残念

前提が変われば考え方も変わるのです 2」について。
残念ながら議論として成り立たないので、これを最後の反論にします。

え〜、簡単に言うと、なんで「全てを善意的に」が成立すると感じているのか? が不明瞭だということです。つまり、貴方の想定としては僕が言うようにはならず、もっと悪くなると想定しているんだと思いますが、書かれている内容を見る限り、その根拠が「家族に高い価値観が存在していること」を前提にしているようにしか見えないのです。

善意的という言葉ではなく、楽観的という言葉を使うべきでした。
現状の社会における不平等の要因を全て家族の所為にして家族解体を唱えておきながら、氏の想定される家族解体後の社会について具体的な形は無く、「今の価値観とは違うので」の一言で指摘した問題点の大部分を考えようとしません。それを楽観的と言わずに何と言うのでしょうか。
また「家族に価値が無い」とすること自体が分かりません。家族制度があることで起こりうる問題があるというのは否定するつもりはありませんが、メリットが無いのであれば何故古来から家族というものが存続してきたのでしょうか。少なくともメリットがあるからこそ家族というものが存在してきたのではないでしょうか。
別に家族とは国家が無理に作ったものではありません。政府が無い場所でも家族はありますし、血縁による集団の形成は人間だけではなく動物の社会においても見られます。もし家族というものにメリットが無いなら、彼らは何故家族を形成しているのでしょうか。

軍国主義でも共産主義でも平等が実現できると主張することは可能なのかもしれませんが、その場合のデメリットをどう考えるかと言う問題が残ります。そういう意味で、現在の価値観をリセットしていただいて、その上でもまだ僕の想定が善意的過ぎるというのであれば、それは十分拝聴に値する内容だと思っています。

どのような価値観で物事を考えるべきだというのでしょうか。
「家族解体後にはこのような理由によってこのような価値観になると思われるから、それは杞憂に過ぎない」との説明があれば議論になるのですが、そのように書かれているわけではないので、どのような価値観に基づいて判断していけばよいのか分かりません。想定していない事やデメリットを「根本の価値観が違う」で一蹴し、想定するメリットについてのみ既存の価値観を用いて判断するのは何故でしょうか。例えば家族解体後の社会においては「平等」がデメリットになっているかもしれない、と言うことは考えていないのでしょうか。


上記に絡んで下記の点について。

ちなみに、純粋に経済力の問題だけなら、仰る通りかもしれません。けれど、僕としてはそれだけではないと思っています。保護者の人間性とか、親類縁者の問題とか、地域性の問題とか、結局それらの要因は保護者に付随するものである訳です。だから、経済的な部分だけフラットにすればだけでは片付かないだろうと考えています。

氏の理論を借りれば「軍国主義国家(または共産主義国家)になった際の価値観は既存の価値観ではかれないので、氏の想定しているデメリットはデメリット足りえません」という反論になります。このような反論を用いる話し合いは議論たりえないと感じていただけることだと思います。


まあ、残念ながら私の発言は氏にとって「拝聴に値する内容」ではないのでしょう。
議論にならないのは私の読解能力不足だと思いましたが、氏が私の意見をそのように捕らえているのであれば仕方ありません。

※ ふと思ったんですが、ひょっとして現状からの移行段階について考えているのではないですか? 勿論ある日突然変わりましたとやっても、駄目でしょう。ここで書いているのは完成型であって、移行については手段も含めてここではほとんど記述していません。

それであれば、政策に対する批判際に用いるべきではなかったですね。
私は家族解体を氏の考える教育機会の平等化の為の対案として考えていましたが、後述する引用にもあるように、そういう前提で成り立っている社会を想像しているに過ぎなかったと言うことであれば、話がかみ合わなくても仕方がなかったですね。私は小説家になる予定はありませんので、手段を考えないで完成された社会を想像する事にあまり意味を感じません。
氏の案(?)に対する意見としては、「平等社会という意味では、家族を解体するよりも映画「マトリックス」のような社会が人に平等をもたらすシステムと言えるでしょう」とすべきだったのかもしれません。

賛同云々以前に内容を理解されていないと感じます。もう一度言いますが、前提条件が変われば人間の考え方は変わるのです。そこを正しく解釈してもらわない限り内容は理解できないと思うし、議論も噛み合って来ないのではないでしょうか。

氏が家族解体後の社会で価値観がどのように変わると想定しているのか不明なので、正しく理解することは難しいです。



遠い未来、家族というものがなくなる可能性を否定することはしません。ですがそれは平等を目的とした手段としての家族解体ではなく、結果としての家族解体でしかありえないと考えています。また、平等についても同じです。残念ながら、そういったものは現状SFの世界でしか成立しえないものです。
私はそんな遠い子孫らのことを考えて日日を生活できる程の頭がありません。精精自分の生きている今後30年において、実現可能なより良いと思われる事を考えていくのが関の山です。
ですので私の考える平等を目指す案は、根本的な問題の解決になりえる最善のものではありません。つまり日日100人中50人しか助けられない場合、「100人助ける為に案を考え続け、その間50人しか助けない」のではなく、「とりあえず90人助けることを目的とした案で70人助けられるようにする」と言うことです。
私は政治家になりたいのであって、小説家や評論家になるつもりはありませんので。



(2007.12.05 追記)
トラックバックを頂いたので内容を確認しました。
重ねて言いますが、空想の実現が現状の抜本的な改革になる、と妄想するのは勝手です。ですが、その空想が実現しないから世の中間違ってるんだ、と言うのでは子供の我侭と一緒です。氏の頭の中では家族解体後の素晴しい社会が構築されているのかもしれませんが、表現されないので私にその思いを共有する事は出来ません。
技術的な問題や具体的な政策、そして想定するビジョンも無いままに「将来の平等の為に家族解体すればいい」と言うのは、「世界平和の為にエンジェル・ハイロゥを製造すればいい」と言ってるようなもので、あまりにも荒唐無稽です。
政治も人が行うものであり、完璧な人間が存在し得ない以上、現在行われている政策が人によって愚策に感じられるのは仕方が無いでしょう。そして現状のシステムを使って生きている人たちが居る以上、場当たり的と思われようが、地道に現状の改善を続けていくしか無い訳です。そう言ったことを「後の人のが苦労する」と批判して、実現可能かどうかも分からない事をまことしやかに語って自己陶酔に浸るような姿勢は、あまり好きになれません。
願うよりも選挙に行く事の方が、このような考えを持つ人を政治家にしない手段です。氏の考えるような政策を採ろうとする政治家がいるかどうか分かりませんが。