さて先週、川端康成が草間弥生の初期作品を買っていたことが、川端が草間の才能をいち早く見抜いていた証左としてニュースになっていた。
川端康成というと乱費癖も有名で、晩年は骨董屋からの非常識な買い物をしていたというから(嵐山光三郎の『文人悪食』には、川端踏み倒し伝説を明確に否定する夫人の声も紹介されているが)、美術品の蒐集に関してはその文脈でとらえるべきという気もする。ただ川端の新人作家の力量を見きわめる眼力の定評は高く、圧倒的な影響力をふるっていたようで、美術に関しても同様だったのかもしれない。
例えばその影響力は、安部公房の芥川賞受賞のときに発揮された。今となっては安部公房が芥川賞をとっているのは至極当然に思えるが、強く推したのは瀧井孝作と川端康成の二人だけでおまけ受賞扱いだったというのは驚くほかない。
これは加藤弘一氏による「同時代人の読んだ安部公房」で知った話だが、同ページの埴谷雄高についての項を読むと、埴谷の人間的な大きさを感じずにはいられない。文壇に限らず、今の日本にこうした度量を持った人物のなんと少なく、反対に若手の足を引っ張りたがる年長者のなんと多いことか。
さて、埴谷雄高というと、山形浩生の浅羽通明『ナショナリズム/アナーキズム』評を読んだときに思いついたことなのだが、「引きこもりのおたく先駆者」としての埴谷雄高と、親の脛かじりのモラトリアムとしてのウィリアム・バロウズは、もしかすると近いところがあるのかもしれない。埴谷は人脈的には戦後文壇の主流に位置しながら作品的には紛れもなく反主流であり、バロウズは時代時代で多くのフォロワーに囲まれながら、作品的にはやはりこちらも反主流であるところなど。
いつか山形さんに聞いてみようかと思うのだが、何より浅羽通明の本を読むのが先決だし(まだ読んでないのかよ!)、そういう機会はもうないかもしれないが。