくなるとか、穏やかになるとか、

怒りっぽくなくなるとか、そんな変化もこれっぽっちもないよね。」

と言い合っています。(笑)



ただ「思いは重い」、と自覚したので、なんだか、感情の中にのめりこまなくなった

気はします。でもなぁ、これも別にアセンションしなくっても気づけば終わりやん、

と思ったりして・・。(笑)

まぁ、私たちのアセンションは、魂のお仕事の一環だったわけですから、

それでどうこうという訳ではなく、これも楽しんでいるのですが。


そういう意味では、「先にお風呂に入る人」って表現は我ながら秀逸だったかも。(ぷっ)


そう早い話、これならどんな人もアセンションできる!と思いました。

5次元って、すごい壁でもあるのかと思っていたのに、越えてみれば、何のことはない

グラウンドの白い白線みたいなものじゃない?

3次元の意識だった時には、超えられない大きな壁に思えたのに、

越えてしまうと、ものすごく楽でシンプルなものに見えるんですけど・・。



って、 あ、違いといえば、これですね。

意識。


うん、やっぱり意識は軽くなったみたいです。

苦しいのは、思いがあるから。

大変なのも思いがあるから。



3次元の私は、この思い(考え)がものすごく大切なものだと思っていました。

それを大切に大切にして、真理を振り捨てても、心の中に入り込む

「思い」こそが大事なものだと思っていた気がします。


たしかに大事だった・・・。

けれど、それは今の私にとっては、なんだかとても重いものに感じる・・・。

何か違うとしたら、この一点。

たったこの一点こそが前の私と今の私を分かつもの・・・。



違いは、精神に支配されない自分というものがこんなに楽なのか、と

感じることでしょうね。きっと。


苦しいは、くさかんむりに古いと書きます。

薬は、くさかんむりに楽と書きます。

ふと思ったのは、なるほど、このくさかんむりが思いだとすると、

古い思いは苦しいんだ。思い続ける事、はなるほど苦を呼びます。

楽しい思いは薬になるんだ・・・。


風邪を引いた娘が『楽しいと鼻水が出ないの。』と言っていました。

その通り!楽しい事は薬なんですね。


そういえば、昔読んだ精神性免疫学の本に、

楽しい話ばかり聞いて、コメディ映画ばかり見て、笑い続けて

末期がんを克服したアメリカ人のおじいさんの実話が載っていましたね。

実際、笑い続けると、白血球の数が増えるそうです。

恋をして癌を克服したという例もありましたし、いかに、

人の心が肉体に影響しているかの証明のようです。



とりあえず、大きな変化はないものの、自分の意識が変わってきたのは、

どうやら確実なようです。

(おや、そうすると何か変化があったんですね!笑)

なんだか物事が、やたらとシンプルに感じられるようになりました。

そういえば、やって来るメッセージは、いつもシンプルだったなぁ・・・。


真理もシンプル。

愛から発信する・・・、結局、この事だけが大切なんですね。


何にも変わらない人からの発言でした。(笑)

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しゃぼんしゃぼん 2007/05/08 23:13 身体が超軽くなったとき頭にな〜んにも浮かんでこなかった。
身体の力が抜けて意識はず〜っと今ここにいた。
な〜んにも頭に浮かんでこない。

最近はそんなことない。
でも意識的に今ここに帰る。
景色や呼吸の気持ちよさが自分にはいってくる。

どうやら私は考えることが好きだ。

”考える”とは何か考えてみる。(笑)

考えるとは、意識がどこかに飛んで行ってる状態だと思う。

意識が今ここにある状態が”ただある”状態。

以前は意識がどこかにいきっぱなしだった。

最近はよく今ここにいる。
行きっぱなしにならずに我に返れる。

本当に今ここに居続けるというコミット。

一度、やってみたことがある。かなり長い時間ただあり続けた。
やはり身体がすーっと軽くなった。

座禅とかは今ここに居続けること
警策とかでなく自分で気づいて今ここに戻ってこれれば達人

座禅に限らずいつでも今ここに在り続ける人は
人生の達人。

今ここの情報をキャッチできる。

意識的に今ここに居る方法は?

