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スター・ウォーズ/フォースの覚醒

エピソード4〜6は当然ながら子供の頃観ており、特にエピソード5と6は映画館で観た。前者については、もしかすると初めて映画館で観た映画かもしれない。

ただし、エピソード1〜3はまったく観てない。これは意志をもってそうしたし、今回の新三部作もそうなる予感があったのだが、どうも辛かった。前回のときと何が違うのか考えてみると、やはり SNS、特に Twitter の存在だろうか。もはや終わっているといわれることも多い Twitter だが、未だワタシにとってネットの主戦場の一つなわけで。

さて、今回スター・ウォーズジョージ・ルーカスの手を離れ、J・J・エイブラムスが監督すると知り、これはよいことだと思った。

言っておくが、ワタシはJ・J・エイブラムスという人を、映画監督としてまったく評価していない。

ただ彼は、『ミッション・インポッシブル』にしろ『スタートレック』にしろ、過去の遺産を継承した上で新シリーズを展開することについては間違いなく長けている。その二つよりも煩いファンが多い、ある意味アメリカの神話ですらあるスター・ウォーズサーガの性質を考えれば、それを引き受けられる人間は彼以外にいない。

彼は上にも書いたように過去の遺産の継承する――簡単に言えば古参のファンの愛を切り捨てない。そうした意味で自意識の向け方というか、破壊衝動を間違った方向に使わない人である。こういうところは日本の映画界、特にポスターを思い切りダサくしたり、トンチキな邦題をつけたり、字幕になっちを起用したり、余計な宣伝戦略で客を苛立たせるなど、そうして破壊衝動を満たさないと気が済まない自己顕示欲の強さを感じる、日本の映画会社の宣伝広報に携わる方々は見習ってほしいところだ。

またJ・J・エイブラムスは才能の配置も的確で、エピソード5と6の脚本家であるローレンス・カスダンを起用する一方でルーカスの意見をきっちり排除し、確かルーカスも「自分が考えていたストーリーとは違う」といったことを認めていたはずだ。ということは、これはかなり良い兆しである。

で、結局ワタシは『フォースの覚醒』を映画館で観たわけだが、こういうことを書くと顰蹙を買うだろうが、賢しらな凡才が全力を尽くしてなんとか仕立てた良作だった。

以下、ストーリーにも触れるので、ネタバレに類する記述もある。未見の方は注意。

上に書いたように、本作はうるさ型の多いスター・ウォーズのファンが観たいものをきっちり満たしながら、新たなストーリーを紡いでいる。これはかなりハードルが高い仕事で、旧シリーズの誰をフィーチャーするかで作品の力点も変わってしまう。その点、いろいろと試行錯誤と途中変更があったようだが、本作はルーク・スカイウォーカーが消えたという設定の元、ハン・ソロが若い登場人物を導く役割を担っている。

マジメな話、どうせハリソン・フォードはじめ旧キャストなんてカメオに近い出演だと思い込んでいたので、ここまでハリソン・フォードが活躍し、また本作におけるショックを担ったことに驚いた。しかし、大変失礼ながらキャリー・フィッシャーの登場シーンは思わず笑い出してしまい、その直後にある感動ポイントに集中できずしまったと思った。

なんでルークが消えたのか、というのが本作の悪役の出自にも関わるのだが、彼は最初からなかなか怖さを見せてくれるのだけど、自分を抑えられない幼稚な凶暴さや早くも見せる脆いところなどダース・ベイダーとは格が違いすぎる(というか、ライトセーバー戦が大して強くないって、お前今まで何やってたの?)。そのあたりこそが作り手の狙いのひとつであり、次作の展開にも関わるのだろう。しかし、あの人とあの人の息子なのに、なんであんな華がない顔なんだ?

しかし、過去の遺産の継承し、古参のファンの愛を切り捨てないというのは諸刃の剣で、結局本作のストーリーラインは旧三部作のエピソード4と大枠同じになってしまった。それがJ・J・エイブラムスという人の創造性のなさであり限界である。そして、本作における反乱軍のレジスタンスを見ていると、子供の頃のように無邪気にヒャッホーと飛行戦を楽しむのでなく、スター・ウォーズの反乱軍の戦いって、イスラム過激派の典型的なラジカライゼ―ションの過程にそっくりという説があったね、と冷静に思ってしまった。

言っておくが、だからダメだとかましてや規制しろとか言いたいのではない。あるストーリーに感動して涙を流すとき、よくよく突き詰めてみれば、その背景に認めたくない差別意識などがあったりするものだ。これも同じことであり、だからこそその無茶なカミカゼ攻撃とそれがうまくいったときのカタルシスが爽快なのである。まぁ、ここで反乱軍をイスラム過激派に、本作の悪役の凶暴さと脆さをアメリカになぞらえたりするとややこしいことになりそうなので止めておくのがよいだろう。

本作は良作であったし、J・J・エイブラムスはよくやったと思う。ちょっとした映像の見せ方まで考えられているし、このシリーズらしいユーモア感覚も見事に受け継がれている。そして、ちゃんと次への期待もつなげるラストだったのだが、エンドロールになるなり、レイトショーでもかなりいたお客の結構な割合がさっさと席を立っていた。『SUPER 8/スーパーエイト』のときも思ったのだが、結局J・J・エイブラムスの映画って良くない意味でクールで、余韻に欠けるのだ。本作のラストでもそうだということは、旧キャストが登場するだけで喜んでもらえない次はなかなか苦しいことになるだろう。

