TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 やわ肌雀士

志村裕次[原作] + 森義一[作画] 桃園書房 1978

  • 初出不明、作品内のカレンダーは1976年になっている。
  • 全1巻



┃あらすじ
流れの女雀士、リッコ。美貌のなかに陰りと激しい気性を秘めた女豹。彼女に手を出した者は二度とは太陽を拝めなくなる。彼女はさすらいつづける。そう、彼女と彼女の家族をめちゃくちゃにした「あの男」を探し出すまで……。




女雀士もの麻雀漫画。
原作・作画とも麻雀漫画のキャリアがある作家のため麻雀漫画としての要点は押さえられており、桃園麻雀漫画のなかでもトップクラスのまともな出来。両者のお色気の才覚が問われた一作。




女雀士ものには「べらぼうめいっめらぼうめいっ」と叫びながら小湊鉄道に乗りたくなるようなキッツイ作品が多いなか、これは出色。例えるなら、一般の女雀士ものがクトゥルーの邪神が如き名状しがたい容貌の異形の物体であるのなら、この作品はアメフラシウミウシ。地球上の生物とは認識できる。食べ物で言うと熊味のキャラメル。




麻雀とお色気の悪魔合体がうまくいっているようなうまくいっていないような、不思議な仕上がりになっている。
主人公にマリファナを盛って昏倒させたところを犯した男が弟だったという話には腰を抜かした。普通に「お、お前! 高志じゃないか!?」「ああ〜〜っ姉さん!」とか言って与太話をはじめているが、さすがにこれはちょっと狂いすぎでは。このあと弟は主人公に麻雀ボロ負けし、負けを払いきれなくなって胴元に刺殺される。それを表情を変えずに見ている主人公を見て、弟は「弟の死に際も涙一つ流さなねえなんて……本物の博打ちだぜ姉さん」とつぶやいて息絶える。賭場をあとにした主人公の目には光るものが……。なんか微妙におかしい気もするが、主人公を健三さんクラスの鬼畜攻めに置き換えれば違和感がたちどころに消えるような気がしないでもない。
以上のように、コマごとはまったく破綻していないんだけど、全部つなげて読むとなにかがおかしいという不思議なスメルを立ち上らせている作品。




麻雀としては、初期麻雀漫画にしてはまっとう。字牌のトイツ落としを重ねてのの国士無双など、イカサマネタでない闘牌の工夫がほどこされていて面白い。この作品オリジナルの特徴としては、「女だからこそできる闘牌」がある。
その筆頭が「体液ガン牌」。どのようなガン牌かは字面からご想像頂きたい。とりあえず工夫と努力は認める。でも無理があるわ。根本的なところを揺るがして恐縮だが、「女にしかできない」ことはないと思う……。ただレズが描きたかっただけなのだろうか。

また、「女になりきれば待ち牌を完全に見切ることができる」という超理論主人公に迫るジイさんも登場。ジイさんは主人公に以下の待ちが読めるかと問う。

5枚だけでは無理だと答える主人公に、ジイさん、「燃えるのじゃ! 熱くなれ! 心も体も燃えきって女になるのじゃ!」とか言って主人公を押し倒す(しかも息子にその現場を押さえられる)。主人公が「女になりきって」待ち牌を見切った瞬間、ジイさん腹上死。すごいぜ! クスリをキメて待ち牌を見破る麻雀漫画は数多くあるが、このテンパイ見破り術はかなり斬新、かつ勝負の途中に使うのはかなり難しい手法である。



まあ、『天牌』では2枚で読みきるとかいう話があったので、これくらいは見切れるってことで、ここはひとつ。ちなみに主人公が絶頂の中で見たジイさんのテンパイ形は以下の通り。

ページの余裕さえあれば、数日後に「わしの技のすべてはお前に伝授した……ゴホッゴホッ」とか言って畳の上で臨終の展開もありえただろうが、こ汚いジイさんの死に際を描写するためのマンガでないことは間違いないので、いらんシーンを徹底的にはしょるこの態度は正しいと言えば正しい。が、はしょりどころがすごすぎて、よくわからん性格闘技漫画になっている。




主人公の気の強さが魅力的。
リッコの気の強さの方向性はかなりリアル。彼女が女らしい弱みを見せるシーンがないのも◎。現代でも女性描写に関してみうらじゅんいとうせいこう伊集院光が応援してくれそうな麻雀漫画が多い中、これはよくできている。
まあ、リッコがしばしば負けるのはどうかと思うが。女雀士の主人公が体を賭けて打つ場合、めったなことでは負けずブイブイ勝つ話になるだろうし、リッコは超強いという設定のはずなのだが、よく負けておいしくいただかれてしまっている。負けないとお色気要素がなくなってしまうためか。