キャッチした情報に素直になること

今ちょっと情報をキャッチしてみます。

キャッチしました。
YOKOさんが私の書き込みを読んで「頭いて〜」って顔をしているのが浮かんだ(笑)

その情報に従ってもう書き込みやめて寝ます^_^;

P.S.情報は当たってたでしょうか?

yoko16yoko16 2007/05/09 09:18 おほほ・・。それはハズレです。(笑)
私も考えにはまりやすい人だから、
この感覚、なんかわかりますもの。

そうでなかったら、こんなに長い文章ばかり
書けません。(^0^)

でも、感覚に従うのはいいですよね。
つくづく頭で考えないって、幸せを呼ぶんだな、
と実感します。

『頭で考えるな』何十回聞いたかしらん・・・、
このメッセージ。(笑)

2007-05-07 天啓とは

yoko162007-05-07

「天啓とは形あるものではない」と、

子供が見ていたアニメのキャラが

言っていました。


その通り!と私は思いました。

私は、ここにもしばしば『声』として、

書いていますが、厳密に言えば、それは

私たちにとっては「印象」に過ぎないこともしばしばです。


これは、私の中で翻訳されて出てくるのか、

はたまた、そういう言葉を使ってきているのかは分かりませんが、

人が思うような、「言葉や形」として現れないことがしばしばです。


よく、シンクロニシティという言葉が使われますが、

あれもまた、天啓の一つの現れです。

何度も何度も同じシンクロが起きる、ということは

あなたにそれに気付け、と言っているのであり、

そのことに気づかない限り、シンクロは続きます。


つまり『わーい、シンクロしてる』と喜んでいる場合ではありません。(笑)


サインは、本当はすべての人にやってきます。

そして形はない、といっても『印象』や感情、感覚、時には言葉を使って

私たちに訴えかけてきます。

どの人にも平等に、メッセージはやってきます。

けれど、それは私たちが普段思っているような、『言葉』として

やって来るばかりではありません。


最初はむしろ、全く違うやり方でやって来る事が多いものです。


なぜなら、考えてもみてください、こうしたことに慣れていない人の頭に突然

『声』が響いたとしても、あなたはすぐにそれを信じることができるでしょうか?

まず十中八九、気のせいにしてしまうでしょう。


それは、そのメッセージを寄越す存在にも分かっています。

だからこそ、あなたにシンクロや『印象』や、感情、人とのかかわりなどとして

あなたの元にそのメッセージを届けているのです。


本当に理解していただきたいのは、私や友人は特別な存在でも何でもありません。

ただ、私たちは、その『声』を聞くことに慣れているだけのことなのです。

皆さんの元にも、あなたに必要なメッセージは届けられています。


彼らのメッセージは、あなたの思うような、形では現れないかもしれません。

というより経験から言うと、自分の思っているイメージとはかけ離れている形で

あることがしばしばです。

ですから、たいてい、すぐにそれに気づくことはできないかもしれません。

私自身、それをメッセージだと気づき、それに従う、と決めるまでに

20数年を要しました。(苦笑)(早く気づけ〜。(笑))

本好きだったため、色々言ってくる内容の大胆さに、思わず自分で話を

考えているのかと思っていたのです。

「あ〜、本の読みすぎだわ」とか。(笑)


挙句の果てに、何度も注意のメッセージが来たにも関わらずそれを無視して、

頭を13針も縫う大怪我をして、医師に「打ち所が悪かったら、死んでたね」

なんて言われまして、その時になってはじめて、

ああ、あれはこれが言いたかったのか、と。(苦笑)


それで少しずつ、『声』とかメッセージに敏感にならないと命が危ないぞ、

と思い始めたわけです。

そこまで気づかないのも、どうかと自分でも思うんですが。(笑)

