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YAMDAS更新(ソーシャルネットワークユーザのプライバシー権利章典)

Technical Knockoutソーシャルネットワークユーザのプライバシー権利章典を追加。Kurt Opsahl の文章の日本語訳です。

Kurt Opsahl って誰やねんという感じだが、要は電子フロンティア財団(EFF)の人ですね。

この文章も Facebook のプライバシー問題が契機とな間違いないだろう。

大森望さんの1994年の電子書籍論

大森望さん自身の tweet 経由で、1994年の SF マガジンの連載「SF翻訳講座」における電子出版、電子書籍に関する文章を読んだ。

16年前のハードウェアのスペックの話は隔世の感があるが、それでいて変わってない話もいろいろあってちょっと複雑な気分になる。

 活字の本は、読むための機械も電力も必要ないし、携帯性も抜群。いってみればソフト/ハード一体型の読書専用機で、しかもその形態は数世紀にわたって磨き上げられ、極限までユーザー・フレンドリーなインターフェイスを実現しているわけだから、ソフト的にもハード的にも、とてもいまの電子本じゃ相手にならない。

 にもかかわらず電子本をしつこく支援しつづけるのは、物理的な大きさを持つ「本」が量的にすでにパンク状態に達しているからにほかならない。流通がどうの、絶版がどうのといわなくたって、16本あるうちの本棚に入りきらずにあふれだし、廊下や畳に山積みになる本の量を見れば一目瞭然。空間の量は有限なのに本は無限に増殖する。要らないと思って古本屋にたたき売ったり段ボール単位でだれかにあげたり実家に送りつけたりした本があとで必要になって買い直すなんてのは日常茶飯事、さらには混沌の中からさがす努力を考えると買ったほうがはやいなんて状況もしばしば生じるわけで、こうなるともう開いたページからたちのぼるほのかな香りが……とか悠長なことをいってる場合ではないのである。

オンライン出版関連アーティクル抜粋(SF翻訳講座より)

長々と引用してしまったが、この最後に書かれていることは、当時も今もすごく重要なことである。ワタシにしても電子書籍に期待するポイントはいくつかあるが、これは間違いなく最も大きいし、この視点を忘れてはいけない。

マーガレット・サッチャーがモンティ・パイソンの「死んだオウム」ネタを披露する貴重映像

これは笑った。1990年のイギリス保守党大会で、マーガレット・サッチャーモンティ・パイソンの最も有名なスケッチである Dead Parrot の一節を披露している貴重映像である。

サッチャーが首相を辞任したのは1990年11月で、この動画の最初に 10/12/90 に録画とあり、これが1990年12月10日だとすると、退陣直後の映像ということになる。……と思ったが、同じ画面に Prime Minister と表記されているから、件の表記は1990年10月12日で、まだ彼女は在任中か。

何で「鉄の女」がパイソンをと思ったが、当時自由民主党(もちろんイギリスのね)が新しいマスコットにオウムを選んだことにかけていて、サッチャーが "This is an ex-parrot" と言っただけで会場大受けである。

その後もサッチャージョン・クリーズ先生の台詞を続け、最後はこれまたパイソンの "And now for something completely different" でしめくくっている(笑)。こういうのにあたるネタって日本だと何になるだろう。

しかし、それから20年経ち、保守党がその自由民主党を連立政権を組むなんて当時は夢にも思わなかっただろうね。

なお、これがオリジナルの「死んだオウム」スケッチ。

tana-yの再開を密かに喜ぶ

しばらく休止状態だった個人サイトが更新を再開すると嬉しいもので、はてなアンテナから外さなくてよかったと思うわけだ。

最近ではおよそ二年ぶりに更新を再開した tana-y がそうだ。再開して一週間続いているから、これはちゃんとした再開と考えてよいのだろう(そう思いたい)。

画像+三つの段落の文章という鉄壁のフォーマットがまったく揺らがないのに唸ってしまう。大好きだ。

17歳の肖像

以前から楽しみにしていた映画で、他の映画と間違えそうな邦題はちょっとイヤだが、期待通りの出来で満足だった。

昨年ヒッチコック『フレンジー』を観たときも思ったのだが、ブリティッシュな顔が並ぶだけでワタシ的には気持ち良くなるみたい。本作では四角四面な主人公の父親役の顔が文字通り四角四面で最高だった。

本作の舞台は1961年のロンドン郊外で、端的に言えばビートルズ以前のイギリスである。

主人公はオックスフォード大学への進学を目指す16歳(作中17歳になる)の利発な女学生で、その彼女が30代の大人の男性と出会うのだが、その出会いの場面からしてすごく素敵で、そのときのワタシ的にうっとりとした感じがずっと続いた。

大人の男性の手引きでジャズクラブ、高級ワインなどそれまで知らなかった世界を体験し、あこがれの地であるパリを訪れる主人公――そうするうちに学校での勉強、大学への進学に疑問を持ち始めるという展開は、物語の題材として他にでもいくらでもあるだろう。

本作を際立たせるところに、当時の風俗描写の丁寧さがある。脚本も巧みで、ニック・ホーンビィというとロックミュージックと分かちがたい人と思っていたが、そういうのにまったく頼らなくてもこれだけの脚本が書けるのかと感嘆した。

本作に描かれる時代背景として、女性が大学に進学しても大した選択肢がなかったというのもある。主人公の校長との会話が象徴的だが、大学に行って教師になったとしてもきつく退屈なだけじゃないかと詰め寄る主人公に対し、「公務員にもなれる」というしょぼい選択肢しか提示できない無様さを今の日本人は笑えるだろうか。また一方で、自分は本作における小論文教師のような毅然とした態度を示せる大人足りえているだろうかとも考えた。

やがて主人公は大人の男性に幻滅し、現実に立ち戻ることになる。その結末にしてもやはり凡庸といってよいのかもしれないが、本作の一貫して節度のある演出は観ていて心地よかったし、本作の場合、主人公を演じるキャリー・マリガンがとても魅力的で、彼女の存在自体が本作をドライブさせていたように思う。

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