本作については圧倒的に歓迎する声が多いが、ちょっと熱狂的すぎである。本作は良作だが、傑作でもこの後語り継がれる水準の映画でもない。もはやこのシリーズの一作目は一種のアトラクションと化しており、ファンがはしゃぐのはいいのだが、これを絶賛した人ってエピソード1に4つ星中3つ星半をつけたロジャー・イーバートのようなバツの悪さをあとで覚えるのでは、と余計なお世話なことを思ったりした。

個人的には、J・J・エイブラムスは、(旧三部作のルーカスと同様に)次作は監督は他の人にまかせて製作にまわるほうがよいと思う。思えば、『ミッション・インポッシブル』シリーズにしても、彼が監督した3は凡作だったが、彼が製作にまわってからはっきり映画の水準があがった。お膳立てがうまい彼の賢しらさは、監督の座を諦めることで活かされるだろう。

ネーミングは良くないが注目のネットワークベースIDSのBro

O'Reilly RadarBoing Boing で話題になっているが、Bro というオープンソースBSD ライセンス)のネットワークベース IDS が公開されている。

しかし、Bro ってネーミングはどうなんだ。Nat Torkington は "wince-inducing name" と書き、Cory Doctorow も "unfortunately named" とコメントしているが、やはりこれって Brogrammer などの言葉を連想させるからだと思うね。

それはそうと、これの主要開発者の Vern PaxsonFlex の原作者でもあるカリフォルニア大学教授とな。

朝山貴生氏の「世界の金融機関がフィンテックの本命としてブロックチェーン技術にこぞって投資する理由とは?」シリーズにやられた

実は今年中に WirelessWire にもう一本くらい原稿を書こうと思っていて、題材は今年のはじめに Bitcoin Is Dead. Long Live the Blockchain! を書いて以来のブロックチェーン周りのことを書くつもりだった。

が、Zaifmijin の開発元テックビューロ株式会社の CEO である朝山貴生氏がそのあたりについてズバリな文章を書かれている。

ワタシは「プライベート・ブロックチェーン」というコンセプトに関する Arvind Narayanan の懸念あたりを軸にして、中本哲史の正体が分かったとかいや分からないとか、日銀レビューの話とか周辺も交えていろいろ書くつもりだったのだが、どうやっても朝山氏の文章と重なる。

というわけでワタシは原稿を諦めたので、未読の方は是非上でリンクした文章を読んでください(笑)。

Blockchain: Blueprint for a New Economy

Blockchain: Blueprint for a New Economy

2016年のLinux界隈についての8つの予言

この手の予測って大抵は外れるが、だからこういうのがすべて無駄というわけではない。Bryan Lunduke が予測する Linux の2016年はどんな年になるか。

  1. 我々はまだ Wayland を使わない
  2. systemd の対象範囲が拡大する
  3. Canonical は電話分野から手を引く
  4. Android にデスクトップ重視の重要な機能が入る
  5. Chrome OS から Google Play ストアにフルアクセスできるようになる(Android アプリを直接インストールして動かせるようになる)
  6. 新たな Linux ベースの電話向け OS が登場する
  7. elementary OSopenSUSEFedora (のいずれか)が市場シェアを獲得する
  8. マイクロソフトオープンソース活動を増す

個人的には Chrome OSAndroid の統合、あと Linux ベースの電話向け OS の話が気になるね。

ネタ元は Opensource.com

ロジャー・イーバートが心底嫌った22本の映画

ワタシにとってロジャー・イーバートの映画評は、必ずしも同意するばかりではなかったが、一つの大きな柱のようなもので、間違いなくよりどころであった。また彼の映画以外についての世評もワタシは好きで、実は彼が数年前に書いた文章についてワタシも文章を書きたいと思いながら、怠惰なため手をつけられずにいる。

その彼が心底嫌った22本の映画を紹介しているのだが、彼の場合、罵倒する場合もその激しさが話題になる。もちろんこの記事でも紹介されているが、『ノース 小さな旅人』に対する評は有名である。

「ぼくはこの映画が嫌いだ。この映画が大大大大大嫌いだ。大嫌いだ。この映画のにやついた、馬鹿馬鹿しい、空っぽの、観客を傷つける、全ての場面が嫌いだ。みんながこれを気に入るだろうと思うその感性が嫌いだ。この映画でみんな楽しめるだろうと思う、観客を馬鹿にした信念が透けて見えるのが嫌いだ。」

ロジャー・イーバート - Wikipedia

あとあまりにひどく書かれて映画の登場人物で仕返しをした人もいるくらい。

ローランド・エメリッヒは、監督作『スターゲイト』が酷評されたことから、後に『GODZILLA』でイーバートをモデルにした人物を、無能なニューヨーク市長の役として登場させている。

ロジャー・イーバート - Wikipedia

で、今回選ばれている22本の映画だが、日本では DVD スルーであったり、『愛の伝道師 ラブ・グル』みたいにゴールデンラズベリー賞をとったしょうもない映画については別にどうでもよくて、また『アルマゲドン』や『チャーリーズ・エンジェル』のような大ヒット娯楽作を酷評するのも意外ではないので、『ブルーベルベット』『キック・アス』のように批評家受けもいい映画に対して、敢然とその不道徳性を批判した映画を取り上げるべきじゃないかな。

しかし、イーバートが『ユージュアル・サスペクツ』を酷評したのは知らなかった。ワタシは大好きなんだけどなぁ。

あと『ブラウン・バニー』を酷評したところ、キレたヴィンセント・ギャロに「太った豚」と罵られて返した言葉も奮っている。

いかにも私はデブだが、いつか痩せる日が来るかもしれない。しかし、キミは一生『ブラウン・バニー』の監督のままなんだよ。

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