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女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-05-21

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自由主義の再検討 (岩波新書)

自由主義の再検討 (岩波新書)

リベラリズム自由主義として西洋近代で結実するもの、その三つの側面、政治的自由、経済的自由、道徳的自由の成立を概観し、その内でも他の二つを包含してしまう力を持つに至った経済的自由=資本主義市場主義に対する批判としての社会主義思想についてと、その失敗の実際を(93年に書かれた本)、更には80年代アメリカでの自由主義に関する新しい論争、リバタリアニズムコミュニタリアニズムの勃興から現在どのような「自由」がありうるか、あるべきかを検討してる本。

部分でしかないけれど二点、人間の本性というもの、特に人間性の根本倫理的道徳的な部分をわれわれはどのように設定すればいいかということと、デカルト以降の近代自我と、言語共同体構成される社会的自我を個人の両極として認めて差し支えあるだろうかということ。印象論だけど、前者の自我後者に解消するには重い。

2011-04-28

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タイトルだけでいえば、35歳まで、でなく、15,6で読めるといいのかも、という本。就職活動前、それ以前大学入ったぐらいにこの本に出会えたら、少なくとも単純に時間、年齢の観点から、この本の内容、趣意を実践していける可能性がある。その年代の若い人は読んでください。ぎゃーか、ふむふむか、けっとうっちゃるか、色々反応あるだろう。私はその頃ならけっとうっちゃっただろうし、今は32歳でぎゃー、ふむふむ、と思うところもあるし、また別に思うところもあるわけです。

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時々刻々激変していく国際的な労働市場に相対しながら、日本会社社会、その歴史、慣行など諸々の条件下で、動機と能力を、市場価値を持った仕事として戦略的に発揮していく、という内容。その成功例のインタビューも幾つか。

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書かれているような成功例はどれぐらいなのだろうか。成功の例があるなら失敗の例もあるだろうし、失敗の方が多くてもまあそういうものだろうなとも思う。そもそも、この実践を意識的にしろ無意識的にしろやってのける、やっていこうとする御仁は如何ほどいらっしゃるのか。また、この競争のスタートにすら立てない人、あるいはあえて立たない人もいるだろう。翻るに、著者は自身のキャリア論を唯一至上のものと主張しているわけではない。ただ、今までのやりかた、社会的伝統的な範に基づく仕事の仕方(年功序列とか終身雇用とかのバックグラウンドが一律で無くなってるのかどうかわからない)では、保障が脆弱からこれからより色々リスキーになる一方であるし、あるいは収入の面からは今まで享受してきた暮らし、生活を享受できなくなるだろう、ということをデータ化してた(ちゃんと出典出自確認してない)。

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で、国策雇用政策、教育という話はともかく、また新自由主義的な、リバタリアンなどイデオロギー、成長神話などはともかくと、信条価値論は置いとくとして、書かれていること特に「動機」「能力」についての分析や、働くことに関する諸価値観概念ワークライフバランスとか)に参考になることがあったので、それらアンカーにして、より広範な一般的な人間の営為にまで敷衍できたら、上記のビジネスパーソンではない人の生き方の方法論におけるヒントにできるのではないか、と。

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引用たくさんされてた「プロフェッショナルの条件」は読みたいな。

2010-08-01

[][]sir yes sir

D

「sir duke」のサビのコード進行ごまかしてたのだけど、しっかりと聴く機会があったので。

多分| B | E#m | E | C#m7 F#7 |です。2小節目の「E#m」をごまかしてた。キーがBならこの「E#m」は基本的にでてこない約束なんだよ。この部分パッと聴くとまずベース音「E#」は使われてるので、じゃあコード「C#7onE#」か「E#m7-5」なら、オーケーよ。でもそれらを使ってもオリジナルの響きとはどうもどこか違う。耳をすませましたらベースフレーズが「E#-G#-B#」。この最後の「B#」がゴキゲンですけど、でてきて欲しくない音でした。お皿が割れた。だって半音下がって「B」ならわかりやすく、対応するコードもすんなり「E#m7-5」でいけるのに。でも「B#」の音でてきた。でてきて欲しくないのに。じゃあゴキゲン斜めかというとそうでもない、やっぱりゴキゲンなんですねー。

この小節だけキー変わってる、転調してると考えたらどうか。ちょっと楽しい。つまり、別のキーから一時的にコード借りてきてる、呼び出してるのです。何を呼び出してもいいかというとそうでなく、次のコード「E」にシャレオツに連結するファッキンコードがファッキンシャレオツであればあるほどよいのよ。それがスティーヴィーには「E#m」だったと。アレンジャーは本人かどうかわからないけど。それはそれとして、このコードの記述を一般化すると「?#m」、あるキーの音の順列における4番目の音の♯音をルートにしたマイナーコード。繰り返すにこいつなかなか流れの中でポンと出てこない。他にこのコード進行の類例思い起こそうとしたけどこれもまったくでてこなくて、これはこれでまあ脳の問題だ。?#m導く一般的な方法あるのかどうかわからない。例えば、B#の平行調がG#m、その同主長調のG#の平行調がE#m、とでてくるけれど、蓋然的だ。

