an-pon雑記帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-11-25

Drop me a line

・・・手紙を書かなくなってどれくらいになるだろう。
便箋を、ハガキをひとつひとつ選んで、ペンを持って書いて、住所を調べて、切手を貼って投函する、紙の手紙のことだ。
以前は時候の挨拶ハガキはもちろん、何かしら環境が変わるたびにすきあらば手紙を書いたものだった。ことに社会人になって間もない頃などはなかなか会えなくなってしまった人に、慣れない会社員ぶりを面白おかしく(本当は毎日半泣きだったのだが・・・苦笑)書き綴っては送りつけたりしていた。凝った絵ハガキをいつもストックしていたし、「まるで本人がしゃべっているようだ」と言われたその手紙は、おおむね好評を博していた(と、思う。たぶん)。

そう、手紙をもらうのはとてもうれしいもので、それはメールの比ではない。ちょっとした手書きのハガキ一枚で、一日気分よく過ごせたりすることだってある。一生忘れられない、大切な手紙をお持ちの方もきっと多いはず。
長く勤めた会社を辞める日、同期から寄書き風の短い手紙をたくさんもらった。たまたま手に取った手紙の最初の一行に大きく丁寧な字で、「よくがんばったね」と書いてあるのを見て、それまで張りつめていた気持ちが一気に弛んで、そうかそうか、がんばったか私・・・と、しばらく身動きできなくなってしまったことがある。
人の手を持って書かれたものは、書いた本人が思っている以上の力が作用することがあって(まぁ、好ましくない方へ作用することもよくあるわけですが)、なんでもない平凡な言葉が思わぬところで気持ちをぐっとほぐしてくれたり、ささやかなれど確かな支えになってくれたりする。そういう感覚を忘れたくないな、大事にしたいなと思っているというのに近年のこの筆不精ぶりは何(笑)。
ちょうどこの時期でありますし、懐かしいあの人へ久しぶりに軽く一筆。
改めまして・・・「暑中お見舞い申し上げます


手紙の小説といえば・・・まず太宰治が大変得意としていたし、宮沢賢治の童話でも魅惑的な小道具のひとつとしてよく登場する。が、なんといっても漱石の『こころ』でしょう(読み返すたびに新たな発見があります)・・・等々あれこれ思い浮かびますが、ちょっと異色なところでこんなのはどうでしょう。『蟹工船』がベストセラーになるという昨今(草葉の陰で苦笑するか、多喜二)、プロレタリア・ホラーとでも呼びたい葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』。大変恐いので涼しくなりたい方はぜひ(笑)。

私は村上春樹の大ベストセラー小説『ノルウェイの森』を読んで辟易した者であるが(あの小説は心酔派と辟易派にわりとはっきり分かれそう)、主人公とその恋人が精神的に不安定になるにつれ、さかんに手紙のやりとりをするところはとても印象に残っている。「それは誰のせいでもないし、それは雨ふりのように誰にもとめることができないことなのだ」に象徴されるような、どうにもやりきれない物語ではあったけれど、会って伝えられない思いを手紙に託すもどかしさ、みたいなものが切実に感じられて、うまく説明はできないけれども、うん、若いときはこうでないとね、と思ったものである(笑)。
これだけネタに四苦八苦しているのにこの小説が映画化されないのは、ヘタに作ろうもんなら映倫にR指定をくらって商売にならない上、春樹フリークの恨みをかうからかしら〜などと思っていたが、この度ベトナム出身のフランス人監督トラン・アン・ユンの手によって映画化のはこびとなったらしい。トラン・アン・ユンといえば、静謐さの中に水が滴るような透明なエロティシズム漂う傑作『青いパパイヤの香り』の人である。
・・・これは楽しみですねえ。

(2008年7月31日記)

宵山

           
           f:id:yoneyumi0919:20080715161724j:image:medium          f:id:yoneyumi0919:20080715163728j:image:medium

京都を代表する夏の風物詩、今夜は宵山です。
翌日の山鉾巡行がハイライトとはいえ、今宵は人出が最高潮。
そろそろ夕暮れのいい頃合いかなぁと、最寄りの地下鉄四条駅なんぞに迂闊に降り立ちますと、すべての出口に人が大量に詰まっており、小一時間ばかり地下から出られない・・・といった悲劇に見舞われます(←経験者)。しかも季節がら、ものすごい夕立にあうことも多く、祇園祭を鑑賞するのは京都府民でも試練の連続(笑)。
そこで、なかなか見に行く機会もないし行く気もないといった方々に京都の夏をおすそわけ・・・と意気込んでいましたが、暑さと湿気と人の波に早々に退散してしまった軟弱カメラマン・・・

こうして見れば鉾はゆかしく美しく、確かな伝統と京都らしさを感じさせます。どちらかというと青森ねぶたや岸和田だんじりなど勇壮なお祭りに心惹かれる私ですが、(どっちも見てない!!)たまには、こういうのもいいよね。

         「竜吟」なんてタイトルはどうでしょう?

      f:id:yoneyumi0919:20080715160904j:image:w360

         「唐獅子牡丹」でいかがでしょう?

