つんくメロ視点」
 
つんくメロ、その特徴といえば何か。まずそれはたぶん、マイナー調の曲からわかりやすく出ている、はず。であるのに、つんくのマイナーメロディに関して語るに、シャ乱Qパスしてるというのはどうなのよ、とつくづく。さらに、シャ乱Qの代表曲からのイメージで大抵マイナー調のメロディであると一からげにしていて、余計にどうなのか、と。でも聴くきっかけないし、聴く気がしないから聴かない。何よりも、基本的にマイナー調の曲を好きでないというやるせないどうしようもなさがある。
 
「サマーナイトタウン」は奇抜だけど、やっぱうまいと思う。「抱いてHOLD ON ME!」「Memory 青春の光」「NIGHT OF TOKYO CITY」「宇宙でLa Ta Ta」「黄色いお空でBOOM BOOM BOOM」もメロディの構成、ひとつひとつのパーツの意味が濃厚。それぞれの関係も濃厚。カラオケありきの時代以降、楽曲におけるパーツの意味が変わったとしたら、その内実は、パーツ同士の関係性の変質にあると考える。方便だったはずのAメロBメロサビの復讐じみた檻のような存在。昔はよかったのになあというロマン主義の詠嘆は口から出る屁か。「DON'T STOP 恋愛中」「YES! しあわせ」は長調だけど同じ意味でうまい。こういううまさが感じられないつんくインポテンツな時に、あああつんくさんオロローンと涙がほとばしる傾向がある。
 
モーニングコーヒー」「真夏の光線」「恋の始発列車」「パパに似ている彼」「センチメンタル南向き」「LOVE涙色」「100回のKISS」「ナビが壊れた王子様 (LOVE CHANCE)」「晴れ 雨 のち スキ ♡」「白いTOKYO」「恋はひっぱりだこ」「日直 〜芸能人の会話〜」あたりも上述のうまさ。だけど、つんくのアイドルオマージュというか、アイドルになりたかったつんくというか、その現われとしてのアイドルソングへの思慕とか憧憬とか思い入れとかがわりとストレートかなあ、と。なのでわけた。
 
時期的に以下はつんくネオクラシカルとした。「ラブマ以降」ぐらいのゆるいけど決定的な意味で。マイナー調ってのが大きなトリガーであり、定義の根拠。
「愛のバカやろう」「SHALL WE LOVE?」「あなたなしでは生きてゆけない」「FIRST KISS」「印象派 ルノアールのように」「まっさらブルージーンズ」「即 抱きしめて」。℃-uteのこの二曲はめちゃコンパクトなつんくさんって感じ。中でも「SHALL WE LOVE?」は特に出色と思うのだけど。ごまっとう懐かしい。この曲は、R&Bじゃなくても全然いいじゃない、と、アレンジのAKIRAが不憫だったし、つんくさんも不憫だった。つんくさんの鼻息の荒さを感じただけに余計に。「あなたなしでは生きてゆけない」もAKIRAだ。AKIRAは本当にだいすっきだが、彼特有のクセがあるからこそ、機会としての特別なシングル(成功が特に要求されるようなそれ)には向いてないのだろうか。何ということだろう。AKIRAたんをいじめる、シングルフォーマットという制度、あとついでにサビという制度ももう滅んだほうがいいな。それからカラオケ(コミュニケーション)ももう滅べばいい、とAKIRAたんにかこつけて、詭弁を。今急に思い出した、カラオケブームいざ盛りという折、誰か忘れたけど芸能人が事業としてカラオケボックスを大金つぎ込んで作ったはいいが、そのボックス入り口から当のカラオケ機材が屋内に入れられなくて、開店営業はおろかカラオケもできないわ、というような漫画みたいなミスしてて、俺は死ぬまでこの出来事を忘れないと義務を感じたのだった、と今感じた、がその芸能人の名前すっかり忘れてるという。すまん。
 
あとは、つんくさん開発、とりわけ個々の事象、対象による。
「ドッキドキ! LOVEメール」「トロピカ〜ル恋して〜る」はあややのレスポンスをふんだんにという感じで、特にサビの密度がすげー、独立してメロの物語になってる。「そう言えば」は転調が壮大でありながら、つんくさんの変なコード進行がでてきたりとお得。「あぁ いいな!」は奇のてらいで損してるぽいが、この音域(1オクターブと半音?)で、よくもまあ、と。関連してか唄メロのリズムも特徴的。「わたしがついてる。」は素朴だけど、メロの構成総体が物語だし、「愛と太陽に包まれて」はAメロのとってつけたようなへんてこメロ、Bメロからサビのメロディの展開が素敵すぎる。それからバラードのつんくさんとして、「さみしい日」「21世紀」というとてもシンプルな二曲に見られる、繊細さ。