ことポピュラーミュージックに限り、ドラえもんの関係でコード理論の基本の基本を説明できる。大雑把だし強引だけど。のび太の動き=音楽の動き、流れとして、じゃあのび太がどう動くか、ということ。ここではドラえもんとジャイアンとスネオの三者の間を、のび太が行き来するその行き来の仕方。ドラえもんは「トニック」頭文字とって「T」という役割、機能。ドラえもんは安心、安定。ジャイアンは「ドミナント」頭文字「D」。不安定、緊張。暴力すごいし不合理だ。スネオは「サブドミナント」頭文字「SD」。ドミナントであるジャイアンの手下。ジャイアンよりはましだけど不安定、緊張する。意地悪。ひとまず、しずちゃんがいない、大長編のジャイアンはいい奴などは置いておく。

こういう3種類の役割機能を持ったコードがあって、のび太がそこをあっちこっち行き来するんですが、彼の生活を思い浮かべてみるとどうか、スネオきっかけで、ジャイアンにいじめられ、ドラえもんのところ帰ってきてその苦悶を切々と訴える、というようなパターンは典型的じゃないでしょうか。コード進行でいうと、「SD→D→T」。スネオジャイアンドラえもん。

上記のsir dukeのサビは

| B | E#m | E | C#m7 F#7 |→| ドラえもん | ? | スネオ | スネオ ジャイアン |

と強引にあてることができる。?は役割わからない。

それでまぁこれだけで何なのだ、のび太とは何なのだ、コードは三種類しかないのか、そもそもコードって何だなどと詰め寄られると唸るしかないし、もとよりコード理論奥深くてわからないし、ドラえもんは個々のイメージ思いいれが色々あるだろうし、すみません・・・。

はドラえもん抜きのこのコード話含めてバークリーのジャズ理論−ポピュラー音楽理論、楽理を当然もっと俯瞰的に丁寧に説明しつつ、理論の進化、理論史、概念史、ポピュラー音楽史という側面ももってて、よかったです。スネオの弟とかジャイアンのお母さんとか出てくると思います。この本元にして細かいところ気になったら専門書へというコースはよいね。

2010-05-02

[]hohou バレーofネタ

最近さらさら小説読んだ。

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

切ない、明るい開き直り、みたいなエンディングだったっけか。少し忘れた。はちゃめちゃな文体なので例えば漫画みたいにピャッピャと読めるかと思いきや、そうでもなかった。真ん中の森の中のおはなし、寓話かな、がインパクトあった。

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

楽しく読めた。SF好きだけど、宇宙モノならその映像映画、視覚的なものが好き、そういう好みがまず第一に自分の中にあるのだと思って、なら文章ではそういうの表現するに大変、や、無理か。圧倒的な視覚イメージが好きです。宇宙の戦闘シーンが好きです。というよりは、スターウォーズが好きです。スターウォーズ以外はあまり好きでないかもしれないし、そんなに見てないな、いやほとんど見てないかも。

楽しく読めた、ってのは、いわゆるハードSFの草分けである(とのこと)本作において、そのハードさが直感的に受け入れられるかどうか、自分のつたない知識でカバーできるかって点でそんなに問題なかったことと、ミステリー、推理的な要素の牽引力がぐいぐいたくましかったことと、想像が突飛でないこと、あたりかな。50年代60年代の海外SF色々読んでいこうと思いました。

リヴァイアサン (新潮文庫)

リヴァイアサン (新潮文庫)

人が社会的に狂っていく過程が後半のモチーフだと思った。うーんそれはなかなか辛い。シンパシー感じました。

快楽の動詞 (文春文庫)

快楽の動詞 (文春文庫)

それぞれの話の空気みたいなものがバブルぽいようにも感じるけれど、なら今通じないかというと、そうでもない。著者の女性性に対する態度が一貫してて楽しかった。

2010-04-02

[]ふむー

やりたいことがないヤツは社会起業家になれ

やりたいことがないヤツは社会起業家になれ

ストーリー仕立てで頭に入りやすい。「社会企業家」になった人のおはなし。具体例、巻末参照などアンカー多いし。

まず「やりたいことがない」=「自己実現」の回路が、「人のため」「社会のため」へと転じるのは、感覚的にも、また理路としても簡単でないとは思った。翻れば「自分のため」と「自分以外の社会のため」が別の概念として分けて捉えられるような社会構成、そのコンセプトが人々に支配的である、共通に内面化されている、そういう事態が前提にある、想定されているのだろうけれど。あるいは、それらの事態にまつわる個々の内面性の物語などは贅沢だとか、豊かさからだとか、言ってみても、でもじゃあ解決があるのかというと、それだけでは決して何も始まりはしない。それら事態は現前してて切実であるわけだし。そして、それらは比較的新しい出来事なのだと誘導的に連想させる物語には事欠かなくて、ただただジェネレーションギャップの問題にするならより一般的になりそうだけど、するとぼやけてそれじゃ先に進まないし、イニシエーションやモラトリアムなどの話ならどうか、準拠する概念枠が社会的文化的な事象であれ、心理的内面的なそれであれ、何がしか分かれているものを、かくかくの状態状況であると説明する、あるいは、分かれているもの、事態を積極的に繋ぐということであっても、「社会企業(家)」は同様に一つの結節点、概念なのか、とも思う。