ここまでに気づけば、これほどいくつも縫い傷を作らずに済んだのでは、

と思いますね。

鈍感でい続けると、ろくなことがないような証明ですね。

それでも後遺症もなく、普通に生活できるのは、守りがあったお陰だと

思っていますが。


だから、皆さんも私の二の舞を踏まないように、どうぞ敏感になってください。

今の時代、意味なくこの地球に生まれてきた人はいません。

この時代を共に生きるために、やってきた皆さんですから、

望めば変われるのです。


オーラを見る時もそうですが、言葉や形でメッセージが来る、という

思い込みも捨ててください。


私がここに書いている『声』もいつもいつでも、言葉として

やってきているわけではありません。

それは印象であったり、単なる溢れる喜び、という感情であったりする

場合もあるのです。

それを皆さんに分かり易くするために、翻訳してお伝えしているのです。


もっとも、今ではほとんどが「声」という「形」になって聞こえるようになりましたが、

それは、私にとってこの形が一番わかりやすく、また、私にそれを受け取る用意があることを

示しているのです。


心の声を聞くことは、本当は難しいことではないのです。

頭で考えることに、心を明け渡さないで下さい。


受け取る前に「頭で考えてしまう」とやってきたメッセージも、そこで

消えてしまいます。

自分に素直になること、素直であり続けようとすること、

それがあれば、あなたにやってきたメッセージ、天啓を受け取ることができます。


ここで言う天啓とは、別に大胆な言葉を聞くこと、ではありません。

あなたの人生にとって、必要で有益なメッセージを受け取る、というだけのことです。

「本当の声」は、人間にとって、「ええ?そんなのあり得ないでしょう?」なんて

思うことも伝えてきます。


けれど、意外やその声の通りにすることで、それまであり得ない、と思っていたことが

成就することが少なくありません。

少なくとも「あなたの魂の声」は、あなたが不幸せになるような事は言いません。

最終的にあなたにとって、もっとも幸せになる方向を、きちんと指し示してくれます。

短期的にあなたにとって、それが不利に思えるようなことでも、最終的には、

あなたを幸せにする結果を必ずもたらせてくれる・・・、それがあなたの魂の声です。


一度、本気でその声を受け取る、と自分に決意してみてください。

頭が色々言い出すことには知らん顔して、一度でいい、その声に従ってみてください。

あなたの魂の声に。


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みーしゅけ☆みーしゅけ☆ 2007/05/07 12:06 頭の怪我のくだり、笑っちゃいました。私もおんなじだけ、ぬってます。
奇想天外なストーリーも、楽しむと決めてしまうと、いろんな事柄の意味を想像しすることに、ワクワクできるようになりました☆
どうせなら、お遊びモードで、楽しみながら任務を遂行しちゃえっ、って感じの、今日この頃です♪

yoko16yoko16 2007/05/07 14:04 みーしゅけ☆さんも縫ってるんですね。(笑)私もう全身にある縫い傷をこれ以上増やしたくないと思ってます。(笑)
そう、この際楽しみましょう。
それが結局、一番シンプルに変われることだと思います。

しゃぼんしゃぼん 2007/05/07 23:33 私は精神的に痛い目に何度も遭いました。
もう怖いので魂に従ってます。
だいたい感情かな。いい感じとかいやな感じとか
理屈では反対でも感情に従います。
でも感情も色々あって従ってはいけない感情とかあるし
それこそ言葉では説明できないですね。
あと映画とかアニメとかにも鋭い言葉とか描写とかときどき出てきますね。あれもメッセージのように思いますね。
千と千尋の・・・とかナウシカとかマトリックスとか
色々受け取りました。でも見る人によって何を受け取るかも違うみたいですね。
YOKOさんからもいっぱい受け取ってます。
でも一番ありがたいのは受け取ってもらえることです。
ありがとうございます。

重い思い

思いを話す
重いを放す

軽い、明るい、開く、空く、

思いを話さない人、暗い。閉じる。
ついに肉体も部屋に閉じ込める。

天の岩戸の型示しかも。

岩戸を開けるのは好奇心。ワクワクした気持ち。

私の経験だなこれは!^_^;

しゃぼんしゃぼん 2007/05/07 23:42 岩戸へ追いやったのはスサノオ?
荒ぶる神

確かに乱暴なのは嫌いだな。
そんな世の中から逃げたかった。

スサノオって何?

しゃぼんしゃぼん 2007/05/07 23:50
”すさむ”
って変換したら
”荒む”
って出た!

「スサノオ」は「荒の王」?

すさんだ世の中から切り離されたかった。
その通り!

すさんだ世の中で生きるには
好奇心をもってワクワク前向きに生きるんだ。

天の岩戸伝説はそのことを言っていたんだ。

しゃぼんしゃぼん 2007/05/08 00:00 スサノオは
スサノヨかも

荒の世

圧倒的な力で地位と美女を手に入れた。

現代の象徴だな。

みんなの目指すものはスサノオだ

スサノオが支配している。

スサノヨだ。荒の世だ。

逃げずに惑わされずに本当の栄光を見つめて
明るく前向きにワクワクして子供のように

岩戸を開けよう!

yoko16yoko16 2007/05/08 12:29 しゃぼんさん、いつも力の入ったコメント
ありがとうございます。

スサノオ・・荒の世・・なるほど、うまい!
座布団3枚!(笑)

一人が変われば、世界は変わる、だから自分が変われば
いいんですね。(^^)

しゃぼんしゃぼん 2007/05/08 23:35 なんだかいっぱいコメント書いてすみません^_^;

少しのつもりがいつもいっぱいになってしまいます。

yoko16yoko16 2007/05/18 13:57 大丈夫ですよ。いつでも大歓迎です。

2007-05-04 アセンションへの旅4

yoko162007-05-04

私の友人の顔が浮かびました。

彼女も私と一緒にエルサレムへ行く役目がある、と私は感じました。

そして、そのことを友人に話すと、「えーっ、それは無理」と思ったとおりの反応が

返ってきました。

でも、そういいながらも、彼女もまた、私と同じように、そのことに抵抗しても

無駄だと知っています。


というわけで、二人でどうすれば行けるのか?、また、それはいつなのか?

