Technical Knockout にオープンソースとクローズドな規格の問題を追加。Kevin Bedell の文章の日本語訳です。ライセンス関係の文章ということで定訳から外れたところがあるかもしれないので、おかしなところがあれば遠慮なく指摘してください。
予め書いておくが、当方は原著者の見解に賛同して本文を翻訳したのではない。個人的には、Java のオープンソース化にはもう興味がない。
ちなみに原著者は、LinuxWorld Magazine の編集長。
当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。
Technical Knockout にオープンソースとクローズドな規格の問題を追加。Kevin Bedell の文章の日本語訳です。ライセンス関係の文章ということで定訳から外れたところがあるかもしれないので、おかしなところがあれば遠慮なく指摘してください。
予め書いておくが、当方は原著者の見解に賛同して本文を翻訳したのではない。個人的には、Java のオープンソース化にはもう興味がない。
ちなみに原著者は、LinuxWorld Magazine の編集長。
久方ぶりに Scripting News を読んで知ったのだが、(Dave Winer が創業した)Userland の屋台骨を支えた Userland Frontier のカーネルが、Frontier Kernel において GPL で公開されていた。
Frontier は、ソースコードの編集やデバッグができる、ウェブコンテンツ管理データベース、統合スクリプト環境で、XML-RPC が最初に実装されるなど(まあこれにも Dave Winer が大きく絡んでいるのだけど)現在隆盛の CMS の草分け的なイメージで当方はとらえているが、それでオッケーっすよね? それがどうしてオープンソース化されたのか、なぜライセンスが GPL なのかといった点については、上記サイトの FAQ ページを参照いただきたい。
Userland の製品は元々 Mac 用がほとんどで(だと思う)、古株の Mac ユーザには感慨深いものがあるのではないか。日本における Frontier についてのドキュメントというと何といっても UserLand Frontierユーザーズガイドで、プロジェクト杉田玄白最初期の登録文書の一つとして、個人的にも思い出深いものである。
この文書の訳者はアノ人。
久方ぶりに Open Source Initiative (OSI) のサイトを見てみたら、ウェブログができていた。名前からも分かる通り広報系ウェブログなのだけど、もうちっと更新頻度があがったほうが嬉しいかも。ちょうどリンク用ボタンができたとこみたいですな。
半年ぶりに更新が再開している esr の blog は b2 を採用しているが、こちらは blosxom。
以下の二つの記事を見比べていただきたい。
両者で大きく違うところがある。CNET Japan では原文にあったリンクがすべて削除されているのだ。記事配給先の ITmedia ではちゃんと残っているにも関わらず。
CNET Japan の編集者は一体何を考えているのか。ウェブメディアと紙メディアの違いで何より一番大きいのは、ウェブは他のリソースにリンクができ、それに1クリックで飛べるということである……などと今更書くのも馬鹿馬鹿しいほど、いろはのレベルの話だ。その特性を自ら殺すのは、ウェブメディアとしての自殺行為ではないだろうか。読者に提供する情報を減らしてどうするよ。
上に挙げた記事で言えば、Michael Tiemann の blog エントリをはじめとするリソースに飛べないと、その記事が伝える内容を検証する手段が失われる。それじゃ何のためのウェブだ。原文にあったリンクを削除してのっぺらぼう化した記事を伝える編集者が、blog の可能性だ何だと語ったところで空しい話ではないのか。
ちなみに上に挙げた記事だけがそうなっているのではなく、(いつからかは分からないが)翻訳記事はすべて原文にあったリンクが削除されているように見える。読者もバカにされたものである。
帰ってきた「Amazon980円劇場」。
本作は、ロキシー・ミュージックのラストアルバムにして、有終の美を飾る最高傑作である。バンドのキャリアを頂点でキレイに終わらせるというのは相当に難しいもので*1、そうした意味でもフェリーさんは見事だった。
ただ、はじめてロキシーを聴く人には、本作はお勧めしない。
アルバムを順番に買えというのもふざけた話だし、第一ワタシだって全作聴いてやしない(笑)。はじめての人はとりあえずベスト盤から入り、自分の好みに合う時代のディスクを聴けばよいのではないだろうか。要は、ロキシーは初期と後期では表面上かなり振幅があるということである。
初期のアヴァンギャルドさを知るものからすると、本作の破綻のなさに物足りなさを感じるかもしれない。アルバム全体の整合性が重視され、前作の "Oh Yeah" のように激烈に酔える情緒的な曲にも欠ける。しかし、本作はフェリーさんが一貫して追求してきたものの極点には違いない。アーサー王が死後赴いた地の名をタイトルに冠し、冒頭を飾る "More Than This"*2において、"More than this - there is nothing" と宣言していることからも、フェリーさんの自信が伺える。実際、本作の音は緻密なだけでなく、伸びやかさと瑞々しさがあり素晴らしい*3。
もっともサウンドが洗練されるにつれ、バンド的にはアンディー・ニューマークをはじめとする達者なセッション陣のスリックさと、フィル・マンゼネラとアンディ・マッケイのオリジナルメンバー組のアイデア勝負加減のバランスがギリギリになっており、別の意味でも飽和状態だったのかなとも思う。
個人的にはやはりタイトル曲が一番好きで、好きな女性にテープを作って送るときによく入れたものである*4。そして本作の最後をしめるマッケイのサックスソロ "Tara"*5にもお世話になったなぁ。ああしたテープの場合、時間いっぱい入れたいわけで、ちょうどテープの最後に2分程度の小品は便利だったわけである。
さて、以前にも書いたが、アナログ盤サイズだと息を呑むほど美しいジャケットに写っているのは、本作発表前後にフェリーさんと結婚したルーシー・ヘルモア嬢で、顔を出さなかったのは、ジェリー・ホールのときの失敗*6を反省したものと思われる……などと書くとフェリーさんは怒るだろうが、みんな少しは思ったはずだ!
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