      f:id:yoneyumi0919:20080715162213j:image:w360

       昔、市の観光局で案内チックなアルバイトをしていた時、
       みんな「カマキリどこですかー」って聞くんですよ。
       なので、タイトルはずばり「一番人気」(笑)。

      f:id:yoneyumi0919:20080715165642j:image:w360

         おまけ。こんなミニチュアを発見。カワイイなあ。

      f:id:yoneyumi0919:20080715164318j:image:w360

(2008年7月16日記)

愛は みんなの王様ョ

時々妹のところに行って、昨今の流行りものの是非からヘナチョコ政治談議、日常の悲喜こもごもにいたるまで、丁々発止の辛口トークを繰り広げることがあるのだが、辛辣さにおいて私をさらに上回る(?)この女と、先日次のような意見の一致をみた。
曰く、「いい歳をして、愛だの愛しているだのといった言葉を口にするような男はあんまり信用できない」。・・・・・・ま、これは少々悪ノリした戯言にすぎないけれど、時と場合と使い方と言う人間によってはとんでもなく陳腐な、空疎な言葉に成り下ってしまうことがままある・・・というような感じはわかっていただけるのではないかと思う。
例えば詩のような分野において、この言葉を多用するなどは表現者として野暮の骨頂・・・と思っているところへ、『ボマルツォのどんぐり』(扉野良人著)という本を読んでいたら、戦前のモダニズム詩人である永田助太郎という人の、ずばり「愛は」いうタイトルの詩が。
これがですね、悪趣味ぎりぎりの天真爛漫というか、グロテスクな稚気というか、 思わず笑ってしまったので、ちょっと紹介してみよう。

  愛は
  みんなの王様ョ みんなの王様
  最初に混沌あり
  次いで鳩胸の大地と
  エロス エロスうまれたりとナ
  オオ ララ オオ ララ

  愛は 愛は
  たまつたところから
  ヨリたまらないところへ流れいること
  糸を伝つて流れいる盃の水のやうなら
  心をぶちまけてぶちまけて
  血をまぜたい 血をまぜてまぜて
  奴隷になりたいナ 奴隷になりたい
  オオ ララ オオ ララ

  愛は 愛は
  ギリシア十字形ョ ギリシア十字形
  山羊はエニシダのあとを
  狼は山羊のあとを
  鶴は鋤のあとを
  TaroはHanakoのあとを
  モラルは科学のあとを・・・・・・
  苦役だ 苦役
  オオ ララ オオ ララ
      :
      :

後半の展開がさらにすごいので全文引用したいのだが、長いので断念。
歪な形に膨らみ続けるイマジネーション、思わず口ずさみたくなるリズミカルな言語感覚。
あえて「愛」という手垢にまみれた言葉を使うのならば、これくらいアクロバティックな表現をやってのけてほしいものである。・・・などと偉そうに書いてしまったが、実は詩なんてほとんど知らないのでありまして、「愛」が大いに絡んでいるにもかかわらず(笑)、唸らせるほど見事な詩をご存知の方はぜひ教えてほしいです。
本書では、他に取り上げている人物も微妙にマニアックで(辻潤田中小実昌高野文子中野重治田畑修一郎川崎長太郎etc・・・)、上述した詩に対する鑑賞眼も切れ味鋭く、知的で思慮深い好エッセイだ。ボマルツォといえば怪物、がまず思い浮かんだ澁澤龍彦ファンのあなたも手にとっていただき、この詩の続きを読んでみてほしいと思います。

ボマルツォのどんぐり

ボマルツォのどんぐり

もうひとつ。伊藤整の『近代日本人の発想の諸形式』という本(かくれた名著でございます)の中に、「近代日本における「愛」の虚偽」と題された1章があり、ここで「愛」という言葉がなぜ日本の精神風土にイマイチなじまないのか平易な文章で明快に説明されており、大変に面白いのでこちらもぜひどうぞ。

近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)

近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)

(2008年7月10日記)

ピアノを聴きに

f:id:yoneyumi0919:20111125151950j:image:medium:left先日、初めてピアノリサイタルというものに行ってみました。
さては「のだめ」の読みすぎ・・・ではなく、京都コンサートホールを一度見てみたかった(立派なホールなんです)、2,000円という超庶民的価格(3Fですよ、もちろん)、そして大変ヒマだった、という思いつき的行動でありまして、Tシャツとジーンズという薄汚い格好で(笑)気持ちよくうたた寝でもするつもりだったのが、思っていた以上に楽しんでしまいました。もともとジャズピアニストのB・エヴァンスや大西順子のファンでもあり、ピアノが好きなんです、ええ。
ロマンティックなラフマニノフ、愛らしかったりきらきらと輝くようだったり時には荘厳だったり、いろんな表情をみせてくれるバッハゴルトベルク変奏曲
・・・ピアノの表現力の豊かさを存分に体感いたしました。その姿といい、音色といい本当に美しい楽器です。
そしてクラシック初心者には生演奏がことに効きます。ここにワインの一杯でもあればさらによかった(笑)。そうそう、ピアニストはセルゲイ・シェプキンという方です。

同じ京都コンサートホールでの12日の高橋悠治さんの平均律クラヴィーアも聴きたいが、¥4,500か。・・・¥3,000だったら行くのになぁ(わあっ、ケチだ私!)。
悠治さんといえば、『ぼくは12歳』の岡真史くんや谷川俊太郎さんの詩に曲をつけて伴奏矢野顕子が歌うというレアな作品がありまして、これがまたゆるゆると珍妙な、かつどことなく哀愁を漂わせるなんとも形容しがたい味わいの一品です。一緒におさめられている端正な近代クラシック歌曲とのアンバランスさにしばし呆然・・・いや、そこがまたよろしいかと。