を考えてみることにしました。

それにしても、どうしてもイスラエルに行かないとダメなのかな? と

友人と話していて、はた、と気が付きました。


そういえば、以前メッセージは、日本は世界の雛形だと言ってなかったっけ?

と、いうことは日本のどこかにエルサレムがあるはず。

それで、日本のエルサレムに行く、ということでもOKかどうか聞いてみると、

それでもいいらしいことが判明。


それで私たちは、心底ほっとして、日本のエルサレムは一体、どこなのか

調べることにしました。


イスラエルとかかわりがあるらしい出雲大社や、宗像大社など、色々

調べてみましたが、どうもここ、という感じがしません。

形どおりの場所、ということではなさそうです。

とにかく時期だけは、2007年春、ということが分かっていたので、

その日が近づいてきたら、何かお知らせがあるだろう、と待つことにしました。


とは言っても、なんだか気になっていろいろと探してみたり、

地図を調べてみたりしていたのですが(笑)全くそれらしいところは

見つかりませんでした。


そのうち日程だけは、はっきりと4月24日だと指示があり、

平日の火曜日なんて、なんて都合が悪いの、と思いながらも、

場所は決まらないままに日は過ぎていきました。


そして、今年2007年1月も終わりごろだったでしょうか、ふと私の目に

熱田神宮』という文字が、飛び込んできました。

それまで熱田神宮がどんなところなのか、まったくもって、知らなかったのですが、

それを見た瞬間、そこが4月24日に行くところだ!! と突然閃いたのです。


友人に確認を取ってみると、彼女もそうだと言います。

熱田神宮って、一体どこ・・・?

