an-pon雑記帳

表現者と勝負師が好きです。

諜報、復讐、贖罪、そして奇跡

ページを繰るのももどかしく、一気に読み上げた。
ウィリアム・ピーター・ブラッディ新作『ディミター』。

著者は一般的には映画『エクソシスト』の原作者として知られる脚本家で、御年84歳。
エクソシスト』撮影中(73年公開)からこの小説の構想をあたためていたというから、練りに練り満を持して発表されたミステリ小説なわけだが、80歳を越えた老齢でこれだけのものを完成させるとはなんとも恐れ入る。
神出鬼没する男の正体と目的を追うスパイ小説のおもしろさと、アルバニアの片田舎から聖地エルサレムへと舞台を追うごとに増す不可解な事件と神秘の異相とが錯綜し、厚く垂れこめた雨雲の間からすうっと淡い光が差し込んでくるような終盤のシークエンスに至るまで揺るがぬ静かな緊張感、そして読了後の軽い放心。これこそがミステリを読む醍醐味であるな。

舞台の幕開けは、アルバニア北部の山岳地帯。
バルカン半島南西部に位置するアルバニアは、アドリア海対岸はイタリア、隣国の一つはギリシャ、などと聞くと、なんとなく穏やかな気候と豊かな自然に恵まれた田舎の小国・・・くらいのイメージを持たないだろうか。・・・ところがこれが尋常でない。
大戦後に近隣の社会主義友好国と次々と国交を断絶して鎖国状態となり、仮想敵国を恐れるあまり全国民にいきわたるほどの武器を調達し、コンクリート製の防御陣地・トーチカを国中に大量に設置し(子供たちが泳ぐ海岸や牛が草を食む牧草地にトーチカがゴロゴロしているさまは異様)、宗教大弾圧を行い、「全国民が素性を知られ、数えられ、動向を追われている。全国民の名前が無限のリストに掲載され、現在地を変えるたびに毎日チェックされている」・・・さながら国丸ごと強迫神経症のごとくである。(←小説の舞台となっている70年代のお話です)

そしてもう一つ、この小説の最初の事件の発端となる恐ろしい因習がこの国にはある。
「血讐」である。
「歴史的かつ、幾重にも複雑に絡みあう掟」に従い、近親者を殺された者は、殺人による報復を認めるというものである。(山間部では現在もこの風習が残されているとか。ほんまかいな・・・)
ある日、復讐騒動に巻き込まれた形で謎の男が偶然拘留され、厳しい尋問、そして凄惨な拷問を受ける。この一連のシーンでとても印象に残るのは、単に名も身分も目的もわからぬ「正体不明の男」というだけでなく、何か特別な気配を持つ人物であることを、オカルト風味の思わせぶりな調子ではなく、何気ないエピソードとして淡々と表現しているところだ。最近死んだ男の名を名乗っているのに村人は不審に思わなかったとか、状況によってまるで違う容貌に見えたとか、あんまり痛そうにしないなコイツ、とか。
ああ、なんかそういう不思議さってわかるような・・・というか、ひょっとして「あの人」がそんなふうだったんじゃない?・・・と、ぐぐっと身を乗り出すような興味をかきたてられるのだ。

謎を重々しく引きずりつつ、物語の舞台は“ヨーロッパの火薬庫”バルカン半島から“世界の火薬庫”イスラエルへ。
ここで事件と登場人物たちのそれぞれの苦悩をリンクさせて物語に奥行きと陰影を持たせ、合間に事情聴取の記述を用いて事件の経緯を効率よく説明するかと思えば謎めいた手紙を挿入して読者を困惑させたり、緩急も絶妙だ。
そして、様々な思惑を背負った1人の男が織りなす奇跡・・・・・・ご堪能ください。


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話はガラリと変わってもう一冊、山本作兵衛著『炭坑(ヤマ)に生きる』を紹介したい。
筑豊の炭坑で働く人たちの姿を描いた画文集、これがまたすごい本なのだ。

新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録

新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録

朴訥な語りの文章も味があるが、なんといってもこの絵!
古風で少々バランスの悪い「ヘタウマ」っぽい絵なのだが、強固な記憶力に基づいた細部の描き込みによるヤマの人々(労働、生活、文化)の再現力に圧倒される。両腕に彫り物をびっしり入れた男たち、働く女や子供、芸人や行商人、米騒動、見慣れぬ道具の数々・・・狐どもが見舞い客に化けて火傷患者の皮膚を食べた、などという柳田國男もびっくりな逸話も登場する。
厳しい現実を描いているのに、どことなく漂う飄々としたユーモアは、やはり著者のお人柄であろうか。

序文が上野英信、解説に金子光晴石牟礼道子錚々たる顔ぶれである。
興味のある方はぜひ手に取ってみてほしい。



(2012年10月25日記)