BROOCH

BROOCH

身近な人たちの中にも楽器の演奏ができる人、というのがけっこうおられ、これはとても羨ましいですね。だって演奏している人が一番気持ちいいはずで、しかも、うまくいけば人をほんの少しシアワセにできるかもしれませんし。
・・・ピアノ、今からでも遅くないかしらっ・・・!?(遅いと思う)

(2008年7月3日記)

逍遥、彷徨、疾走

どんよりした曇り空の毎日・・・なにか気晴らしになるようなネタはないものか。
今日からウィンブルドン開幕。・・・だめですか(笑)。 
あのブレイクに勝ったり、あのナダルから1セットをもぎ取ったりとの快挙が続く錦織圭くんの活躍には心躍るものがありますが、それにもまして、それにつけても伊達公子である。「よう頑張らはるねえ」くらいにしか思っておられない方もあろうが、すごいですよあの人。
私は彼女と同い年である。そして大差はあれど同じスポーツをかじったことがある者として、身体感覚を伴った次元で、腹の底からすごい、かなわない、と思うのである。
数ヶ月のブランクでも足、全然動かなくなるし、サーブトスができなくなりますからね、今ラケットを握ろうもんなら5分のストロークで息も絶え絶えでしょう。(・・・ってそれは私だけか・・・?)
現役時代はクールなプレイヤーだったのに、妙ににこやかに子どもにテニスを教えたりして、なんだか腑に落ちなかったのだが、実はその青白いファイティングスピリッツが内に燻り続けていたのね。・・・彼女を見る度に「もう歳だから云々」なんていうセリフを真面目に、しかも言い訳がましく使うのは控えよう、と思ってしまう私なのでした。


▲▼▲▼▲


単語を3つ並べるタイトル、かっこいいと思うのである。
『無縁・公界・楽』(by網野善彦)であるとか『徴候・記憶・外傷』(by中井久夫)であるとか。『生命・宇宙・人類』なんてのもありました(埴谷雄高にしか許されないタイトル・・・)。
たぶん一生読まないと思うけど『サド、フーリエ、ロヨラ』(byロラン・バルト)、『ゲーデルエッシャーバッハ』(byホフスタッター ←誰?)なんてのもぐっときますね。
そういうわけで(?)、例によってテイストの全く違う本のイメージを無理やりつなげてみたのである。題して「逍遥、彷徨、疾走」。・・・あ、これもだめですか(笑)。

◆『図書館逍遥』小田光雄

図書館逍遥

図書館逍遥

ボルヘスアルゼンチン国立図書館長だったことはあまりにも有名だが、バタイユがオルレアン図書館長だった、って知ってました?(しかも「悪魔とよばれた図書館長」!)
島尾敏雄奄美大島図書館長だったのもこれまた有名だが、加藤典洋さんや阿刀田高さんがかつて図書館員だったとは知らなんだ。・・・まあこんなネタはほんのさわりで、図書館にまつわる歴史がらみ、文学者がらみ、古今東西裏事情などなど興味深い話が満載。
惜しむらくは軽妙エッセイのはずの文章がちと硬いところだが、このいかにも生真面目な硬さが、しめくくりの章である「盲学校と点字図書館」の中で著者の盲目の母のことを語るのに意外な光を放つのである。
図書館にノスタルジックな甘い思い出を持つ人も(・・・そんなドラマみたいな思い出が本当にある人はご一報ください 笑)、そうでない人も楽しめる作品だと思います。


◆『インド夜想曲』アントニオ・タブッキ

須賀敦子さんの翻訳です。端正で美しく、幻想的なイメージ溢れる文章には吸い込まれるような力がある。むせるような暑気と芳醇な空気漂うほの暗い地を彷徨し、翻弄される主人公。断片的な夢を見続けているような、物憂く、はがゆい感触。少しずつ夜が明けるような印象を与えつつも、実はどこまでもシニカルなラストシーンも秀逸。


◆『ベルカ、吠えないのか?』古川日出男

ベルカ、吠えないのか?

ベルカ、吠えないのか?

感傷を一片も感じさせない、たたみかけるようなハードボイルドな表現で名もなき人間たちとすさまじい勢いで繁殖、増殖する半狼・軍用犬シェパードの数奇な運命を描く。戦場を縦横無尽に疾走するイヌたちの姿は圧巻。時折文体が謳い上げるような調子になり、劇画調のマンガが思い浮かばぬでもないが(笑)、うわさどおり巧いな、古川日出男。 一気に、読ませます。

(2008年6月23日記)

本の選び方

出版不況だそうである。
本が売れなくて困っているそうである。
ところで、街の大型書店にはどこでも「売れ筋ランキング」コーナーがある。 そのランキングの上位の本しか買わない、という人が少なからず存在する。
なので、出版社はこぞってランク入りをねらって、毎日毎日大量に出版している。(・・・以上 NHK「クローズアップ現代」〜ランキング依存が止まらない〜より)