二人とも知らなかったので、とりあえず、ネット検索してみると、

名古屋にあるらしいことが分かりました。

3種の神器の一つ、草薙の剣の収めてあるところ。

とにかく、私たちが知っていたのは、その僅かな情報に留まりました。

実際に何をすればいいのかは、本当の所、当日行って見なけりゃわからない・・、

というわけです。


熱田神宮へ行く前の日に、私に来ていたメッセージは

その日24日、熱田神宮エルサレムとして機能するだけでなく、

世界の縮図になる、というようなイメージを私に伝えてきていました。


まさか、その縮図になった世界を癒せとか、浄化せよ、

とか言うんじゃないでしょうね・・・。

嫌な予感を抱えつつ、今まで何度こんなパターンで、大変な思いをしたことか・・。


そんな予感を持って、熱田神宮へ向かった私たちでしたが、

本殿でのあまりに美しいエネルギーに、ちょっとほっ。

私たちは、呼ばれてここへ来たことを報告しに、本殿へ参拝することにしました。


本殿へ拝礼すると、そこからなんともいえない、柔らかで、輝かしいエネルギー

吹き上げてきました。私は、私たちの到着を告げました。


その時、私は何か聞いたのですが、実のところ、今はその時に何を聞いたのか、

夢の中にいたように、さっぱり覚えていないのです。

大切な言葉を聞いた気がするのに、目が覚めたら、忘れていた・・、

とでも言わんばかりに全く思い出せないのです。

多分、ここに書くことはできない事柄なのでしょう。


けれども、その時はその重要な言葉を胸に、熱田神宮の中を巡ることになりました。

本殿の鳥居を抜けた途端、またまた空気は異様に重くなり、あっという間に

私たちのお仕事空間に出てきました。


そこで、様々な場所を浄化したり、エネルギーのバランスをとったり、

流れが悪くなっているところの流れを復活させたりしながら、

次はここ、と指示がある方向に進んで行きました。


しばらくすると、『八剣宮』という参拝する場所に出ました。

私たちは、そこが何かを知らなかったのですが(実を言えばまだ知らないのですが)、

参拝しようと石段に足をかけた途端、『何が望みか』と問う声がしました。

私たちに『まことの望みを言え』と言うのです。


私はその時、自分の本当の望みは何かと考えていました。

本当の心からの望み、この世界が変わるために必要なものは、

『愛』と『力』。

私は、このどちらもが共に必要だと思いました。

この世界が変わるには、愛が必要。

けれど、動かすためには力も必要。


そして、はっと気づいたのです。

『愛とは、力だ。』と。

私の腹は決まりました。

友人を促して、前へ進み出、私は、祈りました。

『私のまことの望みは、愛(ちから)です。』と。


すると、その声はまず友人に向かってこう言いました。

『汝には、金の龍と地の剣。これは世界を輝かせ、世界を守るもの。』

そして私に向かっては、

『汝には、白の龍と日の剣。これは世界を照らし、浄化するもの。』

と言いました。


この時、私たちはこの言葉を理解していたわけではありませんでしたが、

とにかくこの場で、その言葉どおりのものを受け取ったのです。

目には見えない、エネルギーとしての剣を受け取ったのでした。


そして、その場を離れようとすると、不思議なことに、

それまで降りそうに曇っていた空は突然明るく晴れ、太陽の光が差してきました。

その時は、まるで、祝福を受けているような気がしたものです。


もっとも、私たち自身に何か物理的な変化が見られた、

というわけでもなかったのですが。

(あ、そういえば、お互いに顔が光ってるよ、とは言い合ってましたね。笑)


その後も浄化したり、流れを呼び込んだりすることが続いたのですが、

一度、浄化しようとしていた時に『日の剣を掲げよ』という声がしたのです。

でもどうやればいいのかさっぱり分からなかったので、

イメージで腰から剣を抜いて、空に向かって掲げてみました。


が、何にも起こりません。

いつものように普通に浄化していた方がましなくらいです。

何かやり方が間違っているのかな?


そしてふっとあの声がくれた「龍と剣」とは愛の力のことだ、と気づいたのです。

あの声が私たちにくれたものは、物体ではなく、光。

すなわち、龍と剣は私たち自身なんだ、と。

つまり、私は剣を振るうのではなく、わたしが剣そのもので、

光そのものなのです。

ということは、日の剣を掲げよ、とは私自身が光であれ、と

いう事なのではないかしら・・・?


そう思った瞬間、私は自分の体から光が溢れてくるのを感じました。

そして、そう感じた途端、あっという間にその場の浄化は終了していました。


私たちは、その後も何度か、そのような事をして、もう終了? と思ったのですが、

二人揃って、「まだだね」と頷きあい、次の場所へと向かいました。

それは、最初に通った道だったのですが、その時は全く見向きもせず素通りしていた

宝物館への道でした。


その日はおりしも、儀式に使う鏡を展示して見せている最後の日でした。

これもまた、何か意味があるのでしょう。

私たちは、いくつかの鏡の前に惹かれるように立ち、二人のうちのどちらかが、

その鏡から情報を得ました。

その内容? それは、秘密です。(笑)

と、言うのは冗談ですが、こうした情報は、必要にならなければ、

取り出すことはできません。

ですから、今は私たちの内部にしまわれているのです。


さて、やっとこれでこの日のやるべきことは終了しました。

私たちは、剣、鏡、玉の3種の神器すべてを手にしていることを

知っていました。

それは物質ではなく、エネルギーとして私たちと共にあったのです。


剣は先ほど『八剣宮』でもらったもの、『鏡』は宝物館で、そして、『玉』は

私たち自身です。玉は魂のことですから。(^-^)


そして、これらのすべてを持って、私たちは本殿へと向かいました。

これらのすべてを、本殿へおわす神へ奉納するためです。


私たちは、二人とも何も言わずにただ本殿へ向かいましたが、

やるべき事はわかっていました。

私たちは自分の持つ3種の神器のすべてを奉納しました。

私は、突然自分が神官にでもなったように、儀式めいた古い言葉で

自分の得たもののすべてをお返ししていました。


神は私たちの差し出したものを受け取り、そして、

再び私たちにそれを与えました。

全き一つのものとして。

私たちの意識の中でそれは一つのものとして、

存在しています。



この時もやはり私は言葉を聞いたのですが、

この言葉は、大切に取っておこうと思います。

私にとって、とても大切な言葉でしたから。


私たちがこの日、本当は何をしたのか、何ができたのか、

よく分かっていません。

人間的な変化が地球に訪れるのは、まだずっと先かもしれません。

けれど、少なくとも私たちがやるべき事は果たしました。

そして、それがどのような結果であれ、満足しています。


また、これから先もたくさんこのようなことが続いていくのでしょう。

すべての人がアセンションし、新しい世界へと移り変わるために、

目に見えない仕事の一部を自分が請け負っていられることに、

誇りを持ってもいいかな・・。


きっと、私の魂は、どんな人生よりも、今が一番楽しいのだろうな、と

思います。

今回のアセンションへの旅は、これで終わりです。


このタイトルでブログをはじめた訳が、実はこんなところにあったのか、

と自分でも驚いています。

以前の私は、こんなことを決して書きませんでした。

興味本位な人を惹き付けたくないから。という理由を

人だけでなく、自分にも言い訳にしていました。

私は、恐れていました。

こんな事を書いたら、どう思われるだろうか、

誹謗中傷の的になるのは、嫌だ、と。

これは、今思うと、自分の中にあるトラウマだったのです。


でもこれは、今にして見れば、故ない恐れでした。

自分を恐れて何もしないのだったら、

何のために、この時期この地球に生まれてきたのか、わからない・・・。

だから、これを書く必要があったのね、と思います。


私が何を書いても、それを受け取る人にすべてを

任せてしまえばいい、と今は思えるようになりました。

私が何を書くかは、私に責任がある、けれどそれを読んで何を感じるかは、

その人に責任があるのです。

人の感想に私が責任を取るのは間違っていますから。(笑)