おまけ
昔の麻雀漫画名物・おしゃれな名前の雀荘。多分こういう店。

 撞球水滸伝

中野喜雄 日本文芸社 1988

  • 全1巻



┃あらすじ
日野珠美。彼女は伝説の撞き師「撞きの竜」の孫娘として数々のテクニックを仕込まれて育った。珠美を裏ビリヤード界で行われる「極玉」……マッセ(垂直撞き)による曲球選手権の頂点を極めるハスラーに育て上げる、それが祖父の目標だった。珠美はビリヤードを楽しみたいと思っていたため祖父に反発したが、祖父から秘技「ドラゴン・マッセ」を伝授されたことで祖父への思いを改めた。ドラゴン・マッセ、それは登り竜のように球がテーブル上を舞うという妙技。これを撞けるのは祖父と珠美、そして失踪した父のみ。珠美はキューケースを抱いて父を探す旅撞きに出る。




ビリヤード漫画。
話の進め方が麻雀漫画のそれに酷似している。




話は以下のようなノリで進んでゆく。

旅先で場末のビリヤード場にふらりと入る主人公

見かけによらない主人公のビリヤードテクニックにマスター心酔

チンピラ登場「店の権利書を賭けて、ビリヤードで勝負だ!」

いろいろあって主人公、マスターの代撞きに

そして勝負の日。チンピラが呼んできた代撞き、主人公のスーパーテクニックに打ちのめされる

勝利を手にして店を出た主人公を待ち伏せするチンピラ

そこに主人公に敗北した代撞きが現れる! 主人公を庇う代撞き、しかし敗北の代償として二度とキューを握れない腕にされていた

代撞き「代撞きを続けていればお前もいつかこのような運命を辿る……」

街を去る主人公。撞き師の末路は破滅しかないのか。それでも主人公のあてのない旅は続く……

麻雀漫画で佃煮にするほど見たことがある*1プロット……。
珠美はキューを棒術のように使ってチンピラと戦い、コンピューターでどこをどう撞くかを計算するコンピューター撞き師と対戦し、悩めるボクサー青年にビリヤードからボクシングへのヒントを教える。「撞きの竜」「代撞き」というネーミングセンスもすごい。麻雀漫画というより、青年誌ではこういう話法が王道なのか。





ただ、肝心の「ドラゴン・マッセ」がどういう技なのか、ビリヤードという競技においてどうすごいのかが具体的にわからない。作者も自覚があるらしく「とにかくすごい曲玉を撞ければ勝ち」という勝負にもつれこんだりする。技の演出やすごさがビリヤード漫画業界でどう表現されているかは、ほかのビリヤード漫画を読んで研究してゆきたい。コンピューター撞き師っていう発想はかなりすごいと思うのだが、ビリヤード漫画では普通のことなのか? 麻雀漫画でコンピューター雀士はその多くが負け役だが、コンピューター撞き師もまた負け役である。その敗因というのが主人公がコンピューターの読みを凌駕する技をくり出すとかじゃなくて、停電であわてふためいて主人公に三味線で惑わされるという可哀想すぎるものなのだ。なんか……すごいよね!




私事だが、プールバーとビリヤード場は違うということを今日初めて知った。というか、プールバーって、プールが併設の金はあってもセンスがない人向けのバーだと思っていた。プールバーとビリヤード場はどこがどう違うのか。前者はヤング、後者はトッツァンがいるということだけはわかる。




作者は『麻雀蟻地獄』の人。絵がめっちゃ巧くなっていて驚き。いやー、人間諦めないで努力し続ければ報われるもんなんですねー。




ところで、ダーツよりビリヤードのほうが明らかにおもしろカッコよそうなのに、なぜいまの若者はダーツをするのかね。まあ、麻雀もビリヤードも、昔はそういうヤングのファッションとしてのレジャーのひとつだったんだろうね。




参考サイト
┃ 撞球資料館 http://www.soretama.com/data.htm
ビリヤードにまつわる映画、本などを集めたサイト。ビリヤード漫画のリストが充実している。書影、あらすじ解説、寸評あり。

*1:ような気がするが実はここまでベタベタすぎるのは見たことがないかも……