・・・そうだったのか。大変だなあ。
本が売れない売れないとは聞いていたけど、いつ行っても新刊本があふれんばかり、ことに話題になっている売れっ子作家の本ばかりが目につくのは、そういう事情だったのね。それにしてもだ。たくさんの人が買っている本だから私も買う・・・だなんて、なんとまあ子羊のように従順でいらっしゃること。
・・・いやちょっとまて。
このひねくれ者の私とて、たまさかに「C・クライバー指揮のオペラでも聴いてみるかな」とか「ホロヴィッツピアノなんぞをひとつ」などと思った場合、即座にパタパタと検索をかけて売れ筋人気作品を迷うことなく購入するはずであり、人は未知の分野ではかように簡単に、子羊のように従順になるのであった・・・あ、いやそういうオチの話ではなく(笑)。

ランキング依存とまではいわずとも「たくさんありすぎて何を読んだらいいのかわからない」と言う方は多いはず。・・・アドバイスしましょう。
たくさん読んでいる人に聞けばいいのである。
身近な人でももちろんいいが、世の中には読んで紹介するプロ、というものが存在する。不特定多数のうさんくさいランキングより、プロの意見を聞こうではありませんか。
私自身、参考にしている人がたくさんいるのだが、ここは男女1人ずつ、驚嘆に値するその読書量に敬意を表して紹介することにしよう。(いわゆる古典的名作は対象外。そんなものは手当たり次第に読めばよろしい)

小説が好き、という方は、「文学賞メッタ斬り」シリーズで有名なトヨザキ社長こと豊崎由美さんの意見を一度聞いてみては。国内外の純文学もエンタテイメントもこなす上、書評もしゃべりも抜群に面白い。きっと読みたい小説が見つかるはずだ。・・・長編が苦手な私はなかなか手がでないんですけどね(笑)
小説も含めさらに幅広いジャンルも、という方は、ミスター・千夜千冊、松岡正剛さんの本棚を参考にしてはいかがでしょう。あなたのどんなリクエストにも即座にお答えしてみせましょう、と言わんばかりの博覧強記ぶり、ネットでも読めるので活用しない手はない。(しかし、残念ながら私はこの人の書評を一度も面白いと思ったことがなく、ほお、こーゆー本があるのか・・・というデータにするだけなんですが・・・)

ちなみに装丁がすばらしくハイセンスな本(新潮クレスト・ブックスとかね)、いわゆるジャケ買い、これも意外と成功率が高いので一度お試しを。
・・・本を選ぶ、というのは実は大変楽しいことなのである。
そういう意味で、冒頭で紹介した今の書店・出版社・読者の動向は間違っているね。


▲▼▲▼▲


最近読んで面白かった本です。

◆『<弱さ>のちから−ホスピタブルな光景−』鷲田清一

<弱さ>のちから

<弱さ>のちから

こういうジャンルに進出してらしたとは。鷲田先生、なにしろ『モードの迷宮』以来ですので。「ケアする・される」という関係性を、様々な職業の人たちとの対話により新たな視点で考察しようとする試みである。ユニークな仕事の人たちの意見はなかなか面白みも刺激もあるのだが、ケア、またはコミュニケーションという大変デリケートな個人的行為を扱っているため、若干の違和感を覚えるところも。何故そう感じたのかを考えている。

◆『柿の種』寺田寅彦

柿の種 (岩波文庫)

柿の種 (岩波文庫)

大好きな本だ。詩人の心と科学者のまなざしの奇跡的な融合。
(あっ、今思いついたが宮沢賢治もそうですね)
ショート・ショート風のものあり、アフォリズム風のものあり、ユーモラスなエッセイあり、ため息まじりのモノローグあり。やさしい言葉で書かれた珠玉の短文。
・・・眠れない夜に、少しずつ。

(2008年6月12日記)

『潜水服は蝶の夢を見る』

      
     f:id:yoneyumi0919:20111125114241j:image:w360

・・・このタイトルじゃ、シュルレアリストの小説みたいですな(笑)。

雑誌ELLEの編集長を務めるセレブであるところの主人公が脳梗塞に倒れ、その後遺症によって全身麻痺の人となり、唯一動かせる左眼の瞬き(その数なんと20万回)によって記された自伝の映画化である・・・と聞けば、かなりヘヴィーな作品を想像されることと思う。
・・・私もそうだった。これはしんどそうだ。ちょっと、観る気にならないねえ。
というのも最近、同じく脳梗塞で倒れ、重篤な後遺症に苦しむ免疫学者・多田富雄さんの『寡黙なる巨人』を読んでどーんと落ちこんだからだ。未曾有の体験を綴ったこの本は、自身の運命への呪詛と苦渋に満ちていたし、病や障害とともに生きるために必要不可欠なリハビリテーションをめぐる環境や体制が、今の日本は絶望的な状況にあることを知ってしまった。まったく厚生労働省、あなた方の仕事は一体なんだ。・・・だいたいお前らなぁっ(以下暴言につき自主規制)

・・・話がそれました(苦笑)。監督はグラフィティアートの寵児ジャン・ミッシェル・バスキアの生涯を描いた『バスキア』(ウォーホルを演じたD・ボウイがちょっと笑えた)を撮ったジュリアン・シュナーベル。『バスキア』は面白い映画だったし、このポスターもなかなかセンスがいいではないか。それに信頼できる人間がみな褒めているぞ。
これは、一映画ファンとして見逃してはならぬのでは!(←大げさです)