というわけで、これから、まだまだ続くであろう私の実際の

「アセンションへの旅」と、これまでの「アセンションへの旅」を

時間が許す限り綴っていこうと思います。


少なくとも、私はここに書くことをただ想像して書いているわけでは

ないことを告白しておきます。

そして、それを書くということがどれほど、恐かったかも。

他の人にとって、それが真実か否かは私には問題ではありません。

なにしろ、これは私自身の旅ですから。

他の人には他の人の旅があるのでしょう。


私はこれからも、私の心の声が私を導く方へ、常に進んで行こうと

思っています。



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mimimimi 2007/05/04 14:04 mimiです。先を読みました(*^。^*)
日本は世界の雛形だと私も知人から教えてもらいました。
また別の知人が1月に熱田神宮へ参拝したと聞いて、ずっと気になている神社です。

日本人は古代イスラエル人の末裔という説が有望になってきたようです。

タイミングとご縁に従って、導きを待ってみます。
ありがとうございました<m(__)m>

そらそら 2007/05/04 14:14 旅の終了おめでとうございます。そしてお疲れ様。三種の神器って形を変えたエネルギーのことだったんですね。私はこういうことは初心者マークなので、2でいろいろお尋ねして失礼致しました。確かに、禅問答のようにこれから自問自答して行くのでしょうが、考えるのには限りがあるので、???なのです。でも暖かい目で、yokoさんのページは見さしていただいています。これからもお体に気を付けてご活躍してくださいね。

しゃぼんしゃぼん 2007/05/06 01:06 なんだかこの歌が思いつきました。

YOKOさんみたいな歌ですね。



  そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
  たとえ 胸の傷がいたんでも

  なんのためにうまれて なにをして 生きるのか
  こたえられないなんて そんなのは いやだ!
  今を生きる ことで 熱い こころ 燃える
  だから 君は いくんだ ほほえんで
  そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
  たとえ 胸の傷がいたんでも

  ああ ア○パンマン やさしい 君は
  いけ! みんなの夢 まもるため



  なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ
  わからないまま おわる そんなのは いやだ!
  忘れないで 夢を こぼさないで 涙
  だから 君は とぶんだ どこまでも
  そうだ おそれないで みんなのために
  愛と勇気だけが ともだちさ

  ああ ア○パンマン やさしい 君は
  いけ! みんなの夢 まもるため

  時は はやく すぎる 光る星は 消える
  だから 君は いくんだ ほほえんで
  そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
  たとえ どんな敵が あいてでも

  ああ ア○パンマン やさしい 君は
  いけ! みんなの夢 まもるため

yy 2007/05/06 02:08 アセンションへの旅書いて下さってありがとうございます。これからも沢山書いて下さいm(_ _)m待ってます。

yoko16yoko16 2007/05/07 14:16 mimi さん、考えない事が一番です。
私たちもさんざん考えた挙句に、考えないことが一番!と
いう結論に達したら、駒が出てきたんですから。(笑)

そらさん有難うございます。
旅と言っても、今回の事ですが、これからも旅はまだまだ続きます。
3種の神器がエネルギーだった、というわけではないのですが
私たちに与えられたものは、という意味なら、その通りです。

それから「考えるには、限界がある」本当にその通りです。
だから、考えない。考えることに心を奪われてしまうと
本当のことが見えなくなる、と今の私は思います。

しゃぼんさん、
この歌が飛び出すとは、思いませんでした。(笑)
私は、私の喜ぶ事をしています。
そして、それが今の私の幸せです。
いつも読んでくださってありがとうございます。

yさん、ありがとうございます。
最近、自分がやっと素直になれた気がします。
素直になる事でこんなに反響があるなんて、
思いもしませんでした。(笑)
自分らしくあることは、幸せになれることなんだ、と
改めて思います。

エアンズエアンズ 2007/05/08 01:44 はじめまして。いつもブログ読ませていただいてます。
文中の

『きっと、私の魂は、どんな人生よりも、今が一番楽しいのだろうな、と思います。』

という言葉にハッとさせられました。
私の魂も今世の人生が一番楽しく感じているような気がします。
過去世とか来世とか、私は信じています。でも今世が最高に楽しいと感じました。