理想としては、社会における具体的な諸問題の表面から根っこへさかのぼって、それを無効にすること、新しく社会的価値を与えることで、経済的な価値をも得るということになるだろうけれど、それは私企業公企業関わらず難しいだろうし、経済社会の一関係として想像すると興味深い歴史の点。

2010-03-12

[]ふむふむ

勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス (岩波ジュニア新書)

勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス (岩波ジュニア新書)

高校生の頃にこの本を読めば自分はどうなっていたか。高校生の頃の自分は今にもましてぼんくらで、なので愛しい存在でした。自分でそういう風に表現できます。さようならあなたあの頃の己、って具合です。しかし彼はきっとこの本を読もうと思わなかったでしょう。

「動機(付け)」は大事、なのだけれど、それさえも前提とされる価値観があってのことか、と言えるとしたら。きっと昔の自分はこの本を読む理由を持たなかった。価値観はやっかいだ。人は何で動くか?ということだろう。わたしは今だってある程度以上ひねくれている。その頃だってそうだった。そういう価値で動いていたし、動いている。しかし、あるいは、それらすら織り込んで、人間が勉強する学習するということを考えている本か。

いい本です。読書対象者は一応中高生であるので、主題とするところではそうでないかもしれないが、内容の範囲は受験勉強の実践を包含してなお余りある。認知心理学の立場から、一般にある程度以上の高度な言語処理、概念処理を伴う、学習、勉強について言っている。これは強力だし面白いバランスだ。なぜか。それらを「社会」が社会的価値として求める、要請する。そしてそのことを人間の認知心理的な処理の仕組みを明かすことで、明かして、グルグル回ってるようだから。んー、どうなのか?どっちが先なんてのは別で。

直接的にそれとして書かれていない範囲は、暗黙知とか身体知あたり、目で盗むこと、行為で表現すること、感性的直観とか?あたり。ただ、そういうのも分析的に扱おうとしてたりする。ある程度、それらを方法として、記述してる。やみくもでない。この著者の他の本も読みたい。わたしの動機は何だ?

2010-02-01

[][][]健康さん、科学さん、オカルトさん、自己暗示さん

体調子よくなったら嬉しい。それが持続的で副作用とか他のバランス失しないとかならもっと嬉しい、というはなし。何らかの健康増進のやり方が自分に合えばそれでよくて、別に人に勧めようと思わない。けど軽く勧めてしまったこともあったかもしれない。ひえー。すみません・・・。逆に、自分はそれでうまくいってるのに、外から何故否定しますか、という事態になったら、邪魔しないで!って叫びたい、のだけれど、手前の知識も有限でありますと反省すると、うーむ。でもうまくいってるならやっぱり邪魔してくれるな、と思うと思う。

懐疑の精神、反省の精神と、自己暗示あるいはそれに類する何かは、作用としては反対ぽくみえる。

年とったら、健康に気を配るようになるとか、できれば健康増進維持したくなるとか、実際あちこち不具合感じるから当座、でもよいので、いやできれば半永久的にそうであればいいのだけど、調子よくありたい。コンディションよくありたい。なので、色々本読むようになりました。けれど不精者はやはり不精自体から何とかせねばならぬのか。

整体入門 (ちくま文庫)

整体入門 (ちくま文庫)

背骨で呼吸するイメージってのが特に面白かった。概念、方法が難しい。

「ゆる」身体・脳革命 不可能を可能に変える27の実証 (講談社+α新書)

「ゆる」身体・脳革命 不可能を可能に変える27の実証 (講談社+α新書)

具体的な実践はやりやすい。あとちょっと気持ちいい。

他にも色々読んだけど、概して、文字や図から身体の動きを再現するのも、また自分が正しくその方法を遂行できてるのかどうかもきちんとは判断できないので、難しく感じますね。ただ、自分で何らかの運動することで新しく「快」を開発する、淡い感覚に「快」のラベル貼る、ってのは、ひとまずは(留保)いいのかなあ。

「健康」を判断する「科学」、根拠としての「科学」、規定する「科学」、そこからはみ出るもの、排除されるもの。概念枠が(西洋)科学に対象化される人間の身体、健康である、と言った時、それでもそれらにはまず高い有効性があるように思えるし(有効性だけを云々するものでない)、実際それらと通ずるであろう「医療」の対象である「身体」「健康」があってそれらは強力だ。恩恵を大いに受けている。でも、自分の中に何かしらもやもやを感じるのもまた事実だ。どうしましょう。