・・・うん、やっぱり一筋縄でいかない映画でしたね。
あくまで淡々と、時折ユーモアおりまぜて。主人公がパパ(マックス・フォン・シドー!)と最後の言葉を交わすシーンなどは胸がつまるが、いわゆる「泣かせどころ」がない。「がんばり感」もない。この映画に号泣的カタルシスを求めた人はさぞかし物足りなかっただろう。
エンド・クレジットとともに流れるトム・ウェイツの歌声、ここで初めてしんみりした気分になる。(寒いなぁつらいなぁと思っているところへ、ボロで肌触りも悪いけど、ぬくぬく毛布をかけられたような、そういう感じですよねー、トム・ウェイツの歌って)
それと特筆すべきはカメラ。撮影が素晴らしいです。


「不幸に全力で立ち向かう」というのとまた違う形のこの不思議な感動は、昔読んで深い感銘を受けた、宗教学者M・エリアーデの言葉の感触と少し似ている・・・ような気がする。

「自分がここに生きているということ、存在したということは、誰にも否定できない。
人間の存在の破壊し得ないこと(indestructibility of human existence)というものがあるのだということがわかった。自分は病いに苦しんで、もう長く生きないかもしれないけれども、この世に生きて苦しんでいたということは誰もそれを否定できない、それをなかったことにはできない」

(2008年6月3日記)

鬼、踊る

買ったぞ。・・・何を?・・・デジタルカメラを。
それにしてもいつの間にこんなに小さくなったのだ、デジカメは。ジャスト、カードサイズ。スタイリッシュなその姿。突起物を最小限にしたシャンパンベージュのシンプルなボディは、まさしく機能美の極致。(・・・いや、もうそっとしておいてください(笑)。浮かれてるだけです)
こうなると、撮りたい。身近な人間やネコどもをバシバシ撮ってみるが、これがまた驚くほど美しく撮れる。いっぱしのカメラマン気分だ。
さあ、この腕前をさらに発揮できる被写体はどこだ。

・・・見つけました。
ゴールデン・ウィークに、毎年京都にやってくるこのお方。

     f:id:yoneyumi0919:20080503140806j:image:w360

舞踏家大道芸人のギリヤーク尼ヶ崎さんは御歳もって77歳。
その芸はといいますと、哀調を帯びたパントマイム風のものあり、土着的前衛舞踏風のものあり、クライマックスに近づくにしたがって、じょんがら節にあわせて褌姿で髪を振り乱し、地にのたうちまわり、時には池にも飛び込むといった「鬼の踊り」と評されたとおりの鬼気迫るパフォーマンスをみせる。

     f:id:yoneyumi0919:20080503141748j:image:w360

・・・土方巽から大駱駝艦白虎社、山海塾までひととおり観てますのよ、なんていう通人ならいざ知らず、初めて観た人は、まあちょっと、ぎょっとするかもしれません。

     f:id:yoneyumi0919:20080503143932j:image:w360

     f:id:yoneyumi0919:20080503144702j:image:w360

通りすがりの小奇麗なカップルが、「意味、わかんな〜い」とか言いながら立ち去って行ったりしてましたし(苦笑)。・・・未知なもの、異質なものは「わかんない」でシャットアウトかいな。若い人がそんなことではナンギやねえ・・・と思いっきり関西のオバちゃん口調であきれてみたが、もちろん口にも顔にも出さず。
・・・ううむ。いっぱしのカメラマンだったはずだが(笑)、動きを捉えるのが難しい。躍動感を出すのはとっととあきらめて、その表情を追いました。いい顔、してますよね。

77歳とはとても思えない運動量と身体のキレだが、そろそろ「命懸け」というムードが漂ってきたようである。ここ最近は「鎮魂と祈り」をテーマに掲げているとのこと、あなたならば、その悲壮とも思えるテーマを扱うに不足はない。

      f:id:yoneyumi0919:20080503150112j:image:w360

「ここで踊ってる最中に死んだら本望やろうな〜」と言い合って投げ銭奮発。
・・・投げ銭で食うこと40年。こんな人生もある。

(2008年5月10日記)

『奇跡』

東寺近くに「京都みなみ会館」というちっこい映画館がある。
いまいちパッとしない商店街の中のパチンコ屋の上、という大変庶民的な環境にもかかわらず、主にヨーロッパの監督のアート系の作品を上映している堂々たる芸術派。最近では「マノエル・デ・オリヴェイラ監督特集」「ゴダールヌーヴェルヴァーグ・ナイト」「ファンタスティック!チェコアニメ祭」等々の企画で我々映画ファンを唸らせてくれている。・・・かと思えば「怪獣映画特集!オールナイト」「3と30のつく真夜中だけアホになります!ナイト(どんなものを上映しているかは推して知るべし)」などというお茶目な一面もあって、実に懐のふかい映画館だ。不肖わたくしも学生の頃から長きにわたってお世話になっている。