気づきをありがとうございます。

yoko16yoko16 2007/05/08 12:22 エアンズさん、いつも読んでくださってありがとうございます。
今が楽しいって、一番幸せなことですよね。今が一番! 
いつもこう言っていたいと思います。

2007-05-02 アセンションへの旅3

yoko162007-05-02

熱田神宮がこれほど素晴らしい場所だとは、

思っても見なかった私たちは、あまりのその美しさに心を打たれました。

金色に光輝くエネルギーを浴びて、立ち尽くしました。


思わず二人ともその光景を写真に収めようと、カメラを手にしたのですが、

何枚も撮らない内に、写真に撮ってはいけない、との声がしてきました。

私たちは、「がーん」と思いながらも、この神聖さを壊すことになる行為だと

感じていたので、その声に従いました。


熱田神宮へ来ることになったのは、去年の10月頃だったと思いますが、

例によって多次元存在からの声の指示に従ったからでした。

その声を聞いた時、私は普通に洗濯物を干していました。

その日はいいお天気で、ご機嫌で洗濯物を干していた私の頭に、

突然いつものように声が響いてきました。


エルサレムへ行け」と。


「はい?」思わず、洗濯物を落としそうになりながら、聞き返しました。

すると、もう一度頭の中へ「エルサレムへ行け」という言葉が響いてきました。


正直、去年の夏からずっとこの調子で「次は・・・へ行け」という指示が出て、

毎回、頭を抱えていましたが、だんだんそんな指示にも慣れてきたな、なーんて

思っていたのですが、これは予想外。


エルサレムって、エルサレムって、だいたいどこにあるのよ!?」

魂の声に従う、と決めていたにしても、これは予想の範疇を越えていました。

「だいたい、エルサレムに行って私に何をしろというの?」と思いました。

すると返ってきた答えに、またまた私は頭が真っ白になりました。


『愚かな戦争をやめさせよ。』


って、そりゃー、いくらなんでも無理っていうものでしょー。(^^;)

頼む相手を間違ってると思います。(きっぱり)


とはいえ、こう言ってきたからには、私に何かやることがあるらしい事は

わかっていました。

別にこの言葉どおりに私が戦争をやめさせることができるなんて、

思っているわけではありません。

が、何らかの仕事をせよ、という事なのだと私は理解しました。


これだけのことは、ほんの一瞬の間の出来事で、

当然、私はしばらく固まっていました。(笑)


思わず、言われた事の大きさに、しばらく呆然として、動けませんでした。

一体、何てこと言うのよー。と心の中では思っていて、体からは血の気が引き、

手には汗がにじんでいました。


でも。それでも、私の中にノーの答えはないのでした。

それがどんなに理不尽な要求に思えても、私にできないことは決して

私のところにやって来る事はない、と実体験を通して知っているのです。


だったら、実際に戦争を止めることは他の誰かがやるにせよ、

私にも何らかの仕事がある、という事です。

ならば、やるしかない、と心を決めて、さて、エルサレムがどこにあるのか、

と考えてみると、エルサレムは、たしかイスラエルだったはず・・。


イスラエルって、ものすごい危険地帯じゃないのっっっ。

そんなとこ行けないわよ! と思いつつ・・、なぜエルサレムなのかを

考えてみました。


エルサレムは、様々な宗教の聖地です。

そういえば、昔から、戦争は神の名の元に行われてきたのです。

今は、違う言葉を使う事もあるけれど、結局は思想の違いを宗教間の対立に

することで体よく戦争をしてきたのだ・・・、と思いました。

戦争は体の良い略奪行為に過ぎない。


それをやめさせる・・・、その行為は無意味だと知らしめるには、

人々の意識が高くなくてはならないのです。

人のものは自分のもの、というように意識が低いままでは、戦争をやめることは

叶いません。その根底にあるものが、幼い意識である限り、

人は本当に成長することは難しいからです。


以前、子供がまだ小さかった頃、彼女は『アンパンマン』が大好きで、

アニメを見たり、お話を読んだりしていました。

私は、『アンパンマン』に出てくる「自分は正義の見方!」というキャラクターに

限って、すぐにバイキンマンにだまされて、何もしていないアンパンマンに攻撃を

仕掛けてくるのを、いつも不思議な気持ちで見ていました。


なぜ、このキャラクターたちは、こんなに単純に知り合いでもない

バイキンマンの言葉を信じるのだろうか?、と。


でも、これは私たちの生活にとてもよく当てはまるのです。

知りもしない人のイメージだけで、その人をそしることや、

大変な目に遭っている人に対して、知らないという理由だけで、

好き勝手なことを言ってしまう事も、私はこのキャラクターたちと

なんら変わらないと思いました。


意識が高くなくてはならない、のです。


意識が高ければ、戦争を起こすよりも先に、

人を思い遣ることができるのです。

あの911の事件から、イラク戦争は始まりましたが、

あの911の事件に巻き込まれた人の家族がなんと言っていたか、

ご存知ですか?


直接、家族を失った苦しみの真っ只中にいるその人たちは、

決して復讐を叫んではいませんでした。

「私たちと同じように苦しむ人を増やしたくない」と、その人たちの言葉は

思い遣りに満ちていました。

復讐を叫んだのは、その映像を見て、恐怖に駆られた人々です。

怒りと不安は、人々を戦争へと駆り立てたのです。


ここに何があるのか、見て取れますか?


不安と怖れ。


実は、これほど恐い感情はないのです。

人は不安に駆られると、闇雲にそれを打ち消そうとします。

ゴキブリを嫌いな人が、むやみとゴキブリを打ち殺そうとするように、

もし、同じ行動を人間相手に取ったなら、どんな恐ろしいことになるかは

想像がつくでしょう。


戦争は、一種、こんな狂気に囚われた状態です。

冷静にならなければ、決して本当に自分が置かれた状況を判断できるものではなく、

闇雲にテロを抹殺しようと、ミサイルや銃を使っても、どうにもならないことを

いい加減に、気づかなければならないのです。

テロとは、暴力集団という物体ではなく、人の心の在り方だということに気づき、

相手を人間扱いすることがない限り、相手も人間らしく振る舞いはしないのです。



私たちは、いつも不安に駆られて、狂気に陥る前に、冷静になる必要があります。

ゴキブリが出たって、それでいきなり死ぬわけではないのです。

落ち着きましょう。


戦争の元は、私たちの心に潜んでいます。

私たち自身が意識を高く持つことで、すべては変化するのです。


書いているうちにまたもや、脱線してしまいました。(悪い癖です。^^;)

話を元に戻しましょう。


とりあえず、エルサレム。そこに行くにはどうしたらいいのか、と考えてみました。

どうやって行けばいいのか、などを考えているうちに、そこに行くのは、

私一人ではないことに気づきました。


ごめんなさい。再び、つづきます。


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tama☆tama☆ 2007/05/02 17:43 エルサレム・・・
確かに遠いね 日本の中にエルサレムはないのかな?
そういう意味じゃないか・・・
本当に現地に足を踏み入れないとだめなんかな・・・
日本の中のエルサレムはどこかな?

yoko16yoko16 2007/05/02 17:45 tama☆ちゃん、続きを読んでね。まだ続くのよぉ・・。(笑)

mimimimi 2007/05/03 06:21 4月2日六ボウセイのマークとエルサレム と言う文字が朝方の夢に出てきました。それを見た瞬間エルサレムへ行かなければ・・・と思って調べてみるとそこはイスラエルの首都。
未だに行くべきかどうか迷っているところへここへ辿り着きました。
エルサレムが熱田神宮なのでしょうか・・・

みーしゅけ☆みーしゅけ☆ 2007/05/03 13:24 大学の時に、パレスチナとイスラエルの泥沼状態に心を痛めて、エルサレムに行きましたが(笑)、
むこうで一般のパレスチナ人と「イスラエルって特殊な国だと思う・・・。」って調子で話していると、
「日本人はエンペラーがいるじゃないか?!」と切り返されました。私にはそれがとてもショックだった。
日本には問題がないだろうか、日本人である私は、日本を説明できるだろうか…。天皇って…。
対岸の火事を眺めるより、足元を見なさい。それは青天の霹靂でしたっけ(遠い目)

yoko16yoko16 2007/05/03 18:45 mimi さん、熱田神宮が日本のエルサレムかどうか、正直私にもわかりません。ただ、私は指示に従っているだけですから。
とりあえず、続きは書きます。先を読んでご自身で判断してくださいね。お役に立てず、申し訳ありません。

みーしゅけ☆さん、『形』は問題ではないのだと思います。
私は、あなたのその行動力と勇気に拍手したいです。
たとえパレスチナのその人が何を言ったとしても、
あなたが自分の心に従って行動したことには、あなたにとって大きな意味があったのです。それはあなたにとって、大きな意味のある体験だったのではないでしょうか?
少なくとも、そうして、あなたが自分自身の足元を見る事の大切さに気づいたのなら、それは大きな前進なのです。
私たちは、体験するために、この世界に来ているのですから。