そして、今回の「カール・ドライヤー監督特集」。
カール・ドライヤーという人をご存知だろうか。
沈痛な表情のファルコネッティのクローズアップが有名な無声映画、あまたあるジャンヌ・ダルクものの金字塔であります、『裁かるゝジャンヌ』を撮ったデンマーク出身の監督といえば、ピンとくる方がおられるかもしれない。
そのドライヤー監督の『奇跡』を観る。(原作は劇作家であり牧師でもあったカイ・ムンクの『言葉』。聞いたことないなぁ・・・)

f:id:yoneyumi0919:20111125112228j:image:medium:left「信仰」と「祈り」という、現代日本に生きる私たちにとっては感情移入がやや困難かと思われる題材を扱っているが、ジョン・フォード並みの息をのむような美しい映像をシネマスコープで大いに堪能。自らキリストを名乗る精神を病んだ次男が死者を蘇らせる、という一見シンプルな、やれめでたや的ストーリーなのだが、よく考えるとこれ、そうとうラジカルな要素孕んでないか?もしかしてベルイマンより一枚うわてかもよ。それにしてもキリスト教ってやつは底知れないな・・・と普段考えもしないようなことが浮かんだり沈んだり。・・・かように、いい映画というものはふやけたアタマを活性化してくれるのでありました。


▲▼▲▼▲


ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』読了。面白い。

パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)

パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)

この邦題だとなんだかのんきそうだが、原題は「Dawn and Out」、つまりどん底生活。自身の極貧生活と周りの人物の観察記録であり、非常に深刻な事態を書き綴ってはいるのだが、オーウェルの語り口がそうなのだろうか、あまりのことに笑いがこみ上げてくるようなテイストの作品だ。
・・・まこと悲惨と滑稽は紙一重。


▲▼▲▼▲


もし信濃町に放ったなら5秒で捕獲されるであろう(笑)鳥肌実がGWに京都にくるようだ。なになに、クラブメトロで22:00開始、ってことは日付が変わる頃に終了か・・・って、それじゃ帰れないだろーがっ(怒)!!!
あの芸風が現場でエンタテイメントとしてちゃんと機能しているのかどうか、ちょっと興味あるんですよね。やっぱり京都では「京都御苑に向って、敬礼――――っ!!!」とか言うんだろうかね(笑)。

(2008年5月1日記)

料理の話

・・・(前回の日記の続き)まだ痒いのである。いよいよステロイドの出番かと思われる。この悪夢のような湿疹が一瞬で・・・治るのか(苦笑)。

まあしかし、桜をあんなふうに咲かせ、何もかもが萌え出る春という季節がもたらす生命力というのは思いのほか野蛮で獰猛なものなのかもしれず、そのあおりをくらってちょいとばかり体や心の調子が狂うというのは、ごく自然なことなのかもしれませぬ。(大いに狂ってはいけませんが)
・・・それでかどうかはわからないが、ここ最近はDaft Punkの「Too Long」、クラフトワークの「Musique Non Stop」、そしてスティーヴ・ライヒなど、自然の対極にあるような人工的な旋律が反復される音楽に鎮静作用があるようで、妙に心地よいのです。

ま、それはさておき。
料理の話だ。
大方の予想通り(?)、私は料理があんまり得意じゃない。
シューマイや春巻き、煮物にひつまぶしにポタージュ、和洋中なんでも抜群に旨いものを苦もなくサッサと作ってしまう妹とは大違いなんである。
素材の良さは大前提として、料理の極意は「手早く、大胆に」だと思うのだが、手先が不器用でダンドリが悪く、しかも小心なので、「火がとおってるかなぁ?」とか思いつつ炒め物を中火で(!!)いつまでも(!!)かき回しているようなヤツなのである。(・・・最近はそんなコトないです・・・)
自信がないから、目分量、なんていうのはもちろんだめだ。
レシピに忠実に大さじ小さじ何杯、とかやらねばならん(笑)。なので私が唯一買う実用書、それは「料理の本」。これ、山ほど売ってるけど使えるものは案外少ない。「野菜の切り方」とかいらないし!

・・・苦手な話の次は得意分野でいこう。
実用書でない料理の本の紹介だ。


◆『文人悪食』嵐山光三郎

文人悪食

文人悪食

これは有名だから読んだ方多いかな?
文豪たちの食にからんだ面白エピソード満載。
泉鏡花の驚異の偏食ぶりに脱帽。
サルトルもこんなふうな病的偏食でしたよね、確か)


◆『料理小説集』村上龍

村上龍料理小説集 (集英社文庫)

村上龍料理小説集 (集英社文庫)

食というものは最も基本的な欲望であり、快楽であり・・・なんていう話になると、言うも野暮だが「あの女を食いたい」ってトコにいきつくのだな、龍さん(笑)。
これは大変よくできていまして、冒頭からぐっと読者のココロををつかむ、いわゆる「つかみはオッケー」的短編ばかりでぐいぐい読ませる。思わず唸る。上手い。


◆『美食倶楽部谷崎潤一郎

美食倶楽部―谷崎潤一郎大正作品集 (ちくま文庫)

美食倶楽部―谷崎潤一郎大正作品集 (ちくま文庫)

これですよ、これ。欲望と快楽のいきつくところ。
妖しくて滑稽。呆れて笑えて、酔えます。
・・・料理を、味を、触覚と幻想で表現した驚くべき一編。

(2008年4月20日記)


>追記

これも最高の料理本だな。
「奥さん、ここで手間を惜しんではならぬ」と薬味を何種類も作ったりするマメさ加減、ホントに「火宅の人」か?あるいはそのマメさゆえに火宅となったのか(笑)。

檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)

檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)

インドへの道

タイトルにもありますように、更新をサボッている間にインドへ1人旅・・・なんてことはあるはずもなく、職場の引越しですったもんだしていました。
引越しというのは、本当に煩雑で心身を消耗するものでありまして、事前に万全の準備を整えたつもりであっても、どういうわけだか必ずトラブルが起こり、作業が難航し、仕事が滞り、人はイライラする、と決まっております。そこへ少々気が滅入るようなこともあってさらにイライラが募っていたわたくし、まずピアス穴が爛れてきました(む、無念なり〜!)。次にじんましん様のものがあちこちにあらわれてきまして、う〜むと唸りつつばりばり搔きむしって日々を過ごしていたら、あらまあ4月ももう12日・・・?
そういうわけで皆さん、イライラするのは体によくないのでやめましょう(笑)。

さて今年はイギリスのデビッド・リーン監督生誕100年だそうです。
アラビアのロレンス』『戦場にかける橋』『ドクトル・ジバコ』等々スケールの大きい大河ドラマで有名な人ですが、『ライアンの娘』『旅情』などの電撃型ラブ・ストーリーも素晴らしかった。
そのどちらでもない『インドへの道』は、微妙に屈折した人種間の心の綾を丁寧に描き出す、地味だけど見ごたえのある作品です。ぜひご覧ください。

・・・こういう大人の鑑賞に堪えうるようなメロドラマが撮れる人、最近めっきり少なくなったような気がします。

そして、生誕100年&インドつながりです。
日本画家秋野不矩。今、京都に来てます。人生も後半にさしかかってからインドの魅力に目覚め、かの地に赴いて精力的に作品を残しました。

     f:id:yoneyumi0919:20111125105142j:image:w360

クレヨンで書かれたようなやさしい色遣い(黄色と茶色が好きだな〜)と大胆な構図。
インドは多彩なイメージを持つ国だけれど、この人の絵は、母なる大地の穏やかなまなざし・・・といったところでしょうか。
そういえば以前展覧会を観に行った時、梅原猛さんを目撃し、声には出さねど思いっきり「あっ、あっーーー!!」という顔をしてしまいました。
・・・失礼なのでそういうことは今後慎みましょう。・・・はい。


では最後に異国つながりってことで、おすすめ本を2点。
◆『LAハードボイルド海野弘

カリフォルニアオデッセイシリーズの第一弾。
海野さんの本って別に深い洞察だとか鋭い理論展開とかあまりないんだけど、目のつけどころがいつも面白いんだな。ゴシップとかスキャンダルとか陰謀とかのネタ大好きだしね。チャンドラーやフィルム・ノワール好きにはたまらない本かと思われます。それほどでもない私ですらとても面白く読んだし。

◆『ビールと古本のプラハ千野栄一

ビールと古本のプラハ (白水Uブックス―エッセイの小径)

ビールと古本のプラハ (白水Uブックス―エッセイの小径)

ミランクンデラの『存在の耐えられない軽さ』を翻訳した方です。
チェコってそんなにビールがうまい国だったとは。へえ、そんな文学者いたの。・・・知らないことばかりです。
時おり社会主義時代の暗い翳がさすようなところがあって、なかなか渋くて乙な味わいのあるエッセイです。
どうもクンデラの小説は長いし、辛気臭そう・・・と敬遠していましたが、「クンデラは人知では計り知れない重さを持ち、しばしば人間の手から逃れる重いものを、軽い文体で書く作家である」などと言われると・・・挑戦したくなってきますねぇ・・・!(『悪霊』の悶絶、再びか!?)

(2008年4月12日記)

ダンディーってなんだ。

ぼんやりとTVをザッピングしていたら、姜尚中、高橋源一郎、ピーター・バラカン鹿島茂佐野史郎といったいかにもこうるさい感じの方々が、“20世紀のダンディーな男”についてあれこれおしゃべりしていたのでそのまま鑑賞体勢に。
熱論の末セレクトされた部門別ダンディーな男は以下のとおりだ。

マイルスデイビス(音楽部門)
・サルバドール・ダリ(芸術部門)
・マルチェロ・マストロヤンニ(映画部門)
・エドワード・サイード(政治・思想部門)
金子光晴(文芸部門)


・・・はあ?こ、これが、20世紀を代表するダンディーな男?・・・うっそぉ。
反射的にそう思ったものの、はて、ダンディーってなんだっけ(笑)?
自分の周りをぐるぐる見渡しても、過去をさくっと遡っても、「ダンディー」などという言葉がしっくりくる人物が1人も思い浮かばないところをみると、まずめったにお目にかかれないシロモノであり、それどころか明治時代ぐらいにすでに絶滅してしまった人種なのでは。あるいは“魔性の女”がそうであるように、幻想の産物にすぎないとか(笑)。
あえて言うなれば、身のこなしがスマートで洗練されている、ストイックな中にも、なにかしらこだわりのスタイルを持っている、「がんばってます」「ねらってます」的自意識を全く感じさせないこと。
総合してクールダウンが基本なのではなかろうかと、ま、このように思うわけです。
この5人、全員超がつくかっこいい人たちだけれど、めちゃめちゃ熱いやん。がんばってますやん(笑)。 熱いダンディー・・・すごい違和感あるな。
・・・なんてことをつらつら思いながら、これもまたこうるさそうな林望センセイの『イギリス観察辞典』の「ダンディズム」の章を読んでみた。

 「世の世流的な動きに背を向けても、超然とわが道を進む決意を意味する」
・・・そうだったのか。だったらこの5人で正解か・・・?

 「百万の敵ありとても、その状況をニヤリと眺める精神の余裕、ユーモアの魂、そういうものがどこかになければなるまい」
・・・そうだったのか。ニヤリか・・・。

最後に、月並みすぎて恐縮ですが、私が思うダンディーな男とは、
白州次郎、小津安二郎森雅之の3人です。
・・・おっと、トロピカル・ダンディー(byハリー細野)も忘れちゃいかん(笑)。

(2008年3月31日記)

京都のおすすめ本屋さん

京都は歩いて楽しい町だ。
冬の間は冬眠中のわたくしも、あたたかくなるとふらふらと京都の町を歩きだす。虫と同じ(笑)。けっこう、歩きます。
なので知る人ぞ知るこだわりのお店であるとか、隠れ家的空間とかのトレンドスポットに大変詳しい・・・と言いたいところだが、たいてい愚にもつかぬ考え事をしていて、ものっすごい上の空な感じで歩いているため、何年住んでいてもそういったものに疎い。
はんなり・まったり・ほっこりの京都って一体どこのことですの(笑)?

・・・そんな私が自信を持っておすすめする、思わず「み、店ごと全部くだされっ」と言いたくなる本屋さんであるが、これは知る人ぞ知るどころではなくて、本好きの京都人なら全員知っているのだった(笑)。
京都に行くかもしれない他府県の方だけ読んでください。

三月書房
f:id:yoneyumi0919:20111125101504j:image:medium:left河原町通りを歩くくらいなら、ぜひとも寺町通りを北上いたしましょう。
店先のつげ義春のポスター(これは珍しい)が目印、ガラスケースには吉本隆明杉浦茂熊谷守一。本好きのツボを刺激しまくるその素晴らしい品揃え。 どのくらい素晴らしいかというと、このくらいです(笑)。            ↓
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/index.html
S・シン『フェルマーの最終定理』がすんごく面白かったので、
この勢いにのって次はリチャード・ドーキンスを読もうかしらと思ったものの『利己的な遺伝子』の分厚さにビビり、却下。探していていた中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』荒川洋治文芸時評という感想』を買ったら5千円以上になっちまった・・・かように、購買意欲をそそる本屋なのでありました。

恵文社
f:id:yoneyumi0919:20091122122150j:image:medium:left叡山電鉄に乗って鞍馬・貴船に行かれる方は、帰りに「一乗寺」で降りましょう。
カフェかしらと見まごうそのナイスな外観、雰囲気。文芸書のラインナップもさることながら(ヴィレッジヴァンガードなんて目じゃない)、デザイン・写真・洋書などのアート関連の本も充実しており、雑貨もあるので、女性はきっと大好きだと思うな。
        http://www.keibunsha-books.com/

f:id:yoneyumi0919:20080604152107j:image:w360


       今夜のBGMはムーンライダーズ『マニアの受難』
     (・・・あがた森魚の歌う「大寒町」が、ぐぐっときます)


         
          D


では、おやすみなさい。


(2008年3月23日記)

気ままな一人旅

      
      f:id:yoneyumi0919:20080314232941j:image:w360

ウェス・アンダーソン監督の『ダージリン急行』を観る。
おトボケ3兄弟のインド珍道中。オフビートな笑いのセンスとしんみりさせるエピソードのバランスが絶妙で、小物と音楽の使い方もおしゃれで、大変楽しめる作品に仕上がっております。おすすめです。

めっきり暖かくなった日差しの中、こういった映画を観ますと、ふらりと気の向くままあてのない一人旅なんぞに出てみたいものだ・・・と思わずにはいられません。ええ、“ほんとうの自分”など探すまでもないわい、と思っている私のような者でも(笑)。
そういう旅に出る最大のチャンスであったはずの大学時代は、クラブづけの日々であったし、その後は有給休暇?なんですかそれは的怒涛の会社員生活になってしまったし、あこがれの気ままな旅はついに果たせぬかと思われた・・・が、しかし。
・・・その10年後、あまり賢明とも思えぬ「退職」と引き換えにそのチャンスをものにしたのでありました。
そこで、行ってきたんです、単身カナダへ。
特にたいした計画も目的も持たず、異文化の中をただふらふらしてみようと考えた。英語しゃべれません。ま、なんとかなるかと思って。
・・・なんとかなった(笑)。
京都市内の碁盤の目の中でさえ迷うという驚異的な方向感覚のこの私が、バンクーバーの街を闊歩し、GasTownを練り歩き、StanleyParkを散策し、GranvilleIslandでショッピングをし、バスに乗って郊外の吊り橋公園などにも足を伸ばしている。
・・・どうやって行ったんだろう・・・(すでに記憶が曖昧・・・笑)。
梅田京都よりずっとわかりやすい街だったんでしょう、きっと。
そして、バンクーバービクトリアも実に美しい街でした。
このように、わりに順調に気ままな旅を満喫していた・・・つもりではあったのですが、実のところ、心細くて落ち着かない気分でいることも多かったように思い起こされます。

・・・旅に出て、己の器の小ささを再認識(笑)。これもまたよし。

(2008